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【番組宣伝】法華経を読む

NHK Eテレで毎週月曜の夜10時25分から放送されている
「100分で名著」という番組で 4月2日から 法華経 が取り上げられ
放送される予定です。

100分で名著は作家や作品などをテーマに一回25分、一ヶ月4回に分けて
著作を読み解いていくという興味深い番組です。
一度、作品を読んだことのある方には、違う角度から解釈しなおしたり、
読んだときには気づかなかったポイントを再発見したりして、再度たのしめます。
また作品を読んだ事のないかたには、おおまかな概要が理解しやすいよう
番組が構成されていますので、読破チャレンジするキッカケにもなるでしょう。

番組内では法華経が編纂された由来などを紐解き法華経に込められた
「だれもが仏になれる」という普遍的な平等の思想について迫るそうです。

法華経の行者である皆様も、興味があるかたも、そうでないかたも
仏教の最高経典と位置づけられる法華経を学んでみませんか?

番組HPリンク
http://www.nhk.or.jp/meicho/
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策の人・要領の人・利害の人

本日付けの聖教新聞に掲載されていた小説、新人間革命に
非常に示唆に富んだ指導が掲載されていたので思索してみたい。
///////////

昭和50年代前半、日蓮正宗内の一部の急進的僧侶らによる、創価学会
バッシングに端を発する創・宗の軋轢によって、当時の池田会長が辞任(勇退)された。
数年間、池田先生は表舞台に立つことを許されず、当時の会長や大幹部の信心指導など
も宗門に対する配慮が色濃くされており、一見すると創価学会が一方的に悪かったかの
ように感じた会員もいたのだろう。 創価学会を退転する者がいた。
寺で行われていた行事だけに留まらず、法事のような場においても、宗門内組織であった
正信会に所属していた僧らは「創価学会は謗法だ」の一点張りで会員らに圧力をかけつづけ
ていたことが小説、新人間革命にも描かれているが、不当な圧力に対し歯を食いしばって
創価学会を守り抜いた多くの諸先輩がたと、退転していったもの達との違いはいったい
なんだったのだろう。
同じ御本尊を拝み、大石寺への登山にも参加し、同じ学会活動をしてきた同志である。

創価学会会長として各地の現場に入って指揮をとり、指導をされ、多くの
学会員らに会われてきた池田先生は、幹部でありばがら信心がむしばまれて
しまう根本原因は「強い慢心」にあると書かれている。
また慢心と怠惰・臆病は表裏一体だとも言及されている。
さらに具体的に信心の慢心が現れてしまったた3つのタイプとして
「策の人」「要領の人」「利害の人」をあげられていることに注目をしていただきたい。
これは信心にかぎらず、社会生活のうえでの組織論にも通じているように拙は感じる。

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「策の人は長続きしない」
いわゆる形式主義のことであろう。
たとえば、なんらかの困難にぶち当たった時、信心に目覚める学会員さん
が少なくないとおもわれるが、ここで他人からアドバイスを受けるなどして
”100万遍の唱題”にチャレンジするような人。 または、させようとするタイプだ。

唱題にチャレンジしようとすることやそういった指導自体は間違いではないの
だが、人に言われてただ回数や時間にチャレンジするのは決して自発的とは
いえない。
結果として唱題が100万遍を越えていたとか10時間に至ったというものと、
100万遍をあげるための唱題、10時間唱題のための唱題では信仰の
深さが違う。 長続きしないのも当然だし、結果もでてこない。
もし信心指導をするのなら基本的なこと以外、具体的な方策を軽々に教授しない
ことがのぞましい。
「策」の人に「策」を与えても長続きしないどころか、うまくいかないと逆恨み
される恐れがある。
自分で考え抜かせた上で、共に基本をはずしていないかどうかを見極めていく
のが望ましいだろう。 当然時間が掛かる。
たまに最近のサービス業界よろしく人材速成のために折伏や指導のマニュアル化
を望んでいる人物をみかけるが、その発想こそが「策に生きている」と言わざるを得ない。


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「要領の人はかならず行き詰まっていく」

よくいわれる要領主義の人である。
仕事などにおいては、要領が悪い人が行き詰まって
要領のよい人が無理なく仕事ができている人などとおもわれるかたも
多いだろうが、信心における「要領の人」とは、見栄の信心のことであろう。
具体的にいえば、実情にそぐわない目標をたてて他の会員さんを困らせる
一方、上の幹部ウケしそうな報告を待つようなタイプだ。
しかもこのタイプは動かない。 いや率先して動こうとはしない。
もっぱら、人にやらせて成果だけをとろうと目論んでいるのだ。
要領の人は他人の評価を気にする一方、なるべく楽な方法で他人のアイデア
をパクることも躊躇しない。
要領のよさを存分にいかして池田先生の指導をそのまま新聞などから朗読する
などしている。
オリジナリティーのなさ、無責任な態度がバレないよう方向に余計に労力を使う
ので長続きはしない。  基本が他力本願だからだ。

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「利害の人は縁に紛動されてしまう」

人は他者と縁(関係)することによって、自己を再認識することができるものだが
利害関係を絡めてくるタイプは総じてタチがわるい。
個人的感情に基づいた損・得で物事を判断するので、正・邪は二の次になってしまう。
また利害(損得)といっても金銭的なものとは限らない。
精神的な慰めや、便宜を図ってもらうなどといった「個人的な利」を与えたり
求めたりするタイプがこれにあたるだろう。
自分に対しての「損得」と相手の「損得」が合致している場合は仲良しでいられる
が、少しでも自分が「損」をさせられたと感じると手のひらを返したかのように
攻撃的になる。 そうなれば以前のようなフランクな関係には戻れずいつの
まにか「上下関係」ができている。 アメとムチを使い分けるわけだ。
結果的に自分の周りには「利害が一致する人間」だけしかのこれない。
利害に生きている人などというと、自分勝手で特徴的なクセがあるので、ひと目で
解るといわれる方もいるかもしれないが、実際には体裁を取り繕うことに長けている
ため、分かりづらいだろう。 自分の利に関する事については超マメだからである。
大義を掲げているわりに実際にやっていることが、みみっちいのが特徴的だとも
いえるように思う。

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また、魅惑的なことに「策の人」はSNSではよくみかけるタイプだ。
言うことを聞かないものにはすこし恫喝すれば引くだろうとか、徒党を組んで
悪口を拡散すれば来れなくなるだろうといった、子どもじみた「策」をとっている
自称活動家がいる。
同じく「要領の人」もまたSNSには数多くいる。
毎日毎日聖教新聞や大白蓮華からの無断転載記事をアップしつづけたり
ウケ狙いの信仰活動報告をする人、座談会の内容や御書講義、体験談を
ネットで探してきて自分ゴトのように発表する自称活動家がいる。
狡猾なのになると、相談ごとを受け付けてSNSの記事に変換するとともに
次の相談者を誘引するというエセ善人がいるので要注意だ。
「利害の人」も、これまたSNSには多い。
個人的になにかあたらしい学会活動を模索しているようなアピールを
くりかえしているだけならまだしも、理由をつけて(たいていは親切を装って)
連絡先を要求してたり、リアルで会う、突然押しかけてくるタイプはおおむねこれだ。
聞いてもいないのに、連絡先をよこしてくることもあるだろう。
徒党(組織内組織)を組みたがっているのだ。
「座談会」とか「唱題会」とか「体験発表会」などと、学会員さんにとって耳あたりの
よいタイトルを上げているのも集客目的だろう。 底が浅い。
縁に紛動されやすい方は「愛想の悪い(笑)善知識」よりも「優しげな悪知識」に
注意して、見知らぬ相手にプライバシーを握られないよう用心していただきたい。
利害の人にとって他人のプライバシーは道具に過ぎないからだ。





















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ダメ野党が財務省をビビらせた

野党がこぞって政権批判に用いてきた手段の1つである
森友問題が、いよいよ佳境にはいったようである。
といっても、今回明らかになった「公文書の書き換え」という事実は、
これまで1年以上騒がれてきた籠池氏らと安倍首相、婦人との関係性
が明らかにされ同人らの”忖度をうけて”財務省が破格の値段で売却された
と断定できるほどの証拠になったわけではない。
単に、「財務局側が決裁文書を書き換えていた」という事実のみである。
これがいつ、誰の指示で書き換えられていたのかか、これからの論点と
なるだろう。
興味深いのは野党が改ざんさされたと主張する箇所には安倍氏以外の
複数の国会議員の名や政治団体の名称がかかれていたことが証された
事実を正確に報じているマスコミがやたらに少ないことである。
ハッフポストという米国リベラル系オンラインメディアが朝日新聞との
合弁でハッフポスト日本版を運営しているのだが、ちょうど『3分でわかる
森友学園財務局の文書・・・』という記事を発表しているのでリンク先を
参考にしてほしい。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/12/moritomo-mof_a_23383988/

-------------------------

書き換えられていたというのは事実なのだが、どの部分であるのかが
説明されていないため、この類の記事を読まれた方は
「やはり、安倍首相・昭恵夫人と関係があったのかな」と印象操作
されてしまうだろう。 
関係がないと確証をもてるだけの情報がないのだからいたしかたないかも
しれない。
だが公開されている情報をよく見てほしい。
肝心の「政治家の名前」が書かれた部分とは
「普通財産売払決議書」に付随する「貸付契約までの経緯」という書面で
かつ「森友学園の概要」と書かれた部分
や、「これまでの経緯」として
森友学園側が提出した文書を元にした部分や、すでに公開されたニュース記事
を元にしたものなのだ。
(これも朝日新聞社がpdfファイルを公開しているので、よくご覧になってください)
http://www.asahicom.jp/news/esi/ichikijiatesi/moritomo-list/20180312/5.pdf

つまり、いままでどおり、政治家と関係が深いかのように籠池氏らが
主張していた内容に基づき、ほぼそのまま採用された形で掲載されている
部分に過ぎない。
ネットでさっと調べてみた限り「森友学園の概要」という添付書類に議員の名前
が記されていたことを正確に報じていたのは NHK の森友関係ページぐらいだ。
今回公開された文書にかかれていた超党派の議員連盟である日本会議も
3月13日付けで公式HP上に

「籠池氏は、日本会議を退会しているにもかかわらず「日本会議大阪代表・運営委員」
との虚偽の役職を掲載した名刺を財務省関係者に配布していた」

と発表している。
つまり森友側が財務局に提出した資料そのものが眉唾モノなのであることが
疑われる


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なぜ、財務省側が「書き換え」をさせたのだろう。
決済後の公文書の書き換えは「公文書管理法」にも抵触し
下手をすると刑法犯として裁かれることも考えられる。
詳しい事は検察も動いていることもあり、いずれ明らかになると
おもわれるが、公文書書き換えが発覚したときの財務省が負うリスク
省庁管理監督をする政権(内閣)側のリスクを考えることができなかった
のだろうか。
ポイントは、退任した佐川元国税庁長官に移るだろうが、氏が野党の執拗
な追求に精神的に追い込まれていたことが通常ありえない判断をさせた可能性
が充分考えられるのではないだろうか。
なぜなら森友学園への国有地売却の決裁を最終的に認めたのは当時財務局
理財局長であった佐川氏だからだ。
当時佐川氏や近畿財務局が追い込まれていたのは、国会議員や首相・婦人の
名前まで巧みに利用し相手を揺さぶることに長けた籠池氏らだろう。
だが、公有地売却の交渉が進められていた当時の近畿理財局長は迫田英典
元国税庁長官であり、一部の報道では佐川氏ではなく迫田氏がキーマンで
あると主張している所もある。
佐川氏からすれば森友の国有地売却は前任者が深く関わっていた案件であり、
それを引き継いだ自分が決裁をひっくり返すなどといったことは役人としての階段
を上り詰めようとしていた当時の立場上考えられなかったであろうことが推認できる。

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加計問題においては最近話題にすらならないが、1年以上政権を叩き続ける
ネタとなってきた、森友問題。
いずれも、首相を忖度した役人という基本プロットは変わっていないが、そもそも
官僚が首相個人に対し、忖度をしたかどうかなど証明のしようがない。
国会議員と関係していることを匂わせただけで国有地が安くなったり許認可が
通ってしまうのなら役所が腐敗しているのだといえまいか。
もちろんそれを統括する政権側に相応の責任はある。
だがマスコミや野党は籠池氏の言をそのままつかい「忖度」があったのでは
ないかと安倍首相を責め立てつづけるものだから埒が明かない。
野党側はいつまでたっても「忖度」を証明できる証拠が出せないので、矛先を財務省
に向け直し、文書の全体の趣旨は無視したうえで「一部」を切り取って関係性がある
かのように騒ぎ立てる。 いつもの手法である。
マスコミと野党はマッチポンプをしあう相変わらずの共依存関係だが、今回の
資料をもとに「財務局」や「財務省」の責任を問うことはできるが安倍政権が
終わるほどのダメージになるかといえば微妙なところだろう。
いつまでもつづく森友問題に野党の不甲斐なさを呆れる記事を何度も公開して
いた一部の学会員さんが、今回の資料公開が引き金となって安倍政権が崩壊して
しまうのではないかと本気で考えているらしいので失礼ながら失笑してしまった。
どうも通勤途中で朝日新聞を盗み見したらしい。

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さて、今回の公文書書き換えで拙が感じられたのは、近畿財務局側が「格安」で
国有地を売却しようとした根拠に前例のない特殊な事情が存在していたことを隠そうと
していた事実である。
“急かされ値切られ受け入れてしまった”という事実は役所側からすれば負けを認めた
ことになるだろうし、前例を作るわけにはいかない。
籠池氏らからの圧力や、前任者から引き継いだ案件ということもあり格安での売却を
決裁した形となる佐川氏がなにを守ろうとしたのかというと、もといた財務局という組織
ではなかっただろうか。
ダメ野党のワンフレーズ攻撃やキリ文攻撃による執拗な攻撃は、政治家ではなく担当
の官僚にダメージをあたえ結果として、指示に従い公文書を書き換えさせられた役人さん
は「法の遵守」と「職務命令」の板挟みとなり自殺に追い込まれてしまったのだろう。
もし公文書の書き換えが「森友問題」の渦中に行われたというのであれば、
国会議員という立場でマスコミをつかった筋違いのパワハラを行いつづけていた
ダメ野党が遠因はないか。
皆さんよくよく思い返してほしい。
立憲民主の主だった連中は「脱官僚」を旗印にあげ政権をとったものの運営がうまく出来ず
失敗した前歴のある「民主党」の中心を成していたヤツラであり、大騒ぎしているマスコミは
彼等に相乗りしていた協力者たちだ。












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見栄人間は頼られると弱い(下) 創価の森ウォッチ151

見栄人間は頼られると弱い(上)  の続きです。


まだ現在のようなSNSサービスがなかった頃、大手サービスの「知恵袋」など
を利用して相談にかこつけた“悩める学会員”が出没していたが、資格がある
わけでもなく、どこの誰だか判らないような相手に人生相談や信仰相談をもち
かけている点で「本当に学会員さんなの?」とかなり不審に思ったものだ。
実際に、日顕宗の門徒が複数のアカウントを使い分け質問に答える体裁を
とりながら創価学会での信仰を諭すという一人芝居が行われていた事もある。
いまでもこの類の「信仰相談」をうけつけているブログは多い。
特に学会アンチ系のブログのコメント欄などには捨てハンドルの自称現役
学会員が「悩み」を書き込むパターンがよく見られる。
日頃、学会アンチさんの投稿には敏感で、こと細かく破折してみせたり、自分
の価値観にそぐわない人なら学会員さんであっても「ナリスマシ」だなどと排斥
してみせるような強権的な方であったとしても、いざ自分に対し「相談」などと言われ
頼りにされると学会活動の愚癡や信仰への不信、不幸な身の上が羅列された
「相談話」のブログへの掲載を許してしまうようだ。
さらには「記事」として再生し、ご丁寧に拡散してしまうのだから愚かしい。
現在(2018/3/9)菊川氏の創価の森「別館」では、離婚の危機にある婦人部と
いう方の相談文を細かく分割したうえで、各項に菊川氏の個人的意見をつけくわえ
答えにならない冗長な記事を量産していくという手法を実演中だ。
相談される方の話は掘り下げす「自分の場合はこうだった」を繰り返すだけなの
だから話が噛み合わないのは当然だ。


--------------------

日頃「結婚・離婚」や「仕事」、「財産」の話題を発信している人物に対して、同じ
話題を持ちかけるというのは人心を手玉に取る目的なら実に理に叶って
いるといえる。
同調や同情しやすい内容だからだ。
また、同じ話題を持ちかけるのは相手の警戒心を薄める効果もある。
だが、本気で相談をうけ「問題解決」を模索するのなら、同調と同情はNGだ。
カウンセリングや心理学の基礎でもそのように習うし、人の上に立つ役職に
なった方なら、不用意に部下の愚癡や不満に同調したり同情するとネガティブ
な方向に引きずりこまれてしまう事を体験されているだろう。
だが、リアルで対人関係の経験豊かな方であっても、警戒心のある方でも
他人からの評価にこだわる性格が災いして、ネットでは簡単に判断を歪めて
しまうケースがあるのだ。
学会活動をしているのに仕事や生活が上手くいかないという「相談事」を
学会アンチブログへ書き込む現役学会員はかなり怪しまれるが、同じ
ような内容を学会員ブログに書き込む現役学会員には疑いの目が向け
られにくい。
特に自分自身で信仰体験談をブログで記事にしている人に対してなら、
ブログ主に同調・同情されやすい内容は一目瞭然なので容易い。
拙は、見知らぬ人間に信仰相談をすることもないし、責任を持って
最後まで面倒を見ることも出来かねるので、最初から信仰相談などは受けつけて
いない。
それにしても何故「信仰不信の相談」をネットの閲覧者に見てもらいたいのだろうか。

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いちいち学会員のブログに乗り込んでアンチとして教学論争をふっかける
よりも、元学会員の経験を活かして組織や活動の愚癡を「相談」という形
で書き込むほうが角が立たないし、学会員さんも積極的に話題に乗ってくる。
そのスキに、あることないこと書き込めば「学会の信心していても幸せになれない」
という悪いイメージを植え付けることが可能だ。
まして相談を受け付けた現役学会員が信心指導もロクにできなかったり、
途中で話を投げ出す姿をさらしたならば学会アンチさんの「おもうツボ」だろう。
だが困った事に自慢ばかりの見栄の人は往々にして短気なので、自分のペース
やブログの雰囲気を乱されることを第一に嫌がる。
頃合いを見計らって学会員を感情的にさせ、相談を成立させないように仕向ける
ことも難しいことではないはずだ。
創価学会に対するネガティブな印象をうえつけることを意図しているかどうかを見分
けるには 「私は・・」とか「僕が・・」という一人称を 「創価学会員は」と置き換えてみれ
ばよい。


仮に相談者が本当に学会員であったと仮定してみよう。
現場で必死に活動するまえに、何人もの指導を受けまくり葛藤する前に、
御本尊様に本気で唱題するまえに、「だれでもいいからネットで助けてください」
という惰弱な信心が「信仰不信」の根幹になっているのではないか。
ネットの「相談者」にもともと悪意があるのかないのかは、結果として解るだけだ。
正直にいわせてもらうが、身近にいる現場の幹部さんを信用していないが故に
信仰不信が解決しないのだと思う。
信仰不信を打ち破るためには、本人の強い信心と、リアルでの温かいサポート
の継続が重要かつ不可欠だ。
最近SNSを通じて、いじめの相談を受け付けるサービスを行っている自治体も
あるが、担当者は有資格のベテランの方で学校側への繋がりもある。
残念ながらネットの信仰相談には、継続的サポートなぞない。
ネタとして再生され個人ブログの広告となり消費されていくだけだ。
大切な信仰相談に、そういった場所を選んでいること自体が大間違いなのだ。


--------------------------------------

しかし、ブログ村創価カテの中で読者からの「相談」を受けているのはなにも菊川氏
に特化されたことではない。
ブログ村創価カテには他にも学会員として「相談」を受けておられるかたがいる。
前述したように、いやしくも活動家をアピールしているブログ主さんが利用され
「相談者の信仰不信」をおおっぴらに拡散されかねないリスクを、どのように防いで
読者の要求に答えるのかがブログ運営のポイントになると考えているのだが、
ある方は受けた相談をほぼまるごと転載するのではなく、適度に簡略化したうえで
肝心の所だけ質問に答えられている。
ここでブログタイトルを上げると、学会アンチさんのターゲットになりかねないので
あえて出さないが、まだ信心されて日が浅いとのことなのに、よくリスクにそなえられ
ているなと感心した。
また質問者のプライバシーにも相応の配慮がみられる。
そういった管理人さんの姿勢があってのことか、質問を寄せられたかたも自己を
見つめ直し信心に対する反省をされて退出されるのが印象的ですらあった。
自分自身や親族、縁故の同志の方へのプライバシーを配慮されつつ記事を組まれ
ているからこそ、相手へのプライバシーや不利になる表現にも配慮ができるのだろう。
こういったなにげない 人の振る舞い にブログ主さんの「信心」が透けて見える。

個人のブログで自分の信仰を外に向けて公表するというのは、どうしても自分を大きく
見せてしまいたいとの欲求がでてしまいがちになる所があるのだが、そういった見栄
の信心、魅せる信心への誘惑に負けられないのは何故だろうか。
おそらく、自分の信心はまだまだだという謙虚さがあるからではないだろうか。
すこしばかり、リアルで幹部の経験があるだの、活動の成果を上げたことがあるだの
いままでの生き方が素晴らしいなどとネットで過去の成果を自家宣伝する「見栄人間」
と、入会したてでも謙虚な姿勢で信仰に向きあおうとされている方との違い。
相談相手になら、どちら選ぶべきなのだろうか。
この選択にも相談者の「信心」が透けているように思う。
会員外の方は、創価学会員は同じような信心をしているようにみえるかもしれない。
だが、世間とおなじように見栄に生きる人と、見栄にすがりたがる人、
謙虚生きる人と、謙虚になれる人の違いが その人の振る舞い に現れてくる
ものだ。

信仰者として、どの生き方を選択すべきかは何度も池田先生が指導されている。


 



 


















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見栄人間は頼られると弱い(上) 創価の森ウォッチ150

忙しくてネットひらがな御書が進まない・・・などと時折嘆きを入れて読者の
同情を誘おうとするクセがある創価の森ブログの運営者、菊川広幸氏を
頼って、ときおり相談者がやってくることがある。
たいていの相談者はブログのコメント欄に非公開などで書き込まれることが多く
メールでも送られているそうだが、相談内容は多岐に渡っているように見える。
だが、3つものブログを運営し、どんなに忙しくとも毎日記事更新をする菊川氏
にとって他者からの個人的な「相談事」は、新たなブログのネタになりうると
考えているようだ。
一応相談者からの許諾を取ったうえらしいが、ほぼ相談の全文を転載しなおす
などして“連続記事“を作成する事が度々ある。
少し前には「派遣社員で働いていて契約の満了で切られました」という
方から相談を受けて、3連続で記事を作成していた。
忙しいアピールをされている割にけっこう時間と余力を使っているなぁと拙は思う。

----------------

ある興味深い事実に気がついた。
日頃、同情を誘う嘆き記事いれるのはもっぱら、ひらがな御書をサポートする
という「創価の森通信」だ。
そして相談事の記事を公表するのは「創価の森の小さな家」(別館)であり、こちら
では菊川氏の“同情記事”は掲載されないし、毎日更新はされていない。
それでも2月中だけで10記事投稿で時間を費やしている。
創価の森ブログにいたっては2月中に20以上の投稿をされていることが、ブログ村の
個人ページで確認できる。
 (参照リンク : https://www.blogmura.com/profile/01194368.html
今回初めて氏のブログ村個人ページをご覧になった方
は「毎日更新されていないのでは?」と錯覚される方がいるかもしれない。
菊川氏は「削除予定記事」という一週間ほどで削除する記事を投稿される
ことがよくあるので留意していただきたい。
たとえば以下のようなものだ。
「悲しい気持になりました   ☆ゴールは遠く見えない」
http://megalodon.jp/2018-0215-1158-48/sokafree.exblog.jp/28123612/

これら削除記事を含めると「毎日投稿」どころか、複数ブログで朝投稿して夜も
投稿される場合があることになる。
やはりどう考えても、ひらがな御書の作成が遅れるのは菊川氏の無計画性に
あるのではないか。

---------

拙も複数のブログがあるが毎日記事更新するなどという事は手間なので
やっていない。他所様のブログなどで投稿をする際には資料を読み込むなど
すると時間と手間がかかり、本体であるはずのFC2ブログの記事更新は滞って
しまうものだ。
もちろん他愛もない内容で済ませるつもりなら毎日更新することも可能なのかも
しれないが、性に合わない。
「ゴールが見えない」などと嘆くことができるほど計画的かつ真面目に
取り組んでいることを暗にアピールする人が、わざわざ「削除予定」などという道草を
食うような時間をとるだろうか?
むしろ別館と通信の2つのブログは脚色を変え、都合よくキャラクターを使い分け
ることで不測の事態を織り込んだアリバイを用意しているようにすら見える。
つまり、創価の森(別館)では、模範的な学会員活動家を演出し相談事などブログ
の「ネタ」が読者から投稿されるのをまつ窓口。
創価の森通信では会社員として弱音を吐いたり、健気な“ご主人”を演出し
読者(特にコミュニティ好きの)の歓心を買う、アイドル。
ホンネとタテマエの使い分けが巧妙にされているということだ。

---------------------------

以前自慢話をする人に関して何度か記事にさせていただいたことがあるが
今回は別の切り口で考えてみようと思う。
あたりかまわず自慢話をする人は「他人に認めてもらいたい」という心理、
承認欲求が強いとされる。 (例・参考リンク: https://coach-minoru.com/bragging/ )
実は自分をよく見せようとする「自慢話」と、自分を悪く見せかける「不幸な身の上話」
は根が同じで「他者に認めてもらいたい」という心理が働いている。
逆にいえば見栄男・女や薄幸男・女の「強い承認欲求」を満たしてあげるために
話をあわせてあげれば、好印象をあたえることが可能だ。 
「話をあわせる」ことで相手の警戒心を軽減させる効果も期待できる。

ネットにおいていえば、自慢話や身の上話に対しては 

1「ただ頷く」(説教しない)
2「同情してみせる」(同調姿勢を表明する)
3「協力する」(さらに拡散する等)

の3パターンが有効だろう。 おおむねブログ主に好意的にとられるはずだ。
このうちの 3 の変形として 「相談をもちかける」 がある。
見栄人間にとって、みずしらずの方から人生相談をもちかけられるという
ことは、”自分は他者から頼られている”ということを強く感じることが
できるからである。
ましてネットコミュニティ(SNS)のような公衆面前ともいえる場所で
、親切な学会員を演じることができるのだから、他人に認めてほしいと
強く願う人間にとって、至福の瞬間であることだろう。
接客業に長けた人間が異性を落すときに使う手段として同調・同情・協力
の3っつのアプローチは古典的だが、心理学的にみても相手を喜ばせる急所を
しっかり捉えているといえる。

(つづく)










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