ようこそ!魅惑的な人々ブログ2へ


誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

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なおこちらのブログ記事のコメント欄はコミュニケーション目的がありませんので
一部をのぞいてコメント非公開にしております。
ご意見感想などは、ご自分のブログで記事にされるなど、適当にお願いします。
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悪しき前例の模倣と拡散 : 創価の森ウォッチ142

前記事では2ヶ月半ぶりに「創価の森」関連の記事を更新させて
いただいたが、記事公開の後、親切な方がを菊川さんに間違い
を指摘され、新しく記事を公開しなおしたうえで新・人間革命の
継続を祝いだようである。
日曜日は小説新人間革命の連載がおやすみなので、新聞に目を
通さない癖がある方もいるかもしれないが、日刊の聖教新聞は毎日
読んで仏法の研鑽してほしいものだ。

さてなにげに創価の森通信を拝見すると、視覚障がい者の人材グループ
のメンバーである 千早さん が、なにやらボランティア組織の窓口になる
ことを公表されたようで、わざわざ彼女のブログリンクが貼られている。
monlingenさんのところで現在対話をすすめている、学会の組織外での
「組織信仰活動」の話題に 千早さんもコメントを寄せられていたことがある
のだが、拙だけでなく他の学会員さんの中でも「組織外組織」に懐疑的な
意見をもっている方がおられることを意識してのことであろう。
千早さんのブログ記事には「組織非公認のボランティア活動」であることを
明記されメールアドレスが併記されている。
また、菊川氏のブログにも
「このボランティアは、正式な学会組織ではありませんが、創価学会自体が
 容認している
とても有益なボランティア」だと断りが書いてある。

この文言だけ読めば、創価学会ではいつ「個人のボランティア活動」を
容認(?)するセクションができたのだろうと思われた読者もいるだろう。
おそらく彼等のいう「学会自体が容認している」という根拠は
創価学会幹部が活動を制止したり制約しないという意味だろうと推察される。
または、「ひらがな御書」のようにボランティア活動に一部の学会幹部が
間接的に関わっているか、しらない間に関わらされている可能性もある。

そもそも千早さんが所属されている自在会という学会の人材グループを経由せず
聖教新聞などを読んでくれる「音読」ボランティアの窓口になる意味がよく判らない。
すでに一定数の「音読ボランティアグループ」準備されていることが考えられる。
それにしても、なぜ個人のブログを窓口にしたのだろうか。
考えられることは、彼女がブログを通じ日蓮大聖人の御書を「聞ける」ように
してもらう便宜を図ってもらったことが遠因ではなかろうか。
「菊川氏」がやったように、ネットでのボランティア活動を宣伝し学会員
協力者を募集する窓口になろうとしているのではないか。

以前拙は菊川氏の「ひらがな御書」計画に対し
「便宜主義では成長しない」という記事を公開させていただいたことがある。
拙は信仰上の問題は自分の信心を深め解決していくことが成長の
糧になると考えているし、学会指導にもそのように書いてある。
再掲させていただこう。

学会活動の場合、便宜をはかったからといって、長つづきしないし、
 それが向上の因となるとは限らない。
 多少不便であっても、その努力が向上の因になる場合もある。
 学会の組織は、まだまだ強化されなければならない。
 なれ合いや、便宜主義は厳に警戒しなければならない。

 池田大作著  指導メモ 85ページ



ネットが普及する前の指導ではあるが、現在でも学会組織内
では会員同士の馴れ合いや、その会員が努力すればできる
ようなこと、すでにやっていることに対し便宜を図るようなことは
戒められなくてはならないだろう。
なぜなら成長の伸びしろを「善意」の名のもとに損ねているからだ。
便宜を図ってもらったことで恩義を感じ、「人」についていくような
信心は、「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)の原理にも反する
し組織を乱す破和合僧の因にもなりうる。
だからこそ「厳に警戒」するように指導されているのだ。

残念ながら、どんなに素晴らしい理論を学んでも人間は自分が
経験したこと以外で正邪の判断をするのは難しいものだ。
手間がかかるよりも手軽なほうを好むようになるのも、利便性を
追求して発展してきた人間の本質だからこそだろう。 
ネットで救われたものはネットを偏重しそこに活路を見出すものだ。
一度ネットのコミュニティで救われた経験のある人にとって
現場の組織活動は「ネットでの自己表現」のため、また賛同者
や協力者を募るための隠れ蓑になっていくことだろう。
はたしてそれは、仏道修行といえるだろうか。


菊川氏がブログ村ではじめた偽善的「ネット信仰イベント」の拡散
が、形をかえ他者により模倣され、それが継承され拡散されていく。
いずれこういった非公認信仰イベントが、創価学会の組織撹乱の
一因になることを危惧する。
また、菊川氏はすでに組織利用の現証がでていることを謙虚に
自省すべきだとおもう。
このままでは、主催者、協力者双方の信心に傷をのこしてしまう
ことになるだろう。
これがいかほどの罪業を積み福運を消す事になるのか、思いを
馳せてほしいものだ。

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座談会でデマを流さないで :創価の森ウォッチ141

創価の森の小さな家を始めとする3つのブログを運営する菊川氏
が、小説「新・人間革命」について記事にされることが時々あるので
興味深く拝見している。
かつて、現在閉鎖された菊川氏のブログ「月下の騎士」の記事内に
戸田先生の執筆された人間革命はフィクションで、池田先生
の執筆された人間革命はノンフィクションだと主張した氏の記事に
反論を何本か書かせていただいたことがあるが、彼の人間革命へ
の認識は、拙にとってかなり違和感を感じる部分があって注目しつ
づけている。

池田大作著の人間革命、引き続いて現在でも執筆がつづけられている
「新・人間革命」は、単行本にして30巻が刊行される予定であることは
あらかじめ池田先生自らが第一巻の巻頭部分に「はじめに」として
書かれているのでご存知の方も多いだろう。
現在聖教新聞に鋭意連載中の新人間革命の暁鐘の章は後に刊行
される第30巻での四章目にあたる。一巻の構成がおおむね四章分で
あることが多いので暁鐘の章で締めくくられるのではないかと心配され
るかたも多かったのだろうか、過日11月12日(日)付の聖教新聞紙上
(第三面)で、第五章『勝ち鬨』を執筆中であることが池田先生の
メッセージとして公表された。

ところが、菊川氏の最新のブログ記事を拝見すると氏が主催した
ブロック座談会で「今月で新人間革命の連載が終わる」と参加者
および担当の幹部の前で説明したというのだから驚いた。
さらに、人間革命の終了を

“でも、上級幹部クラスが知らない訳です”


と念をおし、他者の無知を引き合いにだして、菊川氏自身の利口さを
際立たせる表現をとったのは失笑を禁じ得ない。

上記の記事が書かれ投稿されたのは今朝(2017年11月14日
火曜)のことであり、氏の座談会が開催されたのが一昨日と書かれて
いるので、座談会は12日(日曜)の昼か夜に座談会が行われたこと
になる。 仮に投稿に1日のタイムラグがあると考えても、日曜日の
聖教新聞を熟読していれば“人間革命が今月で終わるなどと”予言
めいた内容を断言している記事を火曜日に投稿するのは気が引ける
だろう。
つまり、菊川氏は意外と聖教新聞を読んでいないことになる。

また通常、学会幹部として会合などで発言をする機会などがあれば、
当日の聖教新聞にはあらかた目を通して話題にするなどされるのが
一般的だろうと思う。
しかし、菊川氏は自分が主催する座談会であったにもかかわらず、
聖教新聞を読まず、根拠の薄い思い込みの産物でしかない錯誤情報
を部員の前で説いていたのだ。
奇しくも日曜日は創価学会の2018年度スローガンが聖教新聞で大々的
に発表された日であったため、池田先生を希求されている真面目な
学会員さんなら同日の紙面に、新人間革命の新章が執筆されるつつ
あることをご存知であったろうし、菊川氏のブロックの部員さんでも知って
おられた方もいるやもしれない。
当然上位の幹部さんは、新章の執筆をご存知であっただったろう。
だが菊川氏は、そんな事実すらしらず訳知り顔で誤情報を発表し
たうえで困惑されたであろう部員さんや幹部に対し、火曜日になった
今でも我見に固執していることに気づかぬまま記事を公表したことになる。

おもえば師弟不二を実現されている学会員さんが研鑽されている人間革命
を、フィクション、ノンフィクションというさほど意味のない文学上の立てわけ
を力説された菊川氏は、拙の批評にたいし、まるで人間革命のことなら誰より
も良くわかっているといわんばかりの態度をとっていた。
彼を援護していたオトモダチも彼に感化されて同様の態度をとっていた。
ただ5年まえの当時と違うのは、結果的に座談会でデマを流してしまった事実
について氏がもし情報がまちがっていたら「大嘘つき」になるであろうことを
あらかじめ予測していたことであろう。  だが実際にはそうなってしまった。 

菊川氏の該当記事は「削除予定」とされている記事なので
本日中にでも消されてしまえば、あとは氏や氏のオトモダチらの配慮で
処理されて拙のヨタ話ということにされてしまうかもしれない。
「また阿部日が些細な事を騒いでいる」などと論じるものもいるだろう。

その前に、たくさんいるはずの氏のブログの常連読者や地区、支部の
幹部が「菊川氏の間違いに気が付かない」ことや、あとから事実を
教えてくれなかったことに読者は思いを馳せていただきたい。
もしかすると、彼の所属する茨城県の現場でも氏を指導する人材が
いないのかもしれないからだ。

ともかく、ネットにかぎらず人前にたって持論を述べるのなら、紛らわ
しい表現で惑わせたり未確認のデマを語って伝えてしまわないよう
に常に心がけることが大事だとおもう。
また間違いに気づいて放置しておくのも罪なことではないだろうか。












 







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SNSだと簡単にできる組織 :真実を語るウォッチ48

真実を語るウォッチと副題をつけておいて最近はmonlingenさん
の設置してくださった 対話専用部屋 での話題ばかりで、読者の方
には申し訳ないが、 真実を語る ブログの主催者で墨田区の
婦人部 ちよ さんが来訪されているので、しばらく対話スレ
関係の話題になることを了解いただきたい。

さて、拙が信仰イベントと呼称している ネット同盟唱題 は創価学会員
として許される信仰活動なのか違うのか・・・という基本命題を元に、
ネットで信仰イベントを主催し続けている ちよ さんと「対話専用部屋」で
意見交換をしているつもりだが、拙が無い頭を捻って具体的な質問を
させてもらってもツイッターのような短文でしか返答がされないので
少々苦慮している。

それよりも、墨田区の婦人部 ちよ さんと関係の深い、沖縄那覇市の
学会員うるとらまん氏と中国地方の学会員・自在会所属の千早さん
お二方が「外野席部屋」に来訪されてそれぞれの主張を書き込まれた
内容が非常に興味深かった。
おおむね ちよさんの「ネット信仰イベント」やその募集・勧誘は
 組織活動 にあたるものではない という認識なのだが果たして
そうなのだろうか?

一見すると 個人の表現活動の一環にすぎない と見る向きができなくも
ないだろう。 しかし自由参加とはいえ創価学会における信仰活動の根幹と
される「唱題」をブログ主が第三者に時間を割り当てたり、唱題のために
連絡を取りまとめ彼女のブログで公表していることは 個人の表現活動
というだけで済まされるものなのだろうか。

これはおそらく「組織」の認識が個人個人によって違うことが考えられる。
世間では創価学会が 組織 として認めるか否かで世の組織の存在が
定まるものではない。
Facebookの「創価学会大好き」のような非公認の学会員組織もあるし、
かつて拙が関わった日蓮正宗門徒とのネット討論も複数人が関わって
組織的に動画配信をしたこともある。
つまり、価値的に対話を進めるには組織の定義を共有することが大事
だろう。

一般的によく言われる 組織 の三原則とは

共通の目的をもっている(組織目的)
お互いに協力する意思をもっている(貢献意欲)
円滑なコミュニケーションが取れる(情報共有)

(経営学者チェスター・バーナードが提唱している組織の3要素)


を満たしていることだとされている。拙もこの三原則には異論はない。

宗教法人創価学会も「組織」の体をなしているし、対立する
日蓮正宗も同じだし、会社という営利組織も、NGOという非営利組織
も各種学校も上記三原則から外れることはないので「組織」といえる。

では、墨田区の婦人部 ちよ さんが継続的に主催している
ネット同盟唱題会 はどうなのだろうか?
彼女曰く
「自身の人間革命と宿命転換 世界の平和と 一切衆生の幸福」
を祈念して (←共通の目的)
「私たちの 同盟に 参加してみたら」(←お互いに協力する意思)
「電話を繋げて 一緒にあげていますよ」(←円滑なコミュニケーション)
「住む地域は違くても お題目だけは いつでも どこでも 誰とでも
 できる修行」 (←信仰活動)
(いずれも文はmonlingensさん 「遅咲きの宿業転換」での
 ちよ さんの勧誘コメント)

つまり事実を挙げていくと立派な 組織だてた宗教活動 になる。

ちよさんも「組織」については納得をされたのか 対話専用部屋で
「 それが 組織というのなら 組織だらけですね 」と発言されたが
全くそのとおりなのだ。
むしろSNSという通信ツールをつかって人を集め、ある目的を共有し
実行するための「組織」をつくることは、いとも容易いのだ。
「私が認識していないから組織ではない」という理屈は、デカルトばりの
「我思う故に我あり」 という自我認識論に近いといえるだろうか。

そういえば、ちよさんは墨田区の何名かの幹部に「組織外組織」に
ついて尋ねたそうだが、「幹部が知らない組織」は組織ではないという
認識論へもちこみたかったのかもしれないとおもうと、あの返答も納得
がいく。
私は組織として認識しない
   ↓
知り合いの学会幹部も組織として認識していない
   ↓
したがって組織は存在しない

では詭弁でよく用いられる三段論法だ。

この事実が認識できていないかぎり、組織か否かを論じても徒労に
終わってしまっただろう。 
ちよさんがど「ネット同盟唱題」という形態を「信仰組織」と認識して
くれたことは対話の次のステップに進めるのではないかと拙は
少し期待している。

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対話で気づく己心の修羅 :真実を語るウォッチ47

前記事で書かせて頂いたように、 monlingenさんのブログで対話をする
機会を与えていただいたのだが、拙がリンクさせていただいた記事は、
墨田区の婦人部ちよさんとの対話を進める場所ではなかったらしい。
別に特設のスレッド「対話専用部屋」(記事末にリンクを貼ります)
を立ててネット同盟唱題について一対一で「ちよ」さんと対話をするという
様式をとってくださったようだ。 本当に申し訳ない。

特設スレッドでは、当事者しか書き込めない代わりに「外野席部屋」
(記事末にリンクを貼ります)
を別に作って、「ちよ」さん以外の方が
「ネット同盟唱題」についての是非や対話の感想を書き込むことができる
という心憎い配慮もされていることは閲覧の方に対してもありがたい
ことだろう。
さて、拙は所用をこなすため2日ほど(6日・7日)創価系ブログの閲覧
やコメントを書き込むといった作業を休ませていただいていたのだが、
その間に対話専用部屋で「ちよ」さんは、短く意味がわかりにくい反論
を書き込まれただけだったようだ。
その代わり「外野席部屋」に書き込まれた、感想に対し「ちよ」さんが
わざわざ説明をしたり、拙に対し「創価学会員さんと いう感じが 全く
といって しないのです」などと感想にかこつけた印象操作をしようと
している姿が見られた。
また、本日(8日)墨田区の「ちよ」さんに宿泊などの経済的便宜を図って
もらったことがある沖縄の「うるとらまん」氏も彼女を援護するためであろ
うか、『アベさんは活動しているのか、誰も分かりません。会った人も
いません。正体不明です。そのような人のことを気にする必要はない』

 といった対話そのものに否定的な意見も書き込まれている。

あとで読者の方も自ら確認をしていただければよいと思うのだか、
互いのブログで距離をおいた鍔迫り合いならまだしも、いざ第三者
さんの協力をえて 一対一の「対話」をセッティングされ、お互いが
了承してしまってから「あの人、正体不明だから無視しましょう」とか
「学会員じゃないかも」などという根本的な疑問をあげ対話拒否の
理由にするのはいかがなものだろうか。

かつて、「うるとらまん」氏は三年前、拙がおじゃましていたブログに
このように書き込んだいたことを思い出した。

『先ほども壮年部の幹部と話しました。
あべひさんという人、いつも、こんなに書いているの?仕事しているの?
活動しているの?と24時間ネットしているんじゃないのと不思議に思っていました。
(うるとらまんさん談 2014/05/18 00:18) 』



拙をどのように想像しようが、それこそ個人の勝手だが上記コメントで
注目していただきたい点がある。
ネット上での個人的な表現活動での論評に、直接関係のない「壮年部の幹部」
といった役職名を使って、自分の意見の正当性を高めようとしている点だ。
これは、墨田区の婦人部「ちよ」さんにも共通する手法である。

「ネット同盟唱題」が彼女が在籍している地区組織の承認を経た得た上で
おこなわれているものなのどうかを問うと彼女は

『地区だけでなく 支部幹部も知ってるよ』
『たまに 了解得て 電話を繋げて 一緒にあげていますよ』と
(2017年11月2日 8:35 PM 遅咲きの宿業転換コメント欄より引用)


返答をされた。


拙は地区幹部、支部幹部がネット同盟唱題を「知っているかどうか」を聞いた
わけではない。
仮にたまに了解を得たというケースがあっても、だれにどのように了解を
されたのか見当もつかない曖昧表現しかされていない。
また、「全国幹部も応援している」 という表現に関してはスルー状態のまま
ですらある。
一見すると彼女は質問に答えているようにみえるかもしれないが、丁寧さも
真摯さもみせられないまま「組織幹部の肩書」を出してしまうところに対話の
最初から彼女の行き詰まりを感じるのは拙だけではないだろう。

佐渡御書には
「修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」
との一節がある。
これは阿修羅がその身をおごり帝釈天にいくさを仕掛けたにもかかわらず
いざ不利になると小さな蓮の中に隠れてしまったという仏典に説かれた説話
を通し、驕り高ぶってているものは、じつは臆病であることを示されている
御文と拝されるだろう。

ミスを指摘され他人の実績にすがったり、直接関係のない役職者の肩書を
出してくるのは、それすなわち「自分のしていることに確信がない」ことの顕れ
でもある。
また引き合いに出された第三者や、役職者さぞかし迷惑なことだろう。
ネットを通じてあらたな信仰活動を模索して驕り高ぶっているものたちに
とって、リアルにおける創価学会や池田先生の存在が我が身の愚かさを隠す
「蓮」でしかないのだとすれば、こんな信仰をバカにした話はないだろう。

責められないために「学会員」であることをことさらアピールし、我が身を
護るために、小我を隠すために池田先生の指導を利用するような、修羅
丸出しの自称弟子がネット上には存外数多くいるように思う。

よくよく自省してもらいたいものだ。

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