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語られない”本当の支援者” :創価の森ウォッチ 146

今年度最後の特集ということで「創価の森通信」では菊川氏の
加曽利貝塚博物館レポートが連載されつづけている。
調べてみると加曽利貝塚は今年、文化財保護法による特別史跡指定が10月
に告示されたそうで、それをうけて幾つかイベントが実施されたそうだ。
その中に菊川氏が記事にしている『縄文秋祭り』が開催されていた。
(参考リンク: https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kasorikaizuka/kasoritokubetusisekika.html )
上記リンク内にもあるように、都内を走る総武緩行線にラッピングトレイン
を走らせたりするなどした千葉県の特別史跡アピール作戦が菊川氏
の目にとまったのであろう。 彼も記事内で「通勤電車で縄文祭りを見た」(ママ)
と書いている。
元来、男性は視覚情報に影響されやすいとされている。
ヤクザ映画が大ヒットした時などは、マネをする男性が多かったという笑い
話があるほど、メディアやテレビといった宣伝媒体に影響されやすいのは
男性のほうだ。
千葉の博物館へ”縄文祭り”を見に行った菊川氏が突然、縄文ロマンを語り
だしたのも感化された結果だといえるだろう。

--

氏はブログネタをつかむと、「大感動」だとか「大感激」だとか「ビッグな連載」だとか
とかく大げさな予告や感嘆符(!)を多用する文章を書いて感情を表現しようとする
のだが、中途半端な状況説明ばかりが続いて面白味に欠ける。
悪く言えば、大人の絵日記だ。
創価の森通信は「視覚障がい者」むけのサポートブログという位置づけらしいが
旅行記につけ日々の生活につけ、本当に「障がい者」のために書いているように
は思えない。むしろ社会弱者の存在につけいって自分自身を売り込んでいるフシ
すら感じられる。
他にも、記事内や予告記事では加曽利貝塚には10月に行ったということが
何度か書かれているがトランプ大統領の来日当日ということなので11月5日の
錯誤ではないかと思う。
菊川氏がブログに掲載する画像には「日付」の記録が残っているがそれを
みても11月5日のことであることが確認できた。
つまり、基本的な事を調べもしないまま、適当な記事を書いているのだ。

---

また車のダッシュボードの上に置かれたサングラスを撮影した画像が掲載
されているが、画像を取り込んで拡大してみると撮影者と運転手が写りこんで。
なまじ画質の大きな一眼レフカメラで撮影されている画像なので、7・3分けの
男性が撮影し、女性らしき方が運転をしているようにみえる。
彼の記事によると、奥様が同行されたようなので運転もされたのだろう。
だが、それに対するねぎらいの言葉はない。
とにかく自分がなにをみて、どう行動していたかに文字数が割かれている
ため、史跡の具体的説明もアバウトだ。
夏頃に書かれた「富岡製糸場」の記事は、奥様の絵手紙が展示されている
恒例の絵手紙列車がらみだったこともあり、「きゅうママの絵手紙の部屋」
でも少々取り上げられていたが、今回の加曽利貝塚のことは全く触れておられない。
同じ頃、奥様は絵手紙関連のお仕事で忙しくされていたようで、わざわざ
貝塚博物館のことを記事にされるつもりはなかったかもしれないが、
彼女自身もブログで旅行記を書いておられることがよくあるところから想像するに
、今回は菊川氏だけが一人で盛り上がっていたのだろう。

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ご夫婦でブログをされていても、お互いがリンクすることもなく完全に別居している
状態だが、菊川氏の「創価の森」ブログもチェックしつ、拙は「きゅうママ」さんの
ブログを時々拝見させていただいている。
つい最近のきゅうママブログ記事では、また岡山に帰郷されるのか旅支度をされて
いることが書かれていた。
彼女の夫である菊川氏は全くブログで触れていないが、今年奥様は3度ほど岡山の
菊川氏の実家に行かれていたとブログで書かれていたことをご存知のかたは、
創価カテにおられないだろう。
菊川氏のお母さんの具合が悪くされていたことや目の手術のこともあり入院などの
手続きなどをするために夜行バスで岡山を往復されていたとのことである。
きゅうママさん自身もお仕事やイベントで忙しい中を夜行バスで往復されただけでも
親孝行な菊川氏は大感激していることとおもいきや、いっさい記事にされていない。
菊川氏は仕事が忙しいだとか、体の調子が悪い、体力づくりをしているだとか
自分中心の記事を奔放に格好つけて書く癖があったり、自分のブログに関わった
人のみへ、これみよがしな賞賛を公表するかたちをとって自己演出を図ったり、暗に
協力をもとめようとするケースがままみられ、自分絡みのことなら、親孝行の予定でも
将来の夢でもブログの記事にして公開してしまうのだが、仕事につけ親の介護につけ
リアルでの1番の彼の功労者であるはずの「奥様」については、とうとう書かれずじまい
のまま2017年を終えるようなのである。

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8月の創価の森通信のある記事に、読売新聞の紙上相談を引用しされたものが
あったのだが、その内容は夫の「自慢話」に関する奥様の相談だった。
元となる相談の抜粋は他のサイトでも引用されており確認することができる。
(参照リンク: 【人生案内】自己評価が高すぎて気持ち悪い夫  )
この相談に対する菊川氏の評価は「何とも悲惨な夫婦間の話」だった。
自慢話をして悦に入る夫に対し、どうにか変わってほしいと相談をせざるを得ない
妻が悲惨だと評しているのか、自慢話をする旦那が悲惨だと評しているのか拙には
判別しかねるが、菊川氏は“自分は自慢話などしていない”と本気で思い込んでいるようだ。
自分の利になることや名誉に関わることなら、他人のプライバシーを無視してでも
自慢記事にしたてあげ公表してきたのが菊川氏だ。
岡山のお母さんの看護をされていた奥様の健闘をブログのネタにしないのは菊川氏流
のテレかくしなのかもしれないし、8月の読売新聞を読んで自省し「自慢話」を控えている
のかもしれない。 だがブログでの「自慢話」が止む気配はみられない。
ネットで愛妻家をアピールしつづけてきた氏が、リアルで奥様に対しぞんざいな扱い
をされていないのか少々心配になってくるのだ。

(文字色が変わっているところは該当の記事サイトへリンクされています)










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イジメに加担して苦しむ前に :真実を語るウォッチ 47

ネット上で行われる学会員によるイジメの中でも1番痛ましいのは
 “疑惑”の目で見られることだと拙は思っている。
どこの誰だかよくわからない者同士がやり取りをするネットコミュニ
ケーションの世界では、ある程度お互いの「信用」があってこそ成り立
っている場合が多い。
だがネットを使う使わないにかぎらず不特定多数とのコミュニケーション
ではお互いを信用する根拠となる理由は案外脆弱なものであるから、
ちょっとしたことで信用を失ってしまう場合がある。

--
たとえばブログなどで「学会員です」と自己紹介をされただけで、ほとんどの
かたが相手は学会員さんであることを疑わないだろう。
だが学会員さんであると認識したと同時に、漠然とに「学会員さんだから優しくて
真面目で良い人」という印象を相手にもってしまいがちだ。
これは現実でコミュニケーションを取っている近隣の学会員さんが、優しくて
真面目で明るい方が多いという経験則から導き出されている場合と、
“学会員である自分自身”を相手に重ねている場合(心理学でいう投影)である
場合等がある。
多くの場合は、お互いの意識や価値観が合致していることが前提となっているため
、さしあたっての問題はおこらずやり取りがスムーズにできるのだが、リアルを知って
いるわけでない者同士のテキストのみでのやりとりが主となるネットでのコミュニケーション
では、自分に対する配慮を感じられなかったという些細な理由だけで「学会員であること」
すら疑われてしまうことになる。

----

学会員でなくとも、見ず知らずの方から不信の目を向けられている状況は愉快なもの
ではないだろう。
まして、「学会員であること」を大々的にアピールしてネットコミュニケーションをしている
方であれば、相手の学会員さんから不信の目を向けられるのは 苦痛 でしかない。
時間をかけ積み上げてきた信用がベースにあるリアルのコミュニケーションとちがって
ネットでのコミュニケーションは信用の根拠は薄っぺらく、自分が受ける瞬間の印象が
ベースになっている。
池田先生が2011年のSGI提言で哲学者の言を引用しネットコミュニケーションを
「急速冷凍したコミュニケーション」と論じたことはこれだ。
「学会員であること」を売りにしてネットを利用しているユーザーは模範的な学会員
を演じ他の学会員の歓心(評価)を得続けなければならなくなってくる。
なぜなら、ネットユーザーの学会員さんから 不信の目 を向けられたくないからだ。
ネットのような公衆の場で活動自慢ができるタイプの中で、毎日記事更新に腐心して
いる方が、より過剰な対応を取るのも「不信」という恐怖から逃れる為でもある。
視点を変えてみるなら、ネットコミュニティにおける特定個人の排斥運動がもっぱら
「疑惑」に終始するのは、自分自身が不信の目を向けられることを1番に恐れている
ことの裏返しだ。

------

自分が1番「苦痛」に感じることを相手に与え排斥することで、自ら受けるであろう苦痛
を事前に解消しようとしている行為。 それが イジメ のもう一つの顔である。
イジメの後味がすべからく悪いのは、「相手に苦痛をあたえた」ことが不快極まりない
手段ことであることを自ずから知っているからだ。
monlingenさんの所で、墨田総区の婦人部 ちよ さんとの対話の最中にも
外野席部屋7において拙以外の学会員さんに対し
HNを変えた二重投稿を匂わせる“疑惑”が仕掛けられていた。
11月20日頃の話である。
ちよさんが

ちよ より:
2017年11月22日 7:55 AM
もう あなたが誰だってことは バレバレですよ
今回は いくつ ハンドルネームをお使いですか?
(略)
お二人とも アメーバなうが無くなったので のんかつ
さんのところで 憂さ晴らしをしたかったのですか?
お一人は もうやめたようですよ
もう これ以上 恥を晒すのは やめましょう
(以上monlingenさんのブログコメント欄からの抜粋引用)


と、なんの根拠も示さずHNも示さず相手に「疑惑の目」を向けたところ
から始まっている。
この安い挑発にノセられて与同してしまったのが、ちよさんの長年のオトモダチ
である ランさんだ。
ちょうど、21日にランさん自身が『人を恨むのは苦しい』という記事を掲載された
翌日に、奇しくもランさんはブログ記事内でこのように述べている。

『人間は、感情に溺れると理性で自分を抑えれなくなる。
相手が憎い!と思ったら、自分を正当化して理屈をつけてとことん相手を
攻撃してしまう。しかし、その結果、もっと苦しむのは自分自身なのだが。』
( 極悪と戦えば極善となる: 11/21日の記事より引用~) 


当初拙は10月の段階で記事更新回数を減らすと予定していたランさんが
「学会アンチを叩く」というだけの目的で法戦期間も毎日記事更新を続けたことに
対する自省ではないか・・と肯定的に思ってみたが、「正当化して理屈をつけとことん攻撃する」
とういう同じ過ちを翌日犯してしまっていることから、まだ本気で反省してなかったようだ。
だが、宮部さんに対する、墨田総区の婦人部ちよさんの対人攻撃に加担されて以後、
ランさんは新たなブログ記事を更新されることなく一ヶ月以上がたっている。
自分で書いた記事が反故になっていることに人知れず心を痛めておられたのかもしれない。
「その人が生命を変えて、成長しますように祈ってほしい」と締めくくったランさんは
つい先日「真実を語る」ブログに現れコメントを寄せられたようだが、成長を祈って
いるからこそ、あえて拙は書かせていただきたい。

イジメを首謀しながらも、平気な顔で己の「利得」を説く境涯の低い人と信心での関わり
を保つのはやめた方がいい。
己のために他人の境涯も巻き込んで下げ、ほくそ笑んでいる人間は一義的に善知識
たりえないからだ。
境涯を下げる集まりにいくら関わっても人間的な成長など望めない。むしろ人格が壊される。
テロ組織しかり日顕宗然りだ。 心がボロボロになってからでは遅い。

イジメに加担して苦しむ前に「ネット同盟唱題」を標榜した悪しきイジメ集団の
輪から出るのか、当座しのぎでイジメの輪に加わり続け、苦痛を与えられる
“かもしれない”恐怖から当面逃げるだけなのか心を定めてほしい。

 
祈った結果「人を恨むのは苦しい」と本心でお考えなのなら、まだまだ成長できるはずだ。
まだ間に合う。

(文字色が変わっている部分は関連サイトにリンクしています)

















関連記事

新・人間革命で学ぶべきこと :創価の森ウォッチ145  

( 文字色が違う部分はいずれも該当記事にリンクさせています )

戸田先生のペンネーム「妙悟空」から池田先生ペンネーム「法悟空」へと
引き継がれた小説、人間革命、続編となる新・人間革命で書かれている
重要なテーマとは、様々な障魔にも負けない無名の学会員らの奮闘が
描かれていると拙は考えている。
作中、会長の山本伸一は日本国内、世界各国へ何度も足を運ぶわけだが
すべてが「人」との交流であり、「対話」であり、また「指導・激励」の旅である。
その中で草創期の学会活動が紹介され、また功労者の人生も語られていく。
山本伸一の振る舞いは、すべての学会員が学ぶべき指標ともなっており、
各地域での学会活動の中で、また個人的に研鑽されている方も少なくない
だろう。
創価学会の未来部公式サイトでは、人間革命、新:人間革命の読了表が
配布されているし、創価新報では毎号特集が組まれているので是非活用して
いただきたい。

---

茨城の壮年部ブロック幹部の菊川氏が小説人間革命について
「戸田先生の人間革命はフィクション」という主張に固執していた事
について2012年に記事にさせていただいたことがある。
菊川氏は人間革命を「現代の法華経」とまで絶賛しているのだが、こと2017年
に入ってから氏が期待している新・人間革命の内容は日顕宗問題の関係だけ
らしく創価の森通信ブログの最新の記事(2017/12)でも 「新人間革命がいよいよ伝える!」
と週刊詩ばりのタイトルをつけて公開している。
本年に入ってから創価の森通信ブログだけで7回、創価の森の小さな家では5回
ほど、新人間革命についての内容を予想したり期待を寄せる記事を発表して
いることから類推しても、並々ならぬものを感じる。
それと同時に、著者である池田大作先生に対し日顕宗斬りの矢面に立たせ
続けようとしている弱々しい弟子の姿に激しい違和感を覚えてしまうのだ。
昨年(2016年)の2月の記事に菊川氏の「第一次宗門問題」についての見解
が掲載されているので引用する。

「常楽と題された冒頭の章に、第一次宗門問題が語られ始めました。
第一次宗門問題は日達上人の時代ですが、本質は日顕宗の台頭であり、
いよいよ小説のクライマックスの伏線が語れるのです。」
(創価の森の小さな家<別館>、2016/2/18記事より)


----

そもそも、菊川氏は第一次宗門事件についての認識がまだまだ浅いように思う。
学会の顧問弁護士であった山崎正友(小説中では山脇友政)は宗門側に働き
かけ、創価学会を揺さぶったが、その動機は彼の事業の失敗を穴埋めすべく
顧問弁護士の肩書をつかって学会から金を奪おうとしたことだった。
彼がマスコミを使い、政界や世論を巻き込んだアンチ学会キャンペーンを行う
ことで宗門側の疑心暗鬼を誘った結果、日蓮正宗の坊主らによる学会員への
イヤガラセ行為が行われ、宗門側の言う「52年路線」事件が起こったのだ。
背景には「僧が上、俗が下」という宗教聖職者にありがちな差別感情があった
ことは否めないが、そこに上手く付け込んだのが山崎正友という稀代のペテン師だ。
後に日達法主が急死すると日顕に猊座が変わった(昭和54年)。遷座以前から創価学会
側が宗門側の言い分を受け入れ詫びを入れることで創宗との関係は回復しつつあった。
創価学会として「能忍」の時代であったことは否定しないが、新たに法主となった日顕の
学会を擁護する扱いに反発した宗門側の僧侶会派「正信会」の坊主共が擯斥
(ひんせき=僧籍の剥奪、破門処理)処分となった。 (勝ち鬨6を参照してください)
宗門右派であった彼等「正信会」の僧らが、獅子身中の虫、山崎正友に誑し込まれて
しまった連中の中枢だったのである。
顧問弁護士のクライアント恐喝事件として世間を賑わせた山崎正友が逮捕される直前
、週刊誌をつかって日顕を揺さぶっていた(昭和55年)が、そんな日顕と連絡を取り合う
間柄になっていたことが彼の口から出たのは平成7年になってからの事である。
山崎の証言によれば擯斥になった正信会の僧らとの和解をもちかけて本山
へ復帰させようとしていたという。(詳しくは 地涌862 を御覧ください)
創価学会としては、こんな裏話は「さもありなん」という程度の事で、山崎正友の
件に関して小説、新人間革命で新たに語られることもないだろう。

-----

特に、山崎正友と日顕の関係について詳しく人間革命で書いてほしいという
菊川氏の要望は、来年1月2日に卒寿を迎えられる池田先生に対しC作戦の後
の分まで書き続けてほしいと述べているに等しい。
現在、小説 新人間革命は、30巻の終章となるであろう“勝ち鬨”の章が連載
されている。当時の信徒団体日蓮正宗創価学会に対し、大石寺側が宗教的権威を
もって圧力を掛けた第一次宗門事件のくびきから脱した山本伸一自らが全国の会員
らの元へ足を運ぶ激励行が書かれている。
これから書かれるであろう、いずれの地での会員との再会も各地の「反転攻勢」の
砌となった記念すべき日として学会の歴史に刻まれているものばかりだ。
北条会長(小説中では十条)が亡くなり秋谷会長(小説中では秋月)になったのは
昭和56年のことである。
同年10月10日~16日まで大石寺では日蓮大聖人七百遠忌大法会が開催されて
おり池田先生は慶讃委員長としての責務を全うされたことが書かれていた。
七百遠忌といえば大石寺境内図の記念ポスターを購入された方も多いのではない
だろうか。  
当時、個々の学会員さんは宗門に対し様々な思いが去来したことだろうが

『広宣流布のために僧俗和合を願い、誠心誠意、その責務を果たしていった。』
(新・人間革命 勝ち鬨6 2017/12/6付 )


との池田先生のお気持ちは、多くの学会員も同様であったにちがいない。
だが、未だに菊川氏は小説 新人間革命に対し 日顕宗宗門 へのアンチテーゼとして
の意義しか見いだせていないように感じる。
氏が小説に期待しているのは、広宣流布の誓願に生きる弟子としての精神や振る舞い
ではない。
高齢の師匠に“もっと日顕を叩け” とネットで懇願し続けることは、創価学会
の信心を通じ「心の財」を積んできたようには決して見えないのではないだろうか。
内外向けに「ありのままで幸せになれる」などという記事を連載したようだが、肝心の
筆者が 他力本願 なままでは、いくら道を説いたところで信憑性も説得力にも欠けて
しまうことだろう。
最近、菊川氏は仕事のことだけでなく、あれほど自慢していた健康にも問題が生じている
という。
リアルでの不安や不満が「日顕宗攻撃」という形ですり替えられてしまうのは精神衛生上
よろしくない兆候のように思う。
そういう時こそ 「新・人間革命」を真摯に学びし、学会活動の本流を学ぶべきではないだろうか。
関連記事

ネット同盟唱題グループでのイジメ :真実を語るウォッチ 46

( 文字色が違う部分はいずれも該当記事にリンクさせています )

ネット創価学会員のイジメ認識 (上)
ネット創価学会員のイジメ認識 (下)

創価学会員のネットコミュニティで行っている イジメ について、
2題の記事を書かせていただいた。
アクセス数を見る限り、それなりの反応があったようである。
拙はネットの学会員コミュニティで1対多数の「イジメ」が起こり
易いと書いたものの、具体的な例をまだ紹介していない。
monlingenさんのブログ、外野部屋で行われた、拙に対する『 病人扱い 』
は一つの例といえるだろうが、monlingenさん自身がいつも自分のブログで
アンチさんを含めた他者に対し、そういった印象操作をされている訳ではない
し、ちよさんらの“真実を語る”ブログに合流し、コメント欄で中傷を続けると
いったこともされていないので反復性はないように思われる。
それよりも、未だにmonlingenさんのブログでコメント投稿を寄せている
沖縄のうるとらまん氏が 鍵 になっているように思えるのだ。

とはいっても、これまでのコメント分析では、うるとらまん氏は ちよ さんに
都合のよい「ナイト(守護者)様」の役割を与えられているように思える。
ご本人は社会正義感あふれる方なので意識はされていないかもしれないが
外野席部屋1 でうるとらまん氏が登場してからというもの、マメに読者応対
されていた ちよ さんの投稿数やコメント内容が目減りして簡素化されて
いるところからも、"心強い援軍が来てくれた"と彼女は思ったにちがいない。
手段がどうであれ墨田総区の婦人部 ちよ さんに対峙する輩を代理で
とっちめてくれる“ナイト様”が出てきてくれると彼女は原因となった話題に
は踏み込んでこなくなる。 カウンセラーの資格をもっていることを公言し
ブログには「イジメをゆるさない」との看板を掛けている ちよ さんだ。
ナイト様を直接焚き付けることでネットいじめに加担する形になることを
避けているのかもしれないが、制止しない以上傍観していることには
変わりない。 輪からすこし外れた所で相手がナイト様に痛めつけられて
いるところを見ているだけで自分の手は汚さずとも意趣返しができるからだ。

今回だけでなく、ちよさんは何度も彼女のオトモダチに同じような
代理報復の役目をさせている。
2013年の「はた京阪」さんに対するブログ閉鎖恫喝事件、大野武士さん
がナイト様の役目を負っていた。


2014年の「ナリスマシ事件」の時は菊川氏がナイト様だったし

2015年の富士宮ボーイ掲示板閉鎖恫喝事件のときは、福島の壮年さんがナイト様
だった。

拙がまだ記事にしていないが2016年には「ネット同盟唱題」の是非について
ちよさんが たえ として登録しているアメブロで、ある婦人部の方に対し
陰湿なイジメが行われていたというのだ。
この事件は拙とは直接関係がないアメブロユーザー内での事なので、被害に
遭われたとされる婦人部さんと何度かコメント欄などを通じ意見交換をさせて
いただいたうえで裏付けを取ったのだが、この時、ちよさんのナイト様となって
いたのが埼玉の新入会婦人部「うなちん」さんだった。
 「うなちん」さんとは自身の入会勤行会に、アメブロで知り合ったというだけの
関係しかない墨田区の ちよ さんが越境して参加し、当時、ちよさんらが行って
いたネットイベント唱題会に積極的に関与していたり、「真実を語る」ブログで
常連となっていた方だ。
この事件のいきさつについては、jack-stellaさんのブログの記事に詳しいの
でリンクに貼って説明に変えることをご容赦願いたい。
ちなみにjack-stellaさんは旦那さんが学会員で本人は未入会なのだそうである。

ネットリレー唱題が生んだ同志分断。その①
ネットリレー唱題が生んだ同志分断。その②
ネットリレー唱題が生んだ同志分断 その③


イジメの被害に遭われたという婦人部さんは「うなちん」さんとは直接関係が
なかったそうなのだか、なぜかイジメの対象となった婦人部さんの
プライバシーを「うなちん」さんが知っており、アメブロ限定記事として彼女の
オトモダチ内でバラ撒かれていたり、被害に遭われた婦人部さんに「関わるな」
などという怪メール内々で飛び交っていたらしい。
拙が被害に遭われた婦人部さんに問い合わせてみたところ、ネット同盟唱題
の勧誘を拒否したら、ちよさんにしか教えていないはずのプライバシーが、
なぜか「うなちん」さんに伝わっており、嫌味を書かれたのだそうだ。
また、他のネット同盟唱題会賛同者らも、追従するようにイヤガラセのコメント
を書き込んでいたという。
ようするに、ネット同盟唱題への不参加者に対する「イジメ行為」が ちよさんの
グループ内で、おこなわれていたのである。

たしかに、被害に遭われたと主張される婦人部さんのも決して穏やかな物言い
をされていたわけではないにせよ、見知らぬ人にプライバシーを漏らされるいわれ
はないはずである。
なにぶん「登録者」しか閲覧できないアメ限内での話なので拙はjack-stellaさん
のブログの記事に掲載されたスクリーンショットを信じるしかないのだが、
ブログを通じて、ちよさんに感化され「ネット同盟唱題」を推進していた「うなちん」
さんと墨田総区の婦人部 ちよ さんは水面下で連絡を取り合っており、
いざ彼女とユーザさんとのトラブルの際には、ちよさんが傍観者を決め込んで
いたということになるだろう。
monlingenさんのブログで行われた、ちよさんとの対話の顛末を含めれば、2014年
から本年(2017年)にいたるまで毎年、「真実を語る」ブログの関係者らが関わった
醜悪な「イジメ行為」が彼方此方のブログで行われていたことになる。

『ネット同盟唱題』というイベントを通じて勃発した、学会員らによる学会員
への報復的イジメ行為。
美辞麗句で飾り立てても、揺るがしようのない事実がここにあるのだ。
関連記事

ネット創価学会員のイジメ認識 (下)

( ネット創価学会員のイジメ認識 (上) の続きです)

イジメの定義には諸説あるが大前提となるのは人の集まりである
「コミュニティ」の存在であるといえるだろう。
AからBといった一対一での精神的排斥行為なら喧嘩や嫌がらせであり
立場的には対等だといえる。
同一コミュニティ内での特定個人に対する精神的(暴力も含む)排斥行為
(活動)が「イジメ」の本質なのだ。
したがって、たとえ創価学会員といえど、誰かがなにがしかの同一コミュニティ
を形成してしまっている以上「イジメ」は起こりうると考えなくてはならないだろう。
『あってはいけないこと』は『起こり得ないこと』にはならない。
自分が見たことがない、経験したことがないという理由で「存在しない」と軽々に
断定するのは、学校の教師が長い間「イジメの存在」すら認めてこなかった愚挙
とおなじだ。
まず「ありえる」と認めるところからはじめなければ、イジメの具体的解決策は
でてこない。

先に述べたように、集団内でのイジメは被害者側に原因を求めても、さほど意味
はない。
それよりも判断材料として加害側集団の「イジメ」の形態を提示しておく必要が
あるだろう。  これが「イジメ」の定義となる。
あるサイトを参考にしてイジメの定義を引用させていただこう。

●行為が、いつも特定の集団の中で起こっている (同一集団)
●行為をする側に、明らかな優位性がある (立場の不平等)
●相手が嫌がることを、反復して、継続して行っている (反復性)
●相手が嫌がることをわかった上で行っている (故意的)
●イジメ行為時に1対1ではなく、傍観している者がいる (傍観者の存在)


(参考リンク:いじめ相談・調査のプロ・電話メール相談24時間無料~)

上記の定義を鑑みて、読者の皆さんのリアル学会活動において「イジメ」
があるような場合は問題だろう。 だが創価学会における地区や支部と
いった草の根レベルでも幹部といえど宗教的立場な立場は一般会員さん
と平等である。 会合への勧誘や信心の指導はできても会社のような
業務命令ではないし拘束力もない。
会員さんが活動にでてこないからという程度で、会合に出てこれなくしたり
会員を退会させる権限も持ち合わせていないので、宗教組織としての立場上
の不平等は起こりにくくなっている。
むしろ学会では現場の会員さんを訪問し信仰上のトラブルや疑問に耳を
傾け智慧をしぼってよりよい解決策を講じていかねばならないように指導
されているので、立場的には幹部のほうが弱いかもしれない。

だが、創価学会が組織として関与することのない、学会員個人が運営する
ネットコミュニティ内ならば「イジメの定義」5項目の条件を容易に満たすことができる。
なぜならブログやSNSの性質上、「管理人」の権限は、コメントに書きこむ一般投稿者
に対し、抗いようもなく絶対的な優位にたっているからである。
逆に言えば、SNSなどでは管理者の心根次第で一対多数からの精神的排斥行為
である「イジメ」状態を事前に防ぐことができるともいえる。

今回、墨田総区の婦人部 ちよ さんとの対話が、monlingenさんのブログを借りて
始められたのだか、拙が当初から注目していたのは、外野席部屋に、ちよさんの
利害関係者が何人くるのか、また、管理人であるmonlingenさんがいかに ちよ さん
らに感化され精神的排斥行為に加担してしまうのかだった。
monlingenさんが現場でどのような立場なのかは、過去の記事からの断片的な情報
で推測するしかないが、リアル組織での居心地が悪そうなのは伝わってくる。
墨田総区の婦人部 ちよ さんと沖縄のうるとらまんさん両人は、過去に
実社会で「イジメ」にあったことを公言している。つまりイジメの被害者である。
イジメの経験者だからこそ、自分自身を守る為に自身を偽って、不義を 隠そう と
するのだろう。 
だがその手法こそ「自分が経験してきた」はずのイジメ以外の何物でもなかった。 
善人であり、信心の探求者であり、リアルでの成功者のように装って他の学会員さん
から批判を受けにくいように伏線をはっておく。
それと同時に、批判をする人間はどれだけ心が汚れているか、謗法者であるかを
仏説を用いてまでして、二重の伏線としておいたのではないだろうか。

相手にどんな理由(落ち度)があるにせよ、一対多数の「イジメ」がはじまると人を
容易に怪物(モンスター)へと変化させてしまう。
まして いい大人のイジメ は 醜悪 以外のなにものでもない。
そして大人の醜悪な部分は、互いを褒め称え自画自賛しているだけ
では隠しきれないものなのだ。



関連記事

ネット創価学会員のイジメ認識 (上)

今(2017/12)ブログ村創価カテゴリーでは、興味深い事象
が起こっている。
12月3日に墨田区の婦人部 ちよ さんとブログで知り合い
結婚を前提に付き合っていたハピネス氏が突如「イジメ」に
ついての記事を書き出されたことに呼応したように、翌日4日
monlingenさんが「学会流「いじめ」の考え方」という記事を
発表されたのだ。
ハピネス氏の記事といっても、相変わらずの学会系著作物
(希望対話)の無断転載状態なので彼が主張したい意見が
書かれているわけではない。
ただ、ブログ村創価カテ内に登録され「人気記事」となっている
内容について「イジメ」を懸念されているように拙は感じる。


ハピネス氏が記事の冒頭で

頭が痛いのは、若い人たち、後継のお手本とならなくては
いけないはずの、おとな達のいじめです。なかには、徒党を組んで、
という方々もみえます。
ともあれ、まずは、自分がしないこと、と決めるところからはじまりますね。
(希望という名の翼 2017/12/3付け記事より引用)


と述べているからだ。
12月3日頃といえば、ちょうどmonlingenさんと沖縄の うるとらまん氏が、
俯瞰中毒行動分析分析課(対処編)のコメント欄で“ネット中毒者”に
ついて論じあっていた頃と合致する。
「希望対話」は対談形式をとって池田先生が、主に未成年の
読者にむけたメッセージが書かれているのだが、イジメについて
は一貫して、『イジメたほうが100%悪いという』論調である。
ハピネス氏は、ネットでの「おとなのイジメ」についても、どんな
理由があろうが、イジメた側が100%悪いと言いたいのかもしれない。

だがmonlingenさんは、ハピネス氏の懸念を知ってか知らずか
“学会流「いじめ」の考え方”を公開されたのだ。
monlingen氏は記事内で、創価学会の活動においてイジメを見た
ことがないので考えにくいとし、「イジメられた」と主張するものに
根本原因があり怨嫉しているケースがほとんどであるかのような
論調を展開してみせた。
また仏教用語を言葉巧みに用いてイジメられる側の「宿業」だとまで
主張をしたのだからたまったものではない。
これでどんな理由があろうとは「イジメた側が100%悪い」という池田先生
の指導と真っ向から対立してしまうではないか。
なぜこういった矛盾が起こってしまうのだろうか。

それは、monlingen氏や、うるとらまん氏が自分たちが「イジメ」をしている
という自覚がまったくないからだ。
墨田総区の婦人部でカウンセラーである ちよ さんも同じだろう。
イジメについて真実を語るというテーマでブログを開設している、自分は
イジメをよくよく知っており、イジメを問題視している自分がイジメに加担
することなどありえないと自己暗示を掛けている。
実際に ちよ さんらが特定個人を中傷し毀損するイジメに加担していて
も「ありえない」ことであり認めたくない事なので、対処がおざなりだ。
また彼女に追従している者たちも、まさかイジメを嫌う信心深い ちよ
 さんがイジメなどするはずがないと思い込んでいる。

これは原発の安全神話と同じ類の「誤謬」であるといえるだろう。
お互いが関係者であるにもかかわらず、誰も責任を明確にしよう
としないことで、学会コミュティ内ではイジメはないという誤謬が
連鎖し続ける結果となる。
イジメを認識するためには、イジメの被害者への原因追求など
ではなく加害側の形態(役割分担)を認識しなければならないのだ。

(続く)



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他人の自慢はなぜ不愉快なのか : 創価の森ウォッチ144

創価の森通信のブログ主菊川氏の観察をはじめて結構な
時間が過ぎている。 12月3日の記事によればブログ9周年になる
そうだから菊川氏は3000日を超える日数を、ほぼ毎日記事を更新
しつづけていることになるだろう。
いまでこそ他所様のブログにコメントを書くようなことはなくなったよう
だが、ここ6年ではブログ主さんのところにリアルで足を運んだり、共同
でオフ会を企画するようになったことが大きな変化だといえるだろう。
それも、自分のブログの記事にすることが第一目的なので実地取材
だ。 今菊川氏にとって3つのブログと「ひらがな御書」のサイトは
切っても切れない関係となっている。

八年の間、創価の森ブログの内容としては変化があっただろうか。
個人的な日記を公開する「ブログ」というサービスの性質上しかたが
ないかもしれないが多くの記事が自画自賛の 自慢 である。
特に宗教的な利益を得たこと意味する「功徳」だとする内容は、
学会員として恣意的なものすら感じる。
たとえば、信濃町の本部といったような宗教施設に出向き唱題をしたら
悟りを得たとか、悩みがなくなったといったような内容だ。
たまに新聞記事と連動させ、記事見出しと中身が噛み合って
いない週刊詩のような内容も散見されのるが、痛々しい。

つい最近アメブロのオフォシャルネタとして“イラッとするSNS投稿
BEST3”
(リンクさせています)という動画が公開されていたが、
そのいずれもが 自慢 に関わることだったそうである。
どうやら 自慢話 が愉快でない方は拙だけではなさそうだ。
困った事に 自慢 をしている人間は自慢をしている自覚が
ない事が多い
。 酷い人になると「なぜ褒めないのか」
と言わんばかりに逆ギレするオヤジやオバサンがいたりする。

ではなぜ 自慢話 が不愉快になるのかというと、自慢話をする
人は今の自分に劣等感や扱いに不満があり、そのはけ口として
相手を欲求不満の解消のはけ口として使っていることが無意識
に感じ取れるからだそうだ。
(参考リンク : 自慢話をしたがる人 )
https://woman.mynavi.jp/article/140701-132/

なるほど、この不快感の説明納得できるように思う。
いうなれば個人の 精神的自慰行為 を見せつけられたような気分に
なってしまうのだろう。
上記記事にはこのように結論づけられている。

『本当に心から自分の人生に満足し、幸福を感じている人は、
その満足や幸せを守るためにも、不用意に他人に
ひけらかしたりはしません。』 
(自慢話をしたくなる、元の気持ちをしっかり見つめてみよう~)


解りやすく言えば、精神的に満たされた状態とは空腹感
を満たした時とおなじで、通常お腹いっぱいになれば
さらに食べたいという衝動が消えるのと同様、欲求が満た
されれば精神的に落ち着くものだ。
つまり 心のどこかで評価が不十分だなどと不満を感じて
いるから 自慢 をしているにちがいないのだ。

特に創価学会員さんの「功徳の体験」とやらの場合、常日頃
体験発表や報告をするといった、他者に聞いてもらう機会など
いくらでもあるはずである。
現場で功徳の話を語れば、同志の方は手を叩いて喜んでくだ
さるにちがいない。
だが、ネットで「功徳の」体験発表や活動報告をしたがるような方
はいったいどのような精神状態なのであろうか。
リアルでの会合や折伏対話ならいざしらず、個人のブログでわざわざ
幸せアピールを繰り返すのは、いわば繁華街の交差点の人混みで
名刺を配って「俺って幸福にみえるでしょう?」と連呼しているような
滑稽なものでしかない。

自慢をして見せて、恥ずかしくないほどの世間知らずがネット活動家
界隈には多いということになるだろう。
TPOをわきまえられない大人は見てて笑えない。
全く幸せそうにみえないからである。







 




 



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とある学会員の解決し難い疑問

(初出 2014/5/20  加筆修正 2017/12/04)

monlingenさんのところに現れた、沖縄の学会員さん うるとらまん氏。
みずからヒーロのHNを冠していることからも解るように正義感あふれる
壮年だ。氏は、聴覚障害の方を支援されており、数年前は介護関係の
お仕事をされていたと記憶している。
拙のブログでも何度か取り上げさせてもらっているので、実名でFacebook
も運営されていることをご存知の方もいるだろう。
( 拙ブログ記事 『創価学会で居酒屋会合?』 にリンクしています)

今から3年前も前に、他の学会員さんのブログ上で氏と対話を試みたこと
があるのだが、その当時から拙に対するうるとらまん氏の個人攻撃の
手法が変わっていないことを、再確認させていただいた。
当時のコメントを引用してみよう。

※先ほども壮年部の幹部と話しました。
 あべひさんという人、いつも、こんなに書いているの?仕事しているの?
 活動しているの?と24時間ネットしているんじゃないのと不思議に思っていました。

(関西のおっさんブログより うるとらまんさんのコメント 2014/05/18 00:18)


このコメントだが、見た方はmonlingenさんのブログでもうるとらまん氏が同じ
手法をとっていたことを回想されただろう。
うるとらまん氏は都合が悪くなると、誰それがそう言っていたとか第三者の言辞
を根拠にする恥ずかしがりな少女のような性格なのだろうか。
それとも意図的に相手を侮蔑しようとしているのだろうか。
これは氏が信奉してやまない墨田総区の婦人部 ちよ さんにも共通する
やりかたである。

個人的な対話であるにもかかわらず、当事者と直接関係のない友人や同志、
役職名を出してくるのは、名聞名利に使っているように見えなくもない。
拙の経験から言わせていただくと、調子の良いときは自分が全面にでるのに、
不利になってくると権威(肩書)にすがりたがる傾向が、ネットで実名を証した
活動家さんらには共通しているように思う。
だが、名聞名利で活動をしても結果は出ないと池田先生の指導にある。
また結果というのは、ちょっとしたイベント成功したかとか、そんな目先の事
ではない。

念の為に池田先生指導を引用させていただこう。

※諸君が、もし目先の小利益に迷ったり、惰性に流され、誘惑に負けて、
 この南無妙法蓮華経という根本法則から離れ、正義の同志を裏切って
 いけば、その悔いは、永遠に消す事ができない。
 諸君の人生、行動は、すべてが自由だ。
 ただ広宣流布を目指す最高の同志として、主義主張に生きぬいていく
 ことについては、厳しい態度であってもらいたい。

 【池田会長講演集第1巻 男子部への指針より抜粋】



どんなに成果を自慢できても、いざ指摘されたときに「ボクの友人が。。」、など
と逃げを打つその無責任な応じ方にこそ、すべてが現れているのだ。
広宣流布に見せかけた、個人活動に肩書利用や同志利用はNGだ。
基本的に信仰は個人の自由である。
とはいえ、どんなことでも許されるべきという考え方は「同志」たり得ない。

この薫陶を受けきれていない人は、『同志との厳しくも暖かい連携』とは
なんであるのかをもう一度考えてみる事をおすすめする。


もちろん相手が学会員として疑わしい事をしているという場合も
あるだろう。
だが判別がつきにくい時にこそ、しっかりと相手側の主張に耳を
傾け「どうしたいのか」を汲み取ろうと努力することを惜しんではならない。
そもそも「対話」とは意見の違う方との粘り強い語らいであるといえる。
往々にして、人間は「未知」の事例に突き当たった時、まず自分で経験して
きた事を基準に「自分のモノサシ」で判断してしまおうと、都合のよい結論に
有利な材料ばかりを採用してしまいがちだ。
だからこそ、本を読んで先人の知識を学んだりだり、多くの方と対話を実践
することで自分を磨き続けなければならないのだろう。
褒めてくれる時は学会員であることを疑わず、批判をされると手のひらを
返したように「あの人は仕事しているの?学会員なの?」などという
疑問が湧いてくること自体、相手を仏性を信じ敬う、法華経の信心が確立
していない証拠ではないだろうか。
また 指導にある“同志を裏切る”とは、なにも創価学会を脱会すること
だけではないだろう。
自分にとって利があるかないかで学会員を値踏みしようとするのも、
「裏切り」にあたるように思う。

いざ旗色が悪くなると学会員を斬って捨てることができる。
徒党を組んで、罵り蔑み、気に入らないものを排除しようとする。
どれだけ信仰深く取り繕っていても、
隠す事ができない悲しい獅子身中の虫の姿である。







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嫌味を言う人の心理 :真実を語るウォッチ50

前回公表した「ネット宗教活動家の批判対処法」では

“MonLinGen さん 私も 唱題します”

といったネット信仰アピールをかかさない墨田総区の婦人部
 ちよ さんのルーティン化された対話逃避の手法と

“信じる事が出来れば、対話は進みます”

と耳あたりのよい主張をされていたはずmonlingenさんが
結論つけられた対処法との類似点を列挙させていただいた。
そのうえで、相手を悪者に仕立て上げようとする人間に、
どういった心理が働いているのかを示し、ネット信仰活動
の毎日セルフアピールに執着する学会員ネット活動家の本質
に切り込んでみたつもりだ。
今回は別の切り口で、他人を悪者にする彼等や ちよ さんの
心理を探求してみたい。

正当とはいえない弁証法を体系づけた、詭弁の特徴ガイドライン
という類のサイトをみると 「突然勝利宣言をする」という項がある。
討論や対話の最中で、すでに主題に対する結論がでたかのように
相手や聴衆に印象付けようとする方法だ。
対話逃避・撹乱の手段の一つだが、テーマに沿った内容で結論を
急いでいる分だけマシで、対人論証は対話のテーマからもハズレて
単なる人物講評に話題をずらそうとしている分、質(たち)が悪い。
いま国会で行われている「モリカケ」問題での首相の「忖度」があった
のかどうかといった野党側の追求法がこれにあたるだろう。

相手を悪者に仕立て上げるのに確たる証拠はいらない。
多くの聴衆が感情的(不快)になりそうなシチュエーションを相手に
付与し、何度も キーワード を連呼すれば事足りる。
だか、こういったやり方はよほど注意しない限り、仕掛けた側の心情
が色濃く反映してしまうものだ。 これを心理学では「投影」と呼んでいる。
人間はよほど訓練しない限り、相手を批判するときなどに「自分自身の心理」
を投影してしまう。 
簡単に言えば「そのように見てる自分」をさらけ出しているにすぎないのだ。
したがって、チヤホヤされて有頂天になっている時よりも、ピンチになった
時にこそ当人の「素」が相手という鏡を通して映し出される。
自己の投影をした結果の一つが 「相手に嫌味を言うこと」 だ。 
つまり「嫌味」は等身大の自分が基準となっていることがほとんどなのだ。

墨田総区の婦人部 ちよ さんのコメントには「相手への嫌味」が含まれ
たものが多数あるが、今回の対話で1番象徴的だったのが 対話専用部屋2
 に拙が転載した「勝利宣言」ともとれる彼女のコメントだろう。

ネットを通じての リレー唱題は 絶対にダメ と言い切った 
婦人部さんにも 応えたい 今は 自分を相手にしてくれていた
掲示板もなくなり アメブロの”なう”もなくなり 自分の存在価値
をアピールする場がなくなって ここなら うまくいくかもしれない
などと 思っていたのではないかと 推測される
ヒーローになりたかったのかな~?

( 2017年11月25日 5:50 PM )



一見するとただの拙に対する論評のようにみえるだろう。
だが投影の手法が取られているので、以下のように書き換える
ことで彼女の心情が解りやすくなる。

ネットを通じてのリレー唱題は絶対にいいと褒めてくれる 
婦人部さんたちに私は応えてあげているのよ
今は私を相手にしてくれている掲示板がありアメブロもあるでしょう?
私の存在価値をアピールさせてもらえる場になったから、ここでも
うまくいくにちがいないのよ。 まだまだネットヒロインになれるわ~。


ここで注意しなければならないのは、彼女が嫌味を言っている
ことを察知し、「なんて酷い人間だ」などと結論付けないことだとおもう。
嫌味を言うにはそれなりの『理由』があるからだ。
あるサイトを例にあげると、嫌味を言う人は

○余裕がない ○嫉妬心がある ○人を見下している
●自信がない ●完璧主義者  ●上に立っていたい 
( 嫌味を言う人の心理や理由6つ :5セカンズより )

という心理が働いているという。
拙が補足的に白丸と黒丸に分けたが上段の○と下段の●は相関関係だ。
勝ち誇っているようにみせるのは、心理的に負けているがゆえである。

上記のサイトでは、嫌味を言う心理はだれにでもありえることを述べ
たうえでこのように表現している。

※自分自身がまったく上手くいっていないのにも関わらず、何の努力
 もせずにたまたまやった人が成果を出して、周りからチヤホヤされて
 いるのは誰でも面白くは無い状況だと言えます。
( 同 嫌味を言う人の心理や理由6つ より )


これら心理をあてはめてみると今回のmonlingenさん、ちよさんらとの対話で、
汲み取らなければならない「事実」は 

1: ネット宗教活動はさほど広がっていかない
2: ネット宗教活動を批判する人は孤立していなければならない
3: ネット宗教活動を批判する人が多数現れるのは面白くない

という「ネット宗教活動家」の理想と現実のジレンマによるものなのだ。
ところで、「ネット宗教活動」といっても決して新しい潮流などではなく、
十数年前から一部の学会員さんが旗揚げしては、内輪で盛り上がって
人知れず消えるといった現象が繰り返されている。
某学会アンチさんのネット「反創価活動」も同様だ。
なぜ、これほどネット環境が充実した日本において、中東民主化の発端と
なったジャスミン革命のような大きなウネリとなりえないのだろう。
それは、ネット信仰活動の本質が、個人の欲求不満のはけ口に過ぎす、
私を捨てて公のために殉じる現実(社会)を変える戦いとは正反対である
ことを堅実な大衆が知っているからだと拙には思われる。

論で語れず嫌味で返すような人は、どの世界であっても必要とされない。

それが現実ではないだろうか。

---------------------------------------------------------------
monlingenさんのブログではリアルタイムで“人を悪者にしたてあげる人物”の
涙ぐましい情報工作がご覧になれます。 覗くだけにしておくほうが無難です。
決して「私が論破してやろう」などとは思わないでください。

 外野席部屋7

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俯瞰中毒行動分析課「コメント部屋」-Ⅱ

俯瞰中毒行動分析課-「対処編」
















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