空回りな信仰(エア信心)

ブログ村創価カテでは相変わらず、複数の学会員さんが
「同盟唱題」という信仰イベントを企画して、参加者を募っている
体たらくだ。
つい最近では、再入会された友人会員さんが亡くなられた
ということで「同盟法要」なる信仰イベントを企画し、集客を図った
ようだが他の学会員さんからも呆れられている。
このように、いまひとつ芳しくないネット信仰イベントの話題を取り
上げて書くと必ずといってよいほど、これは正しいことをしているが
故の難であり、難にうちかつ信心を試されているのだと意義付け
たり、イベント批判は「怨嫉」だといわんばかりの話題が信仰イベント
関係者側の方からでてくるのも興味深い。

ブログなどで「信仰」にかかる話題に触れる事は、学会員さんならよく
あることだと思うし、個人的な「信仰目標」をネット掲げ、自身の決意発表
するのもその方の勝手だとはおもうが、そういった個人の信仰目的に
他人を巻き込んだり、「応援してもらおう」となどと腹の底で画策している
時点で、信仰者としては失格だと思う。

信仰活動が一人では寂しいし辛いから、だれか応援してほしいと考える
のなら、まず現場の幹部さんさんなどに相談すれば良いことだ。
簡単である。
そのために全国津々浦々の自治会レベルにまで創価学会の現場組織が
整備され、担当の幹部がいるのだ。 
そうすることをせず、顔も見えないネットに頼った時点で
「誰でもいいからお願いします」というお手軽かつ物乞い信仰に陥って
しまっていることに気が付かないらしい。
お気楽信仰や物乞い信仰は本来、創価学会で推奨される我が地域
での影の戦いと自発的信仰に対して対局に位置するものではないか。

ブログ村創価カテに登録されている内外の方のブログを拝見すると
時折、コメント欄などに「○○会」という非公式組織をつくって信仰活動
をしているかのような発言がある。
ブログ村にかぎらずとも個人サイトを立ち上げ、24時間勇者の会など
というサークルを勝手に作り唱題の参加者を募って入会・退会の管理
をし、結果がでたら報告をせよなどと呼びかけている、かなり怪しげな所
もある。

(参照リンク:24時間勇者の会サイト)
https://megalodon.jp/2017-0906-1452-37/https://www.ningenkakumei.com:443/24%E6%99%82%E9%96%93%E5%8B%87%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BC%9A/

そういった所にはたいてい池田先生の指導などで飾り立てられ
「今病気で苦しんでいる」方が個人的ネット信仰イベントに賛同
しているといったニュアンスの記事があるのも特徴的だろう。
いずれにせよ、活動するにつけ頼るにつけ、無意識であっても現場組織を
おざなりにして自利を求めている時点で、空回りの信仰・エア信心だと
いえるのではないだろうか。
さらに言えば、現場に足をつけずネットで空回りの信仰を企画し学会員
参加者を募っている人に、いくら助力をしようが逆効果だ。 
ますます現場よりもネットで熱心に活動をするに違いないからである。

ネットで現場軽視、現実逃避のエア信心企画している人はこれからも
泡沫(うたかた)のように出ては消え、ネットを漂っていくだろう。
間違っても「あたらしい活動の形」などという虚言に惑わされてはいけない。

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負けたくないからやめられないのか

つい先だって、極悪だの極善だのを語るブログを主催する
ランさんが、記事自粛宣言をだされていた。

なんでも、リアルでの活動が忙しくなるから記事更新の頻度
を下げざるを得ないとこのことだった。
またランさん自身「コピー&ペースト」ができない(?)ため記事
の内容は資料を見て手で打ち込んでいるらしく、手間が
かかっているらしい。

先月から突然始まった「極悪を退治」するブログは
一時期は飛ぶ鳥を落とすような勢いで、ブログ村の創価カテの
ランキング(IN)一位をとったことは拙も記事にさせていただいた。
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-519.html

このあと8月10日には創価カテの登録者がだれもなしえなかった
IN900ポイントの大台を超えダントツの一位を記録していたことを
付け加えておこう。
https://megalodon.jp/2017-0810-1719-39/philosophy.blogmura.com/sokagakkai/ranking_out.html

ところがお盆を超えたあたりから、目の敵にしていた
元学会員のアンチブログがさらにポイントを上積みするかたちで
差をつけられ、ランキングが逆転してしまったのだ。
8月17
(8月17日のランさんランキング)

8月21
(8月21日のランさんランキング)

おそらく、元学会員のアンチブログのポイントはお盆休暇の間、
チェックしてくれる方が一時的に減っていたことが考えられる。

退潮傾向を感じ取ったランさんの忙しくなるから・・という説明だったが
、実際には8/22日の自粛宣言以後も一日複数の記事を更新するなど
し続けている。
もしかすると「アンチブログ」に負けたくないからやめられなくなった
のだろうか。
それとも、勝てなくなってしまったたブログランキングに同情票をあつめ
再起をはかりたかったのかもしれない。

まぁこれは拙の邪推なのかもしれないが、ランさんをネット上で公然と
いままでは八方美人だったとディスった「ちよ」さんがいうには
ランさんがブログを再開させたのにはなにか他に理由があるらしい。

どんな理由があるにしても、ちっぽけな村ランキングで、わずかばかりの
「勝利」を得た時に

私のブログをとりあげてくださってありがとうございます💖
おかげさまでアクセス数がぐーんとアップで感謝です(笑)



とのぼせ上がったコメントを記事にしてしまったことが、さらにランキング
逆転の悲哀をさそう結果となってしまった感がするのはたしかだ。

つまらぬ意地を張ってまで「極悪退治」とやらの
真似事をするものではない。







マッチポンパーのブログ村

そういえば、アンチちよさんブログ(略してアンちよブログ)が
再度ブログ村創価カテに登録されているようだ。
アンちよブログの設営者については以前記事にさせて
もらっていた。
<アンチ「ちよ」さんブログの意図>
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-487.html

そのブログが「宗教批判カテゴリー」に
移動させられたのだという。
再開設当初は「ちよ」さんから被害を被っており、訴える事もできる
が・・・などといった文言が書いていたように思ったが現在トップ
記事にはその文言はない。
それが事実かどうかはともかく、拙の弟子を称しつつ
個人ディス専門ブログを立ち上げ
(ちよさんは)他者の意見に依拠し、自分の正当性を示そうと
しているなどと批判したのには正直驚いた。
拙の弟子を詐称している時点で自語相違だからである。

そこまでいうならば彼はHNを作っては捨て、ブログをつくっては消し
たりせず、拙のHNを使って裏で関係があるかのように演出するのを
やめ、本来、創価カテでつかっている「本HN」をつかって堂々と持論を
展開すればよいだろう。

ところで、こういったディス(ディスリスペクト=軽蔑・侮蔑すること)ブログを
作る人はターゲットとする相手側のブログには出没しないものなのだろうか。
拙はそうは思わない。

彼のような人物にとって、自分を認めてくれないすべての存在は敵であり
その敵を貶めるためには共通する敵側にも情報を売り込んだり、中には
ターゲットを関節的に扇動するために直接おだてコメントを入れたりするものだ。
当然、対立をおもしろがってランキングポイントをつけてくれる可能性もある。
対人トラブルにわざわざ首をつっこみにやってくる第三者HNはマッチポンパー
だとみて、ほぼまちがいないだろう。

ほとんどがロム専で、わずかばかりの評価者しかいない「村」の些細な
評価ポイント比較など、「創価学会のイメージアップ」や「イメージダウン」の
指標になっているわけがない。
アンチブログよりランキングをアップすれば極悪を制することができるなど
といった根拠のない妄想にこだわっているから、マッチポンパーに遊ばれる
のだ。

創価学会を敵視しているのはなにも日蓮正宗門徒だけではないことに、
気づくべきだろう。



極悪と戦う理由

つい先月まで、ブログ村創価カテのランキング一位ブロガーは
アンチ学会を宣言する自称学会員さんのダメ出しブログだった。
他に多数登録されている毎日更新型ブログの学会員さんは、
ついにINポイントでもアンチブログに倍以上の差をつけられた
だけでなく、自らのINポイントを減らし、週300ポイント切る体たらくで
あったと記憶している。

一日分になおすと5人にも満たない「ポチ」ポイントしかついて
いなかったのだ。
方やダメ出しアンチブログは最大週900ポイントがついていた
のだから、学会員さんのブログをみて評価のためにブログ村
ボタンを押すと嫌でも一位の「ダメ出し」ブログが目についてしまう。

この状況をみかねた学会員さんはブログ村へのボタンを外したと
いう記事を書いておられたが、アンチブログを見れなくなるなる
だけで、むしろブログ村内における学会員同士の暗黙の相互「ポチ」
協力が得られず結果学会員ブログのポイント減となりブログ村の創価
ランキング「ダメ出し」一強の現状に拍車がかかる状態となったことが
興味深い。

ところが7月22日に、ランさんがネット復帰し「極悪と戦えば極善となる」
という対日顕宗破折がテーマのブログを公開されてから、わずかながら
ブログ村創価カテの旗色がかわった。
ランさんは元女子部幹部を名乗り、もっぱら、墨田区の婦人部ちよさん
のブログの常連としてよくコメントをされていたかただ。
新ブログをはじめた最初の記事に彼女が立正安国論の講義を担当
したことを起因として日顕宗破折のブログを立ち上げたという趣旨が
書かれていた。
なぜ、為政者に対する諌暁(=信仰上のあやまりを諌め諭すこと)の書
である立正安国論とネット上での日顕宗破折がリンクするのか、いささか
強引な感もあるが、どういった内容を書き込まれるのか拙には興味が
あった。

しかし、何度か記事をアップされたもののランさん自身のコトバを紡いだ
破折ではなく、すでに公開済みの破折文をコピーして貼り付けるばかり
でなんら見栄えがしないものでしかなかった。
下手をすればランさんのブログも「宗教批判」カテゴリーに移動させら
れてしまうかもしれないと拙は感じた。
ブログ村で新しいカテゴリーをつくってもらう場合は予め管理者の掲示板
に設置依頼を出すのが一般的だとおもっていたが、今回の宗教批判カテ
はそのような痕跡もなかったので、誰か創価カテのユーザが粘り強く
ブログ村管理者と直談判をしたのかもしれない。
もしそうであれば、日顕宗批判を繰り返す趣旨をテーマにする以上、
法華講員さんから「宗教批判カテ」への移動を進言するものがいないとも
かぎらない。

さて、拙が余計な心配をしている間に、ランさんは突然、極悪日顕宗では
なく学会から退転したにすぎない個人のブログ「創価ダメ出しブログ」の
連載批判記事を始められた。
あとから「創価ダメ出し」を名乗るHNの輩から、挑発的なコメントを書き込まれ
ていたことに拙は気がついたのだが、後に「ダメ出しブログ」の管理人さん自身
がブログ記事を割いて「自分は他所では書き込みをしない」と名言していること
からも、創価カテには学会員とアンチブログのイザコザを期待するマッチポンパー
が紛らわしいHNを使って徘徊しているらしい。 

ランさん自身もまた真偽も確かめるわけでもなく“ブログ主”のダメ出し氏に
対し「私のブログをとりあげてくださってありがとうございます💖
 おかげさまでアクセス数がぐーんとアップで感謝です(笑)」 などと応じ
わざわざ 「創価ダメ出しさん こちらへどうぞ」という記事スレッドを開設
してしまった。

つまりランさんは「極悪と戦う」と高らかに宣言したものの、ブログ村内の
学会アンチさんを挑発してアクセス数とブログ村ポイントを稼ごうとしている
だけなのではないだろうか。
彼女の目論見が当たったのか、すでにブログ村を去った自称学会員さん
が何人かコメント欄に復帰している。 その結果(8/4日)現在ランさんの
「極悪と戦えば極善となる」ブログはOUTポイントで「ダメ出しブログ」を抑え
第一位となりINポイントも、ちよ氏菊川氏らがめったに取ったことのない
週500ポイントを超え3位につけることになった。
8月4日村ランキング

華々しく極悪と戦うことを大目標を掲げた割には、目先の小悪に出鼻を
くじかれていると見る拙は失礼かもしれないが、最近のコメント欄での
ランさんや協賛者とのやりとりを見て、かなり読者の偏ったジャンル内で
順位を競ったポイント稼ぎにランさんたちが躍起になっているようにしか
見えなくなってきているのが拙の率直な感想だ。






 


だれが創価カテをダメにしたか

久しぶりの投稿となってしまいました。

拙自身はブログで記事を書かないまでも、この
半年間ずっとブログ村創価カテの顛末を見守って
いました。

学会員のある方が、ブログ村創価カテがダメになって
しまったのは、「信心があるかないか」を基準に
していないから・・つまり、スレに見合わない記事を
書いているアンチさんのせいだ・・という趣旨の記事
を公開されているのを拝見したのですが、拙には、
そうはおもえません。

たしかに、アンチさんのブログがブログ村創価カテ
での人気記事や人気ブログとして上位にはいったこと
は、真面目な読者が離れる一因となったのかもしれません。 

が、それは逆に言えば「真面目な読者」を食い物に
しているネット信仰イベント活動企画者たちのブログ
での言辞がアンチさんの記事よりも飽きられてしまった
からにほかならないのではないでしょうか。

また前述した「信心があるかないか」を判断基準にすべき
だと主張される方は
”これが創価学会ですと紹介するには創価村
(注:ブログ村創価カテのこと)はみっともなくて紹介
できない”・・・ともおっしゃっています。

具体的にどのブログがみっともないのかは指摘されて
いませんが、「これが創価学会です」とおすすめできる
ブログがブログ村にないのではありません。
真面目に教学を研鑽されつづけている秀逸なブログが
いくつか存在します。
ブログ村創価カテの主だったユーザーといえるであろう
イベント信仰に明け暮れる、己のオトモダチのランキング
アップしか興味のないメンバーに、真面目な信仰記事を
書かれている方が評価されつづけていない ことが
大問題なのではないでしょうか。

つい最近のことですがブログ村宗教カテに
「宗教批判」のカテゴリーが追加され、創価カテにはびこって
いた「アンチ創価」ブログはブログ村管理者の手によって
ほぼ移動させられました。
移動させられたなかには日蓮正宗某寺院のオフォシャル
ブログもあったりして思わず笑ってしまいましたが
正常化されたはずの創価カテのランキング推移が
どうなるか・・と拙は楽しく注視しつづけています。







プロパガンダによる印象操作の目的

共産党のビラについて研究をされている方がいるそうです。

http://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/xpress/?p=744

「目的のためには手段を選ばない」というコンセプトで宣伝をおこなう。
まったく同じ手法をとっている人がいますね。
ブログ村創価カテにおける「ナリスマシ事件」も印象操作の手法が使われています。

そういうことは止めましょうと心から申し上げたいだけです。


SNSなどで自分はこれだけ成果を上げている という報告を同志の前でされることは
結構なことだとおもいます。

しかし、そういった実績を貴方が紹介するだけで、コミュニティ内では意図せず
相手が萎縮して言いたいことが言えなくなったりする場合があります。
また、実績があるなどという会員さんが相手に対し「君の実績を言ってみろ」
などと不要な強要をするのは幹部にありがちな慢心だとおもいますね。

「おれの信心は正しい」だから貴方はいうことを聞きなさい では
親分子分の関係になってしまいます。

本来創価学会には、信心の先輩・後輩の関係しかないのです。
といっても入会年月日が先の人が先輩だという単純な意味ではないです。

では、どのような人が信心の先輩なのでしょう。
ちゃんと指導があるので引用させていただきます。

◎一人だけでは、どうしても放縦になり、わがままになり、我見に走って、
 目的に到達できないものです。
 なんらかのアドバイスが肝要だ。それをするのが先輩です。
 よき先輩は、みな、後輩を、立派な一人前の人材に仕上げようと、心を砕く
 ものだ、それがなければ、先輩とはいえません。(笑い)

【指導集 質問に答えて より抜粋】


ですから“先輩の御言葉だからおとなしく聞きましょう”は親分子分の関係の
はじまりだとおもいますので、違うようにおもいますし、そういった場の治め方は
トラブルが起こった場合になんの解決にもなりません。

まして信心暦が長いとか、世間に認められた肩書があるというだけで
今まで通りの「我見信心」でも、いいじゃ無いかというのは創価の人材育成
ではありませんよね。

上記の質問は「よき先輩につくとは」というサブタイトルがついています。

ネットは現場ではない分、実際に相手がどのような信心をされているか
わからない部分が多々あります。
したがって、より一層「善知識」についての判断が問われます。

ネット等でもどんな立派なこと述べているか よりも『 実際になにをしているか 』を
判断基準にすることは、共産党のウソを見分けるのと同じ方法です。
根拠も示せず相手を極悪人にしたてあげ、自分の正当性と存在価値を高めるような
印象操作をする人は「善知識」であるのかどうか。

よく考え、ネット掲示版やSNSコミュニティの動向を注視してくださいね。
もし偽善的な「善知識」(略して偽善知識と拙は呼びます)に遭ったのなら
すみやかに距離を置くことをお勧めします。
また偽善知識を褒めることはNGです。 評価されている姿を第三者が見て
食い物にされるケースもあります。




なぜ、褒めてはいけないか


よく拙は他者の投稿を通じて、自分なりの論評を書いている。

論評の元となっている他者とは、あるときは学会員さんであったり、
法華講員であったり、あるサイトの話題であったり、新聞の話題で
あったり様々な立場の方と縁することによって駄文を捻っている。

時には、論評の元となった方自身や、賛同者の方と内容についての
討論となる場合もある。
時折、「なぜ、あべひさんは他者と暖かく接する事ができないの」とか
「もっと、砕けた感じでやりとりをすれば」といったご指摘を受けること
もある。
余計な美辞麗句はひかえているので冷たい印象を受けるということだろう。

たしかに、学会の指導にも「褒めることが大事」と出てくる事が結構多くある。
だが、こと仏法において正邪を弁えずなんでも「褒めれば」よいはずがない。

ネット初心者の頃は、社交辞令的に「学会員さん」の投稿に対してとりあえず
賞賛を贈っていた。 そうすれば喜んでもらえることが解っているからだ。
今月の大白蓮華でも、法華経普賢菩薩勧発品第二十八を引用して
“ 妙法を受持する人を見たならば、仏を敬うように大切に ”との
有名な箇所の指導が掲載されている。

だがこれは「学会員さんに出会ったら、とにかく褒めましょう」という
社交辞令を勧めていると考えるのなら、表層的だと言わざるを得ないだろう。
不軽菩薩は他者を「褒める」て喜ばせるというよりも、万人に仏性がある事を
覚知したうえでその仏性を称える修行をしていたからだ。
形式ではなく「心が大事」ということになるだろう。
したがって、“敬った”相手が怒ったのか喜んだかといった反応は修行の上では
さして重要事ではない。
失礼な事を告げて相手が怒るのは当然、自分の配慮がたりないせいなのだが、
相手の生命を敬う事で怒られるか褒められるかは、その方の境涯によるもので
しかないからだ。

さて、Twitterであるマンガ家さんが「褒められる効果」という公開されて
話題になっているという。
http://spotlight-media.jp/article/368857410295462605?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=own_page

褒められる事で得られる「うれしい」という感情の他に
「迷いを減らす」という効果があると書かれて共感の輪が
得られているとのこと。

拙もその通りだと思う。
だれしも自分の行っている事についてある程度の「迷い」はあると
思う。 特に、慣れない事をはじめた時、壁にぶち当たったときなど
はなおのことだろう。
仏法における「成仏」への道のりとは、元本の無明という人間の根源的な
迷いを晴らす所に意義があるといえるだろう。
つまり、仏道修行における「褒める」という行為は、迷いを減らして
正道(正法)に着かせるという大目的を忘れてはいけないということに
尽きると思うのだ。
となると、なにを「褒める」のかが大事になってくる。
日蓮大聖人は

「我が信じたるままに勝劣も弁へずして
 我が阿弥陀経等は 法華経と斉等なり
 将た又 勝れたりなんど申せば 其の一類の人人は
 我が経をほめられ うれしと思へども還つて
 とがとなりて 師も弟子も檀那も悪道に堕つること 箭を射るが如し」
 (上野殿母御前御返事)

あべひ通解:
経文(教え)の勝劣をわきまえず、阿弥陀経を信じている人を
法華経に導こうと、法華経は阿弥陀経は同じように優れているのだと
言ってしまうと、喜ばれるかもしれないが、かえって法華経を貶めた罪を
被って、師弟、檀那もすぐさま悪道に墜ちることは矢を射るような早さである。

と説かれている。

間違っても、悪道に逸れてしまった人を邪見の人を軽々に
「褒めて」はならない。
迷うこと無くさらに悪道に墜ちてしまう結果になれば与同罪と
なってしまうからだ。
たとえ相手が学会員さんであっても、この道理は忘れてはいけないだろう。

特に個人的な表現活動の延長にすぎないネットでは、どういった方を
「褒める」べきなのかをよくよく考えなくてはならないだろう。
学会員の立場で創価学会を貶める、なかんずく日蓮仏法を貶める手段
は「褒める」という行為の中にも含まれているのだから。

ネットの学会員さん。

どうしても学会員さんを褒めたいのなら、現場で活動されているかた、
座談会に参加されたかた、折伏をされた方目標を達成するため
一生懸命信仰を貫かれている方を、現場で探し出してリアルで
「当人」を褒めましょう。

自分で自分を褒める言辞を繰り返すのは下品ですし、
他人をこき下ろしたり、持ち上げて自分を良く見せようとするなら
下の下です。

Facebookに蔓延する軽率な学会員さん

実名系SNSが、うっかりするといかに「危険」であることを
考えていただくため以前「日蓮正宗門徒」さんのFacebook
を題材にした記事を公開しましたが、あらためてリンクさせて
いただきます。

http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-158.html

残念ながら、学会員さんの中でも上記のようなミスをされている
かたが、よく見受けられる。 特に幹部らしき方の実名Facebookが
あって恐ろしい。

ナリスマシや自称学会員に対する警戒もさることながら
通信機器の発達と情報網の多様化、そしてSNS利用者の増大
により、「実名」を証さなくても個人情報(プライバシー)をネットに
放流すればするほど、人物特定ができるのだ。

たとえば、Facebookなどでは「実名登録」を推奨していますが
「偽名」でも登録できますし、メールアカウントを使い分ければ
複数のIDを所有することも不可能ではない。
もちろん「実名」で登録され表現活動をされている方もいるが
中には「自営業」の宣伝を兼ねてSNSを使っている方がいる。

そういったSNSで「創価」のキーワードを使い登録者のみが閲覧できる
「グループ」の作成ができますが、あきらかに「実名」でセルフィー
(自撮り画像)や会館内での他会員の記念写真をアップしている方が
けっこういる。

限定公開の「グループ」ではないのだが、
たとえば以下のFacebook記事をみて欲しい。(直リンクはしていません)
https://ja-jp.facebook.com/seikyousinbunkinoshitahanbaiten/timeline

聖教新聞販売店 と銘打ち 画像をアップし、会合の内容まで
漏らされてしまっている。
上記の方は、現役の学会幹部であることは論をまたない。

一旦こういった人と交友関係(イイネを返すだけでも)をもつと、
芋づる式に交友関係がバレるだけではなく、好意的でない人の
好奇の目にさらされてしまうのだ。

上記Facebookの読者リコメで
「聖教の販売店の方がFBをされていて、又、感じたことを、
 載せていられることは素晴らしい・・」と書かれている方が
いるようだが、はたしてそうだろうか。
あのような類いの記事を素晴らしいと評価をするのはたいてい
「創価学会員」さんだけだ。

ある会社に所属している人が職権で知り得た内容を書き込んだり
自営業の方が来店されたお客様のプライバシーを漏らすだろうか。
そういった行為は拙には慢心による軽率な行為にしかみえないのだ。

今回紹介したのは、全公開のSNSですが非公開型のグループで
あればプライバシーに関わるもっと危険な内容や無断転載などの
違法行為が蔓延している。
いずれ記事にさせていただいて、注意喚起を促したいとおもう。

創価学会の脳内退会法

創価学会の友人葬について、かなりイマドキの寺院葬論を展開
された某氏が、こんどは創価学会員ではなくなったという記事を
公開していたので、興味深く読ませていただいた。

なんでも「友人葬」に参加した折に、知り合いの学会員さん数名から
「学会をやめちゃったの?」と聞かれたので、自分で調べたところ
幹部が勝手に氏の退会届をだしており、統監からはずされていた
ということらしい。

氏はこのように推測する。


『「いや。見ていない。ただ上からそう言われたから・・・」』
(略)
『どうせ、俺は十年以上組織にもついてないし
統監を落としたところで俺に分かるはずもない。と思ったんだろうな。』
【ダメ出しブログ 「ついにお別れの時が。創価からの完全追放。」 より抜粋】



真面目な学会員さんなら、この話しが嘘だとわかり思わず
笑ってしまうだろう。

ネット上でも「統監」について話題にされている場合があるので
会員外の方でも興味のある方はしっているかもしれないが
「統監」とは入会されている会員の把握をするために、数ヶ月に一度
行われる各地区での確認のことである。
晴れて創価学会に入会をすれば、会員カードを起票し所属の地区が
管理をすることとなっている。 
簡単に言えば住民票にあたるものであり、個人情報にあたるため
厳重に管理され、取り扱いや手続きも全国統一されている。
もちろん信仰活動以外での情報利用は固く禁じられている。

では退会の場合はどうだろうか。
ダメ出し氏のいうように、現場の幹部が当人にしられないよう勝手に
退会届けを出せるのだろうか。

前述したように統監はまず各地区で管理されているものである。
仮に、退会届けがでたとすればその旨を地区幹部がしらない
はずはなく、統監部長がその書類を見たことがないのに退会を
したものとして統監を削除することはできないのだ。
組織として処分される場合においても、現場の幹部が事情を全く
しらされずなんの記名もしないまま「統監の処理」だけを求められる
ことはない。

もし会社などで、上司が勝手に辞職願を出し所属の管理者の署名
捺印もない書類が受理され離職させられたたなどということが明るみ
に出れば、裁判沙汰になった場合敗訴するのは確実だろう。
それとおなじように、創価学会をやめるにしても本人が手続きを
踏み、複数の幹部から何度も指導を受けた上で受理をされるか、
懲戒といった組織的な処分判断を経たうえで退会処理にしても
手続きを踏んで行われる。
手続きを踏んだ上で厳正な処理がされているからこそ、現在でも
たまにみられる元学会員の「会員としての地位回復」を求めた裁判
においても創価学会が負ける事がないのだ。
また手続きをふまなければ、一人の幹部の一存で会員の入会・退会
ができることとなり、統監を管理している地区が混乱することが容易に
想像できる。
別に創価学会に限った事ではなく、登録者の正確な管理は組織としての
事業運営には不可欠な要素である。

したがって、「知らない間に辞めさせられた」などという某氏の証言は
甚だ信用しがたい内容だといえるだろう。
おそらく彼の「脳内創価学会」では、そういいった処理がされている
のだろう。
そういえば、日蓮正宗や顕正会では書面も書かずに入信したことにされ
たり退会書類をおくれば、簡単にやめる事ができるという。

某氏はそういった裏事情を抱えて「学会員のフリ」をしていたのではないか
と考えれば、いままでのブログ記事内容も納得いく。

一部の読者さんは早くから「嘘くささ」に気がついておられるようだが
拙の考えすぎなのだろうか。












「寺でお葬式」というイマドキな発想。

過日、なぜ学会の会館で葬儀が執り行われないのか
世間一般的な例を示して検証したつもりだったのだか
内部アンチを自称する某氏から「陳腐だ」とのご指摘記事を
(陳腐=ありふれていて(平凡すぎて)、古くさく、つまらないこと。)
いただいてしまった。

昨今、日本の子供の読解力(長文を読んで趣旨を読み取る能力)が
低下しているといった話題があったが、拙の駄文がわかりにくかった
のかもしれないので、あらためて補足的説明をしたい。

最近では斎場だけでなく学校や保育園といった
社会的サービスをおこなえる施設であっても、一般的なマンション
であっても建設の際には建設主体と立地自治会との綿密な
やりとりが欠かせない時代であり、できる限り近隣住民の感情
を尊重することが求められる。
現在日本国内には2000を超える創価学会の会館が存在すると
言われているが、その建設の際も同様であることは論をまたない
だろう。
また拙が知っている限り、創価学会の会館は広域避難場所として
行政に登録されている施設ばかりであり、なかには敷地内を地域行事
の会場として使っていただく場合もある。
(他宗でもそうされている場合がある)
これは従来から地域にある寺と違い施設を建設してから決められたこと
ではなく、あらかじめ関係所轄との話し合いの上で決められていた
ことだと推察できる。 だからこそ円満に建設がはかどるともいえだろう。
では葬儀専門の施設ともいえる「斎場」はどうであろうか。
広域避難場所として適切なのだろうか。
創価学会の会館が会員のために葬儀を行う場所である必要性が
あるのだろうか。

創宗時代まだ地方の会館などが整備されていなかった頃、日蓮正宗
の寺院で創価学会の会合や法要がおこなわれるなどされていたが、
葬儀が寺で行われたという記憶が全くない。 
何人かの方に伺ってみたが、会合や法要など学会員が運営する事は
しょっちゅうあったが、寺で葬儀(通夜~本葬)をしたことはないとの
ことであった。

となると、日蓮正宗を含めた他宗の場合はどうだろうか。
かつて、土葬の風習がまだ見られた頃、埋葬前に地域の住民も
参列された野辺送り(≠通夜・本葬)を寺でされていた記憶はあるが、
防疫上からも火葬が一般的になった昭和50年代以降、寺での野辺送り
もみられなくなってしまった。

だが現代の寺院としての会館を認識したうえで件の自称アンチ学会員
氏は言う

「なぜ斎場としの手続きをしないのか?葬儀も出せない会館を
               会員の金で建設するのはおかしいだろ」
「さすがに無宗教の人だって普通の人間なら
 宗教施設であるなら葬儀の一つもやるのだろう。と思うさ。」
【会館で葬儀をしない事に関する学会員の陳腐ないいわけ。より抜粋】



ようするに会員が供養している宗教施設だから葬儀も出させるべきだ。
近隣住民もそれぐらいは理解しているだろう と根拠もなく述べているに
すぎない。

氏は必死に「一般人の声」とやらを根拠にしているといいたげだが
どのような声を聞いたにせよ主張しているのはご本人である。
実際には、寺での葬儀は大御本尊を擁するとされる日蓮正宗でも
行っていない。
一般的な葬儀が寺でとり行われるのは滅多にないのが現状だ。

氏は最新の記事内で御書を引きつつ、このようにも主張されている。

“であるならば、そうした世間一般の認識を無視し
「そもそも論」を主張するのは、世間の法の外で仏法を行じている愚者だと感じる”
【創価教学じゃない御書講義(28年12月度より抜粋】



実情にあわない個人的な見解を「世間一般の認識」などとすり替えるのは
詭弁術でよくある話だが、そもそも論 を主張しているのはなにも拙だけでは
ないことが、氏には自分のこと認識されていないのが、なんともである。

氏は学会員を日蓮正宗門徒にすることを目論んでいるようだが、
日蓮正宗寺院での通夜・本葬儀を願い寺に主張してくれることだろうし
外部の斎場をつかって葬儀を行っている方には、寺でするのが
一般的だと説いてくれることだろう。

最近他宗のお寺では、寺院と別棟の斎場ではなく「本堂での葬儀」に
注目をしているところもあるのだという。
理由は下記のリンクを参照にされたい。
【お寺の未来ブログ:お寺での葬儀の可能性】
http://www.oteranomirai.or.jp/blog/oteradesougi/


拙と同じような趣旨を述べておられることがご理解いただけるだろう。
また減少する門徒対策として宗派を問わず本葬を寺院でおこえるように
する「寺院葬」を提案している寺院があるようだ。
いずれにせよ通常のな斎場を利用するよりもお高いそうで、まだ「一般的」
とまでは言いがたいのが現状ではなかろうか。


 





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