明治政府と廃仏毀釈・幕府と既成仏教の関係

( 初出 2012/4/13 )

ある掲示板で興味深い発言をされていました。


※日本国内では、腐りきった日本仏教に神道が勝利し、明治政府が成立しましたが・・(中略)
  このような歴史を見ますと、思想信条や、定式化・教条化された宗教よりももっと根底
に何かがあるように思えます

全国的に仏像などを廃棄したり寺社を壊すといった廃仏毀釈が行われたのは
明治政府が樹立して数年後だったと記憶しています。
しかし西洋・中東で見られるような宗教戦争のように「既成仏教」と「神道」そのものが
対立軸になったからではありません

江戸〜明治のみならずその時々の為政者によって宗教は統治側に組みこまれてきました。
貴族が統治者だった奈良〜平安時代、武家政治になってからも既成仏教である天台が
用いられたり、あるいは曹洞宗が用いられたりして武家や民衆統治の一翼を担ってきた
わけです。
長年幕府の一セクションとして統治力を担ってきた既成仏教の力を削ぎ「天皇中心」の
新たな社会システムを構築するには平安以前から用いられた伊勢を中心とする「神道」
が最も象徴的な宗教で選ばれた事は想像に難くありません。

現在大河ドラマになっている平清盛の時代でも、比叡山(天台)の影響力はけっして低い
ものではなく朝廷にたいして強訴が行われていた場面が扱われています。
強訴の折りに担ぎ出されたのが比叡山の守護社である「日吉大社」の御輿だというのも
、いわば神の威を借りた僧侶の権力誇示だといえます。
かなり以前から日本の仏教は神仏集合になっていた良い例でしょう。

さらに例をあげてみると、江戸期の大石寺は古来からの門派という事や京都の大寺院
との兼ね合いで大奥内や一部大名が帰依していた事もあって幕府側から庇護されて
いた時もありました。
だからこそ江戸〜明治期の日蓮正宗も例に漏れず収入の元となる寺領を没収され
社会的影響力を削がれたわけですが、生き残るために神道の影響を受けいれた
身延日蓮宗の傘下に属し泣く泣く一門をつないでいたのでしょう。
しかし、いきすぎた廃仏毀釈は明治末期にはなりを潜め、改めて「日蓮正宗」として
身延側から離脱します。

今でも富士宮上野あたりの「神社曼荼羅」の形式は、神仏習合の名残を残して
いるものだと考えます。

(参考リンクと画像)
http://fujinomiyaboy.blog1.fc2.com/blog-entry-334.html
a0212032_1550246.jpg


他の地域では古刹の日蓮正宗があってもここまで「神道」の影響をのこしている事は少ない。
もちろん日蓮正宗・創価学会時代 に是正されたものもあるでしょう。
しかし大石寺のお膝元では依然このような神仏混淆(神仏習合)が見られます。

また神仏分離・廃仏毀釈の運動は富士宮では「富士宮浅間神社」にも及んでいた事が
紹介されてますので参考になさってください。
(参考リンク: 明治維新と富士山信仰)
http://www.plantatree.gr.jp/oragafuji/maps/list.cgi/itsuwa/arekore/?52


鎌倉期から仏教が貴族や武家から俗世間の信仰として広まった頃に本地垂迹説に
基づく「権現」の考え方が生まれました。権現の考え方は、我々のいう諸天善?と
おなじようなものです。
「仏」を護る存在が諸々の神という考え方です。
問いかけには「神道の勝利」と表現されましたが、江戸期に滋賀の日吉大社(山王社)
の破壊もありました。
慶応3年の徳川慶喜大政奉還以後、明治政府の樹立後も大手(笑)の神社もターゲット
にされていたのです。
「神道」の圧勝のように思われるかもしれませんが、実際には「徳川」と縁の深い寺社に
まず矛先が向いていたと言えるのではな「いでしょうか。
また「神社」とひとくくりにするよりも「国学者が推す」伊勢or出雲が勝ったというべきでしょう。

改めて述べますが、江戸期の寺社は布教の制限こそあったものの民衆統治の
一機関として現在の法務局のような扱いを受け庇護されていました。
明治(薩長)政府が進めた廃仏毀釈とは寺社が持っていた「統治力」と「経済力」を早急
に削ぐ事が目的だったと思います。
神は「仏教を守護する存在」であるために朝廷復権を狙う国学者たちには許されない事
だったのでしょうが、それは「信仰(理念)上」の理屈でしかありません。

それでも新政府(薩長)側が幕府のシステムとして残っていた「寺社」と朝廷の関係
再構築を図るには「神仏分離」「廃仏毀釈」の考え方は好都合だったのでしょう。
また明治に至まで、地域寺院の収奪の対象となっていた民衆が解放され、
政府よりも激しく寺の打ち壊しをしていた事からも政治的な意図の神仏分離と、
全国各地で単発的に行われた廃仏毀釈は似て非なるものだとも言えます。

私は、明治期において神道と仏教の政治的バランスは、ほぼ均等になったのだと
考えられます。
(参考リンク:神仏分離・廃仏毀釈の歴史経過)
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm


ただ、仏教寺院の地域統治〜廃仏毀釈運動は仏教(宗教)本来の「精神救済」の
存在意義をより希薄なものにし「国家による宗教を使った統治」はこの後、天皇制に
基づく国家神道による宗教による再統治を許しました。
このとき、ほとんどの既成仏教はもはやなんら抑止力たりえないほど政治のシステム
から隔離されて疲弊していたのです。

そして社会と宗教の関係は「政教分離」を本来の「政治の宗教不干渉」ではなく
「宗教の政治不干渉」と多くの人に誤解されたまま現在に至っています。


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