だれが創価カテをダメにしたか

久しぶりの投稿となってしまいました。

拙自身はブログで記事を書かないまでも、この
半年間ずっとブログ村創価カテの顛末を見守って
いました。

学会員のある方が、ブログ村創価カテがダメになって
しまったのは、「信心があるかないか」を基準に
していないから・・つまり、スレに見合わない記事を
書いているアンチさんのせいだ・・という趣旨の記事
を公開されているのを拝見したのですが、拙には、
そうはおもえません。

たしかに、アンチさんのブログがブログ村創価カテ
での人気記事や人気ブログとして上位にはいったこと
は、真面目な読者が離れる一因となったのかもしれません。 

が、それは逆に言えば「真面目な読者」を食い物に
しているネット信仰イベント活動企画者たちのブログ
での言辞がアンチさんの記事よりも飽きられてしまった
からにほかならないのではないでしょうか。

また前述した「信心があるかないか」を判断基準にすべき
だと主張される方は
”これが創価学会ですと紹介するには創価村
(注:ブログ村創価カテのこと)はみっともなくて紹介
できない”・・・ともおっしゃっています。

具体的にどのブログがみっともないのかは指摘されて
いませんが、「これが創価学会です」とおすすめできる
ブログがブログ村にないのではありません。
真面目に教学を研鑽されつづけている秀逸なブログが
いくつか存在します。
ブログ村創価カテの主だったユーザーといえるであろう
イベント信仰に明け暮れる、己のオトモダチのランキング
アップしか興味のないメンバーに、真面目な信仰記事を
書かれている方が評価されつづけていない ことが
大問題なのではないでしょうか。

つい最近のことですがブログ村宗教カテに
「宗教批判」のカテゴリーが追加され、創価カテにはびこって
いた「アンチ創価」ブログはブログ村管理者の手によって
ほぼ移動させられました。
移動させられたなかには日蓮正宗某寺院のオフォシャル
ブログもあったりして思わず笑ってしまいましたが
正常化されたはずの創価カテのランキング推移が
どうなるか・・と拙は楽しく注視しつづけています。







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プロパガンダによる印象操作の目的

共産党のビラについて研究をされている方がいるそうです。

http://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/xpress/?p=744

「目的のためには手段を選ばない」というコンセプトで宣伝をおこなう。
まったく同じ手法をとっている人がいますね。
ブログ村創価カテにおける「ナリスマシ事件」も印象操作の手法が使われています。

そういうことは止めましょうと心から申し上げたいだけです。


SNSなどで自分はこれだけ成果を上げている という報告を同志の前でされることは
結構なことだとおもいます。

しかし、そういった実績を貴方が紹介するだけで、コミュニティ内では意図せず
相手が萎縮して言いたいことが言えなくなったりする場合があります。
また、実績があるなどという会員さんが相手に対し「君の実績を言ってみろ」
などと不要な強要をするのは幹部にありがちな慢心だとおもいますね。

「おれの信心は正しい」だから貴方はいうことを聞きなさい では
親分子分の関係になってしまいます。

本来創価学会には、信心の先輩・後輩の関係しかないのです。
といっても入会年月日が先の人が先輩だという単純な意味ではないです。

では、どのような人が信心の先輩なのでしょう。
ちゃんと指導があるので引用させていただきます。

◎一人だけでは、どうしても放縦になり、わがままになり、我見に走って、
 目的に到達できないものです。
 なんらかのアドバイスが肝要だ。それをするのが先輩です。
 よき先輩は、みな、後輩を、立派な一人前の人材に仕上げようと、心を砕く
 ものだ、それがなければ、先輩とはいえません。(笑い)

【指導集 質問に答えて より抜粋】


ですから“先輩の御言葉だからおとなしく聞きましょう”は親分子分の関係の
はじまりだとおもいますので、違うようにおもいますし、そういった場の治め方は
トラブルが起こった場合になんの解決にもなりません。

まして信心暦が長いとか、世間に認められた肩書があるというだけで
今まで通りの「我見信心」でも、いいじゃ無いかというのは創価の人材育成
ではありませんよね。

上記の質問は「よき先輩につくとは」というサブタイトルがついています。

ネットは現場ではない分、実際に相手がどのような信心をされているか
わからない部分が多々あります。
したがって、より一層「善知識」についての判断が問われます。

ネット等でもどんな立派なこと述べているか よりも『 実際になにをしているか 』を
判断基準にすることは、共産党のウソを見分けるのと同じ方法です。
根拠も示せず相手を極悪人にしたてあげ、自分の正当性と存在価値を高めるような
印象操作をする人は「善知識」であるのかどうか。

よく考え、ネット掲示版やSNSコミュニティの動向を注視してくださいね。
もし偽善的な「善知識」(略して偽善知識と拙は呼びます)に遭ったのなら
すみやかに距離を置くことをお勧めします。
また偽善知識を褒めることはNGです。 評価されている姿を第三者が見て
食い物にされるケースもあります。




なぜ、褒めてはいけないか


よく拙は他者の投稿を通じて、自分なりの論評を書いている。

論評の元となっている他者とは、あるときは学会員さんであったり、
法華講員であったり、あるサイトの話題であったり、新聞の話題で
あったり様々な立場の方と縁することによって駄文を捻っている。

時には、論評の元となった方自身や、賛同者の方と内容についての
討論となる場合もある。
時折、「なぜ、あべひさんは他者と暖かく接する事ができないの」とか
「もっと、砕けた感じでやりとりをすれば」といったご指摘を受けること
もある。
余計な美辞麗句はひかえているので冷たい印象を受けるということだろう。

たしかに、学会の指導にも「褒めることが大事」と出てくる事が結構多くある。
だが、こと仏法において正邪を弁えずなんでも「褒めれば」よいはずがない。

ネット初心者の頃は、社交辞令的に「学会員さん」の投稿に対してとりあえず
賞賛を贈っていた。 そうすれば喜んでもらえることが解っているからだ。
今月の大白蓮華でも、法華経普賢菩薩勧発品第二十八を引用して
“ 妙法を受持する人を見たならば、仏を敬うように大切に ”との
有名な箇所の指導が掲載されている。

だがこれは「学会員さんに出会ったら、とにかく褒めましょう」という
社交辞令を勧めていると考えるのなら、表層的だと言わざるを得ないだろう。
不軽菩薩は他者を「褒める」て喜ばせるというよりも、万人に仏性がある事を
覚知したうえでその仏性を称える修行をしていたからだ。
形式ではなく「心が大事」ということになるだろう。
したがって、“敬った”相手が怒ったのか喜んだかといった反応は修行の上では
さして重要事ではない。
失礼な事を告げて相手が怒るのは当然、自分の配慮がたりないせいなのだが、
相手の生命を敬う事で怒られるか褒められるかは、その方の境涯によるもので
しかないからだ。

さて、Twitterであるマンガ家さんが「褒められる効果」という公開されて
話題になっているという。
http://spotlight-media.jp/article/368857410295462605?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=own_page

褒められる事で得られる「うれしい」という感情の他に
「迷いを減らす」という効果があると書かれて共感の輪が
得られているとのこと。

拙もその通りだと思う。
だれしも自分の行っている事についてある程度の「迷い」はあると
思う。 特に、慣れない事をはじめた時、壁にぶち当たったときなど
はなおのことだろう。
仏法における「成仏」への道のりとは、元本の無明という人間の根源的な
迷いを晴らす所に意義があるといえるだろう。
つまり、仏道修行における「褒める」という行為は、迷いを減らして
正道(正法)に着かせるという大目的を忘れてはいけないということに
尽きると思うのだ。
となると、なにを「褒める」のかが大事になってくる。
日蓮大聖人は

「我が信じたるままに勝劣も弁へずして
 我が阿弥陀経等は 法華経と斉等なり
 将た又 勝れたりなんど申せば 其の一類の人人は
 我が経をほめられ うれしと思へども還つて
 とがとなりて 師も弟子も檀那も悪道に堕つること 箭を射るが如し」
 (上野殿母御前御返事)

あべひ通解:
経文(教え)の勝劣をわきまえず、阿弥陀経を信じている人を
法華経に導こうと、法華経は阿弥陀経は同じように優れているのだと
言ってしまうと、喜ばれるかもしれないが、かえって法華経を貶めた罪を
被って、師弟、檀那もすぐさま悪道に墜ちることは矢を射るような早さである。

と説かれている。

間違っても、悪道に逸れてしまった人を邪見の人を軽々に
「褒めて」はならない。
迷うこと無くさらに悪道に墜ちてしまう結果になれば与同罪と
なってしまうからだ。
たとえ相手が学会員さんであっても、この道理は忘れてはいけないだろう。

特に個人的な表現活動の延長にすぎないネットでは、どういった方を
「褒める」べきなのかをよくよく考えなくてはならないだろう。
学会員の立場で創価学会を貶める、なかんずく日蓮仏法を貶める手段
は「褒める」という行為の中にも含まれているのだから。

ネットの学会員さん。

どうしても学会員さんを褒めたいのなら、現場で活動されているかた、
座談会に参加されたかた、折伏をされた方目標を達成するため
一生懸命信仰を貫かれている方を、現場で探し出してリアルで
「当人」を褒めましょう。

自分で自分を褒める言辞を繰り返すのは下品ですし、
他人をこき下ろしたり、持ち上げて自分を良く見せようとするなら
下の下です。

Facebookに蔓延する軽率な学会員さん

実名系SNSが、うっかりするといかに「危険」であることを
考えていただくため以前「日蓮正宗門徒」さんのFacebook
を題材にした記事を公開しましたが、あらためてリンクさせて
いただきます。

http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-158.html

残念ながら、学会員さんの中でも上記のようなミスをされている
かたが、よく見受けられる。 特に幹部らしき方の実名Facebookが
あって恐ろしい。

ナリスマシや自称学会員に対する警戒もさることながら
通信機器の発達と情報網の多様化、そしてSNS利用者の増大
により、「実名」を証さなくても個人情報(プライバシー)をネットに
放流すればするほど、人物特定ができるのだ。

たとえば、Facebookなどでは「実名登録」を推奨していますが
「偽名」でも登録できますし、メールアカウントを使い分ければ
複数のIDを所有することも不可能ではない。
もちろん「実名」で登録され表現活動をされている方もいるが
中には「自営業」の宣伝を兼ねてSNSを使っている方がいる。

そういったSNSで「創価」のキーワードを使い登録者のみが閲覧できる
「グループ」の作成ができますが、あきらかに「実名」でセルフィー
(自撮り画像)や会館内での他会員の記念写真をアップしている方が
けっこういる。

限定公開の「グループ」ではないのだが、
たとえば以下のFacebook記事をみて欲しい。(直リンクはしていません)
https://ja-jp.facebook.com/seikyousinbunkinoshitahanbaiten/timeline

聖教新聞販売店 と銘打ち 画像をアップし、会合の内容まで
漏らされてしまっている。
上記の方は、現役の学会幹部であることは論をまたない。

一旦こういった人と交友関係(イイネを返すだけでも)をもつと、
芋づる式に交友関係がバレるだけではなく、好意的でない人の
好奇の目にさらされてしまうのだ。

上記Facebookの読者リコメで
「聖教の販売店の方がFBをされていて、又、感じたことを、
 載せていられることは素晴らしい・・」と書かれている方が
いるようだが、はたしてそうだろうか。
あのような類いの記事を素晴らしいと評価をするのはたいてい
「創価学会員」さんだけだ。

ある会社に所属している人が職権で知り得た内容を書き込んだり
自営業の方が来店されたお客様のプライバシーを漏らすだろうか。
そういった行為は拙には慢心による軽率な行為にしかみえないのだ。

今回紹介したのは、全公開のSNSですが非公開型のグループで
あればプライバシーに関わるもっと危険な内容や無断転載などの
違法行為が蔓延している。
いずれ記事にさせていただいて、注意喚起を促したいとおもう。

創価学会の脳内退会法

創価学会の友人葬について、かなりイマドキの寺院葬論を展開
された某氏が、こんどは創価学会員ではなくなったという記事を
公開していたので、興味深く読ませていただいた。

なんでも「友人葬」に参加した折に、知り合いの学会員さん数名から
「学会をやめちゃったの?」と聞かれたので、自分で調べたところ
幹部が勝手に氏の退会届をだしており、統監からはずされていた
ということらしい。

氏はこのように推測する。


『「いや。見ていない。ただ上からそう言われたから・・・」』
(略)
『どうせ、俺は十年以上組織にもついてないし
統監を落としたところで俺に分かるはずもない。と思ったんだろうな。』
【ダメ出しブログ 「ついにお別れの時が。創価からの完全追放。」 より抜粋】



真面目な学会員さんなら、この話しが嘘だとわかり思わず
笑ってしまうだろう。

ネット上でも「統監」について話題にされている場合があるので
会員外の方でも興味のある方はしっているかもしれないが
「統監」とは入会されている会員の把握をするために、数ヶ月に一度
行われる各地区での確認のことである。
晴れて創価学会に入会をすれば、会員カードを起票し所属の地区が
管理をすることとなっている。 
簡単に言えば住民票にあたるものであり、個人情報にあたるため
厳重に管理され、取り扱いや手続きも全国統一されている。
もちろん信仰活動以外での情報利用は固く禁じられている。

では退会の場合はどうだろうか。
ダメ出し氏のいうように、現場の幹部が当人にしられないよう勝手に
退会届けを出せるのだろうか。

前述したように統監はまず各地区で管理されているものである。
仮に、退会届けがでたとすればその旨を地区幹部がしらない
はずはなく、統監部長がその書類を見たことがないのに退会を
したものとして統監を削除することはできないのだ。
組織として処分される場合においても、現場の幹部が事情を全く
しらされずなんの記名もしないまま「統監の処理」だけを求められる
ことはない。

もし会社などで、上司が勝手に辞職願を出し所属の管理者の署名
捺印もない書類が受理され離職させられたたなどということが明るみ
に出れば、裁判沙汰になった場合敗訴するのは確実だろう。
それとおなじように、創価学会をやめるにしても本人が手続きを
踏み、複数の幹部から何度も指導を受けた上で受理をされるか、
懲戒といった組織的な処分判断を経たうえで退会処理にしても
手続きを踏んで行われる。
手続きを踏んだ上で厳正な処理がされているからこそ、現在でも
たまにみられる元学会員の「会員としての地位回復」を求めた裁判
においても創価学会が負ける事がないのだ。
また手続きをふまなければ、一人の幹部の一存で会員の入会・退会
ができることとなり、統監を管理している地区が混乱することが容易に
想像できる。
別に創価学会に限った事ではなく、登録者の正確な管理は組織としての
事業運営には不可欠な要素である。

したがって、「知らない間に辞めさせられた」などという某氏の証言は
甚だ信用しがたい内容だといえるだろう。
おそらく彼の「脳内創価学会」では、そういいった処理がされている
のだろう。
そういえば、日蓮正宗や顕正会では書面も書かずに入信したことにされ
たり退会書類をおくれば、簡単にやめる事ができるという。

某氏はそういった裏事情を抱えて「学会員のフリ」をしていたのではないか
と考えれば、いままでのブログ記事内容も納得いく。

一部の読者さんは早くから「嘘くささ」に気がついておられるようだが
拙の考えすぎなのだろうか。












「寺でお葬式」というイマドキな発想。

過日、なぜ学会の会館で葬儀が執り行われないのか
世間一般的な例を示して検証したつもりだったのだか
内部アンチを自称する某氏から「陳腐だ」とのご指摘記事を
(陳腐=ありふれていて(平凡すぎて)、古くさく、つまらないこと。)
いただいてしまった。

昨今、日本の子供の読解力(長文を読んで趣旨を読み取る能力)が
低下しているといった話題があったが、拙の駄文がわかりにくかった
のかもしれないので、あらためて補足的説明をしたい。

最近では斎場だけでなく学校や保育園といった
社会的サービスをおこなえる施設であっても、一般的なマンション
であっても建設の際には建設主体と立地自治会との綿密な
やりとりが欠かせない時代であり、できる限り近隣住民の感情
を尊重することが求められる。
現在日本国内には2000を超える創価学会の会館が存在すると
言われているが、その建設の際も同様であることは論をまたない
だろう。
また拙が知っている限り、創価学会の会館は広域避難場所として
行政に登録されている施設ばかりであり、なかには敷地内を地域行事
の会場として使っていただく場合もある。
(他宗でもそうされている場合がある)
これは従来から地域にある寺と違い施設を建設してから決められたこと
ではなく、あらかじめ関係所轄との話し合いの上で決められていた
ことだと推察できる。 だからこそ円満に建設がはかどるともいえだろう。
では葬儀専門の施設ともいえる「斎場」はどうであろうか。
広域避難場所として適切なのだろうか。
創価学会の会館が会員のために葬儀を行う場所である必要性が
あるのだろうか。

創宗時代まだ地方の会館などが整備されていなかった頃、日蓮正宗
の寺院で創価学会の会合や法要がおこなわれるなどされていたが、
葬儀が寺で行われたという記憶が全くない。 
何人かの方に伺ってみたが、会合や法要など学会員が運営する事は
しょっちゅうあったが、寺で葬儀(通夜~本葬)をしたことはないとの
ことであった。

となると、日蓮正宗を含めた他宗の場合はどうだろうか。
かつて、土葬の風習がまだ見られた頃、埋葬前に地域の住民も
参列された野辺送り(≠通夜・本葬)を寺でされていた記憶はあるが、
防疫上からも火葬が一般的になった昭和50年代以降、寺での野辺送り
もみられなくなってしまった。

だが現代の寺院としての会館を認識したうえで件の自称アンチ学会員
氏は言う

「なぜ斎場としの手続きをしないのか?葬儀も出せない会館を
               会員の金で建設するのはおかしいだろ」
「さすがに無宗教の人だって普通の人間なら
 宗教施設であるなら葬儀の一つもやるのだろう。と思うさ。」
【会館で葬儀をしない事に関する学会員の陳腐ないいわけ。より抜粋】



ようするに会員が供養している宗教施設だから葬儀も出させるべきだ。
近隣住民もそれぐらいは理解しているだろう と根拠もなく述べているに
すぎない。

氏は必死に「一般人の声」とやらを根拠にしているといいたげだが
どのような声を聞いたにせよ主張しているのはご本人である。
実際には、寺での葬儀は大御本尊を擁するとされる日蓮正宗でも
行っていない。
一般的な葬儀が寺でとり行われるのは滅多にないのが現状だ。

氏は最新の記事内で御書を引きつつ、このようにも主張されている。

“であるならば、そうした世間一般の認識を無視し
「そもそも論」を主張するのは、世間の法の外で仏法を行じている愚者だと感じる”
【創価教学じゃない御書講義(28年12月度より抜粋】



実情にあわない個人的な見解を「世間一般の認識」などとすり替えるのは
詭弁術でよくある話だが、そもそも論 を主張しているのはなにも拙だけでは
ないことが、氏には自分のこと認識されていないのが、なんともである。

氏は学会員を日蓮正宗門徒にすることを目論んでいるようだが、
日蓮正宗寺院での通夜・本葬儀を願い寺に主張してくれることだろうし
外部の斎場をつかって葬儀を行っている方には、寺でするのが
一般的だと説いてくれることだろう。

最近他宗のお寺では、寺院と別棟の斎場ではなく「本堂での葬儀」に
注目をしているところもあるのだという。
理由は下記のリンクを参照にされたい。
【お寺の未来ブログ:お寺での葬儀の可能性】
http://www.oteranomirai.or.jp/blog/oteradesougi/


拙と同じような趣旨を述べておられることがご理解いただけるだろう。
また減少する門徒対策として宗派を問わず本葬を寺院でおこえるように
する「寺院葬」を提案している寺院があるようだ。
いずれにせよ通常のな斎場を利用するよりもお高いそうで、まだ「一般的」
とまでは言いがたいのが現状ではなかろうか。


 





まだ違法動画をリンクしている人がいる

ちよ・たえさんとつながりの深かったハピネス氏が
記事内でYOUTUBEの動画を共有し配信している。

その内容は以前シナノ企画による「教学入門シリーズ」
として発売されたDVD動画を違法アップロードされたもの
のようだ。

(権利者のサイトの該当DVD品番: DK-14 祈りと実証)
 www.shinanokikaku.co.jp/products/detail.php?product_id=233

研究会仏法 というIDを取得しているこのユーザの
チャンネルを見れば他にも多数SOKA.NET等から取得した動画を無断
でアップロードするなどしていることが確認できる。
みれば、学会の会館に設置されている機器からの違法動画もみうけ
られる。
(画面にSHNのイニシャライズが施されている動画がそれ)
これは、ゆゆしき問題ではないだろうか。
学会本部の該当部署に通報するべき事例になるかと思われる。

https://www.youtube.com/channel/UCLDOJasXNa0PVW-5jraO-Hg

こういった一部の悪質な人物の動画をありがたがって

ブログに利用するのは節操がないと思う。

それにしても、動画に限らずネットで創価学会員を
セルフアピールしたがる人は、なぜこうもネットに転がって
いるコンテンツを検証せず、ありがたがってそのまま利用
したがるのだろう。

 

なぜ創価学会の会館で葬儀がおこなわれないか

ブログ村創価カテにわざわざ登録し、創価学会に対し
難癖をつけている自称「会員」さんが多数いるのは読者の
方もご存じのことだろう。

宗教的な不当性を述べるためには、直接的または間接的
正当性を論じなければならず、どういった情報を根拠にしている
のかが大変興味深いので、拙は結構楽しんで閲覧している。

しかし、あるアンチ系自称学会委員サイトであまりにも
世間知らずな持論を展開しているのには驚いた。
概ね以下のような論旨だ

なぜ創価学会の会館では葬儀が行われないのか。
会員が供養を払っている会館で葬儀をさせないのは
おかしい。



簡単な話である。 創価学会の会館は建設の際、
斎場としての手続きを経ていないからだ。

他宗派の寺はどうなのかは別として
通常、葬儀を執り行うための施設を「斎場」という。
斎場というと火葬場を想像する方も思うが
「斎場」とは
“業として葬儀を行うことを主たる目的とした集会施設” 
の事を指す。
また“業として”というのは聞き慣れないだろうが有償無償
は関係がない。
依頼者からの委託をうけて「葬儀」事業をおこなうところが
斎場だ。

自治体によって色々あるよう基本的に「斎場」を設立する場合は
届け出などをしなくてはならなず様々な条件をクリアしなくては
ならないのが現状である。
一例として相模原市の斎場の設置に関する行政の指導サイトを
リンクしておく。
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/machitsukuri/kaihatsu/005144.html

斎場でなくとも宗教施設を建設する場合には、地域
住民とのトラブルにならないよう事前に建設地の
自治体(自治会)との交渉が欠かせないのだが、
どうも件のアンチ学会のブログ主さんは、そういった一般的
な常識も持ち合わせていおられないようだし、調べるつもりも
なさそうだ。











なぜネットイベント信心が学会をダメにするのか

10月30日のお昼過ぎ、アメブロの拙ブログで、「ちよ(たえ)」さんの行動を通じ

「トラブルに巻き込む人がいますのでご注意ください」という
警告めいた記事をアップさせていただいたところ、日が変わって
31日深夜に 「この人がやっていることはイジメだ」
断定する反論記事らしきものがアップされていた。

ちよさんはexciteブログをつうじ「イジメ被害者」めいた言辞を
述べているが、はたして彼女の主張は正当性があるのだろうか。
その背景を検証していきたい。

拙が、ちよ(たえ)さんのブログを話題に記事を書いているのは
昨日今日の話ではない。 
中には彼女や彼女のオトモダチさんや彼女を護ろうと蠢いている
「ナイト」志望の男性方からも耳の痛い内容もあることから、彼等に
批判をされるのは織り込み済みのことであるし、そういった話題に
興じる彼等、彼女等の発言を見るのも「ちよ村」を構成する人物の
傾向性を判断する参考にもなるので、興味深く拝見させて
いただいている。
管理者で村長である「ちよ」さんは、拙のアメブロの存在も知っており
SNSの付加的サービスとして設置されているアメブロ版短文投稿である
「なう」も御覧になっているようで、その内容を記事にされたこともある。

今回「ちよ」さんはいくつかの削除予定記事をアップしたようだが
内容の精査は今回は割愛させていただくこととする。
その記事の内、拙以外でHNを出して批判されているのはアメブロ
ユーザーさんであり、拙の「なう」でも交流のある「枇杷の葉」さん
という学会員さんだ。

その方が「なぜ ネットによるリレー唱題会はいけないのか。」という
記事を、枇杷の葉さんが公開されたのが10/31日の夕刻の事である。

繰り返しになるがexciteブログで「真実を語る」というブログを
運営されている「ちよ」さんはアメブロでも「たえ」というHNで
「心の扉」というブログを作っている。
しかし、ご両人ともアメブロのほうはブログ村創価カテには
登録されておらず、存在すらご存じでないかたもいるだろう。

しかし「ちよ」さんはアメブロでの「ネットリレー唱題」論評記事に
対し、アメブロの記事で返す事をせず、exciteの掲示板上で反論
めいた記事を連投したのだ。
ブログ村創価カテというネットワークを利用した周知行動であり
印象操作を狙った記事だったといえるだろう。
ところが、“真実を語る”で公開された枇杷の葉さんに対する3つ
の記事は、人気記事ランキングにすらあがらないまま11月となった。

その代わりに、ブログ村創価カテで人気記事ランキングに
あがってきたのが、なんと五年以上前に投稿されていた
「ネットの創価が学会を滅ぼす」という記事だった。
 以下にトラックバックをさせていただいた。

私は創価学会員であり、創価学会によって授かった仏法を信仰しており、その仏法における教義と哲学を根本として、記事を掲載しているわけですが。ネットにおける当サイトのポリシーとして「創価学会」のことは意識して、これまで取り上げないようにしてきました。。それは、「創価」の中だけと言わずに世の中には、素晴らしいと感じる生命を持つ人は、他宗を始め、信仰さえ持たない人の中にもいくらでもいらっしゃいます。また、学...
ネットの創価が学会を滅ぼす



拙がブログ村創価カテに登録したのは、「ちよ」さんを育てた菊川氏のブログ
が登録していたブログを観察するためだが、ブログ村の人気記事ランキング
は、そのほとんどが新着記事に対するランキングといった様相だった。
今回五年以上前の記事がランキングに返り咲くという状況は初めて拝見
させていただいた。
それと同時に、「ちよ」さんを初めとするネットコミュニティを通じた学会員同士
の交流である「新潮流」とやらに一石を投じる記事がランキング入りしたのは
ブログ村の創価カテ登録ブログの、物言わぬ読者さんたちが
「ネットリレー唱題」などといった“バーチャル学会活動”に対し警鐘を鳴らされ
ているように拙には感じるのだ。

桜梅桃李というブログを運営されているバンさんは、どんな経験をされたのか
を証されてはいないが、ネットで「創価」の看板を軽々に使い自家宣伝する事
に危機感を抱いておられるようだ。最期にこのように締めくくられている。

ネットの安易な信仰活動の世界では、外部の創価を毛嫌いしている人たちが
創価を攻撃し、創価学会を潰すのではなく、その内部から出てくる愚かな信仰者
の獅子身中の虫によって、時代を察知できぬ変化の結末が、創価の崩壊につながる
可能性を秘めていると言うことを否定することは、出来ません。


以上引用

拙も同意見だし、僭越ながら、枇杷の葉さんも同じ事を考えておられる
ように思う。

内部から出てくる愚かな信仰者が、現場の組織活動を介さず
自然発生的「ネット信仰イベント」に興じる姿を毎日ダラダラ配信された
結果、地道に活動されている創価学会員までもがネットでは遊興に
ふけっている、またそういったことを許されているなどと誤解されて
しまってからでは遅いのだ。
信仰を趣味やビジネスの延長として行う、愚かな信仰者が
「創価学会」や「池田大作の弟子」を語るなど言語道断なのである。




功徳がでている人は組織活動をされている

聖教新聞を拝見したり、実際の現場をみていて
「 功徳がでている人は組織活動をされている 」 と
率直な感想を述べると
「組織につかないと功徳は出ないというのか」と反発される人がいますね。
また、どういう状態が組織についていることになるのか具体例を示せ
などと聞き返す人がいます。

よく 感謝のお題目を という指導をされる場合があります。

まず考えられるのは、御本尊様に感謝のお題目。
その次に 創価学会三代への感謝のお題目。
毎日、朝夕の勤行ではこの順に御祈念文がありますね。

感謝できなければ御本尊様(仏)に対する「供養」としての
お題目をあげられません。
感謝できなければ、師匠の指導も上の空。
また恩には報いなければなりません。 知恩・報恩ですよね。

学会員としての報恩の御祈念文(誓願)が、四つめの
創価学会の興隆御祈念です。

そのあとに「自分のこと」を御祈念してますよね。

毎日の勤行で、なにに対して感謝をしているのか。
いくらきれい事を述べても、それは行動や言葉に表れています。

組織活動といっても多岐にわたっています。
具体的にしめさずとも、真面目な学会員さんなら解ることです。
地区部長さんに聞けば、いま現場でなにを目指して活動しているのか
解ることです。

得手不得手はあるでしょうけれども、学会として同志の
方がされている様々な活動にチャレンジをしようとされている方と
自分の好きなことだけをやり続けている人の差もまた、行動に表れています。

本人はそれに気がつかない(意識していない)からこそ、
冥益であり冥罰として現証が現れていることになるのですね。

『 御本尊よりも人が優れている 』と主張して止まなかったのは
冥の現証がでてしまっているといえるのです。

『 特定の場所に安置されている御本尊だけが優れている 』など
と主張して創価学会を批判し、組織活動を否定している人もまた
冥の現証がでてしまっているのです。

また
『 インターネットを通じて同志と仲良くなった 』という事実をもって
新しい学会の活動の1つであるかのように喧伝して、組織活動より
もネットコミュの存続に力をいれている人も、冥の現証がでてしまっている。

そうおもえてならないのです。
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