ようこそ!魅惑的な人々ブログ2へ


誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

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なおこちらの“ブログ記事のコメント欄”はコミュニケーション目的がありませんので
一部をのぞいて、コメントできない設定にしてあります。
ご意見感想などは、ご自分のブログで記事にされるなど、適当な所でお願いします。

このブログにかぎらず、たいていのブログではコメント欄に書き込みをすることで
管理者に接続IPアドレスが解ってしまう仕様であることも追記させていただきます。
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対話精神 と 拒絶の害

拙が墨田総区の婦人部「ちよ」さんとの対話の機会をもたせていただいた
monlingenさんのブログでは、現在、管理人さん御自身と、葛西さんという
学会員さんとの間での対話が試みられている。

「葛西氏との対話部屋」(記事リンク)
「対話の外野部屋Ⅱ」(記事リンク)

ブログ村の創価カテの人気記事ランキングで見る限り「葛西氏との対話部屋」
よりも、「葛西氏との~」を読んだ読者が意見を述べ合う「外野部屋」のほうが
注目されていたようだが、これは進捗の遅い葛西氏スレッドよりも、投稿が活発な
外野部屋での動向が気になる読者さんが多かったということだろう。
「主」となるスレッドよりも副次的なスレッドが注目をされる同様の現象は、拙と
「ちよ」さんとの対話部屋でも現れており、この時は都合7つの「外野部屋」が立ち上げ
られた。
今回「葛西氏との~」の「外野部屋」はmonlingen管理人さんのブログメンテナンス
の手間を省き、葛西さんとの対話に集中できるようこれ以上の「外野部屋」は作成
されないとのことである。

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さて、今回の話題の主となっている「葛西氏との対話部屋」がなぜ立ち上げられたの
かというと、アンチ学会ブログである「ダメ出しブログ」でのmonlingen管理人さんの
対応について、葛西さんが疑問を投げかけられたことによる。
monlingen管理人さんはブログ記事へ批判的なコメントを寄こされた方に対し「別室」を
造ったうえで、管理人さん自身が一対一の対話を試みるというスタンスを取られており、
いくつかの専用「対話部屋」がある。

管理人さんにとってアウェーである学会アンチさんのブログでの対話を試みた
ものの、1対多数の乱戦になり議論が進まないことを経験されたうえでの抑止策として
一対一での対話部屋を企画されたのだろう。
その点で、monlingenブログの参加者にすぎなかった拙と「ちよ」さんとの対話部屋は
かなり異質な存在だったわけだが、管理人さんは毎日ブログで勤行唱題をアピールされ、
ネット友好拡大を話題にする学会員「ちよ」さんが、批判的な拙に対し模範的な「信心の話」
を展開されるであろうことを期待し、また参考にしようと思われたのかもしれない。

ところが当初、積極的というよりも「挑発的」であったほどの墨田総区の婦人部「ちよ」さんが
対話のテーマに触れる話題を避け、読者や管理人さんに同情を誘うようなコメントを寄越し
たり、彼女と関係の深い投稿者らが「対話の中断」を暗に示唆するようになると同時に、
「ちよ」さんらの投稿に対する批判のコメントも寄せられるようになってmonlingen管理人
さんの思惑とは全くちがう方向になってしまったようだ。

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管理人さんにとって唱題(信心)をしている事を公然アピールできる人は、信心の対話が
できる人であり「言葉に空回りがない」(monlingenさん談)という氏独自の先入観がある。
言葉に空回りのないはずであった「ちよ」さんらを護るために講じた策が
「あべひは“俯瞰中読者”であり、対話が成立しないのは彼のせい」というミスリード
(印象操作)だった。
“○○中毒者”などといった意味(定義)はよく判らないが批判的なニュアンスだけが伝わる
「コトバ」を連呼し型にはめることで相手を牽制することは容易にできる。
学会アンチさんが、意に沿わない学会員さんを指して「創価脳」と呼ぶのと同じ手法だ。
だが“ミスリード”をつかう弊害は大きいといわざるを得ない。

理由をつけ相手の存在そのものを矮小化するなどして優越感に浸ることを一度認めて
しまうと、理性が抑制されやすく論理建てた物事を判断できない「思考停止」状態となり、
どんなに酷いことでもやってのけることができるようになる。
心理学で有名な「ミルグラム実験」俗に言う「アイヒマン実験」が証明したのは、たとえ
「仮に」であっても役割や条件という理由をあたえることで人は容易に人間らしさを
失ってしまうという人間の持つ、どす黒い本質であった。
また集団が閉鎖的であればあるほど、個人としての罪悪感は軽減されやすい。
「他の人も同じことをしている」という状態が正・誤の判断を鈍らせるからだ。
こういった人間が誰しも持ち得る「暗い側面」を抑制するには、粘り強く対等な立場で
話し合う「対話」の姿勢を保つしかないように思う。 いわゆる「対話精神」だ。
そもそも「対話」とは意見が違うもの同士の、意見集約作業のチャレンジにほかならない
からだ。

当初monlingen管理人さんは、対話の相手である葛西さんを「学会アンチ」だと決め
つけていた節が見受けられた。 都合よく他の学会員を使い意に沿わない人物を敵と
みなすことを厭わない沖縄の学会員さんの助言もあって、ますます葛西さんをアンチ系
の人間だと疑われていたようだが、2月15日に意識転換をされ葛西さんの質問に真摯に
答えようとされるようになったのは、monlingenさんが「対話」を通じ、彼のブログの
サブタイトルである「本当の創価学会を知って下さい」という開設当初の目的を思い
出されたからだと拙は思いたい。

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価値観が同じ人と接するのは楽だし、話も合わせやすい。
特に集団での協調性を重んじる日本人は同じ価値観が共有できる同好の集団
でいることを好む。自分と価値観があわない人とあえてコミュニケーションを
とってみるという選択は非常に精神的な負荷がかかることを知っているからだ。
インターネットをつかったコミュニケーションは基本「外」に向けられており
価値観が違うもの同士が出会う絶好のチャンスが転がっているはずだ。
異文化交流がネットの醍醐味の1つといっても過言ではない。
拙もネットをつかっていなければ、生の法華講員さんや見知らぬ未活動の方
、意見のあわない学会員さんらと「対話」をすることなどできなかった。
おそらくmonlingen管理人さんもそうだろう。

普通ならリアルで法華講員さんと対話するといっても未活動の方と対話をするといっても
出会える人数は限られてくるし見知らぬ相手に「法華講員さんですか?」などとは
聞けない。     未活の方だと会うことも困難な場合が多い。
ところがネットではわざわざ「学会アンチ宣言」「非活学会員」「法華講員」「脱会者」
と看板を掲げ、現役の学会員さんにあえてアピールするどころか、わざわざ乗り込んで
きたり、呼びつけるなどして学会員さんとコミュニケーションをとろうとしている方が
少なくない。たとえそれが表面的には批判的な態度であったとしても“学会員と
コミュニケーションしたい”という欲求の現れだと思う。

リアルの活動を真似てみたり、池田先生の指導や御書の一節を毎日ネット配信
するだけのお気楽活動しか思いつかないオリジナリティのない者がいるので
拙が昨年7月に「だれが創価カテをダメにしたか」という記事を発表したが、最近は
オリジナリティに富んだ内容を企画されている学会員さんに対し「INポイント」が
より多くつけられて評価されているように分析している。
かつて創価カテで人気ブログ上位を専有していた「創価の森」や「真実を語る」の
愛読者らが相互協力しても成し得なかったポイントがつくようになった。
上位ブログで共通するのは自分の言葉(表現) にこだわり、自分を飾ることをせず
会員以外の読者をも意識された平易な構成にあるように思う。
また、批判的な意見に対して短絡的な対応を取られない事も特筆される。
これもブログ主さんの「対話精神」の成せる技ではないだろうか。

信心の年数が長くても、頑なに拒絶の態度で応じるだけの人と
たとえ信心の年数は少なくても、対話の精神を体現されている人。
どちらが、@本当の信仰者@ と読者の目にうつるべきだろう。
法をさげないためにも一考願いたい。











限定記事を漏らされてしまったら・・

おそくなりましたが新年あけましておめでとうございます。
昨年もいろいろとお騒がせしましたが、本年もブログを通じネット問題提起
やトラブルの経過などを引きながらインターネット活用のありかたについて
一石を投じ、皆様と考えていきたいとおもいます。

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昨年公開させていただいた一連の「ネット学会員によるイジメ」についての
記事はそれなりの反応があったようで、いくつかのご意見を伺った。
その中に、テキストや画像(スクリーンショット)で「限定記事」や非公開の
内容をネットにアップし第三者に漏らすのは、そもそもマナー違反なのでは
ないかというご意見があった。
おそらく、 ネット同盟唱題グループでのイジメ :真実を語るウォッチ 46
 記事内でリンクした外部ブログの記事についてのご意見なのだろうと思われる。
答えから言わせていただくと『「マナー違反」なのかもしれないが、相手がやっている
ことは、私怨を動機としたプライバシーの公開暴露による名誉毀損or侮辱と目される
行為であり、その告発をされていることを咎めるほうが社会的に不利益』だと考える。

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拙の記事内ではわかりにくかったかもしれないので概要を簡単に説明すると

墨田総区に所属する「ちよ」さんが運営するエキサイトブログ「真実を語る」
と同じ人物が運営するアメーバブログに関わり、ネット同盟唱題の趣旨に賛同
し参加していた埼玉の婦人部「うなちん」さんが、同盟唱題を批判をした方の「プライバシー」
を逆手にとって限定記事内のコメント欄で悪口を書いたのだが、そのプライバシーとは
「うなちん」さんが知っているはずのない内容だったことが問題となったのだ。
直接関係のない第三者のプライバシーがなんらかの方法で協力者である「うなちん」さんに
もたらされていたことが発端であるということに尽きる。 
相手を信用してプライバシーを晒して相談された側としては不愉快極まりないだろう。
(事実、プライバシーを漏らされた婦人部さんは犯人が誰なのかを問いただしている) 
仮にカウンセラー資格を有するとか、学会幹部である事をネットやメールで伝え、警戒心を
解いた相談者のプライバシーを聞き出しておきながら、本人の同意なく親しいというだけの
第三者にその情報を提供するようなことがあった場合、守秘義務違反が問われるであろうし
そういった素人カウンセラーを不問に処するのも社会的・道義的に問題があると考える。
また、そういった内容が「限定記事内」だから公然ではないとするのは誤りだ。

ちょうど、弁護士.comに「限定記事内で悪口を書いてしまった場合の法的責任」が
取り上げられていたので参考にしてほしい。

限定公開のSNSで「友人の悪口」を投稿…公開範囲を一部にしていても問題になる?



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上記リンクに
「限定公開の内容をスクリーンショット機能で撮ったり直接見せたりして
 悪口を書かれた本人に伝えた場合」の法的責任はないと明記されている。
拙に、ご意見を寄せられたかたが、告発された方のブログが“法的に問題がある”
とされず“マナー違反ではないか”とされていたのも、あらかじめ法的な責任は
問えないことを存じておられたのかもしれない。
余談になるかもしれないが、仮にブログの限定公開のような少人数への公開でなく
誰かから誰かにあてた「メール」といった私信をSNSなどで公開されてしまった場合でも
その事自体は法的な責任は問えないというのが通説だ。
子供じみた感情的な内容を、見ず知らずの人間に送りつけて「公開するな」と書いて
おいてもなんの意味もない。
また、沖縄のうるとらまん氏も出入りしているFacebookの「学会員グループ」には、
グループ内での投稿内容を公開するなという管理者の但し書きがあるが無意味だ。
弁護士.comの返答にも書かれているように、そもそもSNSは書き込んだ情報が残り
その情報が第三者らに共有されることを前提にしている通信手段である。
一度ネットで公開された情報は第三者に利用(拡散)される危険性を十分に考えた上
で活用せざるを得ないのが実情なのだ。
共有されたくないのなら公開などしないほうがよい。
そもそも、ネットで公開した情報を『学会員さんにだけ見てもらいたい』と都合よく望むほう
が間違いである。まして「池田先生が見てくれるかも」などというのは自意識過剰の妄想だ。
後から信仰的意義を付け足して、ダラダラとSNSを運営するのは全く価値的ではないし
不健全だ。

限定記事だから・・・学会員さんしかみないだろうから・・といった楽天的な発想しか
できない情報発信者は、相当自己愛が強いのではないだろうか。
信仰者として、まだまだである。

おすすめリンク:  自己愛が強い人の特徴と対処法

(文中のテキスト色が変わっているところは他サイトにリンクしています)

ネット創価学会員のイジメ認識 (下)

( ネット創価学会員のイジメ認識 (上) の続きです)

イジメの定義には諸説あるが大前提となるのは人の集まりである
「コミュニティ」の存在であるといえるだろう。
AからBといった一対一での精神的排斥行為なら喧嘩や嫌がらせであり
立場的には対等だといえる。
同一コミュニティ内での特定個人に対する精神的(暴力も含む)排斥行為
(活動)が「イジメ」の本質なのだ。
したがって、たとえ創価学会員といえど、誰かがなにがしかの同一コミュニティ
を形成してしまっている以上「イジメ」は起こりうると考えなくてはならないだろう。
『あってはいけないこと』は『起こり得ないこと』にはならない。
自分が見たことがない、経験したことがないという理由で「存在しない」と軽々に
断定するのは、学校の教師が長い間「イジメの存在」すら認めてこなかった愚挙
とおなじだ。
まず「ありえる」と認めるところからはじめなければ、イジメの具体的解決策は
でてこない。

先に述べたように、集団内でのイジメは被害者側に原因を求めても、さほど意味
はない。
それよりも判断材料として加害側集団の「イジメ」の形態を提示しておく必要が
あるだろう。  これが「イジメ」の定義となる。
あるサイトを参考にしてイジメの定義を引用させていただこう。

●行為が、いつも特定の集団の中で起こっている (同一集団)
●行為をする側に、明らかな優位性がある (立場の不平等)
●相手が嫌がることを、反復して、継続して行っている (反復性)
●相手が嫌がることをわかった上で行っている (故意的)
●イジメ行為時に1対1ではなく、傍観している者がいる (傍観者の存在)


(参考リンク:いじめ相談・調査のプロ・電話メール相談24時間無料~)

上記の定義を鑑みて、読者の皆さんのリアル学会活動において「イジメ」
があるような場合は問題だろう。 だが創価学会における地区や支部と
いった草の根レベルでも幹部といえど宗教的立場な立場は一般会員さん
と平等である。 会合への勧誘や信心の指導はできても会社のような
業務命令ではないし拘束力もない。
会員さんが活動にでてこないからという程度で、会合に出てこれなくしたり
会員を退会させる権限も持ち合わせていないので、宗教組織としての立場上
の不平等は起こりにくくなっている。
むしろ学会では現場の会員さんを訪問し信仰上のトラブルや疑問に耳を
傾け智慧をしぼってよりよい解決策を講じていかねばならないように指導
されているので、立場的には幹部のほうが弱いかもしれない。

だが、創価学会が組織として関与することのない、学会員個人が運営する
ネットコミュニティ内ならば「イジメの定義」5項目の条件を容易に満たすことができる。
なぜならブログやSNSの性質上、「管理人」の権限は、コメントに書きこむ一般投稿者
に対し、抗いようもなく絶対的な優位にたっているからである。
逆に言えば、SNSなどでは管理者の心根次第で一対多数からの精神的排斥行為
である「イジメ」状態を事前に防ぐことができるともいえる。

今回、墨田総区の婦人部 ちよ さんとの対話が、monlingenさんのブログを借りて
始められたのだか、拙が当初から注目していたのは、外野席部屋に、ちよさんの
利害関係者が何人くるのか、また、管理人であるmonlingenさんがいかに ちよ さん
らに感化され精神的排斥行為に加担してしまうのかだった。
monlingenさんが現場でどのような立場なのかは、過去の記事からの断片的な情報
で推測するしかないが、リアル組織での居心地が悪そうなのは伝わってくる。
墨田総区の婦人部 ちよ さんと沖縄のうるとらまんさん両人は、過去に
実社会で「イジメ」にあったことを公言している。つまりイジメの被害者である。
イジメの経験者だからこそ、自分自身を守る為に自身を偽って、不義を 隠そう と
するのだろう。 
だがその手法こそ「自分が経験してきた」はずのイジメ以外の何物でもなかった。 
善人であり、信心の探求者であり、リアルでの成功者のように装って他の学会員さん
から批判を受けにくいように伏線をはっておく。
それと同時に、批判をする人間はどれだけ心が汚れているか、謗法者であるかを
仏説を用いてまでして、二重の伏線としておいたのではないだろうか。

相手にどんな理由(落ち度)があるにせよ、一対多数の「イジメ」がはじまると人を
容易に怪物(モンスター)へと変化させてしまう。
まして いい大人のイジメ は 醜悪 以外のなにものでもない。
そして大人の醜悪な部分は、互いを褒め称え自画自賛しているだけ
では隠しきれないものなのだ。



ネット創価学会員のイジメ認識 (上)

今(2017/12)ブログ村創価カテゴリーでは、興味深い事象
が起こっている。
12月3日に墨田区の婦人部 ちよ さんとブログで知り合い
結婚を前提に付き合っていたハピネス氏が突如「イジメ」に
ついての記事を書き出されたことに呼応したように、翌日4日
monlingenさんが「学会流「いじめ」の考え方」という記事を
発表されたのだ。
ハピネス氏の記事といっても、相変わらずの学会系著作物
(希望対話)の無断転載状態なので彼が主張したい意見が
書かれているわけではない。
ただ、ブログ村創価カテ内に登録され「人気記事」となっている
内容について「イジメ」を懸念されているように拙は感じる。


ハピネス氏が記事の冒頭で

頭が痛いのは、若い人たち、後継のお手本とならなくては
いけないはずの、おとな達のいじめです。なかには、徒党を組んで、
という方々もみえます。
ともあれ、まずは、自分がしないこと、と決めるところからはじまりますね。
(希望という名の翼 2017/12/3付け記事より引用)


と述べているからだ。
12月3日頃といえば、ちょうどmonlingenさんと沖縄の うるとらまん氏が、
俯瞰中毒行動分析分析課(対処編)のコメント欄で“ネット中毒者”に
ついて論じあっていた頃と合致する。
「希望対話」は対談形式をとって池田先生が、主に未成年の
読者にむけたメッセージが書かれているのだが、イジメについて
は一貫して、『イジメたほうが100%悪いという』論調である。
ハピネス氏は、ネットでの「おとなのイジメ」についても、どんな
理由があろうが、イジメた側が100%悪いと言いたいのかもしれない。

だがmonlingenさんは、ハピネス氏の懸念を知ってか知らずか
“学会流「いじめ」の考え方”を公開されたのだ。
monlingen氏は記事内で、創価学会の活動においてイジメを見た
ことがないので考えにくいとし、「イジメられた」と主張するものに
根本原因があり怨嫉しているケースがほとんどであるかのような
論調を展開してみせた。
また仏教用語を言葉巧みに用いてイジメられる側の「宿業」だとまで
主張をしたのだからたまったものではない。
これでどんな理由があろうとは「イジメた側が100%悪い」という池田先生
の指導と真っ向から対立してしまうではないか。
なぜこういった矛盾が起こってしまうのだろうか。

それは、monlingen氏や、うるとらまん氏が自分たちが「イジメ」をしている
という自覚がまったくないからだ。
墨田総区の婦人部でカウンセラーである ちよ さんも同じだろう。
イジメについて真実を語るというテーマでブログを開設している、自分は
イジメをよくよく知っており、イジメを問題視している自分がイジメに加担
することなどありえないと自己暗示を掛けている。
実際に ちよ さんらが特定個人を中傷し毀損するイジメに加担していて
も「ありえない」ことであり認めたくない事なので、対処がおざなりだ。
また彼女に追従している者たちも、まさかイジメを嫌う信心深い ちよ
 さんがイジメなどするはずがないと思い込んでいる。

これは原発の安全神話と同じ類の「誤謬」であるといえるだろう。
お互いが関係者であるにもかかわらず、誰も責任を明確にしよう
としないことで、学会コミュティ内ではイジメはないという誤謬が
連鎖し続ける結果となる。
イジメを認識するためには、イジメの被害者への原因追求など
ではなく加害側の形態(役割分担)を認識しなければならないのだ。

(続く)



ネット宗教活動家の批判対処法

monlingenさんがはじめた東京墨田総区の婦人部 ちよ さんと
の「ネット同盟唱題」に関する対話は、よほど都合が悪かったのか
拙を一方的に「中毒者」として扱うことで収束をさせるつもりのよう
である。ネット活動家 「ちよ」さんが目論んでいたとおり、また拙が
予想していた通りの対処法だったといえるだろう。
唱題を重ねているとアピールして憚らない ちよ さんの新しい展開
を期待されていた読者の方には申し訳ないが
現在(2017/11/30)「対話部屋2」でのコメント投稿は「ちよ」さんの
返答が滞っている状態であるにもかかわらず、「俯瞰中毒行動分析課」
という新しいスレッドには ちよさんや彼女に期待を寄せるネット活動家ら
の所感が書き込まれつづけていることからみても、真摯な対話を続ける
つもりなどなくなったらしい。

予想していたかのように書くと、「結果論ではないか」と批判されるかも
しれないが拙と ちよ さんの対話はこれが最初ではないのである。
今から二年前、墨田総区の婦人部ちよさんは彼女のブログで、
「あべちゃん 墨田の話」 (2015/2月:当時のログとリンクしています)という一対一の対話スレッドを
作成し消去。
また同年3月には再度「あべひさん こっちへおいで」(当時のログとリンクしています)という誘導記事、を
設置していたことがあり、曖昧に答えたり質問を変えて話をはぐらかす手法や
特定の記事内に相手を誘導して、他の参加者にも中傷をさせるという
個人 対 複数の同調者の組織的イジメの手法をとっていたからである。
今回は、北海道の壮年部であるmonlingenのブログを借りた形になって
いるが、ちよさんが書くことや、やっていることは本質的に二年前と対して
変わっていないことを、改めて確認させていただいた。

なにが変わっていないのかというと、彼女らの対話逃避法である。

1:ちよさんが不利になるとみるや、彼女のブログのオトモダチが話に
 割込んで加勢してくる。
(オトモダチ=ちよさんと内々に個人情報を交換しているほどのシンパ)

2:オトモダチが対立者への個人攻撃をしかけたことを確認した後、
 ちよさんは対話に消極的な姿勢を表明し、引いてみせる。

3:ちよさん自身はオトモダチらの個人攻撃には加わらず、傍観を
 決め込み、自分絡みの別の話題には積極的に関わる。
 (ウラでを取り合っている可能性が捨てきれない)

4:ほとぼりが覚めたころに、訳知り顔で総括をはじめる
 と同時に「お題目を送っている」等と自身の信仰深さを印象づける。

5:オトモダチや協力者に対しては優しいコトバをかける。敵対者に
 対しては無視を決め込む

 
簡単にいえば、相手を悪者にしたてあげた上で自分たちの
行動の正当性をアピールしつつ、内々の結束を固めてしまうやり方だ。
根本的には、アンチさんがやっている手法となんら変わらない。

あるサイトでは“人を悪者にしたてあげる人物”の特徴を3例
あげて「警告」を促している。
○自分を正当化したい  ○標的をつくる  ○責任をとらない

(参考リンク)
 【あてはまったら要注意】周りから悪者に仕立て上げられる人の特徴とは?

上記には対処法も記されているのだが、中でも『記録を残すこと』
はとても重要であるように思う。
劣勢になったブログ主はあとから都合の悪い部分など「証拠」となる部分を
消し去ってしまったあとで、自分たちが一方的な被害者であることを読者に
印象づける記事を書くことが可能になるだからだ。

奇しくもmonlingen管理人さんが「俯瞰中毒行動分析課 対処編」
の記事内で

差し障りの無いコメントを彼等に書いて下さい。適当に流しながら、
そして、裏では彼等から送られてきた、過去のコメント類を少しずつ「削除」
していくのです。焦ら無くても、地味にやればいいのです。



と現在「ネット宗教活動」を目論んでいる方々に勧めているのもこの
証拠隠滅方である。
じつに興味深いように思う。なぜなら、墨田総区の婦人部さんが
ちよさんや菊川氏が、今までに何度もやってきた方法とも合致する
からである。 ブログごと消し去ってしまった人もいる。

それにしてもインターネットという通信媒体を利用した宗教活動に
新たな期待を寄せる学会員さんがいまでもある程度いるようだ。
無料で簡易ホームページ公開サービス(いわゆるブログ)を提供
する会社の利用規約には禁止事項が定められているものだが
おそらく確認すらしていないのだろう。
たとえば、ちよさんや菊川氏が利用しているエキサイトのユーザー
サービス規約には明確に 「宗教活動、団体への勧誘行為」
禁止されている。 他の大手SNSサービスも同様の場合が多い。
どれだけ美辞麗句をもって創価学会の素晴らしさを
アピールしているつもりでも、ネットを使った「同盟唱題」への参加
要請や、宗教活動のボランティアを募集を平然とやってのけている
のが事実だ。
世法上のルールすら護れないような無責任な人物であることは
一般の方でもわかるように思うのだが、読者の方はいかがだろうか。

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monlingenさんのブログではリアルタイムで“人を悪者にしたてあげる人物”の
涙ぐましい情報工作がご覧になれます。 覗くだけにしておくほうが無難です。

 外野席部屋7

俯瞰中毒行動分析課 始めます

俯瞰中毒行動分析課「コメント部屋」-Ⅱ

俯瞰中毒行動分析課-「対処編」




リアルで非活のネット活動家

日顕宗門徒がブログ村創価カテゴリーから強制移転させられてから
、ランさんの「極悪と戦えば極善となる」ブログのランキングは
ジリジリとポイントを下げてしまっている。

拙記事 「負けたくないからやめられないのか」の記事内で示した
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-524.html
ランキング画像では、INポイントOUTポイントいずれもが二割ほど
減ってしまっていることが読者の皆さんでも確認していただけたか
とおもうが、最近(9/14)にはとうとう最大値(900以上)をほぼ半減
するまでに落ちてしまったようだ。
ランブログ0914

日顕宗門徒に対するカウンターブログとして立ち上げた性質上
創価カテゴリーから移転させられ「創価学会批判」カテゴリーに
登録された「(旧)創価学会員による創価ダメ出しブログ」にも
対峙するべく、ランさんはポイントの割り振りを「一割」のみ宗教批判
カテゴリーに分けたようだが、逆にこの按分が学会カテランキングの
足をひっぱる状況となっている可能性がある。
(ランさんブログのポイント割当と推移画像)
ランブログ割当0908

ブログ村創価カテゴリーからアンチブログが消えたのとほぼ時を
同じくして、読者の注目をあつめだしたのが「現役学会員」らしき
人物が書いていると印象づける学会組織批判ブログである。
近年、“創価学会”をブログタイトルやサブタイトルに冠している
ブログで人気を博しているのは、やんごとなきコピペ記事を
貼り付け遠隔地の学会員とコミュニケーションをとり組織化
することを目的とした「お花畑」系と、組織批判や活動批判記事
をもっぱらとし、会員の不満を増幅させ足をとろうとする
「ドロ沼」系のブログ、そしてコミュニケーション目的ではない
個人探求系ブログの3つに概ね大別されるように拙は感じている。
ランさんのような「日顕宗批判」に特化したブログはいまさら
「ドロ沼」系ブログになんら影響をあたえることはない。


なぜなら、ドロ沼系のブログは「学会員」らしき人物が
日顕宗のロジックや池田先生の指導などを都合よく活用して
いるものの観念論だけにとどまっているため、信仰上の正当性
をいくら説いても創価学会で活動したくない彼等にとってなんら
感じ入るところがないからである。

それよりも興味深いのは現在の創価学会で活動をしたくないという
趣旨の「非活」をネット宣言している彼等が、ネットで記事を発表し
賛同者をコメント欄で募り、あわよくば「信仰者の会」をつくろうと
もくろんでいることである。
これは、現在法華講員に落ちぶれた「ダメ出しブログ」の主催者が
コメント欄を通じて「会」を作ろうとしていた事実や、組織活動
批判を試みてみる人物が「折伏の会」を自称している事実、
また、24時間唱題、同盟法要などといったネットを介した信仰
イベントを企画する人物らなどネットを通じてなにがしかの信仰
活動を意図している ネット活動家 らの根底に通じ共鳴する
ものがあるように感じてならない。

それは リアルでの非活 もしくは 活動不満分子 という事実である。

Facebookに「創価学会大好き」というグループがあり複数の学会員らしき
人物が運営に関わっているようなのだが、その一人の方がこのように
「ネット活動報告」を評価していた。

全国の違う地域で活動されている学会員の方々の 活動報告が、学べる ので
、自身の地区で活動→マンネリ化になる→時間軸を気にせず リアルなグループ内
の活動報告が学べる→自身の地区の発展・応用に刺激をもたらして頂ける。


Facebookからのアーカイブ より抜粋引用 https://archive.is/lC90r 

ようするに、自分の地区での活動がマンネリ化して「活動報告」が
ないので、ネットで「活動報告」を募り、それを読んでもらうことで
刺激を与えてもらおうという算段らしい。
これと似たような事を企画している人物は、ブログ村創価カテにも
何人もいる。

このような他人頼みの発想を書き出せる人物が、もし
創価学会の一流の活動家にしかみえないのであれば、相当な重症
であるといえるだろう。
ネットでの活動を試みている輩の心の奥には「リアルの活動がつまらない」
という不信の根があり、それをありがたがっている人たちもまた
同根の感情を持ち合わせているからである。
たとえリアルでは非活宣言をせずに、なんとなく活動をしていても、
心の底で非活、または非活を認めるのでれば、退転した日顕宗門徒らと
同じであるといえまいか。
むしろ、わかりやすい学会アンチよりも同志のフリをした「ネット活動家」の
ほうが獅子身中の虫となって信仰を破りやすいという意味において、より
恐ろしい存在ではないだろうか。






一難去ってまた一難 (下)

http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-528.html 
上記記事の続きです。
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ツイッターやFacebookといった大手のSNSサービスが
普及する以前から学会員を自称しサイトやブログを運営する方々
はおおむね、オフォシャルではない学会員個人のサイトからの
情報発信が創価学会のイメージアップの一端を担っているという
漠然とした期待をもっていたように思う。
15年以上前からインターネットを利用した何者かによる創価学会
バッシングが数多く存在していたが故に、ネットを利用しだした
学会員さんの中では、どうにかして学会本部に対処してほしいと
願っているかたも少なくなかったのだ。
だが、宗教法人として一般人の言論の自由を妨げるような行為を
したならば、社会は黙っていない。
結果として、直接権利を害されるような場合でなければ学会本部が
動く事はなかった。

となると、サイトを運営する学会員個人で自衛策を取る以外にない。
ある方はアンチサイトや対立する日顕宗の矛盾を告発したり批判する
などして対抗しはじめる。 そういった中でアンチサイトと対立しながらも
学会本部や組織活動の不備をあげつらうサイトも加わり、より複雑な
人間模様がみられるようになった。
学会員といえど意見が対立することもあるだろうし対話によって解決
してみようと模索するところに人間性が垣間見れると拙は思うのだが、
そういったプロセスを同志間の「諍い」として一括りにし嫌う方は、
サイト上で「理想の創価学会」と学会員像を演出することに力を
注ぐようになる。

前述したように創価学会のイメージアップとやらの幻想から逃れられ
ない方はいまでも多数いるようだが、かつて個人サイトが幅を効かせ
ていた頃ですら、各々の学会員サイトを相互リンクするという形で、読者
が学会員サイトを効率よく回れるアイデアが実行されていたぐらいだ。
ランキングサービスが出現する以前から学会員による学会員のための
サイト間交流需要は相当あったといって良いだろう。
当然その需要に注目するのは善人だけではない。
悪意を隠して近寄ってくる連中や、人の良い学会員をリアルでも利用して
実利を得ようと画策する不届きものも集まってくる。

学会員が学会員向けの楽しいサークルやコンテンツを提供し
学会アンチを除いた清らかな楽しいしいお花畑のようなコミュニティを
形成すれば、アンチサイトを見ることもなくなるだろうと思っているの
かもしれないが、それはただの現実逃避だ。
自分のSNSでは善人のように振る舞っているが、他人のSNS
を通じて悪意のあるサイトに誘導したり、個人的に寄せられた
ブロ友のプライバシーを手土産代わりにして交流を求めてくる
下衆のような人間もやってくるのだ。

拙は前記事で
ブログランキングに登録したうえで、3名から5名の協力者が
いれば「学会員むけ」のプロパガンダをランキング上位にする
ことができると論じたが、これは創価学会カテゴリーの中での
話である。その根拠と説明は別稿で書かせていただくとして、
学会員向けのプロパガンダ記事とは、なにもアンチサイドから
の悪意あるガセネタだけではない。 善意を装って他所のサイト
や書籍から著作物を無断拝借し転載したうえで、学会員さんが
喜びそうなわずかばかりのコメントつけ再放流すのも、立派な
学会員向けプロパガンダ記事だといえる。
会員外の方がネットをみて日顕宗と創価学会はどっちもどっちに
しか見えないと論評するのは、学会アンチ記事にしてもコピペ
記事にしても“創価学会員向けの話題”であることを認識されて
いるのだ。 

ブログ村創価カテでは最近、創価学会を退転した元学会員
の学会アンチブログが、ブログ村管理者の手によって創価
学会批判カテゴリーに移動されたことで安堵した方もいるようで
、このブログを挑発し対峙宣言をした「極悪と戦えば極善となる」
ブログのINポイントがどんどん減ってきている。
INポイントとは大手SNSの「イイネ」とおなじような効果があるので
、他の創価カテ登録者にはアンチブログと対峙するために
“極戦”ブログを応援をしてほしいなどといった提灯記事を書いた
方もおられたが、その効果が薄れてきているということは
「一難が去った」と認識されたのだろう。
だが、安堵したのもつかの間。 次の「アンチブログ」がジワジワと
人気ブログランキングをあげてきている状況だ。
昨日ついにそのブログが人気ブログ第一位となった。
いつ“極戦“ブログの開設者が読者から入れ知恵されて
宣戦布告をするとも限らない。
ブログ村創価カテでの学会員向け「お花畑」記事を護る防人
としての位置づけにされてしまった“極戦“ブログの管理人である
ランさんが毎日記事更新の修行から開放されるのはいつになる
のだろうか。
また、他人にアンチ退治をやらせておいてクリック応援だけをし、
自分たちはなにごとも無かったかのように享楽を受けている
村の住人はいつ 極善 となりうるのだろうか。

終わりなきアンチと学会員のランキング闘争は、まだまだ目が離せない。










一難去ってまた一難 (上)

拙のブログは現在FC2をメインとし、サブでアメブロにも
開設させていただいている。
最初はexciteで開設したのが始まりなのだが、それ以前から、
学会系公開掲示板に常駐して内外の方と意見交換をさせて
いただいていた。
SNSとちがって、公開掲示板では発信者(書き込みをする人)
同士はリアルでの肩書や性別関係なく対等の立場であった
のが心地よかったのである。

公開掲示板上では日顕宗の話題、現役学会員・法華講員を
公然と標榜し募集活動を行っている他の掲示板やブログでの
出来事を論評記事として投稿させていただいていたのだが、
法華講員や、学会員さんからのクレームが書き込まれたりする
などして、公開掲示板の管理人さんに迷惑をかけているのでは
ないかとのご指摘を受けたり、自分でブログを作れるスキルを
もちながら第三者の掲示板で意見発信をするのは卑怯だ等の
批判をうけて、ブログを開設したのだ。

後に常駐させていただいていた公開掲示板が閉鎖され、いわば
拙が「個人ブログ」に押し込められたような形になったわけだが、
おかげて以前から目を付けていた学会員ブロガー諸氏が好んで
集まるブログサービスや「ブログ村」というランキングサイトに同じ
「創価学会」のカテゴリーで登録し、効率よく記事を見て頂けるという
恩恵を被ることとなった。

個人の公開掲示板では、多数の投稿者となると管理人さんが
各常連投稿者に「スレッドわけ」や「テーマわけ」をするなどして、
新規投稿記事が時系列の古い投稿が下段にさがってしまうという
視覚的な読みにくさを回避していたものだ。
しかし個人ブログが主流となってからはメインの記事はただの
呼び水で、コメント欄内でブログ主と読者が主従関係よろしく
コミュニケーションをとりあうという形がごく普通になったように思う。

大手のSNSサービスブログではどれだけ読者がコメントをいれようが、
元となった記事の副産物でしかない。
つまり、ブログ主の主張と読者の意見は「対等」ではなくったわけだ。
ブログ主は気に入らぬ読者を突然書き込み停止にできるなど管理
しやすくなったのもユーザーに受け入れられた一因だろう。
したがって、SNSではブログ主の意に沿わぬ主張は排他され、同調する
意見ばかりが目につくようになったのではないだろうか。

視点を変えれば、多数の意見の一つでしかなかった公開掲示板と違い
個人ブログ主の権限は大きくなり、自分の設立したブログでだれに
憚ることなく自己主張ができるようになったのだ。
だが、PC、スマホの普及とともに情報発信者も数多く出現することとなり、
現在では同一SNSサービスの登録者同士でのコミュニケーションが主体と
なったり、発信よりも情報収集目的での登録を旨とするユーザの住み分けが
進んだように思う。
そもそもブログ開設時に「ジャンル」を設定するサービスもあるぐらいだ。
雑誌や新聞のように、一つのメディアを目の前広げるだけで多くの意見や主張
が客観的に見られるという媒体ではなく、あらかじめ知りたい情報にアクセスしや
すくなっているのがSNSなどのコミュニケーションサービスの特徴といえるだろう。
単刀直入に言うならば、我々は「細分化」され仕分けられた情報をSNSサービスを
通じて見ているだけにすぎない。

だから、有名人でもなければ、文才もない。オリジナリティの違いも示せない
一般人の単一SNS内での交流にはおのずと限界がある。
こういった不満を解消し、より多くのユーザーに認知してもらいやすくする
ためにユーザーは複数のSNSを登録し、記事を書き、コメント欄で読者応対
をする他に、自分も他者のブログに「イイネ」などの痕跡を残したり同情コメント
を書き込むなどの周知活動に余念がないのだ。
また同一SNS内でのランキングだけではなく、ブログ村などのブログランキング
サービスにも登録することで、目的を果たそうと考えている欲張りな方も多い。
だがそれは、好きなものだけを寄せれば良いという、せっかく手に入れた
「ブログ主の権限」を薄める結果にも通じていた。

公開掲示板はだれでも対等に書き込める利点があったが、それを逆手に
とって、大量の書き込みなどで場を「荒らす」アンチさんの制限が難しかった
デメリットが挙げられる。
個人ブログという形をとることで、ブログ内は荒らされにくくなったものの
アンチさんも学会員と同じ外部のブログランキングを登録利用することで、
3人から5名の協力者がいればと同一内記事ランキング操作が容易となる。
結果「学会員むけ」のプロパガンダをランキング上位にすることで、学会系
記事読者の目につきやすくするという、間接的嫌がらせが可能となったのだ。

(下)に続く

宗教活動としての「宴」

以前拙は 酒宴は禁止創価学会のルールと伝統 という記事を
書かせていただいた。
日蓮正宗門徒がブログなどで所属寺院の忘年会を開催している
という報告をしている記事を引用し、創価学会では組織として
酒宴は禁止されていると比較をしてみたのだ。

すると法華講員らしき読者から
『酒が悪さをするわけではないし、謗法でもない』との反論が
届いた。 たしかに「酒」そのものはたしなむ程度なら問題ない
だろうし、日蓮正宗も創価学会にしても宗教戒律として飲酒
そのものが厳禁としている宗派ではない。

だが拙が主張したいのは飲酒が是か非かという二元論ではない。
日蓮正宗のように法主が「祝い」とされる宴席での芸者遊びや
坊主の風俗通い、傷害事件が内規によって処分されようが
されまいが、所属する宗内の綱紀の問題であり、創価学会と
して関与できるものではないだろう。
ただ、学会員として組織だてて酒宴などを開催するのはトラブル
の元になるから禁止されているということである。
では、会社やグループ主催の宴席に学会員さんがいれば
同席した学会員さんは飲んではいけないということなのだろうか。
それも、違うように思う。

学会員として組織だてて・・というのはつまり「宗教活動」・「支援活動」
など創価学会が推奨している活動の延長として「宴席」をもつなという
ことだ。 例えば地区・ブロック内での歓送迎会、支援活動後の慰労会
等、主催者と参加者が同じ信仰の同志としての関係であったり
宗教活動を通じて知り合ったもの同士の宴席などが該当するだろう。

酒によるトラブルもさることながら、宴席に呼ばれたもの、呼ばれ
なかったもの、また参加できたもの参加できなかったものとの間で
妙な連帯感が生まれたり、利得の格差ができしまうことが問題なのだ。

呆れたことに、自称創価学会員のブロガー中でSNSを通じた
域外の学会員さんとの「交流」を口実に、上京の際に集合して「宴席」
を設けるいわゆるオフ会を開催しているものや、贈答品を交換し
あったり、自宅で宿泊させるなど、創価学会員だからということで
個人的な便宜を図る、不謹慎かつ道理をわきまえない連中が
ブログ村創価学会カテを通じて幅をきかせ我が物顔でネット
活動報告などを繰り返している。

表向きの創価学会に対する美辞麗句の裏では、待遇をうけたり
与えたり、あろうことか男女間の感情を逆手にとって個人的な
宗教的活動に協力させるなどといったブログ主と常連コメンター
との間での従属の関係の構築は、学会の地元組織では把握
できかねず、いずれ由々しき問題となって結実することだろう。

目的があいまいでも心地よければいいといだけのサークル感覚
でネット宗教活動を模索しているものは、こういった先々の危険性
を感じることができないからだ。
いずれにしても、「宴」を企画したり、軽々に学会員を食事に誘って
さらっとブログで自慢しているような人間には近づかないように
すべきだ。 いずれ信心が破られてしまう。











 







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