ようこそ!魅惑的な人々ブログ2へ


誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくのではないでしょうか。
そして、お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い
公開ブログをつくってみました。

/////////////////////////////////

なおこちらのブログ記事のコメント欄はコミュニケーション目的がありませんので
一部をのぞいて非公開にしております。
ご意見感想などは、ご自分のブログで記事にされるなど、適当にお願いします。
スポンサーサイト

ネットの「内部アンチ」で注意すること

( 初稿 2014/9/10 加筆修正 2017/4/21 )

菊川氏が提唱をはじめ「三猿運動」とは、学会員ブロガーに対して
学会批判をする“怪しい”ブログを見ない、(意見を)聞かない話題にしない
という、完全無視の推奨であったと記憶してる。
少々長くなるのだが、菊川氏の「創価の森の小さな家」を中心にブログ村創価カテ
で行われてきた「学会員ナリスマシ」事件については拙ブログ記事を参照していただきたい。

※三猿運動は欺瞞だったのか:創価の森ウォッチ109
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-279.html

※誰がはじめた「ナリスマシ」排斥運動:創価の森ウォッチ111
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-293.html

※菊川さんがナリスマシだと糾弾した人物:創価の森ウォッチ119
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-341.html



拙は「内部」の人にも創価学会を批判する事をいとわない方がいるのを
知っているのであえてそういった方を「内部アンチ」と表記しても
基本的に明確な根拠がない限り「同志」であるという事を忘れては
いけないように配慮しているつもりだ。
たしかに、相手が「ナリスマシ」を疑わせるような事をされていることは否定しない。
だからといってブログ村から追い出せば、創価学会や学会員さんへの悪影響が
減るなどとも思えない。
だが「ナリスマシ」キャンペーンの結果として、ブログ村の創価カテでの人気ブログ
1位の栄誉まで菊川氏は手に入れたのだから、してやったりである。

その後のブログ村創価カテでの「アンチブログ」の増加傾向、結託した学会員さん
のブログ撤退事情をみれば、「ナリスマシ」キャンペーンは戦略的に成功したとはいえない。

最期に読者の皆さんも、よく考えてみていただきたい。
ブログのリンク云々ではなく、菊川広幸さんのやっていたことは「内部アンチ」と
なんらかわりない手段をとっている。
自分の主張には正当性があり、相手にはその資格すらないと根拠も示せず断定する。
こう決めつけるところに、意見の違う者との「対話」などあろうはずがないだろう。

2017年現在ブログ村創価カテには2年半前よりも怪しげなアンチ学会ブログが
多数存在し、記事ランキングの上位を独占する形となっている。
昨年には菊川氏が嫌う日蓮正宗の末寺公式ブログまでもが「創価カテ」に登録されている。
かつての菊川氏ならば「ナリスマシ」運動を展開しただろうが、すでにその意欲も失せたのだろう。
自分自身を飾り立てるだけのナルシズム的表現作業に没入しているようだ。



学会員さんに ご連絡です

現在、exciteとアメブロを通じ“学会員さんに連絡です”というタイトルで
「24時間ネット同盟唱題」の募集が企てられています。

http://megalodon.jp/2017-0127-1201-16/tomotiyoo.exblog.jp/27478998/
http://megalodon.jp/2017-0127-1304-49/ameblo.jp/tomotiyo2497/entry-12241898001.html

同盟唱題というと聞こえが良いですが、ネットで知り合った中高年カップルが
企画しているネットイベントです。

※伝統の二月闘争 自分に勝つために 皆様と一緒に 1月最後の挑戦をします
 皆様の ブロック 地区 支部 本部の 益々の発展 一人一人が 折伏の
 できる真の弟子になるよう 感謝の思いで祈ります
(以上 イベント告知該当ブログより引用)




と、もっともらしいテーマを掲げていますが彼等の所属する支部、地区とも
まったく関係のない思いつきの「超個人的な信仰活動」です。

参加を表明すると墨田区の婦人が各人の持ち受け時間を割り振り、自分の
ブログで公開されるシステムですが、このような「個人的」に過ぎない活動に
気軽に参加し応援をすることで、彼等のネットイベントの成功体験となり
ブログでの集客と、個人的な人脈作りの因となります。
また、幹部に相談もなく現場における活動とリンクさせるなど、派閥形成の
萌芽ともなっています。

すでに、現場で教義の上で活動計画が立っているとおもいますが、
御覧の学会員さん。現場の同志の皆さんが、このような「ネットイベント信仰」
に惑わされないように細心の注意が必要です。

“リア充アピール”からみえる傲慢さ

ある掲示版で非常に興味深い記事を教えていただきました。

謙虚な人になるためには  https://welq.jp/6682

上記のサイトを参考に、テンプレ的になってしまうかもしれません
が「謙虚さ」と真逆なことをやっている人を見分けるには指標を
つくってみました。

エセ謙虚(傲慢)な人

1 目立ちたがり

2 利己的(ステルスマーケティングを是認する)

3 依怙贔屓

4 不親切

5 周りにイエスマンしか存在させない

6 損得で人を値踏みしようとする

7 ワンパターンが王道だとおもっている

8 他者の意見を汲もうとしない

9 聞き下手・答え下手

10 言葉使いが横柄

11 無意味(無関係)な批判にこだわる

12 二元(対立)思考しかない


個人としてこれらが具わっている(失笑)場合もありますが
宿坊の掲示版のように、複数人のコミュニティが「エセ謙虚」を
醸し出す場合もあります。

むしろ
「学会員だからそういうことはない」とか

「池田先生を宣揚している人に悪い人はいない」とか

「功徳の体験を発表している人に下心などない」とか

正常化バイアスに陥ることが問題だとおもいます。

よくよく考えてみれば
「その情報わざわざ自分からリアルタイムにネット
            で流すだけの価値があるの?」

というものが多いのではないでしょうか。


(参考リンク:リア充自慢は思わぬ転落を招く)
http://spotlight-media.jp/article/347898289979441940?adxarea=tx-pcmypage

映画「この世界の片隅に」 明日全国公開

2007年に映画化された「夕凪の街・桜の国」の作者、
こうの文代さんの漫画『この世界の片隅に』が、劇場版長編アニメ
として明日11月12日から全国で公開されます。

http://konosekai.jp/  (映画オフィシャルサイト)

夕凪の街・桜の国・・は平成16年度文化庁メディア芸術賞漫画部門
大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。
今回の作品は、2009年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
受賞。「THE BEST MANGA 2010 このマンガを読め!」(フリースタイル)
第1位。「ダカーポ特別編集 最高の本! 2010」(マガジンハウスムック)
マンガ部門第1位を受賞されています。

“夕凪の街・桜の国”は広島原爆の被爆者とその家族の現在を扱った
内容でしたが“この世界の片隅に”で扱われているのは広島出身の
作者が丹念に取材をして、当時の世俗や生活を交えながら十代半ば
で広島から呉市に嫁いできた主人公「浦野すず」の目を通して描かれています。

マンガ原作の表紙をみてみると戦争を扱った漫画とはおもえません
し、声高に「反戦」の意識を煽るシーンも戦闘シーンもありません。
(空襲の場面はありますが)
ただ淡々と当時の日々の生活が描かれているのですが、昭和19年
の初頭から昭和20年の終戦に向かって「戦争」が普通の庶民の生活
にじわじわ影響をおよぼしていく様が表現されていて資料的価値も
高いものに仕上がっています。
また映画監督の片渕須直さんはこの映画の為に何度も広島を訪れ
当時の広島、呉市の町並みを徹底的にリサーチし背景を設定する
など、時間をかけて丁寧に創られたそうです。
NHK朝ドラあまちゃんのヒロイン役であった「のん」さんが、浦野すず
役をされるのも注目です。
原作中では、天然ボケでおとなしい「すず」さんが一度だけ感情を
あらわにして泣き崩れます。
戦地へ赴いた人ではなく、内地において国家総動員法に基づき
知らない間に戦争に関わらざるを得なかった国民一人一人の「戦争」
とは「終戦」とはなんであったのか?
どんなにショックな事があっても、生きる事をあきらめなかった無名の
彼たち彼女たちがいて、今の日本がある と痛感した作品です。

日本ではめずらしい「クラウドファンディング」で資金を調達して作成
された映画(初?)でもあり、多くの原作ファンの応援が実を結んだ
といえる作品です。
https://www.makuake.com/project/konosekai/
筆者も微力ながらサポートをしました。

映画をみて、是非原作も読んでみて下さい。

障がいのある方への接し方

ある記事にこんな事が書かれていました。

※基礎知識は必要なのだ。だけれども、それが即、本人
 支援につながるというほど簡単なものではない、という
 自覚も不可欠なのだ。
 (略)
 必要だからやれと言われても、やったらそれは自分に
 とって偽善行為になるのである。

【メンタル不調の「9月病」にはどう接すればいいのか】
http://news.ameba.jp/20160921-207/


ブログやコメント欄に「うつです」等と病名をカミングアウト
されたり、障が者であることを公表されている方がけっこう
おられます。

その方々は素人の読者さんやブログ主さんに特に治療の
「助け」をもとめているわけではないのに、助けてあ・げ・よ・うと
必死になって接触を試みているブロガーさんがいる場合があります。

障がい者に対しても同じです。

いろんなケースがあるとおもいますが、そういった方
特に見知らぬ方とコミュニケーションをとるばあい
「病人視」したり「障がい者」として、扱って欲しいとおもって
ブログをやっている方はすくないと思った方がいいです。
ふとだれかとコミュニケーションをとってみたいという
欲求はSNSをされているかたならだれでもあるでしょう。

ところが社会的弱者とみるや、ここぞとばかりに「助けてあげなければ」
などといった安っぽい使命感で医師やカウンセラーといったプロの
真似事をしたり、便宜を図ってあげようと親切の押し売りをされる
方がネットにはいます。

リアルでは社会的弱者とふれあったこともなく関わろうともしない
人がネット上で慈善行為を企画する。
それってただの 偽善 じゃありませんか。

最近「君の名は」というアニメ映画が若者たちの間で人気なのだ
そうです。 また同じく「聲の形」というアニメが公開されています。

双方若者の恋愛物語というジャンルになろうかとおもいます。
拙は両方とも拝見しましたが、心に残ったのは「聲の形」のほうでした。
「聲の形」には、聴覚障がい者のヒロインがいじめにあったり、いじめっ子
であった主人公もいじめの対象になり孤立するといったかなり、メンタル的
に重たい内容が扱われています。
その映画の中でヒロインに謝ろうと会いにきた主人公に
「自分を満足させるためだけに来てるなら帰って下さい」
妹が告げるシーンがありました。
彼女もまたいじめられてきた姉を護るべく必死に生きてきたのです。

実際に病気をされている方や障がい者のおられる家族また
本人にとって、少しばかり助けてもらったところで、その生活が
劇的に改善され、楽になるわけではありません。
むしろ都合の良い時だけ、相手の弱みにつけいる形で自己
満足しようとしているのは、関わろうとしている自分では無いのか。
全体的にそういった問いを投げかけられているような内容でした。

慈善 と 偽善 の境目はどこにあるでしょう。

10/21 追加で拙ブログ記事
「偽善者のはらわた」をリンクさせておきます。


【警告】物品のやりとりをネタにする学会員の愚

(元記事 2010/5/25 修正加筆 2016/9/14 )

sokanomori=菊川さんが また愚かなことをしているので公開警告
をしておきたい。

高額な資金を投入し、作成した自叙伝本を学会の会合で配布する
ネット予告をしまんまと、郷里岡山での配布慈善事業を終了させ、
個人学会員宅の鮮明な画像までアップロードして悦に入っている
記事を見て拙は「その次の問題が派生しなければいいが・・」
危惧していた。
予想通り、現場の学会幹部からの菊川氏への贈答品までネットの
ネタにしてしまった。

これが創価学会のスタンダードだと思われてもいけないので指摘
しておきたい。

※「えっ!あ〜、いや、いけません。高価なカップなんでしょう?頂けません〜」
と言うと、「私たちの気持ちだから」とのこと。
笑顔のI本部長ご夫妻を拝し、結局、受け取ることになりました。(汗)
このカップ、I本部長がヨーロッパを歴訪されたときに購入されたものなのです。

http://megalodon.jp/2010-0525-1153-32/sokanomori.exblog.jp/14448752/


//////////////////////////////////////

一見すると 「個人の物品のやりとりなのだから問題ないだろう」
という人がいるかもしれないが
これが さも正しい事であるかのように「ネットで公表」されて
いるから拙は問題視しているのだ。

こういった連鎖がトラブルの元になるかもしれないし、真似る人がでてくる
かもしれないから、警告している。

sokanomori=菊川さんは 自分が感動したか否かで、すべてを肯定する
クセがあるようだが、だからと言って関係者の役職や地域までが容易に
類推できる状態で、相手のプライバシーおよびプライベートを易々と
世界発信する事がどれだけ 「贈った人」に恩を仇で返していることに
なるのかまったく考えが及んでいないのではないだろうか。

ほかにも壮年部向けのある冊子を関西の学会員らしき人に送付したら
大量の野菜をもらった という記事を見て
以前から sokanomori=菊川さんの 他者へのプライバシーの配慮の
なさ、現場感覚の薄さを感じていた。

「なぜ関西の壮年部に関東の壮年部が冊子をおくらなければいけないのか」
 はともかく、
「学会内で配布された小冊子」を贈った事 で 物品のお返しをされ
それを手柄であるかのように表現している事は、学会組織をダメにする事に
つながるのが理解できないようだからだ。

情報発信者としてのプライバシーの配慮は
 5/20付 聖教新聞の 6面にも 「ブログ開設の注意点」として
以下のように弁護士さんのアドバイスが掲載されていた。


Q 趣味でブログを開設しています。自分で撮影した写真や記事の掲載が、
  法律的に問題になる場合があると聞きました。
 どのようなことに注意すればよいですか。

A インターネット上で公開されているブログは、不特定多数の人の閲覧
 が可能です。
 自分で撮影した写真や影像を掲載する場合、そこに写っている人が誰か
 特定 できると、その人にとって勝手に他人に撮影されたり、公表され
 たりしない権利 (肖像権)や、その時間、その場所にいた事が公開
 されてしまうという意味での プライバシーを侵害することがあります。

(以下略・以上引用)




すでに彼は本を配布することによって、その所属する組織や知人には
個人の特定が出来る人物になってしまった。 となると
個人の生活上の事であっても家族や知り合いのプライバシーをポロポロと
記事にされれば間接的に、その人のプライバシーを侵害しているに他ならない。
他人のプライバシーを公開する正当性もない。

まして役職に限らずや個人的な贈り物の内容等は、世界中に発信される許諾を
相手から得ているとはとうてい思えない。
もし、この事実から幹部にこれから不利益な事がおこればどうするつもり
だろうか。sokanomori=菊川さん は責任を取る術がないだろう。
これは sokanomori=菊川さんだけの特殊な問題として認識するべきではない。

口が軽い(ネットにおいては無責任な)人に、係わると 知らないところで
なにを漏らされるか解らない という危険性も併せて熟知しておくべきである。

菊川氏は好評を得たことでさらに増長したのだろう。
現在他地域の学会員さんをネットの疑似信心活動などに巻き込み個人的な
グループをつくって東京で会食などを行うまでになっている。
またそのグループに人物を紹介するなど便宜供与をすることで、個人的な
利益を得ようと画策している墨田区の婦人部がうごめいている。
プレゼントが創価学会をダメにする:創価の森ウォッチ86 http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-106.html

このようなネットを介した危険性、傾向性は新たな犠牲者を出さないためにも
、組織利用については常に情報共有させておくべきだろう。

佐渡塚原の動画 

最近、一部の創価学会員さんブログで、日蓮大聖人が流罪された
佐渡の塚原のYOUTUBE動画がもてはやされているようだ。

スライド形式で画像が代わり、音楽と戸田城聖第二代会長の
講義音声がBGMとなっている。
該当YOUTUBEでの説明によると
「以前、プライベートで作成していた御書研鑽用冊子「伸選タイムズ」の付録動画」
ということなのだそうだ。

どうやらこの動画は学会員さんが作ったらしいが、どうみても
平成19年に日蓮正宗が勝手に作った「塚原題目塔」が映っている
ことに気がついた。 (動画開始3分頃)

ちなみに、日蓮大聖人が佐渡流罪において配流された塚原の三昧堂の
場所はいまでも定かではない。
佐渡の日蓮宗根本寺であるという説、それ以外に日本史学者の田中圭一氏が
提唱した説を元に、日蓮正宗が作った「碑文」と題目塔があるのだ。

動画の最期は、佐渡文化会館の佐渡広宣流布の碑と碑文が紹介
されているとはいうものの、日顕宗が勝手に設定した塚原の碑を写して
締めくくっているものの、後味が悪い。

ある方(非学会員)が、ブログで該当の塚原碑文をとりあげて記事を
書いておられた。
誰一人訪れるもののいないその場所に「さもありなん」(=もっともだの意)
と感想を述べられている。

さて、「日蓮大聖人ゆかりの地を訪ねて」と銘打ったYOUTUBEの動画では
学会歌や戸田先生の講義とともにドラマチックに動画が仕立て上げられて
いるのだか、この動画をみて佐渡にいきたいとか「功徳です。気持ちが洗われた」
などと悦にいっている御仁がおられるようだ。
どうも、創価の森ブログの読者が、感動癖のある菊川氏の所に動画の存在を
通知したものが、ブログ村創価カテの「ちよ」さんの所にも飛び火したらしい。

動画のリンクタグをブログに貼った墨田区の婦人部「ちよ」さんの記事は
日蓮正宗の作った「碑文」の下に、こんな一言が付記されている。

「何があっても ご本尊様と池田先生のもと 不退転で行って頂きたいし 
 私もそうして行こうと思います。まさか あの人が?という事もあるでしょう」
( 最近の記事は  ~真実を語るブログより引用)



よく調べもせずに、現役の学会員さんが日蓮正宗の創った史跡を紹介して
いるのだから、「まさかあの人が?」 という事があるかもしれない。

ちなみにYOUTUBE動画の作成者は、ちよさんブログでタグを貼り付け
られて以後「他のブログでの再生」を無効化してしまったようで、
ちよさんブログでは「日蓮正宗の塚原碑文」画像しかみることが
できないのは、なにかの暗示だろうか。

YOUTUBE貼り付け御免w

公開されているものは何でも、自分のブログのコンテンツとして
都合良く使って良いわけではないということを学ぶと良いのでは
ないだろうか。






努力回避地  Effort haven

富裕層が所得の税金の支払いを軽減する方策として、
各国の優遇税制を活用するタックスヘイブン(租税回避地)
を利用している証拠となる名簿、いわゆるパナマ文書が
公開され話題になっている。

国外での所得を無税としている国、会社の設立が無税といった
複数の租税回避地に利益を経由させることで、収入にかかる
税金をより安くすることができるのだそうだ。

この方法は国際法として規制されているわけでもなく、
税制はその国の主権に関わることであるため、仮に自国が得られる
利益が他国に流出していたとしても、やりかたそのものは罪には
問えないのが実情だ。

なにが問題なのかというと、自国の企業から得られる税金が少なく
なれば、減った税収を国民が負担しなければならなくなることだ。
わずかばかりの富裕層が税金をおさめない代わりに、それ以外の
中流層から貧困層にいたるまでの国民が税金の減収分を負担する
のだから、社会的道義的に問題だ。納税は国民の義務だからである。

パナマ文書とは税金逃れをしている大企業や富裕層がパナマの法律
事務所を介し実態のないペーパーカンパニーを設立したことが
記されている、いわば顧客名簿のことなのだ。

近年日本も海外への送金に法的規制をかける法律ができたそうだが
金融のネットワークが世界規模になっている以上、一・二カ国の
法規制だけでは防ぎきれず、国際的なルールを作り資金の流れを
監視できるようにすることが望まれる。

さて、
ネットをつかって「架空の組織」を作り、自己の所属組織が
関与が出来ない状況を逆手にとって、現場の貴重な人材を
「架空の組織」に流出させ育成を試みようという行為が、
一部自称学会員の手によって行われている。

宗教活動は、本来、実際に自分の足をつかった行動(修行)によって
自らと他者を救うことが目的であるといえる。
創価学会の場合、具体的な宗教活動といえば、勤行唱題と座談会の
開催そして家庭訪問という能動的活動に集約されるだろう。
もちろん、これらの活動は「弘教」が最終目的だ。

ところが、ネットの架空組織で行われている、唱題会や座談会と
いった通常の学会活動の名を借りた「 信心イベント 」は部屋から
一歩も出ず誰にも会わず、活動に出向く努力を回避した状態でも
お題目を唱えているだけで「活動」として成立することになる。
信心イベントは「弘教」が目的ではない。
イベントに興じ、弘教をすることもなく会合に顔を出さずとも
自分だけの信仰をしていることを報告するだけで喜ばれるからだ。

視点を変えてみる。

創価学会員さんである以上、身近に自分が所属する組織も活躍する
社会環境も存在するのだが、ネット信心イベントグループという
架空の組織は、それらになんの恩恵ももたらさない。
いかに創価学会とて、弘教に邁進できる人材は現場に一人でも多い
ほうが良いに決まっている。
だが、架空組織に取られてしまった人材の活動は、リアルでの他の
誰かが補う事となるわけだ。

楽(トク)をした一部の人間の為に、それ以外の多くの誰かが犠牲に
なるという構図は、資産家が、タックスヘイブンを使って国の繁栄に
寄与しないのと同じだ。
つまり、ネットの信心サークルは 現場貢献の「努力回避地」と化し
ているといえるのではないだろうか。

明確なルール違反とまではいかないが、社会的・道義的に問題がある
と考える人がいてもおかしくないだろう。

納税は義務だが、信仰は権利という側面がある。
だからこそ、権利は一人一人が守らなければならないはずだ。

インターネットと学会活動 (後)

前段(インターネットと学会活動(前)で拙は、インターネットを使い信仰イベントを
募るタイプの疑似学会活動は、現場での学会活動になりえないと書いた。
勘違いされると困るのだが、拙は学会員がインターネットを
使うのはいけないと主張しているのではない。
また、単純に、学会員さんは知らない人とネットで
コミュニケーションをしてはいけないと考えた事も無い。

ネット環境が整備され、日本におけるインターネット利用者数が
平成26年に一億人を超え、82%強の方がなにがしかインターネット
をつかっている時代だ。
総務省のサイトをみてみると、自宅のパソコンからの通信が53.3%
スマホからの通信が47.1%と、ほぼ2強の存在となっている。
自宅のモニターの前に陣取らなくても、モバイル端末でどこからでも
気軽に通信が出来るのだ。
学会員さんが、会員さんや友人知人とコミュニケーションを取るため
にネットを使っていないはずがないだろう。
なのにいまさらネットをつかってはいけないなどというのは非現実的だろう。

さて、一般の方学会員さん問わずその使い方は二種類あるようにおもう。
リアルの知り合いとの連絡にネットを使っている人。
または、見知らぬ人との新たな出会いを求めネットを使っている人だ。
いずれも情報を発信・入手するという目的はおなじだが、2種類の利用割合
は人によって様々だということになる。
ただ、ネット通信機器は相互同時通信であるために設定によって、
知らない人と容易につながることができ、利便性がたかい。
この利便性の高さは、他者に対する警戒感を薄れさせる一因となって
いると思われる。

たとえば固定電話で、適当な番号を回し、どこの誰かに電話がつながった
としても、自分の知らない人ならまず切られてしまう。警戒されているからだ。
だが、ネットでは、会った事も無い人とつながることは警戒されるどころか
むしろ歓迎されることが多いのではないだろうか。
しかし、簡単に自分のことを労せず多くの人に知ってもらえることが
できるようになった反面、対人関係そのものは希薄となってしまっている。
3人の中の1人よりも、30人の中の1人は印象が薄いのと同じだ。
混み合った電車の中で、化粧をはじめたり、大きな声でしゃべっている
人にとって、周囲の人は「無関係の人」で気にならない存在に意識の
格下げされているのだそうだが、同じような心理が働いているのだろう。
印象が薄く、気にならない存在がゆえに警戒心も低くなるのだ。

となると、ネットを介したコミュニケーションでは対人関係の希薄性を
いかに深化させるかが利用価値を創造するポイントになるように
私は思う。
これは、リアルの活動における「本当の友」の存在が、重要になってくるだろう。

ちょうど、2016年年2月27日付の創価新報に「本当のともだちって?」
というテーマで興味深い特集記事が組まれていた。
ある男子部はうわべだけのつきあいであることが解りつつも、人気者
を演じてきたがあるキッカケで無視されるようになったという。
よくあるイジメだ。彼のトモダチ観は所詮そんなものだと冷めたもの
になり引きこもりになったそうだ。
しかし、ありのままの自分を真剣に考えてくれている1人の親友と出合
ったことで、体調も回復し社会へ復帰することができた。
彼もSNSでの広く浅いつながりがあるそうだが、「自分のことを理解して
くれる本当の友達は数人いればいいかな」と感じているそうだ。
これはインターネットをつかいながらも、リアルとネットどちらの「関係」
に重心を置けばよいのかを教えてくれる内容だとおもう。
学会活動にもまったく同じ事がいえるのではないだろうか。

前述した創価新報の4面には筑波大社会学教授の土井氏への
インタビュー記事が掲載されている。
土井教授によれば、現代はネット環境が発達により、常に誰かと
つながっていたいという欲求を満たすことができる一方、誰かと
つながっていないと不安になり、一人になったとときの孤独感が
強まっているのだという。現代は自由になった代わりに社会の側
での絶対的拠り所をみつけられなくなった結果、常に自分を評価
してくれる仲間の存在だけが自尊感情をささえる唯一の基盤に
なっているとも言われている。

『従って、絶えず他者からの承認を求めながら、対立を避け、互いの
 内面に深く立ち入らず当たり障りのない関係を結び合うようになって
いったのです。これを私は「優しい関係」と呼びます。』(同紙より抜粋引用)


これは拙がよくいう「オトモダチ」の関係とまったく同じだ。
オトモダチの関係は、異質なものを容認しない。だから結果的に同質
のものたちばかりが集まることとなる。
オトモダチ関係の優しさとは「自分は傷つきたくない」という臆病な心の
裏返しではないだろうか。
自分に甘く、広く浅いぬるま湯の世界では自己の成長などできようもないだろう。

ならば、リアルな学会活動はどうだろうか。
外から見聞きすると「同質」のものたちばかりの集まりにみえるかもしれないが
実際は、いろんなタイプの方が集まってお互いが切磋琢磨しあっている。
自分好みの集団をつくるわけでもなく、それぞれが自分勝手に好きな活動
だけをしていることはない。常に異質な他者との出会いだといるだろう。
時には意見が分かれるときもあるが、同じ目的で完遂に向かって互いに
協力しあうので、成長でき、信頼関係が深まり現場の組織は強固となって
いるのではないだろうか。
ネットのコミュニティにありがちな、似たもの同士のオトモダチ関係とは
正反対なのである。

もし、インターネットで学会活動がしたいのなら、人数の多寡をもとめるの
ではなく、異なる一人とぶつかり合いながらも、相手との深い関係を築いて
いけるバイタリティをもって挑むしかないだろう。
甘い考えから抜けきれず、お互いが堕落していくのを望んでいる学会員は
いないはずだ。
プロフィール

あべひ

Author:あべひ
「魅惑的な人々」FC2ブログへようこそ!
ご意見や感想は適当な場所でどうぞ

ブログランキングへのタグ
ボタンをクリックするとブログ村に移動しポイントが加算されます。
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
検索フォーム
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
RSSリンクの表示
アクセスカウンター
無料 無料 無料
ブログ村記事ランキング
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR
アクセス解析