嫌われる「SNSおじさん」の特徴

モバイル端末の普及によって、それに特化したSNSサービスが数多く
提供されている。
総務省のHPによると、日本における代表的な6つのSNSサービスのうち
LINE、Facebook、Twitterの順でユーザ登録数があり、2016年の段階では
20歳台の97%以上がなんらかのSNSを利用しているという。
今若者の間ではすでにLINEも飽きられつつあり、インスタグラムなどの
画像系SNSなどが流行しているのだそうだ。
FacebookやTwitterはオッサン好みのSNSとされており敬遠されていうと
聞いて少々笑ってしまった。
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多くの方は用途別にSNSを使い分けたりされているとおもうが、そのほとんど
は「リアルの知り合い」との連絡用ではないだろうか。
職場や学校といった社会的なコミュニティの延長であるがゆえに、返答にこまる
つまらない内容を送りつけたり、トラブルになるようなぞんざいな物言いは控え
るというのが暗黙のルールとなっている。
そういった他者への配慮がプレッシャーとなりSNS疲れを引き起こしかねない
ので、書き込みが不特定多数に公開されてしまうFacebookやTwitterは避けられている
のだと聞くと、なるほど合点も行く。
あるビジネス系の情報サイトに『密かに部下から嫌われる「SNSおじさん」の特徴』
という記事があり拝見してみた。
その記事によると
○ 自慢したがり「Facebookおじさん」 ○インスタの女王も絶対しないメシ投稿
○ ウザがられる「意識高い系」投稿 ○発信しまくり「LINEおじさん」
が挙げられるという。
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自慢したがりおじさんとして例に挙げられているのが「筋トレ報告」。
正直一般人のおじさんがどんなトレーニングをしているのか気になると思うのだろうか。
メシ投稿として例に挙げられているのは「食事報告系」。
自分で手の込んだお料理や弁当をつくったのならともかく、ファストフードやコンビニの
弁当を写してなにがおもしろいのだろう。 ウケるとおもっているところが痛々しい。
意識高い系として例にあげられているのが職場の話題やニュースに関する
長文投稿。 自分の意見としてまとまっているのならまだマシかもしれないが、
とめどもない愚癡や誹謗中傷に過ぎない内容なら見ているほうが忍びない。 
また他所からのコピペだけならなおのこと、「意識が高い」ことを暗にアピール
したいだけだ。  これは学会員系SNS利用者にも言える事ではないだろうか。
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SNSに限らずブログサービスを新たなコミュニティづくりに使っている場合も同じだろう。
個人的な仕事の話や食事の話をするなら、わざわざ信仰系のブログを銘打たなくても
よいだろうし、細分化されているジャンルで行えば学会員さん以外の方とも知り合いに
なれるだろうに、なぜ同じ信仰をしている者の中だけで「自分に注目してくれる人」を
探そうとするのだろう。
中には自分のビジネスが絡んでいることを伏せて、信仰の話題を無理に
作り上げて集客を目論んでいるものまでいる。
どうせ商売がしたいなら、しっかり料金を払って商用のブログとして運営すれば
よいと思うのだが、無料でつかったうえにルール違反までして集客を図っている
のだから信用ならない。
いくら気のいい学会員さんでも、おいそれと近づきたくないだろう。
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書いている人が著名人ならともかく、学会員を自称するいち会社員が一般の方からも
敬遠されるようなプライベートな内容をSNSでアップすることで、なにかが変わると信じて
いるとしか思えない方もいる。
学会員さんの場合だと、一生懸命お題目を上げてSNSの開設をすると決めたのだから、
間違いないなどと手前味噌な理屈をつけている方がたまにいる。
たかが趣味的な個人のブログの運営に「使命」だとか宗教的意義を付加している時点で
周りがみえていないと思うし、みようとする努力を放棄しているとはいえまいか。
多くの方が嫌っている内容を、ごく一部の人間に評価されただけで「ウケている」と錯覚し
パターン化してしまう人ほど見てて痛々しいものはない。
97%もの通信機器ユーザーが利用しているSNSであるにもかかわらず、
世間的に『創価学会員ユーザー』が話題になった例があるだろうか。
“嫌われる「SNSおじさん」の特徴”具現化している自称学会員ユーザーさんは
もう少し人の話に耳を傾け、コンテンツ内容を考えたなおしたほうが良いだろう。









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宗教系情報に踊らされるアンチさん

最近、またブログ村創価カテから学会アンチ系のブログが登録抹消になった
ようだ。 そのブログを拙も時々拝見していたが執筆者が創価カテのブログを
引用し呆れて見せるだけという、かなり消極的なイヤガラセ記事を量産しつづけ
ていた。 それに似たようなブログは創価カテにもまだいくつか存在している。
あの内容で、創価学会という宗教団体に対して一矢報いていると作成者が思って
いたのかどうかは定かではないが、ある学会員ブロガーさんは「アンチブログ」が
ブログ村の管理者によって強制カテ移動されることについて驚かれていたようだ。
事実ブログ村の哲学・思想カテゴリーにおいて“特定の宗教批判”スレッドがいくつか
存在するが、アンチ創価学会のスレッドには現在18のブログが登録されており
自発的に自己をアンチとして認識して登録している者以外にも上記のように移転させ
られたブログがあり、活発に情報発信をしている。

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最近拙が注目しているのは、“さくらもち”さんの『振り返ってみる日本人と創価学会』だ。
タイトルとは裏腹に、学会二世であった自己の不幸(?)な生い立ちを振り返っている
内容がほとんどなのだが、上手にマンガが書けたりプロットを作るなどの文字以外の
表現力を持っているなので、ついつい魅惑に負け見てしまう。
昨年末に、学会アンチブログカテで一位を取ったとのことで休筆宣言をされていた
ようだが、なにごともなかったかのように戻ってこられているところを見ると元学会員の
底なしの怨嗟を感じずにはいられない。
自分の幸せのために創価学会を自ら去ったはずが、何年たっても創価学会に対する
批判に終始するのは彼女の親がまだ学会員であるからかもしれないが、どんな理由が
あるにせよネットで肉親をただ晒し者にしている人物が、本当に幸せに見えるだろうか。
自分の幸せのために創価学会に在籍したものの、何年も親をネタにしたりネットで友達
できました的な幸せアピールをブログで繰り返しているものと同じようにしか拙には
感じられないのだ。

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さて、“さくらもち”さんはかなり以前から2ちゃんねる絡みのアンチ学会ネット活動をされて
来たことを吐露されていたが、最近はmonlingenさんのブログにも出入りするほどになっている。
monlingenさんは他所のブログには興味がない方なので、さくらもちさんがネットに流されていた
「ある画像」を思い起こして『脱会直後、池田大作にぞっとしたのは、この写真を見てから』などと
ツイッターでつぶやいているのもご存じないだろう。
ツイッターで少々反響があって気をよくされたのか、いくつかマンガ化されたようである。
だが“さくらもち”さんはあの落書き画像がどこから出たものであるかはご存じないようだ。
すこし注意を払ってみれば池田先生が手に持っているらしい「マジック」の太さと、女の子の
顔に書かれた落書きとやらの太さや筆致が「マジック」で書けるものではないことや、女の子
の手にかかれたペンの色と顔に書かれた黒の色調が濃すぎる事に気が付きそうなものだろう。
そもそもこの画像は第一次宗門事件の折、週刊新潮に掲載されたいわくつきの画像であり
月刊ペン裁判で敗訴した内藤らが創価学会の攻撃で活用し、今現在でも「マジック事件」として
ネットでもっぱら日顕宗関連のブロガーが愛用しつづけているものだ。
(詳細は「地涌の電子書庫」該当記事のリンクを貼っておきます)
http://tidesk.web.fc2.com/houdou-sintyou/7.html

ネットでは古くから「創価学会被害者の会」(自由の砦)と銘打った
日蓮正宗妙観講門徒が作成するアンチ御用達サイトでこの画像が配布
されていたように記憶している。
いまでも同サイトへのリンクを貼っているサイトに画像がアップされたまま
になっているので見たことがあるかたもいるだろう。
彼女が同所から画像を拝借したわけではないだろうが“さくらもち”さんの
ようなアンチさんは、たとえ無宗派になっていても日蓮正宗門徒らが深く関わって
いる情報を元にアンチ学会記事を作成し拡散していることが解るという、ちょっと
おめでたくもあり可哀想な話でもあるのだ。

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まあ、ご本人は日本人と・・ブログで「あほなマンガ」シリーズとして発表されているので、
学会アンチサイトへのオマージュにすぎないと彼女がいってしまえばそれまでのことではある。
しかし、学会を辞めても、知らず知らずの間に他宗の眉唾情報で誑かされつづけている
実情をみると彼女のような自称覚醒者がどこまで覚醒しているのかは疑問に感じてしまう。
結局自分にとって都合良い情報を探し、それを取り上げることによって自己を認めてもら
える居場所を作りたいだけなので元となる情報の真偽などはどうでもよいのだろう。
たとえ創価学会を辞めたとしても、宗教系情報に踊らされ続ける状況に気が付かない
のだから「学会を辞める」という選択肢がかならずしも根本的な問題解決になっておらず
むしろ余計に拗(こじ)らせてしまっている感が否めない。
というか嘘でもなんでも良いから信仰の意義を「こじらせること」がアンチサイトで暗躍する
日蓮正宗や顕正会を初めとする連中の目的であるといえるのではないだろうか。
拙はこういった無所属の学会アンチさんに対しては憐憫の情しか湧いてこない。

だが、騙された人間を笑い飛ばすのか、騙す人間達をあぶり出すのか。

この差は大きいようにおもう。






















公明党時局講演会で画像撮影はできるか?

10月10日。いよいよ衆議院選挙の公示日となり、各党とも
選挙運動がスタートした。

公示前から連日政治活動に関する記事を画像つきでアップ
している熱心な一部の学会員を自称するブロガーもいるようだ。
しかし、各地域で公明党が行っている時局講演会に参加した
一般人が無断で壇上を撮影しブログにアップするのはいかがな
ものなのだろうか。

時局講演会というと、現職の地方議員さん首長さん国会議員さん
が支援者に対し政治活動を報告されたりする一般的な政治活動だ。
公明党地方議員さんの中には折々で参加された時局講演会の様子を
聴衆席から遠目に撮影しブログアップされている方もおられる。
だが慎重な議員さんともなれば、講演会会場内での撮影が可能
なのか分かり兼ねたという理由で、場内での撮影を控えられ
ピロティなどでの記念撮影をアップするにとどめている。

実際のところどうなのか、公明党本部に直接お聞きしてみたところ
各会場でのルールにもよるが、一般の方による講演会会場での
撮影行為、また撮影された画像のアップロードはご遠慮願いたい

という丁寧な返事をいただいた。

たしかに時局講演会などでは「場内撮影禁止」とは明示されて
いないようにおもうが、それはあくまで マナー として多くの方
が守られている部分も多いから明文化されていないのではない
だろうか。 講演会での撮影NGは暗黙の了解といってもよいだろう。

しかし、自分が参加して撮影したから、自分のブログにアップしても
構わない。制止もされなかったし、撮影禁止とも言われなかったという
手前勝手な理由で演壇にあがってシュプレヒコールをされている多数
の議員さんたちを演壇下から撮影してブログにアップしている参加者
がいる以上、今後同様の行為を模倣する輩が増えるかもしれない。
傍若無人な支援者と対照的に地方議員さんでも、撮影が可能なのか
どうか悩んでいる方もいる。

公明党として、許可なく講演会中の壇上撮影が可能なのか不可なのか
を予め司会者が告知するなどの対応をとったほうが良いだろう。

とにかく、多数の方が参加されている会場内を撮影し個人のブログ
にアップする目的で分をわきまえず撮影することは迷惑行為だと
言っておきたい。













空回りな信仰(エア信心)

ブログ村創価カテでは相変わらず、複数の学会員さんが
「同盟唱題」という信仰イベントを企画して、参加者を募っている
体たらくだ。
つい最近では、再入会された友人会員さんが亡くなられた
ということで「同盟法要」なる信仰イベントを企画し、集客を図った
ようだが他の学会員さんからも呆れられている。
このように、いまひとつ芳しくないネット信仰イベントの話題を取り
上げて書くと必ずといってよいほど、これは正しいことをしているが
故の難であり、難にうちかつ信心を試されているのだと意義付け
たり、イベント批判は「怨嫉」だといわんばかりの話題が信仰イベント
関係者側の方からでてくるのも興味深い。

ブログなどで「信仰」にかかる話題に触れる事は、学会員さんならよく
あることだと思うし、個人的な「信仰目標」をネット掲げ、自身の決意発表
するのもその方の勝手だとはおもうが、そういった個人の信仰目的に
他人を巻き込んだり、「応援してもらおう」となどと腹の底で画策している
時点で、信仰者としては失格だと思う。

信仰活動が一人では寂しいし辛いから、だれか応援してほしいと考える
のなら、まず現場の幹部さんさんなどに相談すれば良いことだ。
簡単である。
そのために全国津々浦々の自治会レベルにまで創価学会の現場組織が
整備され、担当の幹部がいるのだ。 
そうすることをせず、顔も見えないネットに頼った時点で
「誰でもいいからお願いします」というお手軽かつ物乞い信仰に陥って
しまっていることに気が付かないらしい。
お気楽信仰や物乞い信仰は本来、創価学会で推奨される我が地域
での影の戦いと自発的信仰に対して対局に位置するものではないか。

ブログ村創価カテに登録されている内外の方のブログを拝見すると
時折、コメント欄などに「○○会」という非公式組織をつくって信仰活動
をしているかのような発言がある。
ブログ村にかぎらずとも個人サイトを立ち上げ、24時間勇者の会など
というサークルを勝手に作り唱題の参加者を募って入会・退会の管理
をし、結果がでたら報告をせよなどと呼びかけている、かなり怪しげな所
もある。

(参照リンク:24時間勇者の会サイト)
https://megalodon.jp/2017-0906-1452-37/https://www.ningenkakumei.com:443/24%E6%99%82%E9%96%93%E5%8B%87%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BC%9A/

そういった所にはたいてい池田先生の指導などで飾り立てられ
「今病気で苦しんでいる」方が個人的ネット信仰イベントに賛同
しているといったニュアンスの記事があるのも特徴的だろう。
いずれにせよ、活動するにつけ頼るにつけ、無意識であっても現場組織を
おざなりにして自利を求めている時点で、空回りの信仰・エア信心だと
いえるのではないだろうか。
さらに言えば、現場に足をつけずネットで空回りの信仰を企画し学会員
参加者を募っている人に、いくら助力をしようが逆効果だ。 
ますます現場よりもネットで熱心に活動をするに違いないからである。

ネットで現場軽視、現実逃避のエア信心企画している人はこれからも
泡沫(うたかた)のように出ては消え、ネットを漂っていくだろう。
間違っても「あたらしい活動の形」などという虚言に惑わされてはいけない。

負けたくないからやめられないのか

つい先だって、極悪だの極善だのを語るブログを主催する
ランさんが、記事自粛宣言をだされていた。

なんでも、リアルでの活動が忙しくなるから記事更新の頻度
を下げざるを得ないとこのことだった。
またランさん自身「コピー&ペースト」ができない(?)ため記事
の内容は資料を見て手で打ち込んでいるらしく、手間が
かかっているらしい。

先月から突然始まった「極悪を退治」するブログは
一時期は飛ぶ鳥を落とすような勢いで、ブログ村の創価カテの
ランキング(IN)一位をとったことは拙も記事にさせていただいた。
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-519.html

このあと8月10日には創価カテの登録者がだれもなしえなかった
IN900ポイントの大台を超えダントツの一位を記録していたことを
付け加えておこう。
https://megalodon.jp/2017-0810-1719-39/philosophy.blogmura.com/sokagakkai/ranking_out.html

ところがお盆を超えたあたりから、目の敵にしていた
元学会員のアンチブログがさらにポイントを上積みするかたちで
差をつけられ、ランキングが逆転してしまったのだ。
8月17
(8月17日のランさんランキング)

8月21
(8月21日のランさんランキング)

おそらく、元学会員のアンチブログのポイントはお盆休暇の間、
チェックしてくれる方が一時的に減っていたことが考えられる。

退潮傾向を感じ取ったランさんの忙しくなるから・・という説明だったが
、実際には8/22日の自粛宣言以後も一日複数の記事を更新するなど
し続けている。
もしかすると「アンチブログ」に負けたくないからやめられなくなった
のだろうか。
それとも、勝てなくなってしまったたブログランキングに同情票をあつめ
再起をはかりたかったのかもしれない。

まぁこれは拙の邪推なのかもしれないが、ランさんをネット上で公然と
いままでは八方美人だったとディスった「ちよ」さんがいうには
ランさんがブログを再開させたのにはなにか他に理由があるらしい。

どんな理由があるにしても、ちっぽけな村ランキングで、わずかばかりの
「勝利」を得た時に

私のブログをとりあげてくださってありがとうございます💖
おかげさまでアクセス数がぐーんとアップで感謝です(笑)



とのぼせ上がったコメントを記事にしてしまったことが、さらにランキング
逆転の悲哀をさそう結果となってしまった感がするのはたしかだ。

つまらぬ意地を張ってまで「極悪退治」とやらの
真似事をするものではない。







マッチポンパーのブログ村

そういえば、アンチちよさんブログ(略してアンちよブログ)が
再度ブログ村創価カテに登録されているようだ。
アンちよブログの設営者については以前記事にさせて
もらっていた。
<アンチ「ちよ」さんブログの意図>
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-487.html

そのブログが「宗教批判カテゴリー」に
移動させられたのだという。
再開設当初は「ちよ」さんから被害を被っており、訴える事もできる
が・・・などといった文言が書いていたように思ったが現在トップ
記事にはその文言はない。
それが事実かどうかはともかく、拙の弟子を称しつつ
個人ディス専門ブログを立ち上げ
(ちよさんは)他者の意見に依拠し、自分の正当性を示そうと
しているなどと批判したのには正直驚いた。
拙の弟子を詐称している時点で自語相違だからである。

そこまでいうならば彼はHNを作っては捨て、ブログをつくっては消し
たりせず、拙のHNを使って裏で関係があるかのように演出するのを
やめ、本来、創価カテでつかっている「本HN」をつかって堂々と持論を
展開すればよいだろう。

ところで、こういったディス(ディスリスペクト=軽蔑・侮蔑すること)ブログを
作る人はターゲットとする相手側のブログには出没しないものなのだろうか。
拙はそうは思わない。

彼のような人物にとって、自分を認めてくれないすべての存在は敵であり
その敵を貶めるためには共通する敵側にも情報を売り込んだり、中には
ターゲットを関節的に扇動するために直接おだてコメントを入れたりするものだ。
当然、対立をおもしろがってランキングポイントをつけてくれる可能性もある。
対人トラブルにわざわざ首をつっこみにやってくる第三者HNはマッチポンパー
だとみて、ほぼまちがいないだろう。

ほとんどがロム専で、わずかばかりの評価者しかいない「村」の些細な
評価ポイント比較など、「創価学会のイメージアップ」や「イメージダウン」の
指標になっているわけがない。
アンチブログよりランキングをアップすれば極悪を制することができるなど
といった根拠のない妄想にこだわっているから、マッチポンパーに遊ばれる
のだ。

創価学会を敵視しているのはなにも日蓮正宗門徒だけではないことに、
気づくべきだろう。



極悪と戦う理由

つい先月まで、ブログ村創価カテのランキング一位ブロガーは
アンチ学会を宣言する自称学会員さんのダメ出しブログだった。
他に多数登録されている毎日更新型ブログの学会員さんは、
ついにINポイントでもアンチブログに倍以上の差をつけられた
だけでなく、自らのINポイントを減らし、週300ポイント切る体たらくで
あったと記憶している。

一日分になおすと5人にも満たない「ポチ」ポイントしかついて
いなかったのだ。
方やダメ出しアンチブログは最大週900ポイントがついていた
のだから、学会員さんのブログをみて評価のためにブログ村
ボタンを押すと嫌でも一位の「ダメ出し」ブログが目についてしまう。

この状況をみかねた学会員さんはブログ村へのボタンを外したと
いう記事を書いておられたが、アンチブログを見れなくなるなる
だけで、むしろブログ村内における学会員同士の暗黙の相互「ポチ」
協力が得られず結果学会員ブログのポイント減となりブログ村の創価
ランキング「ダメ出し」一強の現状に拍車がかかる状態となったことが
興味深い。

ところが7月22日に、ランさんがネット復帰し「極悪と戦えば極善となる」
という対日顕宗破折がテーマのブログを公開されてから、わずかながら
ブログ村創価カテの旗色がかわった。
ランさんは元女子部幹部を名乗り、もっぱら、墨田区の婦人部ちよさん
のブログの常連としてよくコメントをされていたかただ。
新ブログをはじめた最初の記事に彼女が立正安国論の講義を担当
したことを起因として日顕宗破折のブログを立ち上げたという趣旨が
書かれていた。
なぜ、為政者に対する諌暁(=信仰上のあやまりを諌め諭すこと)の書
である立正安国論とネット上での日顕宗破折がリンクするのか、いささか
強引な感もあるが、どういった内容を書き込まれるのか拙には興味が
あった。

しかし、何度か記事をアップされたもののランさん自身のコトバを紡いだ
破折ではなく、すでに公開済みの破折文をコピーして貼り付けるばかり
でなんら見栄えがしないものでしかなかった。
下手をすればランさんのブログも「宗教批判」カテゴリーに移動させら
れてしまうかもしれないと拙は感じた。
ブログ村で新しいカテゴリーをつくってもらう場合は予め管理者の掲示板
に設置依頼を出すのが一般的だとおもっていたが、今回の宗教批判カテ
はそのような痕跡もなかったので、誰か創価カテのユーザが粘り強く
ブログ村管理者と直談判をしたのかもしれない。
もしそうであれば、日顕宗批判を繰り返す趣旨をテーマにする以上、
法華講員さんから「宗教批判カテ」への移動を進言するものがいないとも
かぎらない。

さて、拙が余計な心配をしている間に、ランさんは突然、極悪日顕宗では
なく学会から退転したにすぎない個人のブログ「創価ダメ出しブログ」の
連載批判記事を始められた。
あとから「創価ダメ出し」を名乗るHNの輩から、挑発的なコメントを書き込まれ
ていたことに拙は気がついたのだが、後に「ダメ出しブログ」の管理人さん自身
がブログ記事を割いて「自分は他所では書き込みをしない」と名言していること
からも、創価カテには学会員とアンチブログのイザコザを期待するマッチポンパー
が紛らわしいHNを使って徘徊しているらしい。 

ランさん自身もまた真偽も確かめるわけでもなく“ブログ主”のダメ出し氏に
対し「私のブログをとりあげてくださってありがとうございます💖
 おかげさまでアクセス数がぐーんとアップで感謝です(笑)」 などと応じ
わざわざ 「創価ダメ出しさん こちらへどうぞ」という記事スレッドを開設
してしまった。

つまりランさんは「極悪と戦う」と高らかに宣言したものの、ブログ村内の
学会アンチさんを挑発してアクセス数とブログ村ポイントを稼ごうとしている
だけなのではないだろうか。
彼女の目論見が当たったのか、すでにブログ村を去った自称学会員さん
が何人かコメント欄に復帰している。 その結果(8/4日)現在ランさんの
「極悪と戦えば極善となる」ブログはOUTポイントで「ダメ出しブログ」を抑え
第一位となりINポイントも、ちよ氏菊川氏らがめったに取ったことのない
週500ポイントを超え3位につけることになった。
8月4日村ランキング

華々しく極悪と戦うことを大目標を掲げた割には、目先の小悪に出鼻を
くじかれていると見る拙は失礼かもしれないが、最近のコメント欄での
ランさんや協賛者とのやりとりを見て、かなり読者の偏ったジャンル内で
順位を競ったポイント稼ぎにランさんたちが躍起になっているようにしか
見えなくなってきているのが拙の率直な感想だ。






 


だれが創価カテをダメにしたか

久しぶりの投稿となってしまいました。

拙自身はブログで記事を書かないまでも、この
半年間ずっとブログ村創価カテの顛末を見守って
いました。

学会員のある方が、ブログ村創価カテがダメになって
しまったのは、「信心があるかないか」を基準に
していないから・・つまり、スレに見合わない記事を
書いているアンチさんのせいだ・・という趣旨の記事
を公開されているのを拝見したのですが、拙には、
そうはおもえません。

たしかに、アンチさんのブログがブログ村創価カテ
での人気記事や人気ブログとして上位にはいったこと
は、真面目な読者が離れる一因となったのかもしれません。 

が、それは逆に言えば「真面目な読者」を食い物に
しているネット信仰イベント活動企画者たちのブログ
での言辞がアンチさんの記事よりも飽きられてしまった
からにほかならないのではないでしょうか。

また前述した「信心があるかないか」を判断基準にすべき
だと主張される方は
”これが創価学会ですと紹介するには創価村
(注:ブログ村創価カテのこと)はみっともなくて紹介
できない”・・・ともおっしゃっています。

具体的にどのブログがみっともないのかは指摘されて
いませんが、「これが創価学会です」とおすすめできる
ブログがブログ村にないのではありません。
真面目に教学を研鑽されつづけている秀逸なブログが
いくつか存在します。
ブログ村創価カテの主だったユーザーといえるであろう
イベント信仰に明け暮れる、己のオトモダチのランキング
アップしか興味のないメンバーに、真面目な信仰記事を
書かれている方が評価されつづけていない ことが
大問題なのではないでしょうか。

つい最近のことですがブログ村宗教カテに
「宗教批判」のカテゴリーが追加され、創価カテにはびこって
いた「アンチ創価」ブログはブログ村管理者の手によって
ほぼ移動させられました。
移動させられたなかには日蓮正宗某寺院のオフォシャル
ブログもあったりして思わず笑ってしまいましたが
正常化されたはずの創価カテのランキング推移が
どうなるか・・と拙は楽しく注視しつづけています。







プロパガンダによる印象操作の目的

共産党のビラについて研究をされている方がいるそうです。

http://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/xpress/?p=744

「目的のためには手段を選ばない」というコンセプトで宣伝をおこなう。
まったく同じ手法をとっている人がいますね。
ブログ村創価カテにおける「ナリスマシ事件」も印象操作の手法が使われています。

そういうことは止めましょうと心から申し上げたいだけです。


SNSなどで自分はこれだけ成果を上げている という報告を同志の前でされることは
結構なことだとおもいます。

しかし、そういった実績を貴方が紹介するだけで、コミュニティ内では意図せず
相手が萎縮して言いたいことが言えなくなったりする場合があります。
また、実績があるなどという会員さんが相手に対し「君の実績を言ってみろ」
などと不要な強要をするのは幹部にありがちな慢心だとおもいますね。

「おれの信心は正しい」だから貴方はいうことを聞きなさい では
親分子分の関係になってしまいます。

本来創価学会には、信心の先輩・後輩の関係しかないのです。
といっても入会年月日が先の人が先輩だという単純な意味ではないです。

では、どのような人が信心の先輩なのでしょう。
ちゃんと指導があるので引用させていただきます。

◎一人だけでは、どうしても放縦になり、わがままになり、我見に走って、
 目的に到達できないものです。
 なんらかのアドバイスが肝要だ。それをするのが先輩です。
 よき先輩は、みな、後輩を、立派な一人前の人材に仕上げようと、心を砕く
 ものだ、それがなければ、先輩とはいえません。(笑い)

【指導集 質問に答えて より抜粋】


ですから“先輩の御言葉だからおとなしく聞きましょう”は親分子分の関係の
はじまりだとおもいますので、違うようにおもいますし、そういった場の治め方は
トラブルが起こった場合になんの解決にもなりません。

まして信心暦が長いとか、世間に認められた肩書があるというだけで
今まで通りの「我見信心」でも、いいじゃ無いかというのは創価の人材育成
ではありませんよね。

上記の質問は「よき先輩につくとは」というサブタイトルがついています。

ネットは現場ではない分、実際に相手がどのような信心をされているか
わからない部分が多々あります。
したがって、より一層「善知識」についての判断が問われます。

ネット等でもどんな立派なこと述べているか よりも『 実際になにをしているか 』を
判断基準にすることは、共産党のウソを見分けるのと同じ方法です。
根拠も示せず相手を極悪人にしたてあげ、自分の正当性と存在価値を高めるような
印象操作をする人は「善知識」であるのかどうか。

よく考え、ネット掲示版やSNSコミュニティの動向を注視してくださいね。
もし偽善的な「善知識」(略して偽善知識と拙は呼びます)に遭ったのなら
すみやかに距離を置くことをお勧めします。
また偽善知識を褒めることはNGです。 評価されている姿を第三者が見て
食い物にされるケースもあります。




なぜ、褒めてはいけないか


よく拙は他者の投稿を通じて、自分なりの論評を書いている。

論評の元となっている他者とは、あるときは学会員さんであったり、
法華講員であったり、あるサイトの話題であったり、新聞の話題で
あったり様々な立場の方と縁することによって駄文を捻っている。

時には、論評の元となった方自身や、賛同者の方と内容についての
討論となる場合もある。
時折、「なぜ、あべひさんは他者と暖かく接する事ができないの」とか
「もっと、砕けた感じでやりとりをすれば」といったご指摘を受けること
もある。
余計な美辞麗句はひかえているので冷たい印象を受けるということだろう。

たしかに、学会の指導にも「褒めることが大事」と出てくる事が結構多くある。
だが、こと仏法において正邪を弁えずなんでも「褒めれば」よいはずがない。

ネット初心者の頃は、社交辞令的に「学会員さん」の投稿に対してとりあえず
賞賛を贈っていた。 そうすれば喜んでもらえることが解っているからだ。
今月の大白蓮華でも、法華経普賢菩薩勧発品第二十八を引用して
“ 妙法を受持する人を見たならば、仏を敬うように大切に ”との
有名な箇所の指導が掲載されている。

だがこれは「学会員さんに出会ったら、とにかく褒めましょう」という
社交辞令を勧めていると考えるのなら、表層的だと言わざるを得ないだろう。
不軽菩薩は他者を「褒める」て喜ばせるというよりも、万人に仏性がある事を
覚知したうえでその仏性を称える修行をしていたからだ。
形式ではなく「心が大事」ということになるだろう。
したがって、“敬った”相手が怒ったのか喜んだかといった反応は修行の上では
さして重要事ではない。
失礼な事を告げて相手が怒るのは当然、自分の配慮がたりないせいなのだが、
相手の生命を敬う事で怒られるか褒められるかは、その方の境涯によるもので
しかないからだ。

さて、Twitterであるマンガ家さんが「褒められる効果」という公開されて
話題になっているという。
http://spotlight-media.jp/article/368857410295462605?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=own_page

褒められる事で得られる「うれしい」という感情の他に
「迷いを減らす」という効果があると書かれて共感の輪が
得られているとのこと。

拙もその通りだと思う。
だれしも自分の行っている事についてある程度の「迷い」はあると
思う。 特に、慣れない事をはじめた時、壁にぶち当たったときなど
はなおのことだろう。
仏法における「成仏」への道のりとは、元本の無明という人間の根源的な
迷いを晴らす所に意義があるといえるだろう。
つまり、仏道修行における「褒める」という行為は、迷いを減らして
正道(正法)に着かせるという大目的を忘れてはいけないということに
尽きると思うのだ。
となると、なにを「褒める」のかが大事になってくる。
日蓮大聖人は

「我が信じたるままに勝劣も弁へずして
 我が阿弥陀経等は 法華経と斉等なり
 将た又 勝れたりなんど申せば 其の一類の人人は
 我が経をほめられ うれしと思へども還つて
 とがとなりて 師も弟子も檀那も悪道に堕つること 箭を射るが如し」
 (上野殿母御前御返事)

あべひ通解:
経文(教え)の勝劣をわきまえず、阿弥陀経を信じている人を
法華経に導こうと、法華経は阿弥陀経は同じように優れているのだと
言ってしまうと、喜ばれるかもしれないが、かえって法華経を貶めた罪を
被って、師弟、檀那もすぐさま悪道に墜ちることは矢を射るような早さである。

と説かれている。

間違っても、悪道に逸れてしまった人を邪見の人を軽々に
「褒めて」はならない。
迷うこと無くさらに悪道に墜ちてしまう結果になれば与同罪と
なってしまうからだ。
たとえ相手が学会員さんであっても、この道理は忘れてはいけないだろう。

特に個人的な表現活動の延長にすぎないネットでは、どういった方を
「褒める」べきなのかをよくよく考えなくてはならないだろう。
学会員の立場で創価学会を貶める、なかんずく日蓮仏法を貶める手段
は「褒める」という行為の中にも含まれているのだから。

ネットの学会員さん。

どうしても学会員さんを褒めたいのなら、現場で活動されているかた、
座談会に参加されたかた、折伏をされた方目標を達成するため
一生懸命信仰を貫かれている方を、現場で探し出してリアルで
「当人」を褒めましょう。

自分で自分を褒める言辞を繰り返すのは下品ですし、
他人をこき下ろしたり、持ち上げて自分を良く見せようとするなら
下の下です。
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