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ネット宗教活動家の批判対処法

monlingenさんがはじめた東京墨田総区の婦人部 ちよ さんと
の「ネット同盟唱題」に関する対話は、よほど都合が悪かったのか
拙を一方的に「中毒者」として扱うことで収束をさせるつもりのよう
である。ネット活動家 「ちよ」さんが目論んでいたとおり、また拙が
予想していた通りの対処法だったといえるだろう。
唱題を重ねているとアピールして憚らない ちよ さんの新しい展開
を期待されていた読者の方には申し訳ないが
現在(2017/11/30)「対話部屋2」でのコメント投稿は「ちよ」さんの
返答が滞っている状態であるにもかかわらず、「俯瞰中毒行動分析課」
という新しいスレッドには ちよさんや彼女に期待を寄せるネット活動家ら
の所感が書き込まれつづけていることからみても、真摯な対話を続ける
つもりなどなくなったらしい。

予想していたかのように書くと、「結果論ではないか」と批判されるかも
しれないが拙と ちよ さんの対話はこれが最初ではないのである。
今から二年前、墨田総区の婦人部ちよさんは彼女のブログで、
「あべちゃん 墨田の話」 (2015/2月:当時のログとリンクしています)という一対一の対話スレッドを
作成し消去。
また同年3月には再度「あべひさん こっちへおいで」(当時のログとリンクしています)という誘導記事、を
設置していたことがあり、曖昧に答えたり質問を変えて話をはぐらかす手法や
特定の記事内に相手を誘導して、他の参加者にも中傷をさせるという
個人 対 複数の同調者の組織的イジメの手法をとっていたからである。
今回は、北海道の壮年部であるmonlingenのブログを借りた形になって
いるが、ちよさんが書くことや、やっていることは本質的に二年前と対して
変わっていないことを、改めて確認させていただいた。

なにが変わっていないのかというと、彼女らの対話逃避法である。

1:ちよさんが不利になるとみるや、彼女のブログのオトモダチが話に
 割込んで加勢してくる。
(オトモダチ=ちよさんと内々に個人情報を交換しているほどのシンパ)

2:オトモダチが対立者への個人攻撃をしかけたことを確認した後、
 ちよさんは対話に消極的な姿勢を表明し、引いてみせる。

3:ちよさん自身はオトモダチらの個人攻撃には加わらず、傍観を
 決め込み、自分絡みの別の話題には積極的に関わる。
 (ウラでを取り合っている可能性が捨てきれない)

4:ほとぼりが覚めたころに、訳知り顔で総括をはじめる
 と同時に「お題目を送っている」等と自身の信仰深さを印象づける。

5:オトモダチや協力者に対しては優しいコトバをかける。敵対者に
 対しては無視を決め込む

 
簡単にいえば、相手を悪者にしたてあげた上で自分たちの
行動の正当性をアピールしつつ、内々の結束を固めてしまうやり方だ。
根本的には、アンチさんがやっている手法となんら変わらない。

あるサイトでは“人を悪者にしたてあげる人物”の特徴を3例
あげて「警告」を促している。
○自分を正当化したい  ○標的をつくる  ○責任をとらない

(参考リンク)
 【あてはまったら要注意】周りから悪者に仕立て上げられる人の特徴とは?

上記には対処法も記されているのだが、中でも『記録を残すこと』
はとても重要であるように思う。
劣勢になったブログ主はあとから都合の悪い部分など「証拠」となる部分を
消し去ってしまったあとで、自分たちが一方的な被害者であることを読者に
印象づける記事を書くことが可能になるだからだ。

奇しくもmonlingen管理人さんが「俯瞰中毒行動分析課 対処編」
の記事内で

差し障りの無いコメントを彼等に書いて下さい。適当に流しながら、
そして、裏では彼等から送られてきた、過去のコメント類を少しずつ「削除」
していくのです。焦ら無くても、地味にやればいいのです。



と現在「ネット宗教活動」を目論んでいる方々に勧めているのもこの
証拠隠滅方である。
じつに興味深いように思う。なぜなら、墨田総区の婦人部さんが
ちよさんや菊川氏が、今までに何度もやってきた方法とも合致する
からである。 ブログごと消し去ってしまった人もいる。

それにしてもインターネットという通信媒体を利用した宗教活動に
新たな期待を寄せる学会員さんがいまでもある程度いるようだ。
無料で簡易ホームページ公開サービス(いわゆるブログ)を提供
する会社の利用規約には禁止事項が定められているものだが
おそらく確認すらしていないのだろう。
たとえば、ちよさんや菊川氏が利用しているエキサイトのユーザー
サービス規約には明確に 「宗教活動、団体への勧誘行為」
禁止されている。 他の大手SNSサービスも同様の場合が多い。
どれだけ美辞麗句をもって創価学会の素晴らしさを
アピールしているつもりでも、ネットを使った「同盟唱題」への参加
要請や、宗教活動のボランティアを募集を平然とやってのけている
のが事実だ。
世法上のルールすら護れないような無責任な人物であることは
一般の方でもわかるように思うのだが、読者の方はいかがだろうか。

/////////////////////////////////////////////////////////////
monlingenさんのブログではリアルタイムで“人を悪者にしたてあげる人物”の
涙ぐましい情報工作がご覧になれます。 覗くだけにしておくほうが無難です。

 外野席部屋7

俯瞰中毒行動分析課 始めます

俯瞰中毒行動分析課「コメント部屋」-Ⅱ

俯瞰中毒行動分析課-「対処編」




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隠し撮りをする境涯 : 創価の森ウォッチ143

拙が他所様のブログに出張って学会アンチさんや、あべひアンチさん
と対話や討論をしていると、必ずといっていいほど使われる詭弁術
がある。 それは「対人論証」というものだ。

対人論証
○ある提題を主張する人の主義・人柄・地位などを理由にして、その
 提題の真偽を判断しようとするもの。人に訴える論証。
(weblio辞書)



根拠を示せず論破できないときや、自分が説明責任を
果たせない落ち度を、読者から隠す為に相手の人格、または
相手の所属する組織を攻撃して周りに訴える、安易かつ愚かな手段
の一つである。 人身攻撃ともいう。
拙の経験からいわせてもらうと、対人論証に陥りやすい人は
わが身を誇って相手に「自慢」をしてしまう自己陶酔型のタイプに多い。
他人の評価を過度に意識しているからこそ、自分にとって不都合な存在
である相手の評価を下げてしまおうという意識が働くのだろう。
学会アンチさんが学会員に対してよくつかう「創価脳」という蔑称や
学会員ブロガーが、意に沿わない会員さんに向けて根拠もなく
「ナリスマシ」や「未活」などと疑惑を持ち上げて牽制するのは典型的
な 対人論証 だといえる。 
簡単にいえば、対人論証 とは悪意をもった「キーワード」を用いて
周りに意識付け(印象操作)を目論むことだ。

ある集団内で議論が紛糾し 対人論証 がおこなわれ成功すると、
悪意をもった「キーワード」が同調者の間で連呼されるのでわかりやすい。
また、悪意をもった「キーワード」に惹かれ、他の悪意をもつものが集まって
呼応しはじめるのが実に興味深い。
monlingenさんのブログでは拙は「中毒者」だということにされており
コメントを通じ何度もキーワードを連呼することで、学会アンチさんまで
が氏のブログに集まってきたほどで、「毒のあるコトバ」にはかなりの
ブログ誘引効果 があるようだ。
また同じブログに集まらなくとも、「毒のあるコトバ」を読み感化された
別のブロガーが「毒のあるコトバ」を用いて記事を発表して呼応する
パターンもある。
少々前置きがながくなってしまったが、菊川氏の「創価の森通信」で
11/23日に発表された 「猟奇的批判者の人生」がこれにあたるだろう。
monlingenさんのブログで感化された「中毒者」というキーワードを
沖縄の学会員うるとらまん氏が創価の森コメント欄持ち込んでいること
からも、菊川氏の拙に対する 対人論証 は成功していたといえる。

では菊川氏のいう「猟奇的批判者」とはなんであろうか。
記事を読むと、氏の「功徳の話」であるブログ記事を批判するものが
猟奇的な人間の根拠であると説いている。
菊川氏にとって「自分の善行の話」は自慢話にはあたらず、この類の
話題を自慢話と取る人間は「諂曲した心」としか言いようがなく「病的」
なのだそうだ。創価の森通信での最新記事(11/25日付け)は「予告の
予告」という記事だがその中で語られるのは「境涯が上がった自分」で
あるらしい。
(境涯=自分自身が持っている十界論で説かれた生命状態。)
一般的に自慢とは

「自分のこと、自分に関係の深いものを、自分でほめ人に誇ること。」
(google辞書)


とある。
自分から「利を得た」話、たとえ他人に親切に振る舞った事で
あっても場もわきまえずに他人に披露するのは 自慢 でしかない。
ましてブログで自ら自賛記事を世界発信している状況を
“自慢ではない”と反論したところで納得できる方がいるだろうか。
また新記事の予告によれば「境涯が上がった自分」を表現するらしい。
菊川氏がブログを始めてどれだけ生命状態(境涯)が上位にシフトされた
のかは、未だ持って拙には解りかねるが、これだけは言える。

菊川氏の境涯とは
通勤途上の電車内で、ドアに挟まれた他人の雨傘の画像を
車内撮影でしたうえで、親切にしてあげたことを「利他の人生」と自画自賛する
サブタイトルをつけたうえで撮影された相手にとって恥ずかしい画像をブログに
アップできてしまう
←(ログにリンクしています) ぐらいの 境涯 であるということだ。

一般論だが混雑している車内で、知らない間に他人の持ち物を撮影するのは
「隠し撮り」にあたってしまう。仮に菊川氏が傘をドアを挟んだ女性に対し
「この傘撮影してもいいですか」と許諾をとった上で撮影していたとしてもブログ
に掲載し世間に公表してしまった時点で大問題だろう。
後に“通勤トラブルの解消法”の画像の内容に疑問もった読者の方に対し
菊川氏はわざわざ別記事で釈明をしているが「めずらしいから撮った」と
述べただけである。

氏は他人の喧嘩は間にはいって仲裁できるのだそうだが、自分がやって
いる マナー違反 やブログでの 対人論証 は利他であり善行だと考えて
いるのか「やめましょう」とはならないようだ。
そして、これ見よがしに世間に自慢をする人を仲裁する人はあまりいない。
「へーそうですか」 と相づちをうったり、イイネボタンを押しておけば、当人
はいたってご機嫌なことを皆知っているからである。
批判などしようものなら、拙のように誹謗中傷されることは目に見えている
し現在進行形で確認できるのではないだろうか。
これもまた彼等の 境涯 の成せる技というほかない。

たとえ信仰体験を発表し、リア充アピールをするなど模範的に見える学会員で
あっても、SNSやブログをつかって 自慢 ができるタイプの方とコミュニケーション
を取ることは、あまりおすすめできない。
その理由と根拠を書くと、長くなってしまうので、また改めて別記事で書かせて
いただきたいと思う。




















  















 






















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猿とザリガニの合戦 : 真実を語るウォッチ49

monlingenさんのブログを利用させていただいた
墨田総区の婦人部 ちよ さんとの 対話は、現在(2017/11/24)
ちよさんの真摯な返答を待っている状態で、晴れて
二つ目のスレ“対話部屋Ⅱ”へと進んだのですが、以後いっこうに
進む気配はない。

拙が所感を述べ、再度質問をした11/17日と同日の外野部屋での
ちよさんのコメントに

「これ以上続けても 何ら 価値は 望めないように思います
 私たちは 価値創造の創価学会です
 先生が 仰るように 対話が大事 そう思っています 」
( 2017年11月17日 3:36 PM )


と書かれているところをみると、対話に意欲的・・いや挑発的ですら
あったはずの ちよさんが拙との対話に「価値を見いだせなくなった」
ことが理由のようだ。

自分にとって「価値が望めない」から対話をやめるのと、無から有を
生む「価値創造」の創価の精神がどのように整合するのだろうか。
また、師匠のコトバをキリ文し対話が大事といいつつ「価値が望めない」
と対話から逃げを打つ矛盾した姿勢をみせることに、彼女なりの「価値」
を見出したというべきだろうか。

拙は今回の対話の当初からネットを介した「個人組織での信仰」に
ついて、「同盟唱題」や「リレー唱題」という学会員さんなら聞き慣れた
信仰活動を、SNSでの集客と個人情報収集にも利用している墨田総区
の ちよ さんに様々な質問することで、彼女らなりの「価値観」を聴きとり
、それが創価学会における指導と、どれぐらい合致しているのかを
閲覧の皆さんに比較してもらえるようにしていたつもりだ。

かつて「ネット同盟唱題」についての対話が ちよさんもアカウントを
持っている アメーバブログ で行われたことがある。
(該当ブログ)国土世間の違いはあれど
https://ameblo.jp/1985-yuri/entry-12159926832.html

これは昨年の春のことだが、拙が始めたわけでなくネット
同盟唱題について関西の女子部アメブロユーザの方が
特設会場として始められたものだ。
ちよ(アメブロHNたえ)さんも参加され、最初は興味深く
成り行きを見守っていたが、開始直後にちよさんが

「反対なら 反対でいいんですそれは あなたの 考えだから
それこそ 学会員なのか どうなのか はっきり分からない人
に言われようと 関係ありませんこの件は以上!! 」
(たえ 2016-05-13 21:05:09)


と横柄な物言いで早々に対話の進行を打ち切ろうとしたため、
他の参加者さんが不快感を露わにされ、話が右往左往して
数日で「対話」が立ち消えになってしまった。

さすがに、これ以後一年半以上ものネット同盟唱題を重ねて
こられた ちよさん のことだから、さぞかし境涯が上がっただろう
と期待をして拙も臨ませていただいたし、今回の 一対一 の
対話部屋を設置してくださったmonlingenさんも、模範的唱題者
ちよさんに「大人の対応」を期待されていたのだろうと思っていた。

だが事実はそうではなかったようだ。
対話がはじまったわずか2日後、(11/6日)monlingenさんが
「対話専用部屋」に所感を書き込まれた直後に ちよさん のブログ
にこのような事を書かれていたのだ。

ちなみにな話ですけど、あべひさんは非学会員のようですね。
でなければ、退転に近い人かもしれません。
題目の話には一切見向きもしていません。
(真実を語る 透析の花 コメント欄 2017-11-06 21:50 )



これはmonlingen管理人さんが対話部屋の「記事」部分に
※「唱題」を根本にして対話を進めないと、間違いなく空回りになります。
※唱題をきちんとやっている人には、しっかり見る事が出来ます。
( 2017年11月5日)


と書かれていることからも、氏が「唱題をあげている」アピールを
される側、つまり ちよさんが拙を論破するであろうことをかなり期待
されていたことが伺えるのだ。

二週間たらずの間に「対話部屋」でのやりとりは遅々として進まない
(スレ2つで50コメント)代わりに、外野部屋は計7つのスレッドがたち、
400を超えるコメントのやりとりが、読者さんと「対話の当事者」、
またmonlingen管理人さんとの間で交わされたが、こちらでの
話題が盛り上がり過ぎたことを察知されたのか、はたまた、
管理責任を問われたことに感情的になられたのか、それとも
唱題者をアピールしてやまない ちよ さんと、そのオトモダチの境涯
に感化されたのか、突如monlingenkさんが拙のコメントに対し
チンパンジーがキーボードを打っているかのよう・・と中傷をされたのだ。
つまり拙は話が通じない猿であり「人外」といいたいのであろう。

まぁたしかに長文の読みにくい文章を作り上げる拙は、著名な文筆家
さんらにくらべ猿に毛が生えたようなものにはちがいないだろうが、
monlingenさんがいう「大人の対応」とは感情論に陥る事のすくない
論理的な話し合いではなかったのだろうか。
問題解決の論理的な話し合いは「説明責任」をはたすことが重要だと
考えている拙は、外野席部屋においても読者の方にできるかぎり
対話の論旨に沿った部分で「説明」にさせていただいたつもりだったが、
対する ちよ さんはどうだっただろう。

アメリカでは、主張するだけして説明責任を果たそうろしない人物を
「ザリガニのよう」だと表現する俗語があるそうだ。

ザリガニ=crawfish
((米話)) (立場・計画・物事に)しりごみする人;裏切り者,変節者
【goo辞書より】

拙と ちよさんの対話は 猿カニ合戦ならぬ 猿とザリガニの合戦だった
のかもしれない。 
猿カニ合戦は小狡い猿に対し、非力なカニが仲間と協力しあって
猿を懲らしめるという内容だったが、はたして猿とザリガニの場合は
どうなることだろう。

外野部屋でも読者との折り合いがつけられなくなったmonlingenさんは
さすがに、サル扱いは気まずいと考えられたのだろうか、
あたらしく「俯瞰中毒」というコトバを探し出して拙を分析しようと
スレッドを立ち上げられたようで、11/24日現在ブログ村創価カテで
注目記事の2位となっている。一位は退転者の眉唾記事のコピペだ。

ブログ村ではアンチの話題は人気が高く、信心の話題の人気は低調だ。
これもランキングサイトを通じた 猿とザリガニ合戦 なのかもしれない。

monlingenさんの該当ブログへのリンク 
スレッド名をクリックすると該当ブログにいけます。

対話専用部屋 :  対話専用部屋Ⅱ

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「個人商店」政党の終焉

少々前の話題になってしまうが、希望の党をたちあげた東京都知事
小池百合子氏が希望の党の代表を辞任した。
変わって玉木雄一郎氏が共同代表となり、先日も衆議院での国会論戦
で安倍首相と対峙してみせたのだが、立憲民主党の枝野氏と比較して
も、いまひとつパッとしなかったように感じた。

都民ファーストの会を率いて都議選を圧勝し自民都議を黙らせたた頃の
小池氏がなぜ「希望の党」で惨敗するハメになりフェードアウトする羽目に
なったのか、論客が様々な分析をされている。
たいていはあの「排除します」との小池氏の姿勢が問題視され有権者に
受け入れられなかったとか、党の運営が「自分ファースト」「小池独裁」
だったいうもののようだ。

拙は、都政での「豊洲移転問題」「東京オリンピック」「待機児童問題」など
の喫緊の案件対応を袖にしつつ、国政への進出を狙ったことに有権者の
理解が得られなかったことに原因があるように思う。
また、小池氏の政治塾「希望の塾」から候補者を多数擁立した都議選と
ちがい、小池氏自身の支持率が低下している中で、民新の一部と合流し
揉め事を起こしてまで国政に挑む理由がはっきりしなかったことがあげら
れるだろう。 また小池氏自身が政権を取る腹づもりがないのも一因だ。

著名な地方自治の首長が国政に挑むというヒロイックな劇場型選挙を
取っていた橋下氏の維新も国政においてはぱっとせず、橋下氏が代表
を降りてからは以前と比較し話題にもされなくなった。
小沢氏とタッグを組んだ元滋賀県知事嘉田氏の「日本未来の党」なぞは
消滅している。

拙が個人的に注目していた嘉田氏にいたっては、今回の衆議院選挙で
滋賀1区の民新党川端議員の後釜候補として出たものの、たのみにして
いた希望の党への入党が「元国政政党の代表」であったため叶わず、
無所属での出馬となった。
その結果、社民との選挙協力が成立せず野党内候補者と票を食い合う形
となり自民党候補に敗退してしまった。無所属であるため比例復活もない。
嘉田氏は今回も国政レベルの政治的駆け引きが成就せず敗退したのだ。

「既得権益にしばられない」とか「しがらみのない政治」といえば有権者に
聞こえが良いが、なんら後ろ盾がない「個人商店」政党である以上、その
共鄒は著名な創立者の人気に左右される。 また著名人であっても、
国政に挑む場合においては「既成政党の現職国会議員」というしがらみ
を使わなければ、支援地盤のない小選挙区選挙には勝てないのだ。
また、負けたら負けたで「分裂」、勝ったら勝ったで地方議員と国会議員の
間には深い溝が横たわり、大抵の場合、地方議員の声よりも国会議員の
声が重んじられ対等という関係ではなくなるのが常だ。
政党の代表選挙で、地方議員、国会議員との一票の格差が設けられて
いることからも見て取れるだろう。
風雲児だった橋下氏すら自党の国会議員を御せなかった。

選挙互助会にすぎない即席政党が「既得権益にしばられず」
政党を維持できるのは、国民一人あたり250円の税金を原資と
する政党助成金という財源があるからだ。
政治評論家の森田氏が、あるテレビ番組で“政党助成金のおかげで
政党がダメになった”と主張されていたが拙もそのように思う。
支持団体の言うことに耳を傾けなくても、国会議員の人数さえ揃えれば
莫大な資金をせしめることが可能になってしまったからだ。

もともと、小選挙区比例代表も政党助成金も、政権交代が容易な欧米の
二大政党制を意識して作られたものだが、導入されてから一向に日本版
二大政党が熟成されないどころか、かえって選挙前に小粒の政党が乱立
、し一強多弱による連立の構図に拍車がかかっているのが現実ではない
だろうか。
となれば、マスコミの話題をさらうだけの著名人による個人商店政党などは
有権者の政治への期待感だけを煽る目眩ましにすぎない。
何度も期待を裏切られた「無党派層」というくくりの有権者は、ますます
シングルイシューの劇場型選挙に流されやすいものと、無関心層に分断
されることだろう。
地方と中央の不均衡状態を解消できないままで、有権者が国会議員、
議員を統括する政党を育てていくことができるのだろうか。甚だ疑問だ。

また一部マスコミでは、一旦国政から退いた橋下氏が再度「希望の党」へ
合流するのではないかとの憶測を呼んでいる。
氏が頻繁に希望の党の国会議員らにメッセージを公表しているからだが
自陣の「国会議員」らに悩まされたと述懐する氏がわざわざ、沈みかけの船
である希望の党に合流するだろうか。
多くの有権者がそうであるようにマスコミもまっとうな国会議員や政党を言論を
持って育てるつもりなどないのだろう。
政党政治への期待がもてず、さりとて個人商店政党へも期待できない。
はたして、次にでてくるのはどんな形のポピュリズム政党だろうか。














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悪しき前例の模倣と拡散 : 創価の森ウォッチ142

前記事では2ヶ月半ぶりに「創価の森」関連の記事を更新させて
いただいたが、記事公開の後、親切な方がを菊川さんに間違い
を指摘され、新しく記事を公開しなおしたうえで新・人間革命の
継続を祝いだようである。
日曜日は小説新人間革命の連載がおやすみなので、新聞に目を
通さない癖がある方もいるかもしれないが、日刊の聖教新聞は毎日
読んで仏法の研鑽してほしいものだ。

さてなにげに創価の森通信を拝見すると、視覚障がい者の人材グループ
のメンバーである 千早さん が、なにやらボランティア組織の窓口になる
ことを公表されたようで、わざわざ彼女のブログリンクが貼られている。
monlingenさんのところで現在対話をすすめている、学会の組織外での
「組織信仰活動」の話題に 千早さんもコメントを寄せられていたことがある
のだが、拙だけでなく他の学会員さんの中でも「組織内組織」に懐疑的な
意見をもっている方がおられることを意識してのことであろう。
千早さんのブログ記事には「組織非公認のボランティア活動」であることを
明記されメールアドレスが併記されている。
また、菊川氏のブログにも
「このボランティアは、正式な学会組織ではありませんが、創価学会自体が
 容認している
とても有益なボランティア」だと断りが書いてある。

この文言だけ読めば、創価学会ではいつ「個人のボランティア活動」を
容認(?)するセクションができたのだろうと思われた読者もいるだろう。
おそらく彼等のいう「学会自体が容認している」という根拠は
創価学会幹部が活動を制止したり制約しないという意味だろうと推察される。
または、「ひらがな御書」のようにボランティア活動に一部の学会幹部が
間接的に関わっているか、しらない間に関わらされている可能性もある。

そもそも千早さんが所属されている自在会という学会の人材グループを経由せず
聖教新聞などを読んでくれる「音読」ボランティアの窓口になる意味がよく判らない。
すでに一定数の「音読ボランティアグループ」準備されていることが考えられる。
それにしても、なぜ個人のブログを窓口にしたのだろうか。
考えられることは、彼女がブログを通じ日蓮大聖人の御書を「聞ける」ように
してもらう便宜を図ってもらったことが遠因ではなかろうか。
「菊川氏」がやったように、ネットでのボランティア活動を宣伝し学会員
協力者を募集する窓口になろうとしているのではないか。

以前拙は菊川氏の「ひらがな御書」計画に対し
「便宜主義では成長しない」という記事を公開させていただいたことがある。
拙は信仰上の問題は自分の信心を深め解決していくことが成長の
糧になると考えているし、学会指導にもそのように書いてある。
再掲させていただこう。

学会活動の場合、便宜をはかったからといって、長つづきしないし、
 それが向上の因となるとは限らない。
 多少不便であっても、その努力が向上の因になる場合もある。
 学会の組織は、まだまだ強化されなければならない。
 なれ合いや、便宜主義は厳に警戒しなければならない。

 池田大作著  指導メモ 85ページ



ネットが普及する前の指導ではあるが、現在でも学会組織内
では会員同士の馴れ合いや、その会員が努力すればできる
ようなこと、すでにやっていることに対し便宜を図るようなことは
戒められなくてはならないだろう。
なぜなら成長の伸びしろを「善意」の名のもとに損ねているからだ。
便宜を図ってもらったことで恩義を感じ、「人」についていくような
信心は、「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)の原理にも反する
し組織を乱す破和合僧の因にもなりうる。
だからこそ「厳に警戒」するように指導されているのだ。

残念ながら、どんなに素晴らしい理論を学んでも人間は自分が
経験したこと以外で正邪の判断をするのは難しいものだ。
手間がかかるよりも手軽なほうを好むようになるのも、利便性を
追求して発展してきた人間の本質だからこそだろう。 
ネットで救われたものはネットを偏重しそこに活路を見出すものだ。
一度ネットのコミュニティで救われた経験のある人にとって
現場の組織活動は「ネットでの自己表現」のため、また賛同者
や協力者を募るための隠れ蓑になっていくことだろう。
はたしてそれは、仏道修行といえるだろうか。


菊川氏がブログ村ではじめた偽善的「ネット信仰イベント」の拡散
が、形をかえ他者により模倣され、それが継承され拡散されていく。
いずれこういった非公認信仰イベントが、創価学会の組織撹乱の
一因になることを危惧する。
また、菊川氏はすでに組織利用の現証がでていることを謙虚に
自省すべきだとおもう。
このままでは、主催者、協力者双方の信心に傷をのこしてしまう
ことになるだろう。
これがいかほどの罪業を積み福運を消す事になるのか、思いを
馳せてほしいものだ。

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monlingenさんの該当ブログへのリンク 
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対話専用部屋 :  対話専用部屋Ⅱ

外野席部屋 :  外野席部屋2 : 外野席部屋3 :  外野席部屋4
外野席部屋5 : 外野席部屋6  : 外野席部屋7





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座談会でデマを流さないで :創価の森ウォッチ141

創価の森の小さな家を始めとする3つのブログを運営する菊川氏
が、小説「新・人間革命」について記事にされることが時々あるので
興味深く拝見している。
かつて、現在閉鎖された菊川氏のブログ「月下の騎士」の記事内に
戸田先生の執筆された人間革命はフィクションで、池田先生
の執筆された人間革命はノンフィクションだと主張した氏の記事に
反論を何本か書かせていただいたことがあるが、彼の人間革命へ
の認識は、拙にとってかなり違和感を感じる部分があって注目しつ
づけている。

池田大作著の人間革命、引き続いて現在でも執筆がつづけられている
「新・人間革命」は、単行本にして30巻が刊行される予定であることは
あらかじめ池田先生自らが第一巻の巻頭部分に「はじめに」として
書かれているのでご存知の方も多いだろう。
現在聖教新聞に鋭意連載中の新人間革命の暁鐘の章は後に刊行
される第30巻での四章目にあたる。一巻の構成がおおむね四章分で
あることが多いので暁鐘の章で締めくくられるのではないかと心配され
るかたも多かったのだろうか、過日11月12日(日)付の聖教新聞紙上
(第三面)で、第五章『勝ち鬨』を執筆中であることが池田先生の
メッセージとして公表された。

ところが、菊川氏の最新のブログ記事を拝見すると氏が主催した
ブロック座談会で「今月で新人間革命の連載が終わる」と参加者
および担当の幹部の前で説明したというのだから驚いた。
さらに、人間革命の終了を

“でも、上級幹部クラスが知らない訳です”


と念をおし、他者の無知を引き合いにだして、菊川氏自身の利口さを
際立たせる表現をとったのは失笑を禁じ得ない。

上記の記事が書かれ投稿されたのは今朝(2017年11月14日
火曜)のことであり、氏の座談会が開催されたのが一昨日と書かれて
いるので、座談会は12日(日曜)の昼か夜に座談会が行われたこと
になる。 仮に投稿に1日のタイムラグがあると考えても、日曜日の
聖教新聞を熟読していれば“人間革命が今月で終わるなどと”予言
めいた内容を断言している記事を火曜日に投稿するのは気が引ける
だろう。
つまり、菊川氏は意外と聖教新聞を読んでいないことになる。

また通常、学会幹部として会合などで発言をする機会などがあれば、
当日の聖教新聞にはあらかた目を通して話題にするなどされるのが
一般的だろうと思う。
しかし、菊川氏は自分が主催する座談会であったにもかかわらず、
聖教新聞を読まず、根拠の薄い思い込みの産物でしかない錯誤情報
を部員の前で説いていたのだ。
奇しくも日曜日は創価学会の2018年度スローガンが聖教新聞で大々的
に発表された日であったため、池田先生を希求されている真面目な
学会員さんなら同日の紙面に、新人間革命の新章が執筆されるつつ
あることをご存知であったろうし、菊川氏のブロックの部員さんでも知って
おられた方もいるやもしれない。
当然上位の幹部さんは、新章の執筆をご存知であっただったろう。
だが菊川氏は、そんな事実すらしらず訳知り顔で誤情報を発表し
たうえで困惑されたであろう部員さんや幹部に対し、火曜日になった
今でも我見に固執していることに気づかぬまま記事を公表したことになる。

おもえば師弟不二を実現されている学会員さんが研鑽されている人間革命
を、フィクション、ノンフィクションというさほど意味のない文学上の立てわけ
を力説された菊川氏は、拙の批評にたいし、まるで人間革命のことなら誰より
も良くわかっているといわんばかりの態度をとっていた。
彼を援護していたオトモダチも彼に感化されて同様の態度をとっていた。
ただ5年まえの当時と違うのは、結果的に座談会でデマを流してしまった事実
について氏がもし情報がまちがっていたら「大嘘つき」になるであろうことを
あらかじめ予測していたことであろう。  だが実際にはそうなってしまった。 

菊川氏の該当記事は「削除予定」とされている記事なので
本日中にでも消されてしまえば、あとは氏や氏のオトモダチらの配慮で
処理されて拙のヨタ話ということにされてしまうかもしれない。
「また阿部日が些細な事を騒いでいる」などと論じるものもいるだろう。

その前に、たくさんいるはずの氏のブログの常連読者や地区、支部の
幹部が「菊川氏の間違いに気が付かない」ことや、あとから事実を
教えてくれなかったことに読者は思いを馳せていただきたい。
もしかすると、彼の所属する茨城県の現場でも氏を指導する人材が
いないのかもしれないからだ。

ともかく、ネットにかぎらず人前にたって持論を述べるのなら、紛らわ
しい表現で惑わせたり未確認のデマを語って伝えてしまわないよう
に常に心がけることが大事だとおもう。
また間違いに気づいて放置しておくのも罪なことではないだろうか。












 







関連記事

SNSだと簡単にできる組織 :真実を語るウォッチ48

真実を語るウォッチと副題をつけておいて最近はmonlingenさん
の設置してくださった 対話専用部屋 での話題ばかりで、読者の方
には申し訳ないが、 真実を語る ブログの主催者で墨田区の
婦人部 ちよ さんが来訪されているので、しばらく対話スレ
関係の話題になることを了解いただきたい。

さて、拙が信仰イベントと呼称している ネット同盟唱題 は創価学会員
として許される信仰活動なのか違うのか・・・という基本命題を元に、
ネットで信仰イベントを主催し続けている ちよ さんと「対話専用部屋」で
意見交換をしているつもりだが、拙が無い頭を捻って具体的な質問を
させてもらってもツイッターのような短文でしか返答がされないので
少々苦慮している。

それよりも、墨田区の婦人部 ちよ さんと関係の深い、沖縄那覇市の
学会員うるとらまん氏と中国地方の学会員・自在会所属の千早さん
お二方が「外野席部屋」に来訪されてそれぞれの主張を書き込まれた
内容が非常に興味深かった。
おおむね ちよさんの「ネット信仰イベント」やその募集・勧誘は
 組織活動 にあたるものではない という認識なのだが果たして
そうなのだろうか?

一見すると 個人の表現活動の一環にすぎない と見る向きができなくも
ないだろう。 しかし自由参加とはいえ創価学会における信仰活動の根幹と
される「唱題」をブログ主が第三者に時間を割り当てたり、唱題のために
連絡を取りまとめ彼女のブログで公表していることは 個人の表現活動
というだけで済まされるものなのだろうか。

これはおそらく「組織」の認識が個人個人によって違うことが考えられる。
世間では創価学会が 組織 として認めるか否かで世の組織の存在が
定まるものではない。
Facebookの「創価学会大好き」のような非公認の学会員組織もあるし、
かつて拙が関わった日蓮正宗門徒とのネット討論も複数人が関わって
組織的に動画配信をしたこともある。
つまり、価値的に対話を進めるには組織の定義を共有することが大事
だろう。

一般的によく言われる 組織 の三原則とは

共通の目的をもっている(組織目的)
お互いに協力する意思をもっている(貢献意欲)
円滑なコミュニケーションが取れる(情報共有)

(経営学者チェスター・バーナードが提唱している組織の3要素)


を満たしていることだとされている。拙もこの三原則には異論はない。

宗教法人創価学会も「組織」の体をなしているし、対立する
日蓮正宗も同じだし、会社という営利組織も、NGOという非営利組織
も各種学校も上記三原則から外れることはないので「組織」といえる。

では、墨田区の婦人部 ちよ さんが継続的に主催している
ネット同盟唱題会 はどうなのだろうか?
彼女曰く
「自身の人間革命と宿命転換 世界の平和と 一切衆生の幸福」
を祈念して (←共通の目的)
「私たちの 同盟に 参加してみたら」(←お互いに協力する意思)
「電話を繋げて 一緒にあげていますよ」(←円滑なコミュニケーション)
「住む地域は違くても お題目だけは いつでも どこでも 誰とでも
 できる修行」 (←信仰活動)
(いずれも文はmonlingensさん 「遅咲きの宿業転換」での
 ちよ さんの勧誘コメント)

つまり事実を挙げていくと立派な 組織だてた宗教活動 になる。

ちよさんも「組織」については納得をされたのか 対話専用部屋で
「 それが 組織というのなら 組織だらけですね 」と発言されたが
全くそのとおりなのだ。
むしろSNSという通信ツールをつかって人を集め、ある目的を共有し
実行するための「組織」をつくることは、いとも容易いのだ。
「私が認識していないから組織ではない」という理屈は、デカルトばりの
「我思う故に我あり」 という自我認識論に近いといえるだろうか。

そういえば、ちよさんは墨田区の何名かの幹部に「組織内組織」に
ついて尋ねたそうだが、「幹部が知らない組織」は組織ではないという
認識論へもちこみたかったのかもしれないとおもうと、あの返答も納得
がいく。
私は組織として認識しない
   ↓
知り合いの学会幹部も組織として認識していない
   ↓
したがって組織は存在しない

では詭弁でよく用いられる三段論法だ。

この事実が認識できていないかぎり、組織か否かを論じても徒労に
終わってしまっただろう。 
ちよさんがど「ネット同盟唱題」という形態を「信仰組織」と認識して
くれたことは対話の次のステップに進めるのではないかと拙は
少し期待している。

/////////////////////////////////////////////

monlingenさんの該当ブログへのリンク 
スレッド名をクリックすると該当ブログにいけます。
(11/14追記:この記事を公開した後に増えたスレッドリンクを追加しました)

対話専用部屋 :  対話専用部屋Ⅱ

外野席部屋 :  外野席部屋2 : 外野席部屋3 :  外野席部屋4
外野席部屋5 













関連記事

対話で気づく己心の修羅 :真実を語るウォッチ47

前記事で書かせて頂いたように、 monlingenさんのブログで対話をする
機会を与えていただいたのだが、拙がリンクさせていただいた記事は、
墨田区の婦人部ちよさんとの対話を進める場所ではなかったらしい。
別に特設のスレッド「対話専用部屋」(記事末にリンクを貼ります)
を立ててネット同盟唱題について一対一で「ちよ」さんと対話をするという
様式をとってくださったようだ。 本当に申し訳ない。

特設スレッドでは、当事者しか書き込めない代わりに「外野席部屋」
(記事末にリンクを貼ります)
を別に作って、「ちよ」さん以外の方が
「ネット同盟唱題」についての是非や対話の感想を書き込むことができる
という心憎い配慮もされていることは閲覧の方に対してもありがたい
ことだろう。
さて、拙は所用をこなすため2日ほど(6日・7日)創価系ブログの閲覧
やコメントを書き込むといった作業を休ませていただいていたのだが、
その間に対話専用部屋で「ちよ」さんは、短く意味がわかりにくい反論
を書き込まれただけだったようだ。
その代わり「外野席部屋」に書き込まれた、感想に対し「ちよ」さんが
わざわざ説明をしたり、拙に対し「創価学会員さんと いう感じが 全く
といって しないのです」などと感想にかこつけた印象操作をしようと
している姿が見られた。
また、本日(8日)墨田区の「ちよ」さんに宿泊などの経済的便宜を図って
もらったことがある沖縄の「うるとらまん」氏も彼女を援護するためであろ
うか、『アベさんは活動しているのか、誰も分かりません。会った人も
いません。正体不明です。そのような人のことを気にする必要はない』

 といった対話そのものに否定的な意見も書き込まれている。

あとで読者の方も自ら確認をしていただければよいと思うのだか、
互いのブログで距離をおいた鍔迫り合いならまだしも、いざ第三者
さんの協力をえて 一対一の「対話」をセッティングされ、お互いが
了承してしまってから「あの人、正体不明だから無視しましょう」とか
「学会員じゃないかも」などという根本的な疑問をあげ対話拒否の
理由にするのはいかがなものだろうか。

かつて、「うるとらまん」氏は三年前、拙がおじゃましていたブログに
このように書き込んだいたことを思い出した。

『先ほども壮年部の幹部と話しました。
あべひさんという人、いつも、こんなに書いているの?仕事しているの?
活動しているの?と24時間ネットしているんじゃないのと不思議に思っていました。
(うるとらまんさん談 2014/05/18 00:18) 』



拙をどのように想像しようが、それこそ個人の勝手だが上記コメントで
注目していただきたい点がある。
ネット上での個人的な表現活動での論評に、直接関係のない「壮年部の幹部」
といった役職名を使って、自分の意見の正当性を高めようとしている点だ。
これは、墨田区の婦人部「ちよ」さんにも共通する手法である。

「ネット同盟唱題」が彼女が在籍している地区組織の承認を経た得た上で
おこなわれているものなのどうかを問うと彼女は

『地区だけでなく 支部幹部も知ってるよ』
『たまに 了解得て 電話を繋げて 一緒にあげていますよ』と
(2017年11月2日 8:35 PM 遅咲きの宿業転換コメント欄より引用)


返答をされた。


拙は地区幹部、支部幹部がネット同盟唱題を「知っているかどうか」を聞いた
わけではない。
仮にたまに了解を得たというケースがあっても、だれにどのように了解を
されたのか見当もつかない曖昧表現しかされていない。
また、「全国幹部も応援している」 という表現に関してはスルー状態のまま
ですらある。
一見すると彼女は質問に答えているようにみえるかもしれないが、丁寧さも
真摯さもみせられないまま「組織幹部の肩書」を出してしまうところに対話の
最初から彼女の行き詰まりを感じるのは拙だけではないだろう。

佐渡御書には
「修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」
との一節がある。
これは阿修羅がその身をおごり帝釈天にいくさを仕掛けたにもかかわらず
いざ不利になると小さな蓮の中に隠れてしまったという仏典に説かれた説話
を通し、驕り高ぶってているものは、じつは臆病であることを示されている
御文と拝されるだろう。

ミスを指摘され他人の実績にすがったり、直接関係のない役職者の肩書を
出してくるのは、それすなわち「自分のしていることに確信がない」ことの顕れ
でもある。
また引き合いに出された第三者や、役職者さぞかし迷惑なことだろう。
ネットを通じてあらたな信仰活動を模索して驕り高ぶっているものたちに
とって、リアルにおける創価学会や池田先生の存在が我が身の愚かさを隠す
「蓮」でしかないのだとすれば、こんな信仰をバカにした話はないだろう。

責められないために「学会員」であることをことさらアピールし、我が身を
護るために、小我を隠すために池田先生の指導を利用するような、修羅
丸出しの自称弟子がネット上には存外数多くいるように思う。

よくよく自省してもらいたいものだ。

/////////////////////////////////////////////

monlingenさんの該当ブログへのリンク 
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対話専用部屋

外野席部屋

外野席部屋2




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対話から逃げるという事 :真実を語るウォッチ 46

拙がおじゃましているmonlingenブログの管理人さんが
わざわざ拙と、ちよ(アメブロHNたえ)さんとの、対話スレを設立
してくださったようです。
http://hjk859420.xsrv.jp/2017/11/03/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A9%B1%E5%90%88%E3%81%84%E3%82%92%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/

この対話スレは、monlingenさんが、あるコメント投稿者の提案を
受けて設立されたものです。
正直、monlingenさんから提案をされた時に、自分が感じた事を
お互いのブログで書き込んでその記事が同じ「ブログ村創価カテ」
で告知される以上わざわざ、第三者のmonlingenさんの手を煩わ
せる必要もないという趣旨のコメントをさせていただきました。

彼女や彼女を応援する方との他ブログや掲示板でのネット対話
は一度や二度ではありませんし、そもそも拙がブログというものを
作ったのは彼女や彼女を応援する方々の“他人様のブログ
(掲示板)で、拙が論評を書き込み、反論を求めるのでは迷惑
になるのでは”とか“卑怯だ”などという趣旨の意見を受け入れて
のものです。

ところが何を勘違いされたのか「ちよ」さんは、拙がmonlingenさんの
コメント欄に「わざわざスレを立ててくれなくても・・」という趣旨を書いた
だけで 「対話は 嫌みたい」というタイトルで印象操作目的のブログ記事
を立てる始末。
https://megalodon.jp/2017-1105-1442-43/https://www.blogmura.com:443/profile/01158565.html
そもそも、拙はmonlingenさんが ちよさんと拙、両人の同意がなければ
スレッドを立てられないだろうと思っていたのですが
「大人の話合いを希望します」との対話スレを立てられ、その事実が
ブログ村の新着記事にも上がっていないような僅かなスキに
「拙がちよさんとの対話を拒否している」かのようなブログ記事を
公表したのですから、正直「ちよさんはなんて軽率なのだろう」と
思いました。
現在(11/5日)では謝罪するわけでもなく
「対話は嫌じゃなかったみたい」というタイトルにコッソリと変更しています。
彼女はこういった「都合のよい情報操作」というかご都合主義の
アリバイ工作がお得意であるのはお変わりないようです。

さて昨年の春。ちよさんがHN田辺ユリ子さんがアメーバブログで設立
してくださった「ネット同盟唱題」にかかる対話スレで、わずか2日で
「無駄なことはやめましょう」と対話を打ち切った彼女が、一年
以上経てネットイベント信仰を繰り返し、どれだけ他人の話
に耳を傾けられるだけの境涯へと成長されたのか、読者の皆様
は興味深いとおもいませんか?。

昨年当時の対話スレッド、コメントが残され公開されていますので、
興味のある方は、まずは昨年の墨田区婦人部活動家 ちよさん 
の対話応対の内容を御覧ください。

「国土世間の違いはあれど」(田辺さんのブログ)
https://ameblo.jp/1985-yuri/entry-12159926832.html


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