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さようなら 学会アンチさん

四月は世間でも人事異動や入卒の時期だが、合わせるかのように
ネット上でも似たような動きがある。
ほとんど新記事更新通知サービスと化しているブログ村の創価カテ
にも何ヶ月かに一人、新ブログを登録される方がいるのだがそれ以上
に先発登録者の中で記事をあまり更新されない方が増えている。
学会員向けの個人的でつまらない記事を頻繁に更新してもさほどの
人気ブログランキング評価につながらないことを知ればそのうち飽きて
くるのも当然だろう。
中には他の登録者ブログにコメントを寄せる事で点数を稼ぎたがっている
したたかな方もいるかもしれないが、その感情はアンチさんも同じのようだ。

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学会員向けの健気な信仰アピール記事も、似たような記事をかく方が
何人もいれば食傷気味になるのと同じ様に、学会員向けのアンチアピール
記事も似たような内容が連なっていれば読む気がなくなるのも当然だろう。
学会員さんアンチさん関係なく、よりオリジナリティのある記事が好まれる
ような気がする。
書き手がどんな題材を取り上げるかよりも、どんな考え方をされているのか
人となりを想像できる内容が拙の好みだ。
たまにタイトルだけで中身の伴わない三流週刊誌なみのハズレ記事を
読まされてしまうこともあるが、表現力に幅をもっておられる方は取るに
足らない日常の記事でも面白い。
ブログにおいてオリジナリティのある表現力の1つが「絵が書けること」だと
思う。
SNSには4コマ漫画を発表されている方がけっこうおられるが、文字で
表現すれば少々キツイ内容でも、マンガにしてオチをつけると和らいだ
表現に見えてしまうのはとても不思議だ。

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ブログ村の創価カテにも最近はイラストをまじえ、かつ、あまり知られていない
有意義な情報を発信される器用な学会員さんが出てこられたが、記事の内容
を練りながら、あわせてイラストも描くという手間をかけられているのは大変だ
ろうなとおもう。 モチベーションを維持しつづけてないと出来ないだろう。 
つい最近まで、アンチ学会の立場でマンガを描いて発表していた 「さくらもち」
さんがブログ、SNSを卒業されたのはちょうど今から一ヶ月ほど前のことだった。
https://megalodon.jp/2018-0325-1624-23/sakuramochi2017.blog.fc2.com/

おそらくモチベーションが保てなくなったのだろう。
ときおり、monlingenさんの所にも皮肉めいたコメントを書き込みにこられて
いたようだが、おそらく彼女にとっての「創価学会」とは彼女や兄を苦しめてきた
親の姿そのものだったに違いない。
傲慢で話を聞こうとしない親へのいら立ちを、monlingenさんやブログにぶつけて
いたように思う。
さくらもちさんの両親の話は、いささか辻褄があわないところも散見されたが、
話半分としても、昭和時代の学会員さんの信心が垣間見れて興味深かった。
いずれにしても、信心を子供に伝えようとしている時に子供は学会活動家と
しての親の姿をしっかりみているという事だけは伝わった。
一番興味深かったのは、神社やお守りについて書かれたマンガだった。
http://megalodon.jp/2017-1223-1838-11/sakuramochi2017.blog.fc2.com/blog-category-9.html
たしかに昭和40~50年台ぐらいの日蓮正宗創価学会時代にはこのような
感じの親御さんがいた。
もうひとつ興味深かったのは世間やネット界隈がカルト問題で大騒ぎしていた
頃から彼女は2ちゃんねるなどを通じ、アイコラを造って学会アンチネット活動
に手を染めていた古参であったことと、一線を退いてからはSNSをつうじて
知り合ったアンチ学会論客とオフ会をしていたことを暴露していたことだろうか。
http://megalodon.jp/2018-0225-1731-27/sakuramochi2017.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

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上記過去ログで書かれている 法華講員のT氏 とは 鶴丸印 氏のことであり
ご隠居 と書かれている人物はTwitterで現在も自称ジャーナリストとして
サイトも運営してる学会アンチ大木道恵。
米山さんとはTwitterで米山士郎を名乗り、サイト運営もしている学会アンチ。
暁さんはだれだか存じ上げないが、どうせ同じような感じだろう。
たしかに、Twitterの痕跡には、さくらもちさんが情報をタレコミしているもの
があった。
上記のログで興味深いのは、さくらもちさんを始めとする彼等学会アンチ諸氏が
醜悪なアンチ学会とは一線を画しているかのように「創価論客」として紹介
されていることだ。 罵声を浴びせるだけの低劣アンチと一線を画すために
自称しているのだろうか。
「学会とはなにか」を冷静に考察しているのだそうだが、もっぱら過去
(日蓮正宗時代)に発刊された書籍などから、現在の創価学会を批判する
しかないのは さくらもちさんと同じだし、ネット法華講員の学会破折も過去の
スピーチや会長指導から矛盾点を指摘するケースがよくある。
「創価論客」とはいっても自身の過去の経験などを軸に、ネットで共有した
都合のよい情報を当てはめて、自分にとって都合のよい「怪しい創価学会」を
再構築しているだけなので、アンチさん向けのコンテンツにしかなっていない。
さくらもち さんの場合は「親子の反目」がアンチ活動モチベーションの根底に
あったようだが、存外、学会アンチ、法華講員らのネット活動の根底にも
おなじような反目があるだけかもしれない。

ともあれ、一人の学会アンチさんがネットアンチ活動に見切りをつけられたのは
喜ばしいことだ。
帰属しうる宗教をもたない人にとって、宗教論議などは「オフ会のネタ」か
団塊オヤジらとの出会いのキッカケにしかなっていないことは解ったのだから。





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【急告】 座談会へ部外者が侵入 : 真実を語るウォッチ 50

https://ameblo.jp/kiboutoiunanotsubasa/entry-12369469463.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----kiboutoiunanotsubasa_12369469463
(岐阜の壮年部ハピネス氏のブログの該当記事リンクです)

犠牲のうえに成り立つネット活動家の笑顔:真実を語るウォッチ49 
の記事内で拙が危惧していたことが起こってしまいました。


墨田区の婦人部「ちよ」氏が主催する組織内組織が、TOMMY(赤鬼)氏の

組織を通じず個人的な繋がりだけで他地域、他地区の座談会に無断侵入。  

同行したハピネス氏がレポートと集合写真画像をブログにアップし公開しています。

個人が特定できる状態で多人数が写っている画像をアップし公開するとは

学会員として言語道断の行為です。
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犠牲のうえに成り立つネット活動家の笑顔:真実を語るウォッチ49 

墨田区の婦人部「ちよ」氏が運営するブログで、またも
参加者のプライバシーを暴露する記事が発表された。

いまから1年前の5月、公明新聞に記事が掲載されて実名が
証された墨田区の婦人部「ちよ」氏。
当時から相手の警戒心の隙をついて他者の連絡先を入手し
直接電話をしたり自宅におしかけたりすることで、関わった人物の
プライバシーを漏らした上でブログの記事へと変換し公開。
新たな顧客を勧誘するといった組織内組織を彷彿とさせる「ネット活動」
を繰り返してきた。

今回、墨田区の婦人部のターゲットとなったのは創価学会が発刊する
「日蓮大聖人御書講義全集」のほぼすべて等を無断転載したうえ、
サイトを通じて世界配信をしつづけている TOMMY(またはHN 赤鬼)氏だ。

アメブロでは「メンタル心理カウンセラー」としてブログを作成し許可なく客を
営業行為をされている墨田区の婦人部「ちよ」氏については以前記事にした
ことがあるが、4/16日付けのアメブロで意味不明な記事をアップしているのに
気がついた。
曰く『幸せって何だろう?分かり合える友達がいる事 ・・・』
(ちよ氏のアメブロ記事 記事とびきりの笑顔~より引用)
この記事に直リンクされていたのがエキサイト版の「真実を語る」であった。

拝見してみると、4月11日に聖教新聞誌上で公開された、ある体験談に
ついての「裏話」だった。
ある体験談とは滋賀県の彦根市の稲枝地区の学会員さんの信仰体験
なのだが、その体験記事の取材地に『TOMMY(赤鬼)氏』の所有する
地区拠点を使われたことが公然と書かれているのだ。

「真実を語る」の記事と彼女と水面下で連動しているハピネス氏のブログに
掲載された無断転載体験談を読めばTOMMY氏の住所が滋賀県の彦根市
であることが容易に解るだろう。
なんでも、体験談の当事者が取材を受けた時点でなぜかTOMMY氏が墨田区
の婦人部「ちよ」氏に直電話で報告をしていたというのだから二重の驚きだった。

「たえ」というHNで運営されているアメブロでは、この記事をリンクさせたうえで
“分かり合える友達”がいることが幸せだと述べているようなのだが、彼女に
とって分かり合える友達とはブログに掲載できる「ネタ」を振り込んでくれたり
有料のWEB版聖教新聞から記事の無断転載を肩代わりしてくれる協力者の
ことではないのだろうか。
しかも「新しい友達が・・」などと、わざわざ断って書いているところを見ると
TOMMY氏をつうじて、体験談に掲載された彦根の方と連絡を取り合えるように
なったと暗に示しているのかもしれない。
これは、とても恐ろしいことだ。
拙の思い過ごしであればよいのだが・・・

今まで彼女がブログを通じてなにをしてきたのか、どんなふうに信仰心を利用
してきたのか、あらためて証さねばならないだろう。






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増上慢たちの不毛な対立

末法において法華経(正法)を広めようとすると
三類の強敵が競い起ってくると日蓮大聖人は説いている。
三類とは俗衆・道門・僭聖があげられるが、これは社会的な
「立場」といいかえることができるだろう。

俗衆=宗教に無頓着な一般大衆レベル
道門=同じ宗派(仏教というくくり)の一般信仰者レベル
僭聖=宗教的権威(僧籍)や学識権威のを持つものうち道門や
     大衆からも尊崇されている指導者

学会員でありながら公然と学会批判(執行部批判)を行っているものがよく
つかうフレーズに、『現在の学会本部幹部は三類の強敵に準ずる』 というもの
があるが、仮に本部幹部がいくら増上慢であったとしても「道門」どまりなのだ。

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三類の強敵の呼び出し方(といっては語弊があるかもしれないが)は、
日蓮大聖人曰く

「諸経は無得道堕地獄の根源 法華経独り成仏の法なりと
 音も惜まずよばはり給いて 諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ
 三類の強敵来らん事疑い無し」

(如説修行抄より)


あべひ現代語訳 :(末法において)法華経以外の諸経を重んじることは
道を誤り地獄に堕ちる根本原因であり、法華経だけが即身成仏を叶える法で
あると声もおしまず説き、諸宗の門徒(僧)や依経を破折してみなさい。
三類の強敵が現れることは疑いようもないことだ。


とあるように、あくまで強盛に折伏を実践していく途上でしか三類は現れない。
学会員が公然と学会組織を批判して処分された事実をもって「三類の強敵」に
見立てるのは、彼等が正法を行じている結果であると印象づけたがための
演出にすぎない。 これぞ法盗人。
卑屈な人格を隠すために仏法を利用し貶めているに過ぎない。
たまにSNSを通じて組織内組織をつくっていると批判されると同様のことを
言い出すネット学会活動家がいるが同じ発想からきている。

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「増上慢」とは
“まだ悟らないのに、悟ったと思って、おごり高ぶること。
 転じて一般に、十分な力が無いのに、自信の強いこと”
 とグーグル辞書にも
ある。
未熟者ほど宗教的指導者とシチュエーションが似ているというだけで同格である
かのように語りだしたり、少しばかり似たような体験をしたからといって悟った
かのように自慢をする。
これだけなら、「我慢」(自負心が強く、自分本位)なのだが、もっぱら相手を
貶める事によって自らの覚知こそが素晴らしいものであるとアピールするのが
「増上慢」である。
増上慢の境涯に甘んじている人間はいくら立派そうなことを主張していようが、その
本心は小説 新・人間革命(勝ち鬨88)にも書かれていたように慢心と怠惰の裏返し。
その結果、信心が淀み我見(エゴ)に支配され憤懣(腹立ってイライラすること)で
あふれている状態といえる。
信心が淀むとは文字通り「過去にすがる」信仰者の生き方。
自分は正しい評価がされていない(不幸だ)などと憤懣にあふれているから、意に
沿わない相手は必要以上に貶めコケにしつづけることで己の心の平静を保とうと
するのだ。
心の平静を保つ方法は他にもいろいろあるはずが、過去にすがり相手を馬鹿に
しつづけることでしかイライラを解消できない所に、幸せになればい根源がある。

////////////////////////////////////////////////////

宗教的立ち位置が フリーの一般人 であろうが 自称元バリ活 であろうが
リアル活動家だろうが坊主だろうが法主であろうが 『増上慢の生き方』 に
あてはまっている人物は決して「幸せな境涯」を得ているようには見えない。
もし、そういった人をみたら願い下げだろう。
ところが困った事に、他者を客観的にみることができても自分自身が「増上慢」
であることにはなかなか気が付かないものだ。
挑発的な態度をとったり、あるいは下手に出るなどしてSNSのコメント欄に他者を
を呼び寄せたうえで「対話」を試みたものの、不調に終わって止む無く入室を断る
という場合がブログ運営をされている場合あると思う。
互いに無益な時間をすごさないためにも炎上状態を未然に防ぐ為にも、そういった
強制的なやりかたがあることを、ことさら批判するつもりはない。
だが、注目すべきはその後の立ち振る舞いではなかろうか。
どんなに立派な経歴や過去の体験をもっていると自画自賛しても、現在が
卑屈な「増上慢」の生き方がベースであれば、その信心のありかたは間違っている。
また信仰をしていようが、していまいが「増上慢」の生き方はいけない。
なぜなら「増上慢」の生き方は究極の自己保身であるがために進歩や変革が
望めないからだ。
お互いが自己保身に汲々としている「増上慢」の人間同士の対立からは何も
生まれてこないと拙はおもうのだが、読者の皆さんはいかがお考えだろうか。









 


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ニセ法主 阿部日顕の萌芽

拙のHNは阿部日ケ~ン(院政)である。
日顕宗破折をしているのに、なぜこんなHNにしているのかよく聞かれるが
もともと学会系公開掲示板上で邪見を披露しにやってくる“電網法華講員”ら
と対峙する時に、池田先生のHNをもじって揶揄するものが多かったので、
それに習ってみたのが最初で、10年以上にもなるだろうか。
このHNに変更してから、学会員さんからもHNについて苦言を言われるケース
がまれにあるのだが、それほどまでに隠尊日顕は学会員さんからも疎まれ
続けていることが伺える。
なぜ日顕がこれほどまでに学会員さんから疎まれるかというと、感情的に
ならざるを得ないいくつかの要因があげられるだろうが、拙が一番感じるのは
堕落した聖職者にありがちな「二面性」をもっていたことだ。

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第一次宗門問題が元弁護士の山崎正友や教学部長であった原島らの
暗躍によって後に「正信会」と名乗りをあげる日達派の宗内僧侶派閥らが
学会バッシングを実行していたことに端を発していたことは小説、新人間革命
にも描かれていたことを思い返していただきたい。
第一次宗門問題当時の存命であった日達法主が創価学会と、「正信会」を
名乗った坊主共らとの悶着をなんとか収めることに成功したのだが、日達法主が
急死し新法主となった阿部日顕も先師の学会との和解路線を引き継いだかの
ようにみえていた。
達師逝去を良いことに坊主共らは宗会選挙で多数派工作をとったうえで合法的
に発言権を得る事に成功すると1980年(昭和55年)に正信会を立ち上げ日顕
執行部に対して公然と批判を始めた。
同年首謀者数名が宗門から擯斥処分(僧侶の資格を剥奪したうえで退けること)を
されると彼等に追従する200名を超える坊主らが1982年(昭和57年)までに同様の
擯斥処分となった。
小説新・人間革命では簡潔に

『一方、前年九月に、「宗内の秩序を乱した」として、約二百人が処分された正信会は、
さらに宗門批判を強めていった。そして、この八一年一月、彼らは日顕と宗門を相手取
って裁判所に提訴するなど、対決は激化し、ますます熾烈な争いとなっていった。』
(勝ち鬨 6  2017/12/13付 聖教新聞)


と正信会僧らの顛末が取り上げられていた。
当時ほとんどの学会員さんたちは大石寺宗門執行部が先師の僧俗和合の願いを
引き継いで学会バッシングを止めない正信会僧らを斬ることで創価学会を護って
くれたように見えていたのである。


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「元バリ活の」という枕言葉をつければ発言の信用性が増すと安易に考えがち
な学会アンチ系ブログのある記事によると、この事実のみを指して

“阿部日顕さんは本来学会の 擁護派の人だったんです。
 (略)
そして阿部日顕氏も創価学会との対立を避け、融和を図ろうとしたというのが
歴史的な事実・・・”(創価学会非活のブログより抜粋)


などと論じているが浅はかだ。
日顕が創価学会擁護派だと断定するには疑わしい人格であったことが、
本日付(2018年4月6日)の聖教新聞誌上に掲載された小説 新・人間革命に
かかれている。
おそらく明日(7日)の新・人間革命でも「本山呼び出し事件」の実情が更に詳しく
発表されるとおもわれるが、関西の学会員さんなら耳にしたことがあるであろうし、
秋谷会長(当時)が回想として聖教新聞誌上で公表されているのを目にされた方も
多いだろう。今、詳細はここでは書かない。
ポイントは阿部日顕自身が「関西平和文化祭」に参加しており、数日たってから
わざわざ会長らを「本山に呼び出し」したことである。
関西青年平和文化際は1982年(昭和57年)の3月のことなので、ちょうど
日顕ら宗門がマスコミからも叩かれ正信会問題で揺れに揺れていた時だ。
このような背景もあって、護ってやったはずの創価学会に対して些細な言いがかり
を付けて信徒と聖職者の「上下関係」を明確にアピールしておきたかったのでは
なかろうか。
ようするに相手を恫喝して機先を取る日顕法主(当時)お得意の「カマシ」である。
元バリ活氏のいう「日顕さんは(当時は)学会擁護派だった」というのは眉唾もの
であることが理解いただけるだろう。

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ただし、関西青年平和文化際が行われた昭和57年当時、阿部日顕の
「本山呼び出し事件」については、多くの学会員さんらが知る由もなかった。
現在は学会のトピックスはインターネットや、各会館、地区にあるSTBを通じて
動画を視聴できるが、この頃は8mmビデオ映写機を持った担当の方がで座談会
会場をまわってフィルム上映をされていた。
関西青年平和文化祭も、8mm映写機でご覧になられた学会員さんも多いだろう。
阿部日顕法主と池田先生が長居陸上競技場で並ばれ談笑されている所が写って
いたことを覚えている。
池田先生の全国指導が再開されたこともあって、青年平和文化祭の映像をみて
“創宗問題の雪解け”を実感されたかたもおられたのではなかろうか。
だが実際には、阿部日顕はこの頃から創価学会に対しウラで「圧力」をかけてきて
いたのだ。
今国会では、国会議員や関係省庁が一部学校でおこなわれた講演内容について
問い合わせをしたというだけで大騒ぎだが、創価学会においては法主自らが会長
らを静岡の本山に呼び出し、面前で直に内容について細かく批判をするという形で
圧力をかけていたのである。
法主という宗派を束ねる立場になった人物の“真の人格”に一般の学会員さんが
気づくのはこれよりずっと後のことになるが、表とウラのある二面性ニセ法主の萌芽
は昭和57年からだったといっても過言ではないだろう。
実際にはもっと早から阿部日顕は創価学会を疎んでいたのかもしれない。

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キャッチフレーズ化された『誓願』 : 創価の森ウォッチ 152

聖教新聞誌上で連載が続く小説、新・人間革命の最終章となる
「誓願」の章が3月26日より始まった。
最初に取り上げていただいたのは大阪長居陸上競技場で行われた
第一回関西青年平和文化祭であった。 
関西の人間として大変に光栄なことであり、又、ありがたいことである。
これから数々のエピソードが紹介されていくと思われるが、地元関西では
会合などを通じ耳にされたことがあっても全国の方、あるいは若い世代の方、
新入会の方には初耳のことも多いことだろう。
小説を通じて語られるエピソードは文字通り創価学会の歴史に永遠に刻まれ
語り継ぐべき内容であるといっても過言ではない。
物語の都合上、文化祭参加者のすべてのエピソードを紹介するわけにはいか
ないだろうが、当時参加された青年たちの中に新入会のメンバーが多数おら
れたことを拙から明記させていただきたい。

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先の「勝ち鬨」の章では、日蓮正宗の一部の僧等が暗躍し、創価学会員らをイジメ
た第一次宗門問題にメドが付き、勇退された池田先生が全国各地の同志の元へと
激励行を重ねて来られた事実が克明に描かれ、章末では茨城での激励行が取り
上げられていた。 後に『厳寒の茨城指導』 として語り継がれる歴史なのだが、
同県の学会員であるはずの創価の森ブログの主催者である信心深き菊川弘幸氏
は、真っ先に記事にされと思いきやついぞブログで話題にされることはなかった。

“同志は勝った。凱歌の旭日は昇った。
 伸一の力走は続き、全国各地で師弟共戦の勝ち鬨を轟かせていった。”
(勝ち鬨89より引用) 

という言葉で締めくくられていた勝ち鬨の章。
これは“衣の権威”に訴えかけた聖職者らに一歩も退かなかった諸先輩方への
勝利の凱歌であるとともに、難こそ誉(ほまれ)と地域弘教拡大に生き抜いた
同志の皆さんの正しさを証明する勝ち鬨であったと言えるだろう。
なのに、ブログで常日頃、信仰の感動の言葉を綴ることに長けている菊川氏が
なんら反応をしめさなかった事に拙は違和感を感じる。
昭和57年当時には菊川氏が茨城にいなかったので感情移入が出来づらかったの
ではと庇う方もいるかもかもしれないが、すでに茨城県内に居住されて十年以上
たちブロック幹部として地域広布に活躍され、仕事が忙しいにもかかわらず毎日
ブログ記事を更新し、寄せられた相談に親身に答えてみせる氏が茨城県の重要
記念日ともいえる話題に触れないのはどうしてだろうか。
なお茨城創価学会の沿革については下記オフィシャルサイトを御覧いただきたい。
http://www.ibaraki-soka.jp/ayumi

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創価学会では多数の記念日が設定されている。
また日本の各自治体(県や地域)、世界各国の創価学会には前述させて
いただいたような「師弟の歴史」が必ずあり、どの地域でも師弟共戦の記念日
を目標に学会活動をされているはずである。
どんなに忘れっぽい人でも毎年、地域の「記念日」にむけて活動をされている
ならば命に刻まれるのではないだろうか。
勝ち鬨の章が茨城指導で終わったことに対して、同県の同志の方々たちは
意義深いものを感じられたのではないだろうか。
だが、茨城に在住されているブロック長の菊川氏は、そこには一切ふれず
新章「誓願」の一部を引用した上で、43歳の「難」(?)を通じ
「信心の確信、使命の自覚」を自覚したと主張し、自分の5つの「誓願」とやらを
3.月29日、ブログを通じ世界に向けて発信された。
5つの内容はすべて個人的な理由のみで構成されている。
しかし創価学会員として、いや、日蓮大聖人の仏弟子として「誓願」すべきは
広宣流布・・つまり弘教のことであるはずだ。

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過日1月8日。 
聖教新聞誌上にて池田先生の新年のメッセージが発表され、小説、新・人間革命
全30巻が最終章「誓願」でしめくくられることが会員に公表された。
その際の指導を引用する。

「誓願」は、仏の生命と一体の智慧と力を湧き出していく勇気の泉です。
「誓願」は、試練の宿命も使命に変えて勝ち鬨を轟かせる常勝の旗です。
「誓願」は、あらつる差異を超えて異体同心の連帯を広げる希望の光です。
そして距離も時間も超え、「誓願」によって、師弟は永遠に不二なのであります。
今、「栄光の年」の年頭にあたり、ともどもに「久遠元初の誓願」に立ち返って、
まさしく生まれ変わった大生命力で、全民衆の幸福安穏へ、全世界の平和共生へ、
全人類の宿命転換へ、勇猛精進しようではありませんか!

(世界広布新時代 第30回本部幹部会への池田先生のメッセージ~ より引用)



また御書には
所詮四弘誓願の中には衆生無辺 誓願 度を以て肝要とするなり、
今日蓮等の類いは南無妙法蓮華経を以て衆生を度する此より外は
所詮なきなり、速成就仏身是なり云云 (御書聞書) 


とある。
ようするに末法における仏の誓願とは衆生を救うために「南無妙法蓮華経」の
題目を広めること、つまり広宣流布に生き抜くことに尽きるといえよう。
世間に公然と誓えば「誓願」になるのではない。 
地涌の菩薩として過去世に仏と約束し今生で果たすべき「使命」を誓願というの
である。
しかるに菊川氏が「誓願」と名付けたものは個人的な目先の目標・決意ばかりでは
ないか。
ここに菊川氏の信心のあり方が見て取れるといえまいか。
個人的な決意と正直に書けば良いものを、「誓願」と言い換えキャッチフレーズ化し
たうえで、本来仏法的な「誓願」という言葉がもつ意味と同列に扱うことで信心深い
自己を学会員読者に演出しているようにしか見えないのだ。

学会を利用して名聞名利を得ようとする信心は「邪信」(勝ち鬨38) の指導を
今一度読み返した上で 誓願 とはなにかを考え直してもらいたいものだ。




















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