ネットヘイト行為の終焉を :創価の森ウォッチ 149

SNSサービスの多様化によって、以前からユーザー数の多かったFacebookや
Twitterといったメジャーコンテンツでも利用者数の確保が難しくなってきた。
いままでは、YOUTUBEなどの動画配信サービスや他社のブログ公開サービス
とのタイアップなどが有効だったようで、1人のユーザーが複数のSNSサービスを
リンクさせるなどして認知度をアップさせるなど、ユーザーの確保と同時に複合的
な反社会的情報拡散も半ば認めてきた面がある。
どのSNSサービスでも利用規約では具体的に禁止事項を設けるなどして、「表現の自由」
を確保しつつ「犯罪行為」や「戦争行為」の助長に利用されないように一定の管理努力
を図ってきた。
だが違反コンテンツの削除と設立でイタチごっこの状態が続いてきたのも事実である。
また一般人であってもTwitterなどでの失言やイジメ動画の配信で社会問題にとりあげら
れるケースも珍しくなくなってきた。
清濁併せ持ったSNSサービスが、善良なユーザーから敬遠されるのも道理だろう。

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昨年末、Twitterではある「ルール」を追加し話題となっていた。
12月18日付でを「ヘイト行為や攻撃的な行為を減らすための新しいルールの施行」
公開、即日施行したのだ。詳しくは上記に連動させたリンクで確認していただきたい。
Twitterではもともと暴力的な脅迫や、個人または集団に向けた重大な身体的危機、
死亡、病気を望むツイートを禁止したり、そういった行為を助長すること(リツィート等)、
また、他の利用者が発言しにくくなるような嫌がらせ、脅迫、恐怖感を与えることも禁止
していたそうである。
過日ブログ村創価カテユーザーさんの「さくらもち」さんが、ある日蓮正宗門徒のTwitter
ユーザーから恫喝的ツイートをされたと報告をされていたが、おそらくこのルールが適用
され日蓮正宗門徒のIDが凍結されたのだろう。 かなり素早い対応だったと思う。
さて、今回Twitterで追加されたルールは上記の禁止事項にさらにツイート以外の「表現」にも
踏み込んでいることが特筆される。

アカウントのプロフィール情報に暴力的脅迫、攻撃的中傷や暴言、人種差別的や
性差別的な表現、また、人間の尊厳を侵害する攻撃的内容や恐怖を煽る内容が記され
ているアカウント。
ヘイト表現をともなう画像も「不適切なメディア」に含まれる
(Twitterより引用)



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ヘイト表現についても明確だ。
「人種、宗教、障碍、性的指向、民族や出身地を理由に他者に対して敵意や悪意を
増幅させることを目的とする」
 (以上同所から引用)
つまり、特定の宗教、国に属しているという理由付けで敵意や悪意を増幅させるための
表現は「文字」だろうが「画像」だろうが立派な「ヘイト表現」にあたる行為なのだ。
まだ一般的なブログサービスでは、「ヘイト行為」についての定義が明示され禁止
されているところは見当たらないようだが、表現の自由にかこつけた「ヘイト行為」および
その助長はこれからは許されざる行為として認識されていくと考えられる。
実際に、英・蘭の大手販売業の幹部がFacebookやグーグルなど不適切コンテンツへの
対応が不十分なソーシャルメディアへの広告中止を警告するという発言がニュースと
なっていた。
(参照リンク: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26818980T10C18A2000000/ )
偽ニュースや差別を煽って分断を測ろうとする輩を野放しにしている
メディアへの投資は消費者への信頼を得られないという判断だという。
ユーザー側の厳しい目が、良き社会を育てていく一面があることを示唆
しているといえるだろう。
むしろユーザーの一人一人が「ヘイト行為を許さない」という声をあげたり、
管理者側に通報するなど、よりよい運営に積極的に協力していくことが
ヘイト行為撲滅には必須なのではなかろうか。



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ところが、、最近一部の創価学会を自称するブログユーザが創価学会
を破門にした元法主、阿部日顕を「ヒトラー」とみたて、日顕宗を「ナチス」と同類だと
煽って悦に入っているのだから困ったものだ。
物事を単純化し、誰もが知っている戦争指導者の名をあげて特定の宗派を「ナチス」
と蔑む。 これが「ヘイト攻撃」でなくてなんであろうか。
当人は「ひらがな御書」を運営し、日蓮大聖人の仏法を学んだつもりでいるようだが、
『他者に対して敵意や悪意を増幅させる』ことだけが目的の物言いは慈悲をもって正法
を語りぬく「破折」では絶対にない。
相手を救うつもりも、学会員を助けるつもりもない勢いにまかせた言辞はただの
「悪知識」である。 
またこのような「ヘイト表現」を、新人間革命第30巻の読後感想として掲示しネットで
世界配信することが、どれほど池田先生や創価学会を愚弄し、信用を失墜させる行為
であるのか、信仰の上からも己の態度を考え直すべきだろう。
一般世間においてもソーシャルサービスを使った「ヘイト行為」に対する目が厳しく
なってきたのだ。
世界平和を希求する宗教団体「創価学会」に所属するものとして、学会員が行う
「ヘイト行為」を黙認しつづけるのは、信頼を失う事に直結するという危機意識が
必要ではないだろうか。







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時代錯誤な破折をする人 : 創価の森ウォッチ148

創価学会員さんは、よく現在の日蓮正宗を「日顕宗」と呼称する。
学会側の機関紙などでも見られる呼称だ。
外の方から見れば、学会員の“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”といったような
憎悪感情からくる蔑称であると感じられるかもしれない。
だが実際には、そうとはいえない事情がある。
かつての創価学会は日蓮正宗の門徒団体であったことは、古参の学会員さんなら
だれでも認識しているし、学会アンチさんでも知っている事実なので簡単に説明を
させていただこう。

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日蓮正宗と門徒団体であり独立した宗教法人でもあった創価学会が互いに協力
しあって末法の御本仏と位置づける日蓮大聖人の御遺命に従い弘教(布教)を
し成果をあげてきた。 「創宗蜜月の時代」などと言われる昭和時代の頃だ。
現在(2018年1月)池田先生が執筆されている小説・新人間革命において描かれている
のは第一次宗門事件(昭和52年~54年頃)が収束し、会長を退かれた池田先生が
全国の同志の元へと指導を再開された昭和56年(1981年)頃の話だ。
(参考リンク:第一次宗門事件の年表)
年表 1
https://ameblo.jp/kingdog136/entry-11748933405.html
年表 2
https://ameblo.jp/kingdog136/entry-11748936328.html
年表をご覧になればわかるように、昭和54年の5月には日蓮正宗宗門との
創価学会側の和睦が成立し、仕切り直しをしたうえで再度宗門と創価学会
は弘教をの遺命に邁進することとなった。
一部の評論家は第一次宗門事件も「創宗戦争」などと論じているようだが、
そもそも会員が帰伏していた宗門側に創価学会から仕掛けた争いなどでは
ないことや、当時学会として全面的に宗門に反発していたわけでもないので、
宗門側の一方的な言い分に池田会長が責任を取る形で辞任するという形で
事態は収束した事を鑑みれば、第一次宗門事件は互いが総力をもって争い
あう「戦争」などでは決してないことは明らかだ。
事実、第一次宗門事件の際に日蓮正宗法主であった日達を指して『日達宗』と
批判する学会員は1人もいない。
仮に、門徒団体側の「長」である総講頭の罷免という宗門側の処分が「宗門事件」
という呼称の根拠であるなら、第二代創価学会会長であった戸田先生の大講頭
罷免も「宗門事件」としてカウントされなければならないだろう。

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日蓮正宗宗門側が一方的に創価学会員を破門した第二次宗門事件の真相は
ともかく、第一次宗門事件は日蓮正宗内における一部の僧等が、まず日蓮正宗
宗内での論争を引き起こした上でマスコミなどにもリークし「宗門が動かざるをえない」
状況を作り出したことに特殊要因があるといえる。
ウラで糸をひいていたのは当時、創価学会の顧問弁護士の肩書をもって宗門と
創価学会との間をとりもっていた山崎正友(小説内では山脇友政)という人物で
あり山崎が一部の僧らを煽って「騒動」を起こすことで創価学会から金を奪おうとした
「恐喝事件」が根本にあったことも新・人間革命(雄飛の章)で語られていた。
池田会長の辞任という創価学会にとって不本意な結果となり、心を痛められた会員
さんも数多くおられたと思うが、一応、日蓮正宗との悶着は沈静化し日達法主、北条
会長と創宗双方の最高責任者の逝去が重なったこともあって急速に関係が回復して
いった。 この時に法主となったのが阿部日顕である。
短かったとはいえ、阿部日顕を法主とする日蓮正宗と創価学会の関係は第二次宗門
事件が勃発するまで大きな問題はなく、むしろ他宗からみれば分裂の危機になりかね
ない大騒動であったにもかかわらず丸く収めた創価学会に対する評価が認識された
のではなかろうか。
小説、新人間革命は「勝ち鬨」の章となっているが、筆者である池田大作先生は山崎や
原島という反逆者、宗門側の「正信会」という、いずれも一部の身内側からの『師子身中
の虫』の存在を明確にされてはいるものの、当時の阿部日顕法主や日蓮正宗そのもの
を総じて批判している箇所はないし、表現には細心の注意が払われているように拙は
思う。 後に宗門側の『師子身中の虫』であった正信会は後に阿部日顕率いる宗門側
の手によって擯斥処分となり放逐されていることもあるだろうし、当時の学会員さんの
日蓮正宗への赤誠の外護が続いたこともあり配慮にもとづいてのことだろう。

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後の史実を先取りし、創宗当時の日蓮正宗を破折する事は簡単だが、歴史を忠実に
追って創価学会を語る「新・人間革命」のテーマから逸脱してしまうし、なにより外護を
してきた学会員同志の労苦も「悪を見破る先見の明はなかったのか」かなどと批判され
ることに繋がりかねない。
事実、池田先生の著作を引用し当時の学会執行部の責任論を声高に論じている学会
員がすくなからずいるのだ。
これからの小説、新人間革命に「日顕宗」という表記がでてくるかどうかはさておいて
(拙の予想では出てこないと思います)
創価学会において「日顕宗」という呼称をつかうのは、後の人が“坊主憎けりゃ袈裟まで
憎い”という低い境涯に陥って創宗時代の日蓮正宗まで根本否定するようなことのない
よう、明確に立て分ける意義が込められているといえるだろう。
創価の森の小さな家ブログを主催する菊川氏のように、第一次宗門事件の背景や事実
を浅薄に読み解き『終わりなき邪宗門の池田先生への攻撃』であったかように論じたり
池田先生のこまやかな配慮を度外視して『ここでは正信会の僧侶です。これは日顕宗
の一部です。当時は毛色が違いますが日顕宗の先駆けであり、日顕宗そのものです。』

などと、したり顔で注釈をいれわざわざネットで披瀝しているものをみると、菊川氏は
かなりの増上慢になりかけているように拙は感じ、懸念を抱かずにはいられない。
自他の感情を煽り分断を画策し自利を得るための「エセ破折」はいずれ、わが身も焦がし
信心を破ってしまう因になりえることを、第一次宗門問題の結果は示している。
かつてネットで池田先生への忠誠を声高に叫び日顕宗破折を試みていた掲示板の成れ
の果ても同じだった。
特に、菊川氏の場合は信仰上の根幹をなす「御書」をネットコンテンツとして
配信しつつ、少なからず他の学会員の信用も得ている立場を作り上げている。
本人にそういった自覚があるなしにかかわらず、「正法正義」に時代錯誤の破折を
混ぜ込んで世に配信することは、法を下げる行為に直結してしまうことをなによりも
警戒せねばならないだろう。  現証はすでに現れている。
ネットコミュニケーションに活路を見出しているような信仰の弱い方に、カッコイイとこ
ろを見せようと破折してみるのは愚かなことではないだろうか。

 









正しい『忖度』 : 創価の森ウォッチ147

2017年度年間流行語大賞となった「忖度」という言葉は
モリカケ問題のキーワードとして認知されるようになったため
他人に媚びて便宜を図るといった阿諛追従(あゆついしょう)
のニュアンスが付いてしまっている。
ネット辞書で引いてみるとたしかに“他人を推し量って配慮する”と
いう意味が書かれており、その内容とあいまって森友学園前理事の
籠池氏が国有地を安価で手に入れた理由を「忖度されたのでは」と
述べた事から、ネガティブな意味合いしか感じられなくなったようだ。
年末年始の宴席などで、忖度という言葉を使って笑いをとったかたも
多いのではないだろうか。

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先日の東京新聞の文化面コラムによると、古文に用いられている
「忖度」という言葉は“他人の悪意を推知する”という意味で使われており、
本来は相手への便宜を図るという印象とは真逆の、受け手側の慎重な心構え
を示す言葉であると紹介されていた。
本来の意味として考えるのなら、国有地の減額が「忖度」であるとするならば、
籠池氏側の“悪意”を国土交通省が汲み取ったということになったり、加計学園の
認可は文部科学省が安倍首相の“悪意”を汲み取ったといったような表現になって
しまう。
言葉が持つ本来の意味が時代とともに大きく変わってしまっている一例だといえよう。
拙としては、相手の悪意を推知し理解するという「忖度」という言葉が持っている
本来の意味合いにこそ深く共感することができる。
インターネットという情報通信技術をつかって行われている内外の学会アンチさん
の批判、また学会員有志の方が行っている学会アンチ評が数多くあるが、書き手
の被害者意識にまかせて書かれたものはある意味他者の“悪意を推知”した結果
であるといえるからだ。

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だが“他者の悪意を推知”したからといって善であるとは限らない。
むしろ悪意を知覚できるというのは、自分にも同じものがあり感応している事が
考えられるのだ。
興味深いことに「自分は被害者である」という立場で対象を敵視し誹謗している
タイプの方は、自分が世に訴えた「被害」と同様の事、またはそれ以上の仕返しを
自分が行っていることには気が付かない。
ブログ村の創価カテで一例を挙げてみると、ある退転者の方が学会員である親の
プライバシーを漏らして、創価学会への恨みつらみをマンガにされていたり、リアル
画像をアップされているケースなどは、リベンジポルノと大差ない。
親子間でどんな悶着があったのかはなんとなく伝わってくるが、それがSNSを通じ
公然と肉親を鞭打ち続ける理由になるだろうか。
また、自称学会員ブロガーが、学会活動に批判的な事を書いている学会員ブロガー
を指して根拠もなく「ナリスマシ」運動を提起したり、謗法者であるなどと悪意に満ちた
印象操作繰り返して相手の尊厳を根本から貶め続けなければならないことだろうか。
弱者(マイノリティ)をただただ鞭打つのは、ただの見せしめにほかならない。

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菊川氏が1月13日に「カヌー選手はなぜ犯罪者になったか」という記事を
発表し、薬物を混入させたりイヤガラセをしたカヌー選手の境涯を論じていた。
彼に言わせると加害者である鈴木選手が
“怒り、愚か、貪り、そして闘争の心が彼を支配した”ので薬物混入や窃盗を
やってしまったのだろうと推察している。
だが、鈴木選手はなにも警察に逮捕されたわけでもなければ、刑事事件で
書類送検をされたわけでもない。 
たしかにライバルを貶める行為は批判されても仕方がないかもしれないが
軽々に 犯罪者 であると断定し公然と論じるのはいかがなものか。
相手に批判される理由があるにしても、根拠のない断定で一方的に犯罪者
呼ばわりするのは誹謗中傷ではないか。
かつて菊川氏が「ナリスマシ」事件をでっち上げた時と同じように、なりふりかまわず
相手を貶めて自分の評価をあげようとするのは、鈴木選手となにが違うのだろう。
不祥事を起こしたカヌー選手の件については、鈴木選手のメンタルについて論じるだけ
でなく、被害を受けた小松選手のアスリートとしての心構えやカヌー協会の管理・指導が
正しかったのかという論調もマスコミや識者には見受けられる。
だが菊川氏や悪意のある学会アンチさんらの批判は、敵を叩いて自分の正義を証明する
だけの自家宣伝、エゴイズムにすぎない。

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自己を見つめずして相手を叩いて越に入るような人物は、誰もがもつ低い境涯にのみ
感応しているだけではないだろうか。
忖度には古来「相手の悪意を推知する」という意味が含まれていると論じたが
物事の本質を見極め、その本質をわが身にも当てはめて考えてみたり策を考えるという
「他山の石以て玉を攻むべし」という自己修練の意味合いも『忖度』 には含まれていたと
拙は考える。
本日付け(2017/1/17)の「創価の森通信」の記事には、聖教新聞に日々連載されている
小説、新人間革命の記事を引用した上で「宗門に対する池田先生の攻撃」として論じている
菊川氏の修羅の境涯が如実に顕れているように感じる。
公然と他者を批判をするのなら、批判者は「正しいあり方」を自らが示せるだけの境涯を積んで
開いて行こうとする努力を惜しんではならないだろう。

相手の悪い部分を見て本質を理解し、自分の成長の糧とする。
これこそが、正しい忖度 のあり方ではなかったではなかろうか。











語られない”本当の支援者” :創価の森ウォッチ 146

今年度最後の特集ということで「創価の森通信」では菊川氏の
加曽利貝塚博物館レポートが連載されつづけている。
調べてみると加曽利貝塚は今年、文化財保護法による特別史跡指定が10月
に告示されたそうで、それをうけて幾つかイベントが実施されたそうだ。
その中に菊川氏が記事にしている『縄文秋祭り』が開催されていた。
(参考リンク: https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kasorikaizuka/kasoritokubetusisekika.html )
上記リンク内にもあるように、都内を走る総武緩行線にラッピングトレイン
を走らせたりするなどした千葉県の特別史跡アピール作戦が菊川氏
の目にとまったのであろう。 彼も記事内で「通勤電車で縄文祭りを見た」(ママ)
と書いている。
元来、男性は視覚情報に影響されやすいとされている。
ヤクザ映画が大ヒットした時などは、マネをする男性が多かったという笑い
話があるほど、メディアやテレビといった宣伝媒体に影響されやすいのは
男性のほうだ。
千葉の博物館へ”縄文祭り”を見に行った菊川氏が突然、縄文ロマンを語り
だしたのも感化された結果だといえるだろう。

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氏はブログネタをつかむと、「大感動」だとか「大感激」だとか「ビッグな連載」だとか
とかく大げさな予告や感嘆符(!)を多用する文章を書いて感情を表現しようとする
のだが、中途半端な状況説明ばかりが続いて面白味に欠ける。
悪く言えば、大人の絵日記だ。
創価の森通信は「視覚障がい者」むけのサポートブログという位置づけらしいが
旅行記につけ日々の生活につけ、本当に「障がい者」のために書いているように
は思えない。むしろ社会弱者の存在につけいって自分自身を売り込んでいるフシ
すら感じられる。
他にも、記事内や予告記事では加曽利貝塚には10月に行ったということが
何度か書かれているがトランプ大統領の来日当日ということなので11月5日の
錯誤ではないかと思う。
菊川氏がブログに掲載する画像には「日付」の記録が残っているがそれを
みても11月5日のことであることが確認できた。
つまり、基本的な事を調べもしないまま、適当な記事を書いているのだ。

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また車のダッシュボードの上に置かれたサングラスを撮影した画像が掲載
されているが、画像を取り込んで拡大してみると撮影者と運転手が写りこんで。
なまじ画質の大きな一眼レフカメラで撮影されている画像なので、7・3分けの
男性が撮影し、女性らしき方が運転をしているようにみえる。
彼の記事によると、奥様が同行されたようなので運転もされたのだろう。
だが、それに対するねぎらいの言葉はない。
とにかく自分がなにをみて、どう行動していたかに文字数が割かれている
ため、史跡の具体的説明もアバウトだ。
夏頃に書かれた「富岡製糸場」の記事は、奥様の絵手紙が展示されている
恒例の絵手紙列車がらみだったこともあり、「きゅうママの絵手紙の部屋」
でも少々取り上げられていたが、今回の加曽利貝塚のことは全く触れておられない。
同じ頃、奥様は絵手紙関連のお仕事で忙しくされていたようで、わざわざ
貝塚博物館のことを記事にされるつもりはなかったかもしれないが、
彼女自身もブログで旅行記を書いておられることがよくあるところから想像するに
、今回は菊川氏だけが一人で盛り上がっていたのだろう。

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ご夫婦でブログをされていても、お互いがリンクすることもなく完全に別居している
状態だが、菊川氏の「創価の森」ブログもチェックしつ、拙は「きゅうママ」さんの
ブログを時々拝見させていただいている。
つい最近のきゅうママブログ記事では、また岡山に帰郷されるのか旅支度をされて
いることが書かれていた。
彼女の夫である菊川氏は全くブログで触れていないが、今年奥様は3度ほど岡山の
菊川氏の実家に行かれていたとブログで書かれていたことをご存知のかたは、
創価カテにおられないだろう。
菊川氏のお母さんの具合が悪くされていたことや目の手術のこともあり入院などの
手続きなどをするために夜行バスで岡山を往復されていたとのことである。
きゅうママさん自身もお仕事やイベントで忙しい中を夜行バスで往復されただけでも
親孝行な菊川氏は大感激していることとおもいきや、いっさい記事にされていない。
菊川氏は仕事が忙しいだとか、体の調子が悪い、体力づくりをしているだとか
自分中心の記事を奔放に格好つけて書く癖があったり、自分のブログに関わった
人のみへ、これみよがしな賞賛を公表するかたちをとって自己演出を図ったり、暗に
協力をもとめようとするケースがままみられ、自分絡みのことなら、親孝行の予定でも
将来の夢でもブログの記事にして公開してしまうのだが、仕事につけ親の介護につけ
リアルでの1番の彼の功労者であるはずの「奥様」については、とうとう書かれずじまい
のまま2017年を終えるようなのである。

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8月の創価の森通信のある記事に、読売新聞の紙上相談を引用しされたものが
あったのだが、その内容は夫の「自慢話」に関する奥様の相談だった。
元となる相談の抜粋は他のサイトでも引用されており確認することができる。
(参照リンク: 【人生案内】自己評価が高すぎて気持ち悪い夫  )
この相談に対する菊川氏の評価は「何とも悲惨な夫婦間の話」だった。
自慢話をして悦に入る夫に対し、どうにか変わってほしいと相談をせざるを得ない
妻が悲惨だと評しているのか、自慢話をする旦那が悲惨だと評しているのか拙には
判別しかねるが、菊川氏は“自分は自慢話などしていない”と本気で思い込んでいるようだ。
自分の利になることや名誉に関わることなら、他人のプライバシーを無視してでも
自慢記事にしたてあげ公表してきたのが菊川氏だ。
岡山のお母さんの看護をされていた奥様の健闘をブログのネタにしないのは菊川氏流
のテレかくしなのかもしれないし、8月の読売新聞を読んで自省し「自慢話」を控えている
のかもしれない。 だがブログでの「自慢話」が止む気配はみられない。
ネットで愛妻家をアピールしつづけてきた氏が、リアルで奥様に対しぞんざいな扱い
をされていないのか少々心配になってくるのだ。

(文字色が変わっているところは該当の記事サイトへリンクされています)










新・人間革命で学ぶべきこと :創価の森ウォッチ145  

( 文字色が違う部分はいずれも該当記事にリンクさせています )

戸田先生のペンネーム「妙悟空」から池田先生ペンネーム「法悟空」へと
引き継がれた小説、人間革命、続編となる新・人間革命で書かれている
重要なテーマとは、様々な障魔にも負けない無名の学会員らの奮闘が
描かれていると拙は考えている。
作中、会長の山本伸一は日本国内、世界各国へ何度も足を運ぶわけだが
すべてが「人」との交流であり、「対話」であり、また「指導・激励」の旅である。
その中で草創期の学会活動が紹介され、また功労者の人生も語られていく。
山本伸一の振る舞いは、すべての学会員が学ぶべき指標ともなっており、
各地域での学会活動の中で、また個人的に研鑽されている方も少なくない
だろう。
創価学会の未来部公式サイトでは、人間革命、新:人間革命の読了表が
配布されているし、創価新報では毎号特集が組まれているので是非活用して
いただきたい。

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茨城の壮年部ブロック幹部の菊川氏が小説人間革命について
「戸田先生の人間革命はフィクション」という主張に固執していた事
について2012年に記事にさせていただいたことがある。
菊川氏は人間革命を「現代の法華経」とまで絶賛しているのだが、こと2017年
に入ってから氏が期待している新・人間革命の内容は日顕宗問題の関係だけ
らしく創価の森通信ブログの最新の記事(2017/12)でも 「新人間革命がいよいよ伝える!」
と週刊詩ばりのタイトルをつけて公開している。
本年に入ってから創価の森通信ブログだけで7回、創価の森の小さな家では5回
ほど、新人間革命についての内容を予想したり期待を寄せる記事を発表して
いることから類推しても、並々ならぬものを感じる。
それと同時に、著者である池田大作先生に対し日顕宗斬りの矢面に立たせ
続けようとしている弱々しい弟子の姿に激しい違和感を覚えてしまうのだ。
昨年(2016年)の2月の記事に菊川氏の「第一次宗門問題」についての見解
が掲載されているので引用する。

「常楽と題された冒頭の章に、第一次宗門問題が語られ始めました。
第一次宗門問題は日達上人の時代ですが、本質は日顕宗の台頭であり、
いよいよ小説のクライマックスの伏線が語れるのです。」
(創価の森の小さな家<別館>、2016/2/18記事より)


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そもそも、菊川氏は第一次宗門事件についての認識がまだまだ浅いように思う。
学会の顧問弁護士であった山崎正友(小説中では山脇友政)は宗門側に働き
かけ、創価学会を揺さぶったが、その動機は彼の事業の失敗を穴埋めすべく
顧問弁護士の肩書をつかって学会から金を奪おうとしたことだった。
彼がマスコミを使い、政界や世論を巻き込んだアンチ学会キャンペーンを行う
ことで宗門側の疑心暗鬼を誘った結果、日蓮正宗の坊主らによる学会員への
イヤガラセ行為が行われ、宗門側の言う「52年路線」事件が起こったのだ。
背景には「僧が上、俗が下」という宗教聖職者にありがちな差別感情があった
ことは否めないが、そこに上手く付け込んだのが山崎正友という稀代のペテン師だ。
後に日達法主が急死すると日顕に猊座が変わった(昭和54年)。遷座以前から創価学会
側が宗門側の言い分を受け入れ詫びを入れることで創宗との関係は回復しつつあった。
創価学会として「能忍」の時代であったことは否定しないが、新たに法主となった日顕の
学会を擁護する扱いに反発した宗門側の僧侶会派「正信会」の坊主共が擯斥
(ひんせき=僧籍の剥奪、破門処理)処分となった。 (勝ち鬨6を参照してください)
宗門右派であった彼等「正信会」の僧らが、獅子身中の虫、山崎正友に誑し込まれて
しまった連中の中枢だったのである。
顧問弁護士のクライアント恐喝事件として世間を賑わせた山崎正友が逮捕される直前
、週刊誌をつかって日顕を揺さぶっていた(昭和55年)が、そんな日顕と連絡を取り合う
間柄になっていたことが彼の口から出たのは平成7年になってからの事である。
山崎の証言によれば擯斥になった正信会の僧らとの和解をもちかけて本山
へ復帰させようとしていたという。(詳しくは 地涌862 を御覧ください)
創価学会としては、こんな裏話は「さもありなん」という程度の事で、山崎正友の
件に関して小説、新人間革命で新たに語られることもないだろう。

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特に、山崎正友と日顕の関係について詳しく人間革命で書いてほしいという
菊川氏の要望は、来年1月2日に卒寿を迎えられる池田先生に対しC作戦の後
の分まで書き続けてほしいと述べているに等しい。
現在、小説 新人間革命は、30巻の終章となるであろう“勝ち鬨”の章が連載
されている。当時の信徒団体日蓮正宗創価学会に対し、大石寺側が宗教的権威を
もって圧力を掛けた第一次宗門事件のくびきから脱した山本伸一自らが全国の会員
らの元へ足を運ぶ激励行が書かれている。
これから書かれるであろう、いずれの地での会員との再会も各地の「反転攻勢」の
砌となった記念すべき日として学会の歴史に刻まれているものばかりだ。
北条会長(小説中では十条)が亡くなり秋谷会長(小説中では秋月)になったのは
昭和56年のことである。
同年10月10日~16日まで大石寺では日蓮大聖人七百遠忌大法会が開催されて
おり池田先生は慶讃委員長としての責務を全うされたことが書かれていた。
七百遠忌といえば大石寺境内図の記念ポスターを購入された方も多いのではない
だろうか。  
当時、個々の学会員さんは宗門に対し様々な思いが去来したことだろうが

『広宣流布のために僧俗和合を願い、誠心誠意、その責務を果たしていった。』
(新・人間革命 勝ち鬨6 2017/12/6付 )


との池田先生のお気持ちは、多くの学会員も同様であったにちがいない。
だが、未だに菊川氏は小説 新人間革命に対し 日顕宗宗門 へのアンチテーゼとして
の意義しか見いだせていないように感じる。
氏が小説に期待しているのは、広宣流布の誓願に生きる弟子としての精神や振る舞い
ではない。
高齢の師匠に“もっと日顕を叩け” とネットで懇願し続けることは、創価学会
の信心を通じ「心の財」を積んできたようには決して見えないのではないだろうか。
内外向けに「ありのままで幸せになれる」などという記事を連載したようだが、肝心の
筆者が 他力本願 なままでは、いくら道を説いたところで信憑性も説得力にも欠けて
しまうことだろう。
最近、菊川氏は仕事のことだけでなく、あれほど自慢していた健康にも問題が生じている
という。
リアルでの不安や不満が「日顕宗攻撃」という形ですり替えられてしまうのは精神衛生上
よろしくない兆候のように思う。
そういう時こそ 「新・人間革命」を真摯に学びし、学会活動の本流を学ぶべきではないだろうか。

他人の自慢はなぜ不愉快なのか : 創価の森ウォッチ144

創価の森通信のブログ主菊川氏の観察をはじめて結構な
時間が過ぎている。 12月3日の記事によればブログ9周年になる
そうだから菊川氏は3000日を超える日数を、ほぼ毎日記事を更新
しつづけていることになるだろう。
いまでこそ他所様のブログにコメントを書くようなことはなくなったよう
だが、ここ6年ではブログ主さんのところにリアルで足を運んだり、共同
でオフ会を企画するようになったことが大きな変化だといえるだろう。
それも、自分のブログの記事にすることが第一目的なので実地取材
だ。 今菊川氏にとって3つのブログと「ひらがな御書」のサイトは
切っても切れない関係となっている。

八年の間、創価の森ブログの内容としては変化があっただろうか。
個人的な日記を公開する「ブログ」というサービスの性質上しかたが
ないかもしれないが多くの記事が自画自賛の 自慢 である。
特に宗教的な利益を得たこと意味する「功徳」だとする内容は、
学会員として恣意的なものすら感じる。
たとえば、信濃町の本部といったような宗教施設に出向き唱題をしたら
悟りを得たとか、悩みがなくなったといったような内容だ。
たまに新聞記事と連動させ、記事見出しと中身が噛み合って
いない週刊詩のような内容も散見されのるが、痛々しい。

つい最近アメブロのオフォシャルネタとして“イラッとするSNS投稿
BEST3”
(リンクさせています)という動画が公開されていたが、
そのいずれもが 自慢 に関わることだったそうである。
どうやら 自慢話 が愉快でない方は拙だけではなさそうだ。
困った事に 自慢 をしている人間は自慢をしている自覚が
ない事が多い
。 酷い人になると「なぜ褒めないのか」
と言わんばかりに逆ギレするオヤジやオバサンがいたりする。

ではなぜ 自慢話 が不愉快になるのかというと、自慢話をする
人は今の自分に劣等感や扱いに不満があり、そのはけ口として
相手を欲求不満の解消のはけ口として使っていることが無意識
に感じ取れるからだそうだ。
(参考リンク : 自慢話をしたがる人 )
https://woman.mynavi.jp/article/140701-132/

なるほど、この不快感の説明納得できるように思う。
いうなれば個人の 精神的自慰行為 を見せつけられたような気分に
なってしまうのだろう。
上記記事にはこのように結論づけられている。

『本当に心から自分の人生に満足し、幸福を感じている人は、
その満足や幸せを守るためにも、不用意に他人に
ひけらかしたりはしません。』 
(自慢話をしたくなる、元の気持ちをしっかり見つめてみよう~)


解りやすく言えば、精神的に満たされた状態とは空腹感
を満たした時とおなじで、通常お腹いっぱいになれば
さらに食べたいという衝動が消えるのと同様、欲求が満た
されれば精神的に落ち着くものだ。
つまり 心のどこかで評価が不十分だなどと不満を感じて
いるから 自慢 をしているにちがいないのだ。

特に創価学会員さんの「功徳の体験」とやらの場合、常日頃
体験発表や報告をするといった、他者に聞いてもらう機会など
いくらでもあるはずである。
現場で功徳の話を語れば、同志の方は手を叩いて喜んでくだ
さるにちがいない。
だが、ネットで「功徳の」体験発表や活動報告をしたがるような方
はいったいどのような精神状態なのであろうか。
リアルでの会合や折伏対話ならいざしらず、個人のブログでわざわざ
幸せアピールを繰り返すのは、いわば繁華街の交差点の人混みで
名刺を配って「俺って幸福にみえるでしょう?」と連呼しているような
滑稽なものでしかない。

自慢をして見せて、恥ずかしくないほどの世間知らずがネット活動家
界隈には多いということになるだろう。
TPOをわきまえられない大人は見てて笑えない。
全く幸せそうにみえないからである。







 




 



隠し撮りをする境涯 : 創価の森ウォッチ143

拙が他所様のブログに出張って学会アンチさんや、あべひアンチさん
と対話や討論をしていると、必ずといっていいほど使われる詭弁術
がある。 それは「対人論証」というものだ。

対人論証
○ある提題を主張する人の主義・人柄・地位などを理由にして、その
 提題の真偽を判断しようとするもの。人に訴える論証。
(weblio辞書)



根拠を示せず論破できないときや、自分が説明責任を
果たせない落ち度を、読者から隠す為に相手の人格、または
相手の所属する組織を攻撃して周りに訴える、安易かつ愚かな手段
の一つである。 人身攻撃ともいう。
拙の経験からいわせてもらうと、対人論証に陥りやすい人は
わが身を誇って相手に「自慢」をしてしまう自己陶酔型のタイプに多い。
他人の評価を過度に意識しているからこそ、自分にとって不都合な存在
である相手の評価を下げてしまおうという意識が働くのだろう。
学会アンチさんが学会員に対してよくつかう「創価脳」という蔑称や
学会員ブロガーが、意に沿わない会員さんに向けて根拠もなく
「ナリスマシ」や「未活」などと疑惑を持ち上げて牽制するのは典型的
な 対人論証 だといえる。 
簡単にいえば、対人論証 とは悪意をもった「キーワード」を用いて
周りに意識付け(印象操作)を目論むことだ。

ある集団内で議論が紛糾し 対人論証 がおこなわれ成功すると、
悪意をもった「キーワード」が同調者の間で連呼されるのでわかりやすい。
また、悪意をもった「キーワード」に惹かれ、他の悪意をもつものが集まって
呼応しはじめるのが実に興味深い。
monlingenさんのブログでは拙は「中毒者」だということにされており
コメントを通じ何度もキーワードを連呼することで、学会アンチさんまで
が氏のブログに集まってきたほどで、「毒のあるコトバ」にはかなりの
ブログ誘引効果 があるようだ。
また同じブログに集まらなくとも、「毒のあるコトバ」を読み感化された
別のブロガーが「毒のあるコトバ」を用いて記事を発表して呼応する
パターンもある。
少々前置きがながくなってしまったが、菊川氏の「創価の森通信」で
11/23日に発表された 「猟奇的批判者の人生」がこれにあたるだろう。
monlingenさんのブログで感化された「中毒者」というキーワードを
沖縄の学会員うるとらまん氏が創価の森コメント欄持ち込んでいること
からも、菊川氏の拙に対する 対人論証 は成功していたといえる。

では菊川氏のいう「猟奇的批判者」とはなんであろうか。
記事を読むと、氏の「功徳の話」であるブログ記事を批判するものが
猟奇的な人間の根拠であると説いている。
菊川氏にとって「自分の善行の話」は自慢話にはあたらず、この類の
話題を自慢話と取る人間は「諂曲した心」としか言いようがなく「病的」
なのだそうだ。創価の森通信での最新記事(11/25日付け)は「予告の
予告」という記事だがその中で語られるのは「境涯が上がった自分」で
あるらしい。
(境涯=自分自身が持っている十界論で説かれた生命状態。)
一般的に自慢とは

「自分のこと、自分に関係の深いものを、自分でほめ人に誇ること。」
(google辞書)


とある。
自分から「利を得た」話、たとえ他人に親切に振る舞った事で
あっても場もわきまえずに他人に披露するのは 自慢 でしかない。
ましてブログで自ら自賛記事を世界発信している状況を
“自慢ではない”と反論したところで納得できる方がいるだろうか。
また新記事の予告によれば「境涯が上がった自分」を表現するらしい。
菊川氏がブログを始めてどれだけ生命状態(境涯)が上位にシフトされた
のかは、未だ持って拙には解りかねるが、これだけは言える。

菊川氏の境涯とは
通勤途上の電車内で、ドアに挟まれた他人の雨傘の画像を
車内撮影でしたうえで、親切にしてあげたことを「利他の人生」と自画自賛する
サブタイトルをつけたうえで撮影された相手にとって恥ずかしい画像をブログに
アップできてしまう
←(ログにリンクしています) ぐらいの 境涯 であるということだ。

一般論だが混雑している車内で、知らない間に他人の持ち物を撮影するのは
「隠し撮り」にあたってしまう。仮に菊川氏が傘をドアを挟んだ女性に対し
「この傘撮影してもいいですか」と許諾をとった上で撮影していたとしてもブログ
に掲載し世間に公表してしまった時点で大問題だろう。
後に“通勤トラブルの解消法”の画像の内容に疑問もった読者の方に対し
菊川氏はわざわざ別記事で釈明をしているが「めずらしいから撮った」と
述べただけである。

氏は他人の喧嘩は間にはいって仲裁できるのだそうだが、自分がやって
いる マナー違反 やブログでの 対人論証 は利他であり善行だと考えて
いるのか「やめましょう」とはならないようだ。
そして、これ見よがしに世間に自慢をする人を仲裁する人はあまりいない。
「へーそうですか」 と相づちをうったり、イイネボタンを押しておけば、当人
はいたってご機嫌なことを皆知っているからである。
批判などしようものなら、拙のように誹謗中傷されることは目に見えている
し現在進行形で確認できるのではないだろうか。
これもまた彼等の 境涯 の成せる技というほかない。

たとえ信仰体験を発表し、リア充アピールをするなど模範的に見える学会員で
あっても、SNSやブログをつかって 自慢 ができるタイプの方とコミュニケーション
を取ることは、あまりおすすめできない。
その理由と根拠を書くと、長くなってしまうので、また改めて別記事で書かせて
いただきたいと思う。




















  















 






















悪しき前例の模倣と拡散 : 創価の森ウォッチ142

前記事では2ヶ月半ぶりに「創価の森」関連の記事を更新させて
いただいたが、記事公開の後、親切な方がを菊川さんに間違い
を指摘され、新しく記事を公開しなおしたうえで新・人間革命の
継続を祝いだようである。
日曜日は小説新人間革命の連載がおやすみなので、新聞に目を
通さない癖がある方もいるかもしれないが、日刊の聖教新聞は毎日
読んで仏法の研鑽してほしいものだ。

さてなにげに創価の森通信を拝見すると、視覚障がい者の人材グループ
のメンバーである 千早さん が、なにやらボランティア組織の窓口になる
ことを公表されたようで、わざわざ彼女のブログリンクが貼られている。
monlingenさんのところで現在対話をすすめている、学会の組織外での
「組織信仰活動」の話題に 千早さんもコメントを寄せられていたことがある
のだが、拙だけでなく他の学会員さんの中でも「組織外組織」に懐疑的な
意見をもっている方がおられることを意識してのことであろう。
千早さんのブログ記事には「組織非公認のボランティア活動」であることを
明記されメールアドレスが併記されている。
また、菊川氏のブログにも
「このボランティアは、正式な学会組織ではありませんが、創価学会自体が
 容認している
とても有益なボランティア」だと断りが書いてある。

この文言だけ読めば、創価学会ではいつ「個人のボランティア活動」を
容認(?)するセクションができたのだろうと思われた読者もいるだろう。
おそらく彼等のいう「学会自体が容認している」という根拠は
創価学会幹部が活動を制止したり制約しないという意味だろうと推察される。
または、「ひらがな御書」のようにボランティア活動に一部の学会幹部が
間接的に関わっているか、しらない間に関わらされている可能性もある。

そもそも千早さんが所属されている自在会という学会の人材グループを経由せず
聖教新聞などを読んでくれる「音読」ボランティアの窓口になる意味がよく判らない。
すでに一定数の「音読ボランティアグループ」準備されていることが考えられる。
それにしても、なぜ個人のブログを窓口にしたのだろうか。
考えられることは、彼女がブログを通じ日蓮大聖人の御書を「聞ける」ように
してもらう便宜を図ってもらったことが遠因ではなかろうか。
「菊川氏」がやったように、ネットでのボランティア活動を宣伝し学会員
協力者を募集する窓口になろうとしているのではないか。

以前拙は菊川氏の「ひらがな御書」計画に対し
「便宜主義では成長しない」という記事を公開させていただいたことがある。
拙は信仰上の問題は自分の信心を深め解決していくことが成長の
糧になると考えているし、学会指導にもそのように書いてある。
再掲させていただこう。

学会活動の場合、便宜をはかったからといって、長つづきしないし、
 それが向上の因となるとは限らない。
 多少不便であっても、その努力が向上の因になる場合もある。
 学会の組織は、まだまだ強化されなければならない。
 なれ合いや、便宜主義は厳に警戒しなければならない。

 池田大作著  指導メモ 85ページ



ネットが普及する前の指導ではあるが、現在でも学会組織内
では会員同士の馴れ合いや、その会員が努力すればできる
ようなこと、すでにやっていることに対し便宜を図るようなことは
戒められなくてはならないだろう。
なぜなら成長の伸びしろを「善意」の名のもとに損ねているからだ。
便宜を図ってもらったことで恩義を感じ、「人」についていくような
信心は、「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)の原理にも反する
し組織を乱す破和合僧の因にもなりうる。
だからこそ「厳に警戒」するように指導されているのだ。

残念ながら、どんなに素晴らしい理論を学んでも人間は自分が
経験したこと以外で正邪の判断をするのは難しいものだ。
手間がかかるよりも手軽なほうを好むようになるのも、利便性を
追求して発展してきた人間の本質だからこそだろう。 
ネットで救われたものはネットを偏重しそこに活路を見出すものだ。
一度ネットのコミュニティで救われた経験のある人にとって
現場の組織活動は「ネットでの自己表現」のため、また賛同者
や協力者を募るための隠れ蓑になっていくことだろう。
はたしてそれは、仏道修行といえるだろうか。


菊川氏がブログ村ではじめた偽善的「ネット信仰イベント」の拡散
が、形をかえ他者により模倣され、それが継承され拡散されていく。
いずれこういった非公認信仰イベントが、創価学会の組織撹乱の
一因になることを危惧する。
また、菊川氏はすでに組織利用の現証がでていることを謙虚に
自省すべきだとおもう。
このままでは、主催者、協力者双方の信心に傷をのこしてしまう
ことになるだろう。
これがいかほどの罪業を積み福運を消す事になるのか、思いを
馳せてほしいものだ。

//////////////////////////////////////////////

monlingenさんの該当ブログへのリンク 
スレッド名をクリックすると該当ブログにいけます。

対話専用部屋 :  対話専用部屋Ⅱ

外野席部屋 :  外野席部屋2 : 外野席部屋3 :  外野席部屋4
外野席部屋5 : 外野席部屋6  : 外野席部屋7





座談会でデマを流さないで :創価の森ウォッチ141

創価の森の小さな家を始めとする3つのブログを運営する菊川氏
が、小説「新・人間革命」について記事にされることが時々あるので
興味深く拝見している。
かつて、現在閉鎖された菊川氏のブログ「月下の騎士」の記事内に
戸田先生の執筆された人間革命はフィクションで、池田先生
の執筆された人間革命はノンフィクションだと主張した氏の記事に
反論を何本か書かせていただいたことがあるが、彼の人間革命へ
の認識は、拙にとってかなり違和感を感じる部分があって注目しつ
づけている。

池田大作著の人間革命、引き続いて現在でも執筆がつづけられている
「新・人間革命」は、単行本にして30巻が刊行される予定であることは
あらかじめ池田先生自らが第一巻の巻頭部分に「はじめに」として
書かれているのでご存知の方も多いだろう。
現在聖教新聞に鋭意連載中の新人間革命の暁鐘の章は後に刊行
される第30巻での四章目にあたる。一巻の構成がおおむね四章分で
あることが多いので暁鐘の章で締めくくられるのではないかと心配され
るかたも多かったのだろうか、過日11月12日(日)付の聖教新聞紙上
(第三面)で、第五章『勝ち鬨』を執筆中であることが池田先生の
メッセージとして公表された。

ところが、菊川氏の最新のブログ記事を拝見すると氏が主催した
ブロック座談会で「今月で新人間革命の連載が終わる」と参加者
および担当の幹部の前で説明したというのだから驚いた。
さらに、人間革命の終了を

“でも、上級幹部クラスが知らない訳です”


と念をおし、他者の無知を引き合いにだして、菊川氏自身の利口さを
際立たせる表現をとったのは失笑を禁じ得ない。

上記の記事が書かれ投稿されたのは今朝(2017年11月14日
火曜)のことであり、氏の座談会が開催されたのが一昨日と書かれて
いるので、座談会は12日(日曜)の昼か夜に座談会が行われたこと
になる。 仮に投稿に1日のタイムラグがあると考えても、日曜日の
聖教新聞を熟読していれば“人間革命が今月で終わるなどと”予言
めいた内容を断言している記事を火曜日に投稿するのは気が引ける
だろう。
つまり、菊川氏は意外と聖教新聞を読んでいないことになる。

また通常、学会幹部として会合などで発言をする機会などがあれば、
当日の聖教新聞にはあらかた目を通して話題にするなどされるのが
一般的だろうと思う。
しかし、菊川氏は自分が主催する座談会であったにもかかわらず、
聖教新聞を読まず、根拠の薄い思い込みの産物でしかない錯誤情報
を部員の前で説いていたのだ。
奇しくも日曜日は創価学会の2018年度スローガンが聖教新聞で大々的
に発表された日であったため、池田先生を希求されている真面目な
学会員さんなら同日の紙面に、新人間革命の新章が執筆されるつつ
あることをご存知であったろうし、菊川氏のブロックの部員さんでも知って
おられた方もいるやもしれない。
当然上位の幹部さんは、新章の執筆をご存知であっただったろう。
だが菊川氏は、そんな事実すらしらず訳知り顔で誤情報を発表し
たうえで困惑されたであろう部員さんや幹部に対し、火曜日になった
今でも我見に固執していることに気づかぬまま記事を公表したことになる。

おもえば師弟不二を実現されている学会員さんが研鑽されている人間革命
を、フィクション、ノンフィクションというさほど意味のない文学上の立てわけ
を力説された菊川氏は、拙の批評にたいし、まるで人間革命のことなら誰より
も良くわかっているといわんばかりの態度をとっていた。
彼を援護していたオトモダチも彼に感化されて同様の態度をとっていた。
ただ5年まえの当時と違うのは、結果的に座談会でデマを流してしまった事実
について氏がもし情報がまちがっていたら「大嘘つき」になるであろうことを
あらかじめ予測していたことであろう。  だが実際にはそうなってしまった。 

菊川氏の該当記事は「削除予定」とされている記事なので
本日中にでも消されてしまえば、あとは氏や氏のオトモダチらの配慮で
処理されて拙のヨタ話ということにされてしまうかもしれない。
「また阿部日が些細な事を騒いでいる」などと論じるものもいるだろう。

その前に、たくさんいるはずの氏のブログの常連読者や地区、支部の
幹部が「菊川氏の間違いに気が付かない」ことや、あとから事実を
教えてくれなかったことに読者は思いを馳せていただきたい。
もしかすると、彼の所属する茨城県の現場でも氏を指導する人材が
いないのかもしれないからだ。

ともかく、ネットにかぎらず人前にたって持論を述べるのなら、紛らわ
しい表現で惑わせたり未確認のデマを語って伝えてしまわないよう
に常に心がけることが大事だとおもう。
また間違いに気づいて放置しておくのも罪なことではないだろうか。












 







創価学会会憲の無断コピー・ネット再配布:創価の森ウォッチ140 

本日付け(2017/9/2)の聖教新聞の紙面をご覧の方は
新たに創価学会会憲が制定され一般公表されたことを
すでにご存知だろうとおもう。

実はこの報道は昨日(9/1)の時点でにマスコミを通じてされており
その内容を創価学会公式HPで確認されたかたも多いのでは
ないだろうか。
創価学会公式HPリンク
http://www.sokanet.jp/

拙はネット上の創価学会員さんがあつまって登録しているブログ村で
誰が一番にこの会憲を話題にするかを注視していた。
予想通り菊川氏の「創価の森通信」でお昼過ぎにとりあげられていた。
しかし、記事の内容は学会公式HPからの無断転載とネットによる再配布と
いう由々しき内容だった。
いちおう氏は記事内で創価学会公式サイトの内容であることは告知して
いるもののトップページのリンクも貼らず、公式サイトの著作権についての
項目(サイトポリシー)に表示されている
「当会の同意なしに、文章、画像、音声及び動画等を第三者に配ることを禁止します。」
のルールを無視している状況だ。

たんなるコピペの内容なら時間もかからないので、いつものように
早朝に「無断転載」記事をアップされるかとも拙は予想していたが、午前中から
個人日記的内容の記事をアップされていたところをみると、おそらく聖教新聞
の内容に気がついたのはお昼前のことと思われる。
それはともかく、タイトルは「創価学会会憲の意義と内容」となって
いるため、まるで公式サイトかのように紛らわしい。
検索サイトを伝って創価学会会憲を調べに来る方を、自分のブログへと誘導する
意図も考えてのことだろう。  
他人の著作物であるにもかかわらず善意ということで無断転載できるタイプ
の方が案外学会系ブログに見られるが、総じて小狡いのではないだろうか。

いくら自分が創価学会員だからといって、ルールも無視し第三者のコンテンツ
をそのまま自分のブログに転載してまでして、ランキングアップやイイネの
評価がほしいのだろうか。
模倣する人がでてくることを予想しないのだろうか。
読者の方はこういった悪事をマネをしないでほしい。
また不法行為を助長するブログにまちがっても「感謝のコメント」などは
いれないでほしいと切に願う。


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