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ようこそ!魅惑的な人々ブログ2へ


誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

/////////////////////////////////

なおこちらの“ブログ記事のコメント欄”はコミュニケーション目的がありませんので
一部をのぞいて、コメントできない設定にしてあります。
ご意見感想などは、ご自分のブログで記事にされるなど、適当な所でお願いします。

このブログにかぎらず、たいていのブログではコメント欄に書き込みをすることで
管理者に接続IPアドレスが解ってしまう仕様であることも追記させていただきます。
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さようなら 学会アンチさん

四月は世間でも人事異動や入卒の時期だが、合わせるかのように
ネット上でも似たような動きがある。
ほとんど新記事更新通知サービスと化しているブログ村の創価カテ
にも何ヶ月かに一人、新ブログを登録される方がいるのだがそれ以上
に先発登録者の中で記事をあまり更新されない方が増えている。
学会員向けの個人的でつまらない記事を頻繁に更新してもさほどの
人気ブログランキング評価につながらないことを知ればそのうち飽きて
くるのも当然だろう。
中には他の登録者ブログにコメントを寄せる事で点数を稼ぎたがっている
したたかな方もいるかもしれないが、その感情はアンチさんも同じのようだ。

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学会員向けの健気な信仰アピール記事も、似たような記事をかく方が
何人もいれば食傷気味になるのと同じ様に、学会員向けのアンチアピール
記事も似たような内容が連なっていれば読む気がなくなるのも当然だろう。
学会員さんアンチさん関係なく、よりオリジナリティのある記事が好まれる
ような気がする。
書き手がどんな題材を取り上げるかよりも、どんな考え方をされているのか
人となりを想像できる内容が拙の好みだ。
たまにタイトルだけで中身の伴わない三流週刊誌なみのハズレ記事を
読まされてしまうこともあるが、表現力に幅をもっておられる方は取るに
足らない日常の記事でも面白い。
ブログにおいてオリジナリティのある表現力の1つが「絵が書けること」だと
思う。
SNSには4コマ漫画を発表されている方がけっこうおられるが、文字で
表現すれば少々キツイ内容でも、マンガにしてオチをつけると和らいだ
表現に見えてしまうのはとても不思議だ。

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ブログ村の創価カテにも最近はイラストをまじえ、かつ、あまり知られていない
有意義な情報を発信される器用な学会員さんが出てこられたが、記事の内容
を練りながら、あわせてイラストも描くという手間をかけられているのは大変だ
ろうなとおもう。 モチベーションを維持しつづけてないと出来ないだろう。 
つい最近まで、アンチ学会の立場でマンガを描いて発表していた 「さくらもち」
さんがブログ、SNSを卒業されたのはちょうど今から一ヶ月ほど前のことだった。
https://megalodon.jp/2018-0325-1624-23/sakuramochi2017.blog.fc2.com/

おそらくモチベーションが保てなくなったのだろう。
ときおり、monlingenさんの所にも皮肉めいたコメントを書き込みにこられて
いたようだが、おそらく彼女にとっての「創価学会」とは彼女や兄を苦しめてきた
親の姿そのものだったに違いない。
傲慢で話を聞こうとしない親へのいら立ちを、monlingenさんやブログにぶつけて
いたように思う。
さくらもちさんの両親の話は、いささか辻褄があわないところも散見されたが、
話半分としても、昭和時代の学会員さんの信心が垣間見れて興味深かった。
いずれにしても、信心を子供に伝えようとしている時に子供は学会活動家と
しての親の姿をしっかりみているという事だけは伝わった。
一番興味深かったのは、神社やお守りについて書かれたマンガだった。
http://megalodon.jp/2017-1223-1838-11/sakuramochi2017.blog.fc2.com/blog-category-9.html
たしかに昭和40~50年台ぐらいの日蓮正宗創価学会時代にはこのような
感じの親御さんがいた。
もうひとつ興味深かったのは世間やネット界隈がカルト問題で大騒ぎしていた
頃から彼女は2ちゃんねるなどを通じ、アイコラを造って学会アンチネット活動
に手を染めていた古参であったことと、一線を退いてからはSNSをつうじて
知り合ったアンチ学会論客とオフ会をしていたことを暴露していたことだろうか。
http://megalodon.jp/2018-0225-1731-27/sakuramochi2017.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

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上記過去ログで書かれている 法華講員のT氏 とは 鶴丸印 氏のことであり
ご隠居 と書かれている人物はTwitterで現在も自称ジャーナリストとして
サイトも運営してる学会アンチ大木道恵。
米山さんとはTwitterで米山士郎を名乗り、サイト運営もしている学会アンチ。
暁さんはだれだか存じ上げないが、どうせ同じような感じだろう。
たしかに、Twitterの痕跡には、さくらもちさんが情報をタレコミしているもの
があった。
上記のログで興味深いのは、さくらもちさんを始めとする彼等学会アンチ諸氏が
醜悪なアンチ学会とは一線を画しているかのように「創価論客」として紹介
されていることだ。 罵声を浴びせるだけの低劣アンチと一線を画すために
自称しているのだろうか。
「学会とはなにか」を冷静に考察しているのだそうだが、もっぱら過去
(日蓮正宗時代)に発刊された書籍などから、現在の創価学会を批判する
しかないのは さくらもちさんと同じだし、ネット法華講員の学会破折も過去の
スピーチや会長指導から矛盾点を指摘するケースがよくある。
「創価論客」とはいっても自身の過去の経験などを軸に、ネットで共有した
都合のよい情報を当てはめて、自分にとって都合のよい「怪しい創価学会」を
再構築しているだけなので、アンチさん向けのコンテンツにしかなっていない。
さくらもち さんの場合は「親子の反目」がアンチ活動モチベーションの根底に
あったようだが、存外、学会アンチ、法華講員らのネット活動の根底にも
おなじような反目があるだけかもしれない。

ともあれ、一人の学会アンチさんがネットアンチ活動に見切りをつけられたのは
喜ばしいことだ。
帰属しうる宗教をもたない人にとって、宗教論議などは「オフ会のネタ」か
団塊オヤジらとの出会いのキッカケにしかなっていないことは解ったのだから。





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【急告】 座談会へ部外者が侵入 : 真実を語るウォッチ 50

https://ameblo.jp/kiboutoiunanotsubasa/entry-12369469463.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----kiboutoiunanotsubasa_12369469463
(岐阜の壮年部ハピネス氏のブログの該当記事リンクです)

犠牲のうえに成り立つネット活動家の笑顔:真実を語るウォッチ49 
の記事内で拙が危惧していたことが起こってしまいました。


墨田区の婦人部「ちよ」氏が主催する組織内組織が、TOMMY(赤鬼)氏の

組織を通じず個人的な繋がりだけで他地域、他地区の座談会に無断侵入。  

同行したハピネス氏がレポートと集合写真画像をブログにアップし公開しています。

個人が特定できる状態で多人数が写っている画像をアップし公開するとは

学会員として言語道断の行為です。
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犠牲のうえに成り立つネット活動家の笑顔:真実を語るウォッチ49 

墨田区の婦人部「ちよ」氏が運営するブログで、またも
参加者のプライバシーを暴露する記事が発表された。

いまから1年前の5月、公明新聞に記事が掲載されて実名が
証された墨田区の婦人部「ちよ」氏。
当時から相手の警戒心の隙をついて他者の連絡先を入手し
直接電話をしたり自宅におしかけたりすることで、関わった人物の
プライバシーを漏らした上でブログの記事へと変換し公開。
新たな顧客を勧誘するといった組織内組織を彷彿とさせる「ネット活動」
を繰り返してきた。

今回、墨田区の婦人部のターゲットとなったのは創価学会が発刊する
「日蓮大聖人御書講義全集」のほぼすべて等を無断転載したうえ、
サイトを通じて世界配信をしつづけている TOMMY(またはHN 赤鬼)氏だ。

アメブロでは「メンタル心理カウンセラー」としてブログを作成し許可なく客を
営業行為をされている墨田区の婦人部「ちよ」氏については以前記事にした
ことがあるが、4/16日付けのアメブロで意味不明な記事をアップしているのに
気がついた。
曰く『幸せって何だろう?分かり合える友達がいる事 ・・・』
(ちよ氏のアメブロ記事 記事とびきりの笑顔~より引用)
この記事に直リンクされていたのがエキサイト版の「真実を語る」であった。

拝見してみると、4月11日に聖教新聞誌上で公開された、ある体験談に
ついての「裏話」だった。
ある体験談とは滋賀県の彦根市の稲枝地区の学会員さんの信仰体験
なのだが、その体験記事の取材地に『TOMMY(赤鬼)氏』の所有する
地区拠点を使われたことが公然と書かれているのだ。

「真実を語る」の記事と彼女と水面下で連動しているハピネス氏のブログに
掲載された無断転載体験談を読めばTOMMY氏の住所が滋賀県の彦根市
であることが容易に解るだろう。
なんでも、体験談の当事者が取材を受けた時点でなぜかTOMMY氏が墨田区
の婦人部「ちよ」氏に直電話で報告をしていたというのだから二重の驚きだった。

「たえ」というHNで運営されているアメブロでは、この記事をリンクさせたうえで
“分かり合える友達”がいることが幸せだと述べているようなのだが、彼女に
とって分かり合える友達とはブログに掲載できる「ネタ」を振り込んでくれたり
有料のWEB版聖教新聞から記事の無断転載を肩代わりしてくれる協力者の
ことではないのだろうか。
しかも「新しい友達が・・」などと、わざわざ断って書いているところを見ると
TOMMY氏をつうじて、体験談に掲載された彦根の方と連絡を取り合えるように
なったと暗に示しているのかもしれない。
これは、とても恐ろしいことだ。
拙の思い過ごしであればよいのだが・・・

今まで彼女がブログを通じてなにをしてきたのか、どんなふうに信仰心を利用
してきたのか、あらためて証さねばならないだろう。






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増上慢たちの不毛な対立

末法において法華経(正法)を広めようとすると
三類の強敵が競い起ってくると日蓮大聖人は説いている。
三類とは俗衆・道門・僭聖があげられるが、これは社会的な
「立場」といいかえることができるだろう。

俗衆=宗教に無頓着な一般大衆レベル
道門=同じ宗派(仏教というくくり)の一般信仰者レベル
僭聖=宗教的権威(僧籍)や学識権威のを持つものうち道門や
     大衆からも尊崇されている指導者

学会員でありながら公然と学会批判(執行部批判)を行っているものがよく
つかうフレーズに、『現在の学会本部幹部は三類の強敵に準ずる』 というもの
があるが、仮に本部幹部がいくら増上慢であったとしても「道門」どまりなのだ。

/////////////////////////////////////////////////////////

三類の強敵の呼び出し方(といっては語弊があるかもしれないが)は、
日蓮大聖人曰く

「諸経は無得道堕地獄の根源 法華経独り成仏の法なりと
 音も惜まずよばはり給いて 諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ
 三類の強敵来らん事疑い無し」

(如説修行抄より)


あべひ現代語訳 :(末法において)法華経以外の諸経を重んじることは
道を誤り地獄に堕ちる根本原因であり、法華経だけが即身成仏を叶える法で
あると声もおしまず説き、諸宗の門徒(僧)や依経を破折してみなさい。
三類の強敵が現れることは疑いようもないことだ。


とあるように、あくまで強盛に折伏を実践していく途上でしか三類は現れない。
学会員が公然と学会組織を批判して処分された事実をもって「三類の強敵」に
見立てるのは、彼等が正法を行じている結果であると印象づけたがための
演出にすぎない。 これぞ法盗人。
卑屈な人格を隠すために仏法を利用し貶めているに過ぎない。
たまにSNSを通じて組織内組織をつくっていると批判されると同様のことを
言い出すネット学会活動家がいるが同じ発想からきている。

////////////////////////////////////////////////////////////

「増上慢」とは
“まだ悟らないのに、悟ったと思って、おごり高ぶること。
 転じて一般に、十分な力が無いのに、自信の強いこと”
 とグーグル辞書にも
ある。
未熟者ほど宗教的指導者とシチュエーションが似ているというだけで同格である
かのように語りだしたり、少しばかり似たような体験をしたからといって悟った
かのように自慢をする。
これだけなら、「我慢」(自負心が強く、自分本位)なのだが、もっぱら相手を
貶める事によって自らの覚知こそが素晴らしいものであるとアピールするのが
「増上慢」である。
増上慢の境涯に甘んじている人間はいくら立派そうなことを主張していようが、その
本心は小説 新・人間革命(勝ち鬨88)にも書かれていたように慢心と怠惰の裏返し。
その結果、信心が淀み我見(エゴ)に支配され憤懣(腹立ってイライラすること)で
あふれている状態といえる。
信心が淀むとは文字通り「過去にすがる」信仰者の生き方。
自分は正しい評価がされていない(不幸だ)などと憤懣にあふれているから、意に
沿わない相手は必要以上に貶めコケにしつづけることで己の心の平静を保とうと
するのだ。
心の平静を保つ方法は他にもいろいろあるはずが、過去にすがり相手を馬鹿に
しつづけることでしかイライラを解消できない所に、幸せになればい根源がある。

////////////////////////////////////////////////////

宗教的立ち位置が フリーの一般人 であろうが 自称元バリ活 であろうが
リアル活動家だろうが坊主だろうが法主であろうが 『増上慢の生き方』 に
あてはまっている人物は決して「幸せな境涯」を得ているようには見えない。
もし、そういった人をみたら願い下げだろう。
ところが困った事に、他者を客観的にみることができても自分自身が「増上慢」
であることにはなかなか気が付かないものだ。
挑発的な態度をとったり、あるいは下手に出るなどしてSNSのコメント欄に他者を
を呼び寄せたうえで「対話」を試みたものの、不調に終わって止む無く入室を断る
という場合がブログ運営をされている場合あると思う。
互いに無益な時間をすごさないためにも炎上状態を未然に防ぐ為にも、そういった
強制的なやりかたがあることを、ことさら批判するつもりはない。
だが、注目すべきはその後の立ち振る舞いではなかろうか。
どんなに立派な経歴や過去の体験をもっていると自画自賛しても、現在が
卑屈な「増上慢」の生き方がベースであれば、その信心のありかたは間違っている。
また信仰をしていようが、していまいが「増上慢」の生き方はいけない。
なぜなら「増上慢」の生き方は究極の自己保身であるがために進歩や変革が
望めないからだ。
お互いが自己保身に汲々としている「増上慢」の人間同士の対立からは何も
生まれてこないと拙はおもうのだが、読者の皆さんはいかがお考えだろうか。









 


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