悪しき前例の模倣と拡散 : 創価の森ウォッチ142

前記事では2ヶ月半ぶりに「創価の森」関連の記事を更新させて
いただいたが、記事公開の後、親切な方がを菊川さんに間違い
を指摘され、新しく記事を公開しなおしたうえで新・人間革命の
継続を祝いだようである。
日曜日は小説新人間革命の連載がおやすみなので、新聞に目を
通さない癖がある方もいるかもしれないが、日刊の聖教新聞は毎日
読んで仏法の研鑽してほしいものだ。

さてなにげに創価の森通信を拝見すると、視覚障がい者の人材グループ
のメンバーである 千早さん が、なにやらボランティア組織の窓口になる
ことを公表されたようで、わざわざ彼女のブログリンクが貼られている。
monlingenさんのところで現在対話をすすめている、学会の組織外での
「組織信仰活動」の話題に 千早さんもコメントを寄せられていたことがある
のだが、拙だけでなく他の学会員さんの中でも「組織外組織」に懐疑的な
意見をもっている方がおられることを意識してのことであろう。
千早さんのブログ記事には「組織非公認のボランティア活動」であることを
明記されメールアドレスが併記されている。
また、菊川氏のブログにも
「このボランティアは、正式な学会組織ではありませんが、創価学会自体が
 容認している
とても有益なボランティア」だと断りが書いてある。

この文言だけ読めば、創価学会ではいつ「個人のボランティア活動」を
容認(?)するセクションができたのだろうと思われた読者もいるだろう。
おそらく彼等のいう「学会自体が容認している」という根拠は
創価学会幹部が活動を制止したり制約しないという意味だろうと推察される。
または、「ひらがな御書」のようにボランティア活動に一部の学会幹部が
間接的に関わっているか、しらない間に関わらされている可能性もある。

そもそも千早さんが所属されている自在会という学会の人材グループを経由せず
聖教新聞などを読んでくれる「音読」ボランティアの窓口になる意味がよく判らない。
すでに一定数の「音読ボランティアグループ」準備されていることが考えられる。
それにしても、なぜ個人のブログを窓口にしたのだろうか。
考えられることは、彼女がブログを通じ日蓮大聖人の御書を「聞ける」ように
してもらう便宜を図ってもらったことが遠因ではなかろうか。
「菊川氏」がやったように、ネットでのボランティア活動を宣伝し学会員
協力者を募集する窓口になろうとしているのではないか。

以前拙は菊川氏の「ひらがな御書」計画に対し
「便宜主義では成長しない」という記事を公開させていただいたことがある。
拙は信仰上の問題は自分の信心を深め解決していくことが成長の
糧になると考えているし、学会指導にもそのように書いてある。
再掲させていただこう。

学会活動の場合、便宜をはかったからといって、長つづきしないし、
 それが向上の因となるとは限らない。
 多少不便であっても、その努力が向上の因になる場合もある。
 学会の組織は、まだまだ強化されなければならない。
 なれ合いや、便宜主義は厳に警戒しなければならない。

 池田大作著  指導メモ 85ページ



ネットが普及する前の指導ではあるが、現在でも学会組織内
では会員同士の馴れ合いや、その会員が努力すればできる
ようなこと、すでにやっていることに対し便宜を図るようなことは
戒められなくてはならないだろう。
なぜなら成長の伸びしろを「善意」の名のもとに損ねているからだ。
便宜を図ってもらったことで恩義を感じ、「人」についていくような
信心は、「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)の原理にも反する
し組織を乱す破和合僧の因にもなりうる。
だからこそ「厳に警戒」するように指導されているのだ。

残念ながら、どんなに素晴らしい理論を学んでも人間は自分が
経験したこと以外で正邪の判断をするのは難しいものだ。
手間がかかるよりも手軽なほうを好むようになるのも、利便性を
追求して発展してきた人間の本質だからこそだろう。 
ネットで救われたものはネットを偏重しそこに活路を見出すものだ。
一度ネットのコミュニティで救われた経験のある人にとって
現場の組織活動は「ネットでの自己表現」のため、また賛同者
や協力者を募るための隠れ蓑になっていくことだろう。
はたしてそれは、仏道修行といえるだろうか。


菊川氏がブログ村ではじめた偽善的「ネット信仰イベント」の拡散
が、形をかえ他者により模倣され、それが継承され拡散されていく。
いずれこういった非公認信仰イベントが、創価学会の組織撹乱の
一因になることを危惧する。
また、菊川氏はすでに組織利用の現証がでていることを謙虚に
自省すべきだとおもう。
このままでは、主催者、協力者双方の信心に傷をのこしてしまう
ことになるだろう。
これがいかほどの罪業を積み福運を消す事になるのか、思いを
馳せてほしいものだ。

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座談会でデマを流さないで :創価の森ウォッチ141

創価の森の小さな家を始めとする3つのブログを運営する菊川氏
が、小説「新・人間革命」について記事にされることが時々あるので
興味深く拝見している。
かつて、現在閉鎖された菊川氏のブログ「月下の騎士」の記事内に
戸田先生の執筆された人間革命はフィクションで、池田先生
の執筆された人間革命はノンフィクションだと主張した氏の記事に
反論を何本か書かせていただいたことがあるが、彼の人間革命へ
の認識は、拙にとってかなり違和感を感じる部分があって注目しつ
づけている。

池田大作著の人間革命、引き続いて現在でも執筆がつづけられている
「新・人間革命」は、単行本にして30巻が刊行される予定であることは
あらかじめ池田先生自らが第一巻の巻頭部分に「はじめに」として
書かれているのでご存知の方も多いだろう。
現在聖教新聞に鋭意連載中の新人間革命の暁鐘の章は後に刊行
される第30巻での四章目にあたる。一巻の構成がおおむね四章分で
あることが多いので暁鐘の章で締めくくられるのではないかと心配され
るかたも多かったのだろうか、過日11月12日(日)付の聖教新聞紙上
(第三面)で、第五章『勝ち鬨』を執筆中であることが池田先生の
メッセージとして公表された。

ところが、菊川氏の最新のブログ記事を拝見すると氏が主催した
ブロック座談会で「今月で新人間革命の連載が終わる」と参加者
および担当の幹部の前で説明したというのだから驚いた。
さらに、人間革命の終了を

“でも、上級幹部クラスが知らない訳です”


と念をおし、他者の無知を引き合いにだして、菊川氏自身の利口さを
際立たせる表現をとったのは失笑を禁じ得ない。

上記の記事が書かれ投稿されたのは今朝(2017年11月14日
火曜)のことであり、氏の座談会が開催されたのが一昨日と書かれて
いるので、座談会は12日(日曜)の昼か夜に座談会が行われたこと
になる。 仮に投稿に1日のタイムラグがあると考えても、日曜日の
聖教新聞を熟読していれば“人間革命が今月で終わるなどと”予言
めいた内容を断言している記事を火曜日に投稿するのは気が引ける
だろう。
つまり、菊川氏は意外と聖教新聞を読んでいないことになる。

また通常、学会幹部として会合などで発言をする機会などがあれば、
当日の聖教新聞にはあらかた目を通して話題にするなどされるのが
一般的だろうと思う。
しかし、菊川氏は自分が主催する座談会であったにもかかわらず、
聖教新聞を読まず、根拠の薄い思い込みの産物でしかない錯誤情報
を部員の前で説いていたのだ。
奇しくも日曜日は創価学会の2018年度スローガンが聖教新聞で大々的
に発表された日であったため、池田先生を希求されている真面目な
学会員さんなら同日の紙面に、新人間革命の新章が執筆されるつつ
あることをご存知であったろうし、菊川氏のブロックの部員さんでも知って
おられた方もいるやもしれない。
当然上位の幹部さんは、新章の執筆をご存知であっただったろう。
だが菊川氏は、そんな事実すらしらず訳知り顔で誤情報を発表し
たうえで困惑されたであろう部員さんや幹部に対し、火曜日になった
今でも我見に固執していることに気づかぬまま記事を公表したことになる。

おもえば師弟不二を実現されている学会員さんが研鑽されている人間革命
を、フィクション、ノンフィクションというさほど意味のない文学上の立てわけ
を力説された菊川氏は、拙の批評にたいし、まるで人間革命のことなら誰より
も良くわかっているといわんばかりの態度をとっていた。
彼を援護していたオトモダチも彼に感化されて同様の態度をとっていた。
ただ5年まえの当時と違うのは、結果的に座談会でデマを流してしまった事実
について氏がもし情報がまちがっていたら「大嘘つき」になるであろうことを
あらかじめ予測していたことであろう。  だが実際にはそうなってしまった。 

菊川氏の該当記事は「削除予定」とされている記事なので
本日中にでも消されてしまえば、あとは氏や氏のオトモダチらの配慮で
処理されて拙のヨタ話ということにされてしまうかもしれない。
「また阿部日が些細な事を騒いでいる」などと論じるものもいるだろう。

その前に、たくさんいるはずの氏のブログの常連読者や地区、支部の
幹部が「菊川氏の間違いに気が付かない」ことや、あとから事実を
教えてくれなかったことに読者は思いを馳せていただきたい。
もしかすると、彼の所属する茨城県の現場でも氏を指導する人材が
いないのかもしれないからだ。

ともかく、ネットにかぎらず人前にたって持論を述べるのなら、紛らわ
しい表現で惑わせたり未確認のデマを語って伝えてしまわないよう
に常に心がけることが大事だとおもう。
また間違いに気づいて放置しておくのも罪なことではないだろうか。












 







創価学会会憲の無断コピー・ネット再配布:創価の森ウォッチ140 

本日付け(2017/9/2)の聖教新聞の紙面をご覧の方は
新たに創価学会会憲が制定され一般公表されたことを
すでにご存知だろうとおもう。

実はこの報道は昨日(9/1)の時点でにマスコミを通じてされており
その内容を創価学会公式HPで確認されたかたも多いのでは
ないだろうか。
創価学会公式HPリンク
http://www.sokanet.jp/

拙はネット上の創価学会員さんがあつまって登録しているブログ村で
誰が一番にこの会憲を話題にするかを注視していた。
予想通り菊川氏の「創価の森通信」でお昼過ぎにとりあげられていた。
しかし、記事の内容は学会公式HPからの無断転載とネットによる再配布と
いう由々しき内容だった。
いちおう氏は記事内で創価学会公式サイトの内容であることは告知して
いるもののトップページのリンクも貼らず、公式サイトの著作権についての
項目(サイトポリシー)に表示されている
「当会の同意なしに、文章、画像、音声及び動画等を第三者に配ることを禁止します。」
のルールを無視している状況だ。

たんなるコピペの内容なら時間もかからないので、いつものように
早朝に「無断転載」記事をアップされるかとも拙は予想していたが、午前中から
個人日記的内容の記事をアップされていたところをみると、おそらく聖教新聞
の内容に気がついたのはお昼前のことと思われる。
それはともかく、タイトルは「創価学会会憲の意義と内容」となって
いるため、まるで公式サイトかのように紛らわしい。
検索サイトを伝って創価学会会憲を調べに来る方を、自分のブログへと誘導する
意図も考えてのことだろう。  
他人の著作物であるにもかかわらず善意ということで無断転載できるタイプ
の方が案外学会系ブログに見られるが、総じて小狡いのではないだろうか。

いくら自分が創価学会員だからといって、ルールも無視し第三者のコンテンツ
をそのまま自分のブログに転載してまでして、ランキングアップやイイネの
評価がほしいのだろうか。
模倣する人がでてくることを予想しないのだろうか。
読者の方はこういった悪事をマネをしないでほしい。
また不法行為を助長するブログにまちがっても「感謝のコメント」などは
いれないでほしいと切に願う。


クラッシャー学会幹部の存在:創価の森ウォッチ 139

アルバイトの学生が、雇用者に連絡のうえやむなく病欠した
にもかかわらず、給与から罰金を引かれていたというブラックバイト
の件でネットサーフィンをしていると、
「クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち」という書籍の
書評を見つけた。
自分の部下を使い酷使させた末出世をしていく上司をいうとのこと。
その特徴は「自分が善であるという確信」と「他人への共感の欠如」だという。

参照リンク :弁護士ドットコム  https://www.bengo4.com/c_5/c_1623/n_5670/ )

善良な部下は、上司から難題をおしつけられても、なんとか期待に
答えようと対処してしまうが、上司は満足しない。さらなる難題をおしつけ
られ、身心ともにすり切れてしまう。結果部下はダメージを受けてしまうのだが
上司だけは評価されるのだ。

この記事を拝見して拙が思い浮かべたのは、「ひらがな御書」を
主催している菊川氏だった。

先月、以下のような記事が公表されていた。

※「ひらがな御書」は「会社の仕事」と同じ価値を持ちます。
 その理由は、仕事もひらがな御書も私の等身大の広宣流布だから。
 (中略)
 その夢のカタチは100編ほどのイメージでした。
 でも、今は300編やると決めました。
(なぜ300編が目標なのか : 創価の森の小さな家<別館>より引用)



御書を他の会員に 「ひらがな」 に訳してもらって自分のサイトに
アップすることに問題があると以前から拙は指摘しているが
それが、広宣流布につながるとか、「会社の仕事」と等価値だと
意義づけるのは、図々しいにもほどがあるだろうし、創価学会の指導
にもない。 つまり我見であるといえる。

菊川氏は上記記事内で、S氏が1番重要な作業を受けている事
を示しつつ
“大先輩のSさんにいつまでもこの作業をお願いする訳にはいかない”
などと一定の配慮を示しているよに見えるだろう。
しかし、当初の目標を倍以上に伸ばしつづけたのは菊川氏自身であり、
個人サイトのコンテンツ作りに他者を無償でこき使いつづけているのも
彼自身ではないか。

大先輩のSさんというのは墨田区の学会幹部須田晴夫氏であることは
以前の記事にも述べたが、菊川氏は「自分が善であるという確信」を
もった理由の一つが、須田氏のような学会大幹部の個人サイトへの関与
を黙認しつづけていることではないだろうか。
その見返りという訳ではないだろうが、菊川氏は須田氏を絶賛する記事
何遍か書いており、暗に「ひらがな御書」の正当性の担保としているように
も思えてくる。

ともかく、当初の目標である100編の御書訳がなぜ300編という
数字に置き換えられたのか、まったく論じられる事はない。
そして、上司から突然300という数字を提示された「ボランティア」スタッフ
と呼ばれる「部下」のいままでの功績は、須田氏ほどの価値が見出せ
ないのだろうか、ブログ記事にとりあげられる場合は「モノを貰ったとき」など
菊川氏に利益があった時にほぼ限られている。
しかもその記事で匿名の「ボランティアスタッフ」の方が、どの地方に
在住されているか推測できる画像を不用心に添付するなどのミスは
相変わらずだ。

他人の善意にすがりながら、菊川氏は毎日御書と無縁の「自分の記事」
をアップし続けている。
五年前、ひらがな御書を計画した時は視覚障がい者の「千早」さんと
二人で進めていくことを決意発表していた。
いまや「千早」さんの存在は透明に匹敵するほど薄くなり、組織化され
たボランティアスタッフという、みなし部下がもっぱら「ひらがな訳」を
受け持たされているのが実情だろう。
本当にスタッフに迷惑をかけていると思うのであれば、いますぐにでも
ひらがな御書の更新を固辞するべきところであろうが、トップダウンで
漠然と300もの目標を掲げて、さらなる協力を強いている。
このような進め方は「他人への共感の欠如」がなせる技ではないだろうか。

ともかく、歯の浮くような世辞で飾っても「ひらがな御書」が完成となった
暁には「菊川広幸」という茨城県の学会員幹部一人の成果となるだけである。
特殊詐欺の被害者は、渦中で目先の目標に追われ騙されていることに気が
つかないというが、それと同じように協力者が「菊川氏のいいなりに過ぎなかった」
という事実に気付いた時、“信仰心につけいられた自分”になにがしかの
ダメージを受けることとなるだろう。

仕事で上司からダメージを受けた方は仕事を辞めてしまう。
それが「クラッシャー上司」であるならば
ネット信仰活動でダメージをあたえ、通常活動を出来なくさせた
因をつくった自称幹部は「クラッシャー学会幹部」というべきだろう。

ネット上での魅惑的な「信仰」の誘いには関与されないことをお勧めしたい。

地雷男からは逃げろ :創価の森ウォッチ 138

菊川氏のブログは「タイトル」で読者の眼を引こうと狙っている
場合が多いようにおもう。

「創価の森」ファンのかたなら過日、公開された“余命20日”云々
などというタイトルにドッキリさせられた読者の方も少なくないの
ではなかろうか。
読めば、たんなる菊川氏の夢オチ話だったのだが、三流週刊誌の
電車内広告のようにタイトルと中身の落差があるケースがよく
みかけられるように思う。

12月15日の記事のタイトルは「伴侶に捨てられても幸せになれる」と
いうものだった。
菊川氏はよく過去を振り返り、自分が前妻に「捨てられた」という表現
を好んで使う。
今回の内容は以前にも「創価の森の小さな家」などで公開された
内容を踏襲している。
「捨てられた」とは菊川氏の自嘲的な意味合いかとおもいきや、
心理的にはそうでもないようだ。

あるところに
「結婚したいなら避けたい意外な地雷バツイチ男性3タイプ」
という興味深い
記事が紹介されていた。
その記事によると、これからおつき合いしようとする男性がバツイチで
「突然前妻ににげられた」などと言っている人は“高い地雷度を誇る”のだとか。
離婚には双方に問題があるものだが、一方的に「逃げた」とか「捨てられた」などと
前妻を悪者にしている人は、被害者意識が捨てきれてないのだそうだ。

そういわれてみれば、過去何度か菊川氏から苦言をいただいたり
「法に訴える」的なアピールを実際にされたことがあるが、その感情の
底には「僕が君になにをしたっていうんだ」という被害者意識がありありと
みてとれた。
これに近い感情を持っているのは「元学会員」を自称するアンチさんたち
も同じではないだろうか。
「組織に捨てられた」などとアピールしている元学会員(特に日顕宗門徒)
がブログを開設しているのだからネット創価系界隈はカオスのごとき有様だ。

前述「地雷男」記事中の

“「突然」「理由がよくわからないのに」はなんのエクスキューズにもならない”


は明言だと思う。 (注:エクスキューズ=言い訳)

結婚するしないは別として、「捨てられた」だの「追い出された」
といった被害者意識の高いワードを無意識でつかっているブロガー
は「おつきあいしたくない」タイプの男性だといえるのではないだろうか。
最近「逃げるは恥だが役にたつ」というドラマが話題になっているが、
地雷男からは逃げた方が巻き込まれずにすむと拙は推奨したい。

桃栗三年 柿八年 :創価の森ウォッチ137

「創価の森」系のブログを開設して八年がたったと菊川さんが
記事にされていた。
「創価の森の小さな家」というブログを開設され、そのブログの
成り立ちからずっと注視している拙にとっても八年が過ぎたこと
にもなるのだが、菊川氏のブログをみつづけて1番感じられたのは
“毎日ネットで記事を公開しつづけるだけでは、
                 本人の成長につながらない”

という事実だ。

菊川氏は昨年の「開設七周年」記念の時にすべての思いを書いたと
書かれてていたし、その記事のリンクを改めて貼られているので
拝見させていただいた。
菊川氏がブログをはじめた目的 は「創価学会の現実を伝えること」
でありそれは、“自分自身を語ることで用を為す”と考えいているの
だそうだ。

もっともらしい理由づけにみえるが、実際は違う。
菊川氏はネットでの学会アンチ系記事やブログの多さに驚き
「間違った創価学会」のイメージが先行していることを危惧して
ネット上で「学会員ブログの連帯」をつくろうとしていたのでは
なかっただろうか。
その目的はどこかに去って行ったようだ。

菊川氏は「創価の森の小さな家」ブログの来訪者が延べ70万人
をこえたということで、いまから5年前このようなコメントを発表
している。

※創価学会が根も葉もないウソを言われ放題であることが
耐えられず、創価学会員がいかなる存在かを知らしめたいと
思い、この創価の森ブログをスタートしました。
泥のような世の中にあって、納得できないことだらけの人生に
あって、清らかに咲く蓮華の如き創価の奇跡を、私は語り
たかったのです。

http://megalodon.jp/2011-1006-1040-31/sokanomori.exblog.jp/16929594/

(以上引用)



しかし、ブログの開設八年目で得た1番の感想は
「更新していないブログに毎日閲覧者が数百人いる」という
ことだけのようだ。
実際には「創価の森の小さな家」は記事を更新していない
わけではなく、「創価の森通信」ブログ内で日常が公開され
続けているしそれに合わせトップページのリンクを変更し
続けている。   2018/11/30現在の様子 

閲覧者は一時期に比べ減ったことを菊川氏は率直に
カミングアウトしている。
しかし。自分自身のプライバシーをさらけ出しすぎて、実名がバレたり
会社や身内に迷惑がかかりそうな内容を後生大事に残すこと
がはたして「学会員さん以外」に受け入れられて「創価学会への理解」
につながっているのだろうか。 
むしろ、ネットを通じ学会員さんに対して「自分」という存在を理解して
もらおうと今でも必死になっているのではないか。


桃栗三年 柿八年ということわざは、果樹を栽培し実をとるまでに
手間と時間がかかるということから、物事の成果を出すには時間
がかかるというたとえに用いられる。
ブログ開設八年。
未だに閲覧者数だけをみて一喜一憂している姿を見せて
「創価学会の現実」とやらが示せていると考えているようでは
脳天気にもほどがあるといえるのではないだろうか。

使命をはき違えた可哀想な人: 創価の森ウォッチ 136

菊川氏のブログで現在「使命」についての記事が連載されているが
あまりにも稚拙な回答なので指摘しておきたい。

『 使命 』とは 
1 使者として受けた命令。使者としての務め
2 与えられた重大な務め。責任をもって果たさなければならない任務。
(デジタル大辞林)

つまり私的に頼まれ事を引き受けるといった依頼や、職や家庭といった
一般的な生活活動とは別に、大きな社会的意義の達成という意味を
持ち合わせている言葉といえるでしょう。 

転じて、人としての「生き方」 などを形容した言葉としても用いられること
もありますし、頼まれ事をこなす事など冗談っぽくを大げさに形容した言葉
として用いられることもありますが、基本的には自分の人生を懸けた社会的
問題解決の役割を認識した場合などに用いられます。
したがって使命とはいっても、目上から与えられる場合と自発的に
社会的命題解決に携わり続ける場合があるのではないでしょうか。

菊川さんは自称学会員さんの「自分に使命があると言われても
感じられない」という質問者からの回答として長々と説明を試みている
ようですが、その解説は支離滅裂で中には女性に対する見過ごせない
発言もあります。

最終的に菊川さんは、『 使命なき人生は、健康もお金もないに等しい 』
などと持論を述べ、自分のように使命を感じた人が幸せであり、そうでない人
は「不幸」だと断定する大変失礼極まりないレッテルを貼ったのです。
使命感のあるなしで幸・不幸を捉えるのは、日々生活にいそしんでいる人
多くの人々を見下した傲慢な言い方です。

さらには、だれに頼まれた訳でも無く自分が勝手に企画したネットイベント
「ひらがな御書」のサイト完成目標達成が「使命」だと自画自賛するに
至りました。
個人的に使命感を感じることと、それが創価学会員としての使命かとうか
は別次元の問題です。
そもそも、質問者さんは自分や自分の親のやっている信仰の意義としての
「使命」が理解できないという質問のようです。
ならば、創価学会員としての「使命」とはどういったものなのかを
指し示し、どのようにすれば「使命に生きる」ということになるのかが
回答になるように思うのですが、およそ共感のできない「マイイベント」の
目標を創価学会としての「使命」であるかのようにすり替えてしまっているのです。

このような回答をされたところで、質問者さんはネットでなにかを
起こしたいわけでもないですし、回答者の菊川さん自信が
「使命は得ようとしても即座に得られるものではありません」と
質問者を制しているのですから、質問に答えたことになって
ないのです。

また菊川さんはネットを通じ「自分で目先の目標」を見つけた
にすぎません。 それも事実上「ブログの毎日更新」の為の手段
の一つでしかありません。
それが証拠に「使命」であるはずの ひらがな御書 よりもその他の
どうでもよい事にばかり時間を割いているではありませんか。
また、ネットを通じ個人サイトで宗教教義にかかる情報発信をする事は、
師匠とする池田先生が指導された内容にもなく経文に書かれたこと
でもありませんので学会で指導される所の「使命」にもあたりません。

しかし、菊川氏は言います。
『 ですから、どうしても使命が必要なのです 』 

どうしても「使命が必要」ってどういう意味なのでしょう。
物事を続けるためのモチベーションを保つための方便として
「 使命 」という言葉を弄んでいるのではないでしょうか。
まして、個人のサイトのネットコンテンツを創りあげることが
使命なのであれば、人に頼んで作業を分担させるなんて論外
ではないでしょうか。
彼は一度は撤退宣言をしたのにネットを続けています。
そうするためにも「目的」の設定が必要なのでしょう。

くりかえしになりますが、菊川さんのされていることは、
ネットで知り合った人がやっていたことにヒントを得て
人を集めて協力させて創り上げているのは「個人的なサイト」
であってそれは創価学会会員として多くの方がめざす普遍的
大目的である 「使命」 と相容れないものです。
彼は自分がネットで活動する目的を、崇高な理念の実現行使である
はずの「使命」に仕立て上げて自己陶酔をしているのだと考えます。

残念な事に、時々ネットでは「個人的利益」を「功徳」と言い変えたり
SNSのコミュニティを「座談会」だとか「同盟」などと言い換えて
無警戒な学会員さんを引き寄せる事に必死になっている方がでて
きます。
そういった、紛らわしい個人的宗教活動に組みすることは慎みたい
ものです。

親不孝者 創価の森ウォッチ135

創価の森通信ブログで、「親子不二」というタイトルの記事が
公開された。
タイトルから連想し似たもの親子というような、ほのぼのした話題
かとおもいきやブログ主菊川広幸(HN)氏の岡山在住の実母の
闘病記だという。

以前、菊川氏は自分の不注意で岡山の実母がどこに住んでおら
れるのか簡単に解る記事を書いて、事実上母親のプライバシーを
暴露してしまいネットで話題にされたことがある。
(該当記事のネットレポートリンク)
http://hissi.org/read.php/koumei/20120103/bUkxdDBWNDc.html 

いくら親子でも母親の経験は、母親のものであって菊川氏の体験談
ではない。 まして健康問題はプライバシー中のプライバシーだ。
軽々にブログに記事にする内容ではない。

「親子不二」が公開された翌日さらに「続・親子不二」というブログ記事
が公開されさらに詳細に報じている。
電話で母親の異常を察知し、菊川氏が急遽帰郷したその日に緊急
入院をされ、一ヶ月半の経過観察入院の後に無事退院されたとのこと。
その事については拙も大事に至らず良かったと胸をなでおろした。

さて、菊川氏は居住している茨城の現場の学会員さんに、今回の緊急
入院の報告をされたらしい。
その学会員さんは“お母さんの福運だ”と感想をのべられたそうだが、
まさにその通りではないだろうか。
大事にもならず退院できたのは一義的には菊川氏のお母様の信心の賜
、功徳といえるだろう。
前世の業によって本来なら大変な罰をうけるところを、信心のおかげ
で軽くすませてもらったともいえるから、まさに転重軽受の現証だ。
お母様は入院中に地元の学会員さんにお世話になったこともあり、
さっそく座談会で体験談として発表されたようだ。

これが現場第一の本来の学会員さんの姿ではないかと拙は改めて思う。
また菊川氏のお母様は、その身をもって現場で生きる学会員としての
生き様を息子に見せたと思えてならないのだ。

それに引き替え、まるで、自分の信心で母親を救ったかのようにブログで
記事にしている菊川氏はなにか勘違いをされているのではないだろうか。
菊川氏も今月の座談会で体験談として発表するそうだが、それ以前に
ネットでまず公開している事も問題だ。

菊川氏は、今回母親や現場組織の学会員さんの行動を間近にみて、
信仰上なにを得たというのだろう。

ネットで公表するわけでもなくコツコツと学会活動をされている菊川氏の
お母様の「現場第一」の信心と、ネットで自分を飾り宣揚した後でリアル
の学会活動に還元する「ネット優先」の信心とが「不二」であろうはずがない。

母親の福運に助けられたのは菊川氏自身なのだ。

菊川氏は茨城の現場での話で納めておけば、問題がないような事でも
ネットで公表し、自分個人の成果にしたてあげてしまう。
また◎◎シリーズと銘打ち、他人のフンドシで一人相撲を取ることも
しばしばだ。

いつになったら、この悪癖をやめる事ができるのだろう。



自叙伝を自費出版する人:創価の森ウォッチ134

中日新聞の7/13日付のコラムに非常に興味深い記事が
掲載されていた。

西田小夜子さんが綴る「妻と夫の定年塾」という連続掲載
されている創作コラムなのだが、読んでみると、どうやら
ご主人の元に、一冊の本が送付されてきたようなのだ。
送り主は同級生だとのことだが特に親しい間柄でもないとの
こと。

ご主人は読書が趣味の方なのだそうだが、送りつけられた
「自叙伝」を読む気が起こらなかったらしい。

西田さんは類推する。

「初めて本を書いた当人は、晴れがましさでいっぱいに違いない。
 できるだけ大勢の人に読んでほしくて、つき合いのない同級生
 にも送りつけるのだ。」
(中略)
 「自叙伝その他をすばらしいと感動するのは、書いた人だけだ。
 読まずに捨てられる運命と悟った方がよい」


(以上引用)
(参照リンク: 自費出版 ・妻と夫の定年塾)
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20160715131305989


この記事の中で、西田さんは国会図書館に自叙伝を送ったことを
人前で自慢する人がいることが示し「世間知らず」と一丁両断されて
いるのが実に小気味よい。

そういえば、ブログ村創価カテで障がい者さんをネタに「組織外組織」
を主催している創価の森ブログの管理人菊川さんが、ブログで知り
合った学会員さんに「自叙伝」を送りつけたり、国会図書館に納めた
ことを自慢するなど、まったく同じことをされていたことを思い出した。

わざわざ学会本部にも持参したらしいことが、ブログ記事にされている。
いまから6年前の話だ。
この話題について「組織利用ではないか」と批評を書くと、氏のネット友
から多大な批判をうけてしまった。当時の記事の再掲は後でさせてもらいたい。

さて、高額な出版費を払っていなくても、ブログや、他人のコメント欄に
これ見よがしに聞かれてもいない自分史を書き連ねる人などにもいえる
ことだとおもうが、
自分のこれまでの生き様や業績を「すばらしい」と感動しているのは、
たいてい書いた人だけだ。

この点は、失礼ながら拙も西田さんとまったく同じ考え方をしている。

お礼や賛辞などを他人(読者)に期待して「我」を公表するような姿は
みっともないのではないだろうか。



毎日更新シンドローム:創価の森ウォッチ 133

拙ブログ記事 「仕事が忙しい」の言い訳 :創価の森ウォッチ132
で、「疲れていると、いいいながらブログの更新を休むという選択肢は
みられない」と書いからだろうか、つい最近、燃え尽き症候群になった
ということで

今しばらくブログ記事の再開にお時間を頂きます。
体を休めたいので。


http://megalodon.jp/2016-0516-2348-12/sokafree.exblog.jp/25805643/


との記事が「創価の森通信」に掲載されていた。
関東北部で地震のあった5/16日の事である。
ところが次の日もその次の日もブログの記事更新が止まることは
なかった。
こうなれば「燃え尽き症候群」とやらの理由も疑わしい。

菊川さんのブログは「創価の森の小さな家」「創価の森の小さな家(別館)」
「創価の森通信」の三つが確認する事ができ、このうち二つが、日本ブログ村
に登録されている。
現在この三つのブログのうち(別館)は、読者の質問に答えるイベントが
行われておりメールや書き込みを通じて、信仰にからむ質問が菊川さんの
もとにおくられてくるようだ。

仕事で疲れていると言いながらも、こういった読者むけサービスに余念がない。
また、自在会(視覚障がい者のグループ)のサポートのために立ち上げたと
いう「創価の森通信」では専ら「自分のこと」ばかりが一年365日ほとんど
毎日記事にされつづけている。
だが、第三者の手を借りてまで作成しているはずの「ひらがな御書」は
お座なりのままだ。

たしか、菊川さんは日々の日常記事を掲示したブログを「リアルブログ」
と呼称し、それは卒業したと宣言していた。
そのリアルブログとやらが「創価の森の小さな家」なのだが、五年かけて
毎日更新を続け、記事更新を終了する際には

「5年でピリオドを打ったことは「正解」だったということ。
 現在も生活パターンは大きく変わりませんし、不用意に
 続けていたら 結局マンネリになったことでしょう。
 続けて名を腐すより、きっぱり終えて良かったと思っています 」

【 創価の森通信:「創価の森の小さな家」から半年 2014年 06月 21日~引用】


と述懐していたのだが、ブログを変えてマンネリを続けていることになる。
菊川さんにかぎらず、自己宣揚をするタイプの人は、過去にどんなこと
を自分でかいていたのかを、覚えていない傾向が強いようにおもう。
覚えていないというよりも、都合良く過去を改竄しているといった
ほうが良いだろうか。
その一例が 最新の記事に色濃く出ている。

菊川さんは「創価の森通信」期間限定記事において
かつて公開していた「月下の騎士」というブログの代わりに
 「創価の森の小さな家(別館)」を創ったと主張しているがこれは眉唾物だ。

「小さな家」そして「別館」が当初からあり、現在の「別館」でおこなわれて
いる「読者からの質問受け付け」をしていたのが「月下の騎士」という
ブログである。
ようするに、現在のような 3ブログ 体制をとっていたのだ。
中でも「月下の騎士」では、公開質問受付の呼びかけがされていた
ものだから、アンチさんや他宗派の方、学会に不満のある会員さん
ら数名が、菊川さんに対し質問を書き込んでいた。
都合19名の方に専用スレッドを設け質問に答えていたのだが、
ある日突然終了することとなった。
「日本ブログ村創価学会カテゴリの皆さまへ」 と銘打たれ
理由は「ブログ村創価カテゴリーで騒動が起こった」とのことだった。

よほど、「月下の騎士」の自分の対応に愛着があったのか、
いくつかのスレッドを抜粋し「創価の森の小さな家(別館)」に
移動させていたのだが、現在ではその痕跡も消されている。
つまり、「月下の騎士」の代わりに「別館」を創ったというのは
都合の良い嘘なのだ。

その証拠となる魚拓を提示しておきたい。
http://megalodon.jp/2012-0704-1809-24/sokaknight.exblog.jp/18497997/

菊川さんは、「月下の騎士」設立当初このように宣言していた。



※私は、内部を装い、かく乱を目的としたコメントを「ナリスマシ」と呼んでいます。
 攻撃に対し、私が「あなたはナリスマシですね」とコメントすると、正常な学会員すら、
 「この人はナリスマシではない」と言うのです。
 このような対話の展開は、ストレスが溜まる作業です。
 そこで私は、創価の森ブログで、このようなコメントに一切反応しないで済むように、
 この月下の騎士ブログを立ち上げました。 

【 ブログ設立の理由 2011年 12月 02日】



ようするに、「創価の森の小さな家」と読者を学会アンチから防衛するために、
立ち上げたというのだ。

さて「月下の騎士」での騒動については、別稿で書かせていただきたいが、
菊川さんがライブ感のある記事を毎日更新するために、読者投稿だけでなく
メールで内々に寄こされた内容すら都合良く「創価の森の記事」として利用
する性癖は未だに変わる事はない。

最近、SNS中毒など過度なコミュニケーション依存の方を
「つながり(きずな)依存」と分析する人が多くなった。
多くが「若者」や「女性」のネット依存を中心に論じられるが、なにも
男性・・それも分別のある中高年が依存しない訳ではない。

菊川さんは、読者に飽きられないようにするために毎日更新が必須
だと考えているのかもしれない。
もしそうなら「強迫観念」があるのだと思う。これはストレスにしか
なっていないだろう。疲れて当然だ。

参考に 「ネット依存」の日本的特徴は「きずな依存」 という外部サイ
トの記事リンクを貼っておきたい。
http://www.nippon.com/ja/currents/d00102/
















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