ようこそ!魅惑的な人々ブログ2へ


誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

/////////////////////////////////

なおこちらのブログ記事のコメント欄はコミュニケーション目的がありませんので
一部をのぞいてコメント非公開にしております。
ご意見感想などは、ご自分のブログで記事にされるなど、適当にお願いします。
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リアルで非活のネット活動家

日顕宗門徒がブログ村創価カテゴリーから強制移転させられてから
、ランさんの「極悪と戦えば極善となる」ブログのランキングは
ジリジリとポイントを下げてしまっている。

拙記事 「負けたくないからやめられないのか」の記事内で示した
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-524.html
ランキング画像では、INポイントOUTポイントいずれもが二割ほど
減ってしまっていることが読者の皆さんでも確認していただけたか
とおもうが、最近(9/14)にはとうとう最大値(900以上)をほぼ半減
するまでに落ちてしまったようだ。
ランブログ0914

日顕宗門徒に対するカウンターブログとして立ち上げた性質上
創価カテゴリーから移転させられ「創価学会批判」カテゴリーに
登録された「(旧)創価学会員による創価ダメ出しブログ」にも
対峙するべく、ランさんはポイントの割り振りを「一割」のみ宗教批判
カテゴリーに分けたようだが、逆にこの按分が学会カテランキングの
足をひっぱる状況となっている可能性がある。
(ランさんブログのポイント割当と推移画像)
ランブログ割当0908

ブログ村創価カテゴリーからアンチブログが消えたのとほぼ時を
同じくして、読者の注目をあつめだしたのが「現役学会員」らしき
人物が書いていると印象づける学会組織批判ブログである。
近年、“創価学会”をブログタイトルやサブタイトルに冠している
ブログで人気を博しているのは、やんごとなきコピペ記事を
貼り付け遠隔地の学会員とコミュニケーションをとり組織化
することを目的とした「お花畑」系と、組織批判や活動批判記事
をもっぱらとし、会員の不満を増幅させ足をとろうとする
「ドロ沼」系のブログ、そしてコミュニケーション目的ではない
個人探求系ブログの3つに概ね大別されるように拙は感じている。
ランさんのような「日顕宗批判」に特化したブログはいまさら
「ドロ沼」系ブログになんら影響をあたえることはない。


なぜなら、ドロ沼系のブログは「学会員」らしき人物が
日顕宗のロジックや池田先生の指導などを都合よく活用して
いるものの観念論だけにとどまっているため、信仰上の正当性
をいくら説いても創価学会で活動したくない彼等にとってなんら
感じ入るところがないからである。

それよりも興味深いのは現在の創価学会で活動をしたくないという
趣旨の「非活」をネット宣言している彼等が、ネットで記事を発表し
賛同者をコメント欄で募り、あわよくば「信仰者の会」をつくろうと
もくろんでいることである。
これは、現在法華講員に落ちぶれた「ダメ出しブログ」の主催者が
コメント欄を通じて「会」を作ろうとしていた事実や、組織活動
批判を試みてみる人物が「折伏の会」を自称している事実、
また、24時間唱題、同盟法要などといったネットを介した信仰
イベントを企画する人物らなどネットを通じてなにがしかの信仰
活動を意図している ネット活動家 らの根底に通じ共鳴する
ものがあるように感じてならない。

それは リアルでの非活 もしくは 活動不満分子 という事実である。

Facebookに「創価学会大好き」というグループがあり複数の学会員らしき
人物が運営に関わっているようなのだが、その一人の方がこのように
「ネット活動報告」を評価していた。

全国の違う地域で活動されている学会員の方々の 活動報告が、学べる ので
、自身の地区で活動→マンネリ化になる→時間軸を気にせず リアルなグループ内
の活動報告が学べる→自身の地区の発展・応用に刺激をもたらして頂ける。


Facebookからのアーカイブ より抜粋引用 https://archive.is/lC90r 

ようするに、自分の地区での活動がマンネリ化して「活動報告」が
ないので、ネットで「活動報告」を募り、それを読んでもらうことで
刺激を与えてもらおうという算段らしい。
これと似たような事を企画している人物は、ブログ村創価カテにも
何人もいる。

このような他人頼みの発想を書き出せる人物が、もし
創価学会の一流の活動家にしかみえないのであれば、相当な重症
であるといえるだろう。
ネットでの活動を試みている輩の心の奥には「リアルの活動がつまらない」
という不信の根があり、それをありがたがっている人たちもまた
同根の感情を持ち合わせているからである。
たとえリアルでは非活宣言をせずに、なんとなく活動をしていても、
心の底で非活、または非活を認めるのでれば、退転した日顕宗門徒らと
同じであるといえまいか。
むしろ、わかりやすい学会アンチよりも同志のフリをした「ネット活動家」の
ほうが獅子身中の虫となって信仰を破りやすいという意味において、より
恐ろしい存在ではないだろうか。






一難去ってまた一難 (下)

http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-528.html 
上記記事の続きです。
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ツイッターやFacebookといった大手のSNSサービスが
普及する以前から学会員を自称しサイトやブログを運営する方々
はおおむね、オフォシャルではない学会員個人のサイトからの
情報発信が創価学会のイメージアップの一端を担っているという
漠然とした期待をもっていたように思う。
15年以上前からインターネットを利用した何者かによる創価学会
バッシングが数多く存在していたが故に、ネットを利用しだした
学会員さんの中では、どうにかして学会本部に対処してほしいと
願っているかたも少なくなかったのだ。
だが、宗教法人として一般人の言論の自由を妨げるような行為を
したならば、社会は黙っていない。
結果として、直接権利を害されるような場合でなければ学会本部が
動く事はなかった。

となると、サイトを運営する学会員個人で自衛策を取る以外にない。
ある方はアンチサイトや対立する日顕宗の矛盾を告発したり批判する
などして対抗しはじめる。 そういった中でアンチサイトと対立しながらも
学会本部や組織活動の不備をあげつらうサイトも加わり、より複雑な
人間模様がみられるようになった。
学会員といえど意見が対立することもあるだろうし対話によって解決
してみようと模索するところに人間性が垣間見れると拙は思うのだが、
そういったプロセスを同志間の「諍い」として一括りにし嫌う方は、
サイト上で「理想の創価学会」と学会員像を演出することに力を
注ぐようになる。

前述したように創価学会のイメージアップとやらの幻想から逃れられ
ない方はいまでも多数いるようだが、かつて個人サイトが幅を効かせ
ていた頃ですら、各々の学会員サイトを相互リンクするという形で、読者
が学会員サイトを効率よく回れるアイデアが実行されていたぐらいだ。
ランキングサービスが出現する以前から学会員による学会員のための
サイト間交流需要は相当あったといって良いだろう。
当然その需要に注目するのは善人だけではない。
悪意を隠して近寄ってくる連中や、人の良い学会員をリアルでも利用して
実利を得ようと画策する不届きものも集まってくる。

学会員が学会員向けの楽しいサークルやコンテンツを提供し
学会アンチを除いた清らかな楽しいしいお花畑のようなコミュニティを
形成すれば、アンチサイトを見ることもなくなるだろうと思っているの
かもしれないが、それはただの現実逃避だ。
自分のSNSでは善人のように振る舞っているが、他人のSNS
を通じて悪意のあるサイトに誘導したり、個人的に寄せられた
ブロ友のプライバシーを手土産代わりにして交流を求めてくる
下衆のような人間もやってくるのだ。

拙は前記事で
ブログランキングに登録したうえで、3名から5名の協力者が
いれば「学会員むけ」のプロパガンダをランキング上位にする
ことができると論じたが、これは創価学会カテゴリーの中での
話である。その根拠と説明は別稿で書かせていただくとして、
学会員向けのプロパガンダ記事とは、なにもアンチサイドから
の悪意あるガセネタだけではない。 善意を装って他所のサイト
や書籍から著作物を無断拝借し転載したうえで、学会員さんが
喜びそうなわずかばかりのコメントつけ再放流すのも、立派な
学会員向けプロパガンダ記事だといえる。
会員外の方がネットをみて日顕宗と創価学会はどっちもどっちに
しか見えないと論評するのは、学会アンチ記事にしてもコピペ
記事にしても“創価学会員向けの話題”であることを認識されて
いるのだ。 

ブログ村創価カテでは最近、創価学会を退転した元学会員
の学会アンチブログが、ブログ村管理者の手によって創価
学会批判カテゴリーに移動されたことで安堵した方もいるようで
、このブログを挑発し対峙宣言をした「極悪と戦えば極善となる」
ブログのINポイントがどんどん減ってきている。
INポイントとは大手SNSの「イイネ」とおなじような効果があるので
、他の創価カテ登録者にはアンチブログと対峙するために
“極戦”ブログを応援をしてほしいなどといった提灯記事を書いた
方もおられたが、その効果が薄れてきているということは
「一難が去った」と認識されたのだろう。
だが、安堵したのもつかの間。 次の「アンチブログ」がジワジワと
人気ブログランキングをあげてきている状況だ。
昨日ついにそのブログが人気ブログ第一位となった。
いつ“極戦“ブログの開設者が読者から入れ知恵されて
宣戦布告をするとも限らない。
ブログ村創価カテでの学会員向け「お花畑」記事を護る防人
としての位置づけにされてしまった“極戦“ブログの管理人である
ランさんが毎日記事更新の修行から開放されるのはいつになる
のだろうか。
また、他人にアンチ退治をやらせておいてクリック応援だけをし、
自分たちはなにごとも無かったかのように享楽を受けている
村の住人はいつ 極善 となりうるのだろうか。

終わりなきアンチと学会員のランキング闘争は、まだまだ目が離せない。










一難去ってまた一難 (上)

拙のブログは現在FC2をメインとし、サブでアメブロにも
開設させていただいている。
最初はexciteで開設したのが始まりなのだが、それ以前から、
学会系公開掲示板に常駐して内外の方と意見交換をさせて
いただいていた。
SNSとちがって、公開掲示板では発信者(書き込みをする人)
同士はリアルでの肩書や性別関係なく対等の立場であった
のが心地よかったのである。

公開掲示板上では日顕宗の話題、現役学会員・法華講員を
公然と標榜し募集活動を行っている他の掲示板やブログでの
出来事を論評記事として投稿させていただいていたのだが、
法華講員や、学会員さんからのクレームが書き込まれたりする
などして、公開掲示板の管理人さんに迷惑をかけているのでは
ないかとのご指摘を受けたり、自分でブログを作れるスキルを
もちながら第三者の掲示板で意見発信をするのは卑怯だ等の
批判をうけて、ブログを開設したのだ。

後に常駐させていただいていた公開掲示板が閉鎖され、いわば
拙が「個人ブログ」に押し込められたような形になったわけだが、
おかげて以前から目を付けていた学会員ブロガー諸氏が好んで
集まるブログサービスや「ブログ村」というランキングサイトに同じ
「創価学会」のカテゴリーで登録し、効率よく記事を見て頂けるという
恩恵を被ることとなった。

個人の公開掲示板では、多数の投稿者となると管理人さんが
各常連投稿者に「スレッドわけ」や「テーマわけ」をするなどして、
新規投稿記事が時系列の古い投稿が下段にさがってしまうという
視覚的な読みにくさを回避していたものだ。
しかし個人ブログが主流となってからはメインの記事はただの
呼び水で、コメント欄内でブログ主と読者が主従関係よろしく
コミュニケーションをとりあうという形がごく普通になったように思う。

大手のSNSサービスブログではどれだけ読者がコメントをいれようが、
元となった記事の副産物でしかない。
つまり、ブログ主の主張と読者の意見は「対等」ではなくったわけだ。
ブログ主は気に入らぬ読者を突然書き込み停止にできるなど管理
しやすくなったのもユーザーに受け入れられた一因だろう。
したがって、SNSではブログ主の意に沿わぬ主張は排他され、同調する
意見ばかりが目につくようになったのではないだろうか。

視点を変えれば、多数の意見の一つでしかなかった公開掲示板と違い
個人ブログ主の権限は大きくなり、自分の設立したブログでだれに
憚ることなく自己主張ができるようになったのだ。
だが、PC、スマホの普及とともに情報発信者も数多く出現することとなり、
現在では同一SNSサービスの登録者同士でのコミュニケーションが主体と
なったり、発信よりも情報収集目的での登録を旨とするユーザの住み分けが
進んだように思う。
そもそもブログ開設時に「ジャンル」を設定するサービスもあるぐらいだ。
雑誌や新聞のように、一つのメディアを目の前広げるだけで多くの意見や主張
が客観的に見られるという媒体ではなく、あらかじめ知りたい情報にアクセスしや
すくなっているのがSNSなどのコミュニケーションサービスの特徴といえるだろう。
単刀直入に言うならば、我々は「細分化」され仕分けられた情報をSNSサービスを
通じて見ているだけにすぎない。

だから、有名人でもなければ、文才もない。オリジナリティの違いも示せない
一般人の単一SNS内での交流にはおのずと限界がある。
こういった不満を解消し、より多くのユーザーに認知してもらいやすくする
ためにユーザーは複数のSNSを登録し、記事を書き、コメント欄で読者応対
をする他に、自分も他者のブログに「イイネ」などの痕跡を残したり同情コメント
を書き込むなどの周知活動に余念がないのだ。
また同一SNS内でのランキングだけではなく、ブログ村などのブログランキング
サービスにも登録することで、目的を果たそうと考えている欲張りな方も多い。
だがそれは、好きなものだけを寄せれば良いという、せっかく手に入れた
「ブログ主の権限」を薄める結果にも通じていた。

公開掲示板はだれでも対等に書き込める利点があったが、それを逆手に
とって、大量の書き込みなどで場を「荒らす」アンチさんの制限が難しかった
デメリットが挙げられる。
個人ブログという形をとることで、ブログ内は荒らされにくくなったものの
アンチさんも学会員と同じ外部のブログランキングを登録利用することで、
3人から5名の協力者がいればと同一内記事ランキング操作が容易となる。
結果「学会員むけ」のプロパガンダをランキング上位にすることで、学会系
記事読者の目につきやすくするという、間接的嫌がらせが可能となったのだ。

(下)に続く

宗教活動としての「宴」

以前拙は 酒宴は禁止創価学会のルールと伝統 という記事を
書かせていただいた。
日蓮正宗門徒がブログなどで所属寺院の忘年会を開催している
という報告をしている記事を引用し、創価学会では組織として
酒宴は禁止されていると比較をしてみたのだ。

すると法華講員らしき読者から
『酒が悪さをするわけではないし、謗法でもない』との反論が
届いた。 たしかに「酒」そのものはたしなむ程度なら問題ない
だろうし、日蓮正宗も創価学会にしても宗教戒律として飲酒
そのものが厳禁としている宗派ではない。

だが拙が主張したいのは飲酒が是か非かという二元論ではない。
日蓮正宗のように法主が「祝い」とされる宴席での芸者遊びや
坊主の風俗通い、傷害事件が内規によって処分されようが
されまいが、所属する宗内の綱紀の問題であり、創価学会と
して関与できるものではないだろう。
ただ、学会員として組織だてて酒宴などを開催するのはトラブル
の元になるから禁止されているということである。
では、会社やグループ主催の宴席に学会員さんがいれば
同席した学会員さんは飲んではいけないということなのだろうか。
それも、違うように思う。

学会員として組織だてて・・というのはつまり「宗教活動」・「支援活動」
など創価学会が推奨している活動の延長として「宴席」をもつなという
ことだ。 例えば地区・ブロック内での歓送迎会、支援活動後の慰労会
等、主催者と参加者が同じ信仰の同志としての関係であったり
宗教活動を通じて知り合ったもの同士の宴席などが該当するだろう。

酒によるトラブルもさることながら、宴席に呼ばれたもの、呼ばれ
なかったもの、また参加できたもの参加できなかったものとの間で
妙な連帯感が生まれたり、利得の格差ができしまうことが問題なのだ。

呆れたことに、自称創価学会員のブロガー中でSNSを通じた
域外の学会員さんとの「交流」を口実に、上京の際に集合して「宴席」
を設けるいわゆるオフ会を開催しているものや、贈答品を交換し
あったり、自宅で宿泊させるなど、創価学会員だからということで
個人的な便宜を図る、不謹慎かつ道理をわきまえない連中が
ブログ村創価学会カテを通じて幅をきかせ我が物顔でネット
活動報告などを繰り返している。

表向きの創価学会に対する美辞麗句の裏では、待遇をうけたり
与えたり、あろうことか男女間の感情を逆手にとって個人的な
宗教的活動に協力させるなどといったブログ主と常連コメンター
との間での従属の関係の構築は、学会の地元組織では把握
できかねず、いずれ由々しき問題となって結実することだろう。

目的があいまいでも心地よければいいといだけのサークル感覚
でネット宗教活動を模索しているものは、こういった先々の危険性
を感じることができないからだ。
いずれにしても、「宴」を企画したり、軽々に学会員を食事に誘って
さらっとブログで自慢しているような人間には近づかないように
すべきだ。 いずれ信心が破られてしまう。











 







ネットの「内部アンチ」で注意すること

( 初稿 2014/9/10 加筆修正 2017/4/21 )

菊川氏が提唱をはじめ「三猿運動」とは、学会員ブロガーに対して
学会批判をする“怪しい”ブログを見ない、(意見を)聞かない話題にしない
という、完全無視の推奨であったと記憶してる。
少々長くなるのだが、菊川氏の「創価の森の小さな家」を中心にブログ村創価カテ
で行われてきた「学会員ナリスマシ」事件については拙ブログ記事を参照していただきたい。

※三猿運動は欺瞞だったのか:創価の森ウォッチ109
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-279.html

※誰がはじめた「ナリスマシ」排斥運動:創価の森ウォッチ111
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-293.html

※菊川さんがナリスマシだと糾弾した人物:創価の森ウォッチ119
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-341.html



拙は「内部」の人にも創価学会を批判する事をいとわない方がいるのを
知っているのであえてそういった方を「内部アンチ」と表記しても
基本的に明確な根拠がない限り「同志」であるという事を忘れては
いけないように配慮しているつもりだ。
たしかに、相手が「ナリスマシ」を疑わせるような事をされていることは否定しない。
だからといってブログ村から追い出せば、創価学会や学会員さんへの悪影響が
減るなどとも思えない。
だが「ナリスマシ」キャンペーンの結果として、ブログ村の創価カテでの人気ブログ
1位の栄誉まで菊川氏は手に入れたのだから、してやったりである。

その後のブログ村創価カテでの「アンチブログ」の増加傾向、結託した学会員さん
のブログ撤退事情をみれば、「ナリスマシ」キャンペーンは戦略的に成功したとはいえない。

最期に読者の皆さんも、よく考えてみていただきたい。
ブログのリンク云々ではなく、菊川広幸さんのやっていたことは「内部アンチ」と
なんらかわりない手段をとっている。
自分の主張には正当性があり、相手にはその資格すらないと根拠も示せず断定する。
こう決めつけるところに、意見の違う者との「対話」などあろうはずがないだろう。

2017年現在ブログ村創価カテには2年半前よりも怪しげなアンチ学会ブログが
多数存在し、記事ランキングの上位を独占する形となっている。
昨年には菊川氏が嫌う日蓮正宗の末寺公式ブログまでもが「創価カテ」に登録されている。
かつての菊川氏ならば「ナリスマシ」運動を展開しただろうが、すでにその意欲も失せたのだろう。
自分自身を飾り立てるだけのナルシズム的表現作業に没入しているようだ。



学会員さんに ご連絡です

現在、exciteとアメブロを通じ“学会員さんに連絡です”というタイトルで
「24時間ネット同盟唱題」の募集が企てられています。

http://megalodon.jp/2017-0127-1201-16/tomotiyoo.exblog.jp/27478998/
http://megalodon.jp/2017-0127-1304-49/ameblo.jp/tomotiyo2497/entry-12241898001.html

同盟唱題というと聞こえが良いですが、ネットで知り合った中高年カップルが
企画しているネットイベントです。

※伝統の二月闘争 自分に勝つために 皆様と一緒に 1月最後の挑戦をします
 皆様の ブロック 地区 支部 本部の 益々の発展 一人一人が 折伏の
 できる真の弟子になるよう 感謝の思いで祈ります
(以上 イベント告知該当ブログより引用)




と、もっともらしいテーマを掲げていますが彼等の所属する支部、地区とも
まったく関係のない思いつきの「超個人的な信仰活動」です。

参加を表明すると墨田区の婦人が各人の持ち受け時間を割り振り、自分の
ブログで公開されるシステムですが、このような「個人的」に過ぎない活動に
気軽に参加し応援をすることで、彼等のネットイベントの成功体験となり
ブログでの集客と、個人的な人脈作りの因となります。
また、幹部に相談もなく現場における活動とリンクさせるなど、派閥形成の
萌芽ともなっています。

すでに、現場で教義の上で活動計画が立っているとおもいますが、
御覧の学会員さん。現場の同志の皆さんが、このような「ネットイベント信仰」
に惑わされないように細心の注意が必要です。

“リア充アピール”からみえる傲慢さ

ある掲示版で非常に興味深い記事を教えていただきました。

謙虚な人になるためには  https://welq.jp/6682

上記のサイトを参考に、テンプレ的になってしまうかもしれません
が「謙虚さ」と真逆なことをやっている人を見分けるには指標を
つくってみました。

エセ謙虚(傲慢)な人

1 目立ちたがり

2 利己的(ステルスマーケティングを是認する)

3 依怙贔屓

4 不親切

5 周りにイエスマンしか存在させない

6 損得で人を値踏みしようとする

7 ワンパターンが王道だとおもっている

8 他者の意見を汲もうとしない

9 聞き下手・答え下手

10 言葉使いが横柄

11 無意味(無関係)な批判にこだわる

12 二元(対立)思考しかない


個人としてこれらが具わっている(失笑)場合もありますが
宿坊の掲示版のように、複数人のコミュニティが「エセ謙虚」を
醸し出す場合もあります。

むしろ
「学会員だからそういうことはない」とか

「池田先生を宣揚している人に悪い人はいない」とか

「功徳の体験を発表している人に下心などない」とか

正常化バイアスに陥ることが問題だとおもいます。

よくよく考えてみれば
「その情報わざわざ自分からリアルタイムにネット
            で流すだけの価値があるの?」

というものが多いのではないでしょうか。


(参考リンク:リア充自慢は思わぬ転落を招く)
http://spotlight-media.jp/article/347898289979441940?adxarea=tx-pcmypage

映画「この世界の片隅に」 明日全国公開

2007年に映画化された「夕凪の街・桜の国」の作者、
こうの文代さんの漫画『この世界の片隅に』が、劇場版長編アニメ
として明日11月12日から全国で公開されます。

http://konosekai.jp/  (映画オフィシャルサイト)

夕凪の街・桜の国・・は平成16年度文化庁メディア芸術賞漫画部門
大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。
今回の作品は、2009年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
受賞。「THE BEST MANGA 2010 このマンガを読め!」(フリースタイル)
第1位。「ダカーポ特別編集 最高の本! 2010」(マガジンハウスムック)
マンガ部門第1位を受賞されています。

“夕凪の街・桜の国”は広島原爆の被爆者とその家族の現在を扱った
内容でしたが“この世界の片隅に”で扱われているのは広島出身の
作者が丹念に取材をして、当時の世俗や生活を交えながら十代半ば
で広島から呉市に嫁いできた主人公「浦野すず」の目を通して描かれています。

マンガ原作の表紙をみてみると戦争を扱った漫画とはおもえません
し、声高に「反戦」の意識を煽るシーンも戦闘シーンもありません。
(空襲の場面はありますが)
ただ淡々と当時の日々の生活が描かれているのですが、昭和19年
の初頭から昭和20年の終戦に向かって「戦争」が普通の庶民の生活
にじわじわ影響をおよぼしていく様が表現されていて資料的価値も
高いものに仕上がっています。
また映画監督の片渕須直さんはこの映画の為に何度も広島を訪れ
当時の広島、呉市の町並みを徹底的にリサーチし背景を設定する
など、時間をかけて丁寧に創られたそうです。
NHK朝ドラあまちゃんのヒロイン役であった「のん」さんが、浦野すず
役をされるのも注目です。
原作中では、天然ボケでおとなしい「すず」さんが一度だけ感情を
あらわにして泣き崩れます。
戦地へ赴いた人ではなく、内地において国家総動員法に基づき
知らない間に戦争に関わらざるを得なかった国民一人一人の「戦争」
とは「終戦」とはなんであったのか?
どんなにショックな事があっても、生きる事をあきらめなかった無名の
彼たち彼女たちがいて、今の日本がある と痛感した作品です。

日本ではめずらしい「クラウドファンディング」で資金を調達して作成
された映画(初?)でもあり、多くの原作ファンの応援が実を結んだ
といえる作品です。
https://www.makuake.com/project/konosekai/
筆者も微力ながらサポートをしました。

映画をみて、是非原作も読んでみて下さい。

障がいのある方への接し方

ある記事にこんな事が書かれていました。

※基礎知識は必要なのだ。だけれども、それが即、本人
 支援につながるというほど簡単なものではない、という
 自覚も不可欠なのだ。
 (略)
 必要だからやれと言われても、やったらそれは自分に
 とって偽善行為になるのである。

【メンタル不調の「9月病」にはどう接すればいいのか】
http://news.ameba.jp/20160921-207/


ブログやコメント欄に「うつです」等と病名をカミングアウト
されたり、障が者であることを公表されている方がけっこう
おられます。

その方々は素人の読者さんやブログ主さんに特に治療の
「助け」をもとめているわけではないのに、助けてあ・げ・よ・うと
必死になって接触を試みているブロガーさんがいる場合があります。

障がい者に対しても同じです。

いろんなケースがあるとおもいますが、そういった方
特に見知らぬ方とコミュニケーションをとるばあい
「病人視」したり「障がい者」として、扱って欲しいとおもって
ブログをやっている方はすくないと思った方がいいです。
ふとだれかとコミュニケーションをとってみたいという
欲求はSNSをされているかたならだれでもあるでしょう。

ところが社会的弱者とみるや、ここぞとばかりに「助けてあげなければ」
などといった安っぽい使命感で医師やカウンセラーといったプロの
真似事をしたり、便宜を図ってあげようと親切の押し売りをされる
方がネットにはいます。

リアルでは社会的弱者とふれあったこともなく関わろうともしない
人がネット上で慈善行為を企画する。
それってただの 偽善 じゃありませんか。

最近「君の名は」というアニメ映画が若者たちの間で人気なのだ
そうです。 また同じく「聲の形」というアニメが公開されています。

双方若者の恋愛物語というジャンルになろうかとおもいます。
拙は両方とも拝見しましたが、心に残ったのは「聲の形」のほうでした。
「聲の形」には、聴覚障がい者のヒロインがいじめにあったり、いじめっ子
であった主人公もいじめの対象になり孤立するといったかなり、メンタル的
に重たい内容が扱われています。
その映画の中でヒロインに謝ろうと会いにきた主人公に
「自分を満足させるためだけに来てるなら帰って下さい」
妹が告げるシーンがありました。
彼女もまたいじめられてきた姉を護るべく必死に生きてきたのです。

実際に病気をされている方や障がい者のおられる家族また
本人にとって、少しばかり助けてもらったところで、その生活が
劇的に改善され、楽になるわけではありません。
むしろ都合の良い時だけ、相手の弱みにつけいる形で自己
満足しようとしているのは、関わろうとしている自分では無いのか。
全体的にそういった問いを投げかけられているような内容でした。

慈善 と 偽善 の境目はどこにあるでしょう。

10/21 追加で拙ブログ記事
「偽善者のはらわた」をリンクさせておきます。


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あべひ

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