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大阪ダブル選挙投票日

2015年11月22日、政令指定都市「大阪市」が「大阪府」へ自治権奉還をするかどうかを
市民に問うた、いわゆる「大阪都構想」に事実上失敗した維新の会が
巻き返しを狙う「大阪市長選挙、大阪府知事選挙」の投票日となった。

前評判通り、「維新派」と「反維新派」といった様相を呈しているようですが
マスコミ各社はこの「ダブル選挙」に関し、世論を煽る訳でも無く静かに
見守っているように感じます。

世間では数字のゴロ合わせで「いいふうふ」の日となっていますが、維新の会を
たちあげた橋下氏の構想では「市長・府知事」のいわば夫婦(めおと)体制による所
が大きいように思います。維新の会側はダブル当選をしないかぎり「退潮」とみなされる
でしょう。

先だって、所要で大阪南部の年配の方とお話する機会がありましたが、「維新の会」
なかんずく、実務的な松井幹事長に対する期待感・信頼感はまだ失われていない
ように感じました。
そのうえで、「橋下みたいな少々強引なのがおらんと、なにもかわらへん」と言われるかたも
いれば、「いいかげん橋下のやり方では、よけい大阪のイメージが悪なるだけや」という
方もおられました。

拙の予想では、当選確実の報は投票締め切りとほぼ同時にマスコミが発表するとおもわれます。

期日前に投票を済ませた方も数多くおられるようですが、足かけ8年間の大阪市政、大阪府政
への「信任」となるか「不信任」となるか。

とても気になります。






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それぞれの 11.18 創価学会創立記念日

本日、創価学会創立85年目の11.18を迎えることができました。
学会員の皆さんおめでとうございます。

毎年、地区で協議された弘教拡大の目標を「11月18日までに達成」することを
目指し地道な活動をされていることと思います。
目標達成をされたされないにかかわらず、「目標を定めた学会員の連帯は強い!」
と毎年のように感動し再確認させていただいてます。
また、自己の反省をしつつ新たな歩みを進めていきたいと思います。

さて、読者の皆さんは昨年の11.18の頃、創価学会の会則の教義条項の変更
にかかる話題が、ネット上で錯綜していたことを覚えておられるでしょうか。

内外問わず、創価学会という組織に批判的な方は、学会本部が
「弘安二年の大御本尊を受持しない」と明記したことで、会員が混乱し
多くの退転者が出る可能性がある等々、訳知り顔で憶測を述べていました。

さて、皆さんの地域ではどうでしたか? 
少なくとも、「創価学会が教義を変更した」という理由で退転されたという方は
拙の近隣では皆無でした。
相変わらず日顕宗門徒は昨年の機関紙大白法の号外を、学会員宅に投げ込む
などのムダな努力を続けているようです。

本年も「勤行要典」の改正が昨日発表され、今日は会長の任期等に関する会則変更
が聖教新聞のみならず、一般紙においても公表されました。
一部のマスコミや、学会本部に批判的な連中の中には、11.18に原田会長が退任し
新会長が誕生するといったガセがまことしやかに囁かれていましたが、原田会長が
再任され、これも杞憂に終わりました。
また、11.18に脱会をしよう、とわざわざ呼びかけているブログもあったりします。

いずれにしても創価学会から距離をおいたり、やめてしまった以降であっても
創価学会創立を記念する『 11.18 』 に固執し、我執をもって第三者にはたらき
かけてようとあれこれ画策している姿は、世界平和の為に弘教拡大に邁進され
現場での祝福と歓喜の輪の中で喜び合っている「同志」の姿と正反対に映るのです。

一見すると、退転をした人でも「楽しそう」にすごしているようにみえるかもしれませんが
わずかばかりの名声を得た程度でのぼせあがり、愚痴と不平をこれ見よがしに書き込ん
で悦に入っている姿が「幸せの現証」であろうはずもありません。
別れた彼女や家族に対し、いつまでも文句を垂れている人をみて「幸福」を感じる方は
いないでしょう。  でも、本人は嬉しそうです。 自分では「歪んだ喜び」であることが
解らないのです。  
だからこそ退転してしまうといっても過言ではありません。

引用をします。
◎形式ではない。格好ではない。見栄ではない。
 できあがった組織の中を泳ぐのでもない。
 自分自身が本当に戦ったのか。前進したのか――それで人生の勝負は決まる。
 「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書二三一ページ)――
 (心地観経に)未来の結果を知ろうとするならば、その現在の因を見なさい(等とある)――。
 これが「開目抄での御言葉である。
 今、自分は、いかなる原因をつくっているのか。今、どう行動しているのか。
 これで、未来は決まるのである。

『第四回本部幹部会 われらの前進は「万年の長征」』 
  (平成8年10月25日:東京牧口記念講堂・池田大作全集87巻 139P~140P )


みなさんも、ネット上でも「しあわせそう」な自称学会員さんと出合う場合があるでしょう。
しかし、毎日のように活動(生活)報告をブログ記事にアップするような方。
つまり、学会活動の軸足を「ネット」において現場で活動している人が、現場で黙々と活動
されている同志をさしおいてまで「賞賛」されなければならないのか。
不平や愚痴をもらしていても「激励」しつづけなければならないのか。

上記の池田先生の指導は、自分が、まずどの場所で責任を負うべきかを問われています。

何年も「個人のコミュニティ」のための学会員ブログを運営し、代わり代わり他者を巻き込み
成長していない自分を自画自賛しつづけなければならない原因を真正面から捉えないかぎり、
貴方や貴方たちの本当の明るい未来は訪れません。
まして「宿命転換」など夢のまた夢です。

11.18を単なる「お祝いの日」ではなく、いまいちど己と向き合う日にして行きましょう。


創立85周年の11.18を記念して。 


















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何故、創価の看板を下ろしたのか

(元記事 2011/3/5  改定 2015/11/07)

もともと、小野不一氏のブログは「創価王道」として長い間運営されていた。
今でも検索では「創価王道」が引っかかる状態だし、相変わらず「斧節」の
ワードで検索されて拙のブログ記事に来訪される方が後をたたない。

だが、5年前、小野不一氏は、ブログタイトルから「創価」の看板を下ろした。

その当時の記事が以下である。

※N氏の論文を読む。内容的にはどうってことのない代物だ。ただし、これが知的生産者
としての決意表明であれば評価は劇的に高まる。責任という名の束縛がある。
立場という足枷(あしかせ)も存在する。真の自由の前には強大な壁が立ちはだかって
いる。N氏がその壁に手を掛けたのであれば、私は触発されざるを得ない。

 というわけでブログタイトルを変更することにした(笑)。私は私の歌を歌おう


(小野さんのブログ 2010/11/18~)
http://megalodon.jp/2011-0305-1755-30/d.hatena.ne.jp/sokaodo/20101118


あるブログの記事(論文)を読んでの感想らしい。
拙は「創価王道」の時代に小野さんに情報提供等の交流をしている人でNの
イニシャルを持つ人は、ある人しか思い浮かばなかった。 壮年部の那由佗楽人さんである。

小野不一氏の記事は、2010年の 11.18 の記事なので、ソースは同日または
それ以前の那由佗さんの記事であろうと探してみた、以下がその魚拓だ。

※だから、今回の任用試験のテキストを見たときに
「もうそろそろ五重の相対から脱却したほうがいいのではないだろうか」と思ったのである
http://megalodon.jp/2011-0305-1811-21/blog.goo.ne.jp/nayuta-gakujin/e/bb8f68f8b7c2d0aa4f2c5f868551bc25



上記記事の投稿後、那由佗さんの主張を 「五重の相対は差別主義」と
捉えた人がいたようだ。もちろん反論されている人もいる。

この投稿を見て 「創価の看板からの脱却」 を感じたのが小野不一氏だと
するのは考えすぎだろうか。
いずれにせよ、人集めに使い古した創価の看板を下ろした小野さんは、組織批判
にさらに熱を入れる事になっていった。

もし私の推論が正しいのなら 是非今まで引用した師匠の指導等も削除していただきたい。

師匠の指導を検索して「組織誹謗」の毒を見せられたものはたまったものでは
ないからだ。

さらに言わせてもらうならば、小野氏がブログから「創価の看板を下ろした」といった
ような不穏な内容をワザワザ記事にし、そのソースをイニシャルにおき替えたのは、
相手(N氏)に対しても迷惑がかかるという配慮もあるからだとおもわれる。
それならば、学会批判を公然と始めた人間が、師匠池田大作の過去の指導を引用する
場合も同じように配慮すべきだとおもう。

いずれにしても御書や過去の師匠の指導(創価三代の師匠)の指導をネットで掲示して
いる自称学会員諸氏はその「言動や振る舞い」を、逐一同志から厳しく問われるだけの
理由がある事は間違いないとおもう。
誰だって、自分が師とする人物を汚されたくはないだろう。

批判をされたり反論をされただけで「自分は差別されている」とか、「オレをバカに
している」等の卑屈な考えが少しでも頭をもたげるのならば、ネットのような
衆人環境において、「創価学会」の看板を最初からあげたりしないほうがベターだろう。
なぜなら、『創価学会』や『池田大作』のネームバリューを利用したネット集客は、
今現在でもかなりの効果が認められる。 特に、学会員さんの反応はがぜん高い。
それだけ、他の学会員さんからの目も厳しくなるのは当然だとおもう。
記事内容を褒めてもらえるかもしれないが、厳しい批評をされる方もいることは予測
できないこともないはずだ。

那由佗さんが、「創価学会」の看板に因らず、教学のあり方について批判的な記事を
書かれた事をみて、小野不一氏が「創価学会」の看板を下ろしたしても
「真の自由」とやらを手に入れることは出来たのだろうか。

言わせて貰うならば、未だに小野氏は「創価学会」に縛られているようにしか見えない。
看板は下ろせたとしても、攻撃の対象としてみている間「真の自由」を得る事はないのだろう。

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