事実上の組織となっている「ちよ」ブログ:真実を語るウォッチ 31

墨田区の婦人部ちよさんのブログで、興味深い投稿がなされていた。
アメブロともだちのある方が、「ネット唱題会」について学会本部に電話を
かけて質問をされたのだそうだ。

質問者の方は、「ネット発のリレー唱題会」に学会員として参加するのは、
NGなのかを問い合わせられたのだ。
結論からいうと、ネット唱題会に参加するしないについて、創価学会としては
禁止していないということらしい。

ただ、注意しなければならないのは、自分の地域での(組織)活動
を根本としていることを念押しされたうえで、組織外の組織を立てること、また
参加を強制することはNGなのだということ
が指摘されていたそうだ。

読者の皆さんは、ネット発のイベントなので「参加を強制する」のは難しいと
おもわれるかもしれないが、参加呼びかけに応じないオトモダチをHNで
名指しして小ネタにすることで心理的圧力をかけることができる。
実際にそのような事を「ちよ」さんは何度かやっている。

それにしても、ネットであっても組織立てて活動をすることはNGだと
の明確な判断が今回なされていることに注目したい。
ただ、これは別にネットに限ったことではなく、現場においても創価学会に
無断で、複数人が学会活動、または、それに類する活動にをすることは
御法度で、下手をすると現場の組織において処分の対象になってしまう。

組織とは

「特定の目的を達成するために,諸個人および諸集団に専門分化された
役割を与え,その活動を統合・調整する仕組み。または,そうして構成された
集団の全体」
(大辞林)


とある。

つまり複数人の人間が、ある共通目的を達成するために、役目を与えて
実行させ、その活動を「調整」するなど役割分担がなされていれば組織
たり得ることとなる。
したがってブログにおける「リレー唱題」などは「主催することを宣言し」
「他者にも呼びかけ」「報告」を求めている時点で「組織活動」といえる
と拙は考える。

ちなみに、学会本部に電話をかけて指導をうけた「うな。」さんは、昨年
入会された方で、東京隣接県の方だ。
入会勤行会の件をブログに書いたところ、なぜか「ちよ」さんが、うな。さんの
会館での入会勤行会に参加したそうだ。
もちろん「ちよ」さんが紹介者なのではない。
その点だけでも、かなり違和感がある方が多いだろう。

入会時に、ネットのトモダチが関わってしまっている事からして、うな。さん
はネットでの学会員の個人的コミュニティ活動を「ごく普通」と感じておられ
るのかもしれないが、現場で幹部の方に聞いたところネット信仰イベント
を理解してもらえなかったと書き込まれている。
ようするに、地域の同志との信仰活動という「普通」の活動とは異質のもの
だから理解してもらえなかったのだと思われる。
さて、公開された学会本部への質問の内容をみるかぎり
ネット信仰イベントについて
「個人的に参加すること」は問題ないですか?と聞かれたにすぎないようだ。
読者である学会員さんは、企画し運営し、他者に宣伝し報告をする
ことも要求するといった「ネット信仰イベント主催者」としての立場を
うな。さんが聞いたわけではない事に留意しておくべきだろう。
また学会本部は「個人的な表現活動」等について、いちいち会員
に許諾を求めたり、禁止などできる立場ではないことは以前拙が
お話させていただいた通りである。

さらには、真実を語るブログでの「学会本部に質問」の内容を
そのまま転載している交際相手のハピネス氏も協力者だと
いえるが、「ちよ」さんにつけハピネスさんにつけ、問い合わせを
した、うな。さんよりも信心の長い先輩が、批判の矛先をそらす
目的で、まだこれからの新入会のメンバーを巻き込んでしまう
のは、正直みっともないと思わないのだろうか。

さて、せっかくなので組織活動に該当しないケースを考えて
みたいとおもう。
たとえば、自分のブログで「自分は○時~○時に唱題をします。」
と書き込むに留め、個々の読者はコメント欄で「私もやってみます」
と答えるぐらいが適当だろう。

定期・不定期にイベント化したり、主催者、参加者が他のブログにも拡散
するのは過ぎた宣伝行為の協力だし、積極的に他者を巻き込みにいって
るのだから組織活動に該当するといいたい。

墨田区の婦人部「ちよ」さんは、自分がはじめた24時間リレー唱題について
強制はしていないし、組織活動もしていないと言い訳をするかもしれない。
だが、創価学会本部の返答にもあったように
「自分の地域での活動を根本にしている」のだから、唱題という
最も重要な信仰活動を地域外の不特定多数の学会員に呼びかけ結集
させていること自体が、すでに根本からはずれていると反省すべきでは
ないだろうか。

これは、創価の森ブログの「ひらがな御書」の運営方法にも同じ事が言えるだろう。

また墨田区のちよさんは、リレー唱題について、一体感があったと自讃されている
が、およそまっとうな学会員さんなら世界どこでも毎日朝・夕の勤行を欠かさない
だろうし、自分が唱題をしている時間に世界の誰かが「唱題」をされているであろう
ことを考えたことがないのだろうか。 
自分と同じように、御本尊様に向かってお題目をとなえている現場の会員さんに
対し、同志としての親和感を感じないのだろうか。
結局は「自分の発案した疑似学会活動」に、賛同してくれた人だけをねぎらって
いるに止まっている。
しかも、29日の記事を読むと、リレー唱題の後、現場活動である地区の協議会
に「ちよ」さんは参加できなかったそうだ。

おそらく、協議会は日曜の夜か月曜の夜(1/25)の夜だろうとアタリをつけ
真実を語るブログをみてみると、ほぼ一日ブログのコメントを書き続けている。
ブログに書き込まれるコメントの応対に時間を割いて現場活動に支障を来して
いるのだとすれば本末転倒だろう。
ある女子部の発案という形にこそしているが、それを自分がネットで組織立て
て実行しなければ唱題行の醍醐味を味わえないのだとしたら、かなり信心に
難が起こっていると言わざる得ない。

そして活動に支障がでたという、現証がでてしまっている以上、信心の悪い
兆しに気づこうともせず、ノリでおだてることで、さらに「ちよ」さんをネットに
縛り付けつづけている参加者も、善知識とは真逆の存在と化してしまう。

2016年1月号の大白蓮華93ページに
「ちょっと祈って、ぱっと良くなるのであれば信心が深まらないし、
               本当の人間革命も宿命転換もできません」


という意味深い指導が掲載されている。
ネット信仰イベントで「充実感」を感じた人は、上記の指導を胸にきざみ
どこに主戦場があるのか活動の軸足をおかなければならないのかを
再考してほしいものだ。




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感動の呪縛

前段にて、「ネット信仰イベントに未来はあるか」というタイトルで記事を公開
させていただいたが、肝心の「未来はあるか」について、ほとんど論じていな
かった。失礼いたしました。

ちょうど、墨田区の「ちよ」さんから、ネットで結婚予定宣言をされるほど、
親密なおつき合いのある壮年部の方がブログ記事を通じ、ネット信仰
イベントについて、あまり否定的になりすぎなくてもよいのでは?との
所感を述べられていた。 御礼申し上げたい。

拙がネットの自称学会員さんの言説、イベント募集について批判的
意見を書くと、実際にだれにも迷惑がかかっていないし、そういったネット
コミュニティを必要としている人(喜んでいる人)もいるじゃないか・・・という
結果論を理由にご意見を聞く場合がある。おなじようにお考えの方も、
それなりに多いことだろうと思う。

さて本題に入りたい。

昨年、学校の運動会で行われる「組み体操」での事故について話題に
なったことを覚えておられるだろうか。
昨今の小・中学生の運動会での組み体操が、ここ10年の間に大がかりな
ものになり、転落をするなどして大けがをする児童がいるのだという。
平成25年だけでも全国で8500件あまりの事故があったのだそうだ。
(NHK時事公論: 「組み体操と学校」 誰が子どもたちを守るのか 参照)

上記のサイトでは、学校の構造的な問題が潜んでいるとして
論じられているが、拙は社会においてネットを通じだれもが
「感動的コンテンツを配信」できる利便性が、より行動をエスカレート
させる背景にあると考えている。
組み体操が危険性を無視し、巨大化したのも10年ほど前からという。
ネットで素人が撮影した動画がアップでき、共有され、閲覧者から
直接評価をしてもらえるというサービスが社会現象となったのも
ちょうど10年ほどまえではないだろうか。

ある運動や技が成功し動画をアップする。それを視聴した人が感動する
だけなら問題ないのだが、模倣をしたり、動画を参考にし、さらに高度な
技を公開することを目論む人がでてくることは想像に難くない。
よく言えば向上心旺盛な人、悪く言えば無謀な人でてくるものだ。

そこまでの動機がなくとも、ネットに発信した内容に対し第三者から評価を
されることで、リアルではなかなか感じられないような達成感や充足感を
得た経験をもったり、自分が感動をした内容を、他の人とも共有し、同様
の感動を味わって欲しいと考える人もいるだろう。
しかし、自分が感動したからといって、同じような内容を模倣し、
他者が、同じ感動を得ることができたり、ブログ運営が成功すると、
考えているなら甘いと言わざるを得ない。
誰でもできるようなことや二番煎じ内容には、独自性がないからだ。

特に創価学会員系のSNSにおいて、拙が一番不思議なのは、個人
のごく日常的ブログ記事を読んで、自分の心が救われたと感じ書き
込みをするほど、感受性の高い創価学会員さんが、なぜ毎日配達
される聖教新聞や大白蓮華といった機関誌に掲載されている珠玉の
体験談の話題にほとんど触れないのだろうか。
年始から聖教新聞で小説・新人間革命が掲載が再開された。
熱原の法難を通じ、信仰と弟子の生き方についての指導されて
いるにも関わらず、その記事に賛同する内容を投稿している人
がなぜほとんどいないのか。
自分の地域でおこなわれているはずであろう学会活動で心を
動かされといった記事がなぜほとんどないのだろうか。

ネット上のブログ記事は、新聞雑誌などと違っい編集作業を経て
いないため、荒削りなものや起承転結のない漠然としたがものが
ほとんどだといってよい。
そのような記事内容であっても、筆者が同じ信仰をしている人という
共通点で感動を増幅できるのなら、リアルで人と人とが集い対面して
いる座談会や学会活動は、なお楽しいことだろう。

ところが実際には、ネットの学会ネットコミュニティにもっぱら軸足を
置き、活動家ぶっている人は、師匠が機関誌で渾身の指導を書き
連ねておられてもなんら感動することがすくない。
また、リアルでの問題解決策や、日々の活動の代替意義をネット上
の情報に求めている時点で現実逃避をしているといえる。

また、読者が書き手を褒めちぎるのは“非日常”をたのしんでいる
ロール(役割)プレイングゲームの参加者の心理と同じように、
見知らぬだれかから、自分が求められ評価をされることを期待して
他者にはたらきかけている場合もあるのだ。

たしかに、ネットのコミュニティでも上手く読者と意思疎通を図れば
一定の達成感や充実感を得られることはできよう。
だが、ネット上でのことを現場に持ち込み地域の学会活動に変えて
しまうのは、筋道がとおらない。
個々の会員が好き勝手に活動するのが学会活動ではないからだ。

まして、自分の理想的学会活動をリアルで具現化していくために、
ネットで知り合ったにすぎない他地域の同志や、大幹部の肩書きを
活用している自己中心的で無責任なネット活動家は、自分が企画した
信仰イベントに対し第三者から好評価を得た経験から、「感動の呪縛」
に陥り、「正しい事をやっている」「もっとやらなければならない」と確信的
になってしまうものだ。
最期にはネットと現場の区別がつかなくなり、自分の所属地域の学会員
さんとトラブルとなってしまう。
それは、まるで保護者が拍手喝采するのでやめられなくなった
学校体育祭の「巨大ピラミッド」と同じように「感動」がリスクを見えなく
してしまうのと似ている。

そうなった時には遅いのだ。

ネット信仰イベントは、他者を危険にさらすだけではなく自らの信心をも
破る「負の面」が潜んでいることに気がつくべきではないだろうか。



















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ネット信仰イベントに未来はあるか:真実を語るウォッチ 30

墨田区の婦人部「ちよ」さんが妙にネット信仰イベントに凝っているようだ。

ネット信仰イベントとは、学会活動の真似事をブログコミュニティ等、私的
なネットワークで行う事を指す。

広義において不特定の相手に対し、自分の経験談や成功譚を公表することも
含まれるかもしれないが、もっと具体的にいうならば
「○○さんが困っています。お題目を送りましょう」とか、「○○の成功を祈って
同盟唱題をしましょう」といったように、不特定の読者に対し唱題や教学と
いった個人としての信仰上の行いを、ブログの集客イベントとして催すこと
だと考えていただければよいと思う。

過去にも何人かの自称学会員さんが同様の事をしているが、そのつど
「いいアイデアだ」と確信している脇の甘い学会員さんが乗せられることになる。

今回墨田区の「ちよ」さんが主催している 「24時間同盟唱題」 といった
タイトルの信仰イベントに、いつのまにやら20名以上の賛同者のHNが列記
されている。
しかもこの「同盟唱題」とやらは「一人の女子部員の一言から始まった」
(真実を語るブログ 24時間唱題会(随時追記) おはようございます より抜粋)
のだそうだ。

通常、現場の同志間で行われる同盟唱題は、その現場での明確な「目標」が定め
られたり、他の方が実際に活動等をされている時間に合わせ、その地区のかたが
無事故を祈ったりされているもので、ただ単に
「これから私、お題目をあげるので、見知らぬ皆さんもいかがですか?」
といった誘い方はされない。
特に、お題目をあげて功徳をえる際のセオリーは「目標を明確にすること」
といった指導は昔からされているし、現場の同志との「異体同心」の信心は
同志との信仰の絆を高めるうえでもはずせないところでしょう。
ところが、ただ「24時間リレー唱題」をすることにのみ目標を置き、各自が
思い思いの「願い事」をしているのなら、「異体異心」の信心ではありませんか。

昨年末聖教新聞紙上で東大名誉教授の西垣さんが
「リアルから離れたネット上で情報を交わしているだけでは「言葉の力」は磨かれない」
と示唆されたのと同じように、
ネット上で唱題時間の情報を交わしているだけでは「対話(弘教)の力」は磨かれない
ようにおもえてならない。

信心が磨かれないだけならまだしも、自分に注目してもらいたい・・という我欲の為に
組織外での活動を積極的にネットで発信している方は、最初は調子よくみえても、
どんどん現場の活動から離れていく結果となっていった例を拙は実際に見てきた。

「末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民
      始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」 (聖人御難事)

と御文にあるとおりで、自己発揚(自分を売り込むこと)の為に、なにも
知らない学会員さんを巻き込んでしまうならば、信心がおかしくなって
くるのだ。

ちょうど本日付け(2016/1/24日)の聖教新聞の名字の言にも
学会活動は、どこにおいて成すべきかが書かれていた。


大境涯を目指す私たちの修行は、「全ての人」の前に「目の前の一人」、
 「世界」の前に「わが地域」に尽くすことから始まる


「あたらしい価値観」や「アイデア」にめざとく、すぐ相乗りしてしまう方でも
、記事に書かれた“目の前の一人”は,モニター越しの「だれか」ではなく、
“我が地域”とは「人気者」に集まってきたコミュニティではないことは感じて
いるのではないだろうか。

学会員さんだから、スゴイ体験があるから、肩書があったから「悪知識」
にはなりえないと安易に考えないことが大切だ。
ネットで“このゆび止まれ”式の信仰イベントを持ちかけてくる人は、
怪しいと警戒し、静観するぐらいが適当だと思う。
うっかり巻き込まれると、おなじ役目を演じる関係者になってしまうからだ。

視点を変えてみると、感情に訴える学会アンチさんがとっている方法も、
内部攪乱を狙う処分者たちも、やっていることが「賛同者をあつめネットで注目
を浴びる」という目的や手段が同じであることに気がつかないだろうか。

リアル社会で見向きもされてない存在だと強く感じているからこそ、ネット
で一部ユーザーでも良いから存在感を示せるよう目論んでいるのだ。

はたしてそれは「絶対的幸福境涯」を得た姿だといえるのだろううか。

「真実を語る」をはじめとする、学会員系ブログで積極的に書き込みをされ、
福島の壮年氏から専用掲示版を与えられていた、みかん。さんがネットを
一時撤退される前に書き込まれた文言が印象深かったので、引用しておこう。



ある人からずっと前に言われた、「幸せなリアルを持つみかん。にはネットの
創価学会は必要ない」という言葉が(なぜか今)ふと思い出されたりもします。

(2015年11月13日(金) みかん。の未完熟教学箱。 より抜粋引用)

拙は、上記の指摘をされた方は、まぎれもなく 善知識 だと思う。






















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酒好き男の講釈:創価の森ウォッチ 130

創価の森の菊川氏の個々の記事についての論評を書くのは久しぶりだ。
とはいっても、まったく氏のブログを見ていない訳ではない。
毎日チェックをしている。

拙のブログのタイトルは「魅惑的な人々」とタイトルがついているが、
ブログ村の創価カテで上位をとる人物がどのような言辞を公開して
人気をとっているのか、目が離せないからだ。

さて、最新の記事を拝見すると、昨晩(2016年1月15日)はめずらしく
義父さんの話題がでていた。

お気づきでないかたもいるかもしれないが、菊川氏は茨城の自宅に
奥様のご両親と同居されている。
めったにブログの話題にはアップされないが、菊川氏がなにがしかで
関わった時のみ家族の話題がでる傾向が高い。

たとえば、ここ数年、正月には岡山の真庭市にある菊川氏の実家に
帰省してすごされているのだが、とうとう今年は奥様が同行されて
いることは話題にあがらなかった。

また、毎年の市民ハーフマラソンに友人と参加されるため、トレーニング
がはじまったようだが今年の記事には「職場」の同僚と走っているとは
書かれていない。ただ「友人」と一括りにされている。

最近では意識をして身内の「プライバシー」を詳しく書かないように
されたのかとおもいきや、今回の最新記事では、「山崎」というウィスキー
を通じ、自分が酒好きでツウであることをアピールするの同時に、
同居の義父さんが普段安いウィスキーを飲んでいることをわざわざ公開
し、対比させている。


酒はその人にとって、「あうあわない」という好みにも依るところも大きい
嗜好品だ。

しかも菊川氏が提示した画像には山崎1923 とあるので、「山崎」ブランドの
ウィスキーの中で一番新しく安価な部類のものだ。
http://theyamazaki.jp/product/

以前、墨田区の婦人部「ちよ」さんからボージョレーヌーボーを土産
に貰ったときにも感じたが、菊川氏は「ブランド」や洋酒をたしなむ事
に一種のステータスを感じているようで、味わいを楽しんでいるよう
には見えない。

一見すると菊川氏が「好きな酒」を義父と一緒に飲んだという、ほのぼの
とした話題にみえるかもしれないが、それならば、わざわざ義父が普段
安酒を飲んでいるなどと証す必要性はかなり低いのではないだろうか。

通常の普段飲みであまりお金をかけたくない人に対し、ちょっとばかり
「ブランド」の通った酒を飲ませたところで、自慢にもならないだろう。








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