本尊を観るという事・法華講員さんの観心本尊【邪】

( 初出 2014/6/1 )

創価学会を誹謗中傷して止まない、「破邪の蘭室」の管理人大月天さんが、大勝利さんとの
対論でこんな事を主張していました。

※地涌千界が今時末法に出現して、本門の釈尊を脇士と為す、
 つまりは本門の釈尊を脇士とする大御本尊を此の大日本国に建立する、との意であろう。

(大月天管理人の主張 :2014年 5月27日)
http://megalodon.jp/2014-0527-1442-31/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45129


おおむね日顕宗の日蓮宗破折を踏襲したものですね。
http://homepage3.nifty.com/y-maki/bd/bd08.htm


じゃぁ地涌千界が出現して大御本尊を建立するとはどういうことなのか
大月天管理人は具体的に説明できないと予想していましたが案の定です。

後から「地涌千界の棟梁はだれ?」という話にすり替えていますが
日顕宗の主張に沿った大月天管理人の主張に依れば、「地涌千界の棟梁」つまり、
上行菩薩が再誕し大御本尊を建立した時点で末法広宣流布の目的終了となってしまい
ますよね。

また悪い事にさらに念をおして

※※
其の地涌千界とは、日蓮大聖人からして外用の姿であり、其の内証の辺こそは、
久遠元初の自受用身として出現し、 本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の大御
本尊を日本国に於いて建立あそばす、という事である

(大月天管理人談 :2014年 5月29日)
http://megalodon.jp/2014-0601-1159-09/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45136


「地涌千界」を日蓮大聖人お一人だと限定してしまいました。

日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板において、ロム男さんも指摘されていましたが

『地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり』(観心本尊抄)
『本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に
 上行等の四菩薩 脇士となるべし。』 (報恩抄)

いずれの御金言から見ても整合性がとれません。

大月天管理人の論によれば、「地・涌・千・界の菩薩」こそが、本門の教主釈尊を
脇士とする末法の御本仏である・・と言っていることになるんです。

日蓮大聖人はその(地涌の菩薩の)棟梁(上行菩薩)だと言う点においては、
宗門・学会側も認識は合っています。

また「内証(生命・境涯)の問題」とたてわけて考えるならば、地・涌・千・界の
菩薩が正法を流布するという行為があって、末法の仏・・つまり即身成仏するという
考え方は批判されるようなものでもないでしょう。

ところが、この一面だけをみると、日顕宗が主張する法主の「内証」とかぶって
しまいますよね。
門徒が個人の布教行為において「成仏」されてしまえば、法主の内証なんて重要性
が薄まってしまいます。
いままで対論にあたってきた法華講員の全ての方が「じゃ内証ってなに?」と聞いても
全くこたえられません。
意味が分かっていないまま、坊主に吹き込まれたように文言を繰り返しているのか
本義が解っているからこそ、トボケつづけなければならないかのいずれかでしょう。

本来「内証」というのは【自己の心の内で真理を悟ること(仏教用語)】です。
学会員・法華講員にかぎらず、自分が「地涌の菩薩」であると確信する事は
「内証を得た」といいかえることができます。
内証って別に特別なものでもなんでもないわけです。
実は法華講員は、この部分を悪辣坊主に拐かされているといえるでしょう。

一般門徒に「仏」の内証がある。
これはマズイということで、あーでもないこーでもないと煙にまこうと必死に
なっているように感じます。

法主を組織の一機能として考えるならば、地涌の菩薩の棟梁・・つまり地涌の菩薩を
束ねるリーダーということで、日蓮大聖人とおなじく「上首上行(菩薩)」の生命と
対境するといえるでしょう。
また、その法主「のみ」が御本尊を書写する権限があるとするのも授ける受けるという
師弟の義から考えて当然だと考えます。
創価学会においても、会員個々人が勝手に曼荼羅の画像などから「本尊」を作らずに
学会として日寛上人書写の御本尊を下付しているのと同じです。

ただし、いくら御本尊を書写・下付する権限が与えられていても、非道く不当な理由
をつけ、 新しく「御本尊をたもちたい」という地涌の菩薩に御本尊を下付しないと
なれば、「上行」の義は失われてしまいます。
日顕宗は創価学会を「宗門非公認団体」とし、会員を破門する事によって、みずから
「大聖人の内証」に違背し堕してしまったのです。
そしてその破和合僧の親玉こそが「阿部日顕」。

創価学会は、今更邪師と化した日顕書写の御本尊を保ち奉る意義も道理もなくなった
ので日顕書写本尊を日寛書写の御本尊様にお取り替えをしたといえるでしょう。

目論見が外れて困ったのは日顕宗だけです。
アンチ学会の連中の黒い策謀に相乗りをし、創価学会を切りすて、完全独立を促して
おきながら、御本尊様を下付する権限は、他宗派にあっても日顕宗にのみあると
主張しているのです。
あろうことか、大石寺の中興の祖である日寛上人の書写本尊を稚拙な書体検証を
もって「ニセ」と喧伝しているのですから、彼等の「勧心」・・つまり内証とも
いえる“己心の悟り”は、本質ではなく見た目の差異に集約してしまっています。

あわれ、「地涌千界」の仏を見分ける、勧・心がゆがめられてしまっているのですね。

だからこそ、大月天管理人を初めとする元学会員法華講員は
「あれが違う」「これが違う」といった相対的評価ばかりに囚われ続け、
「本尊(本仏)とは何か」という本質論(生命論)にたどりつけずに、学会員は
撥ねつけ返せば勝ちだといった日顕流カマシ論から脱却できないといえるのでは
ないでしょうか。

あの悪僧あって、この門徒。

◎師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり、
 愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり、不便不便

 (王舎城事)

【あべひ語訳】
(寺院が燃え、類焼するのは)師弟(坊主と門徒)が共に無間地獄に落ち阿鼻地獄の
炎に焼かれる前触れはないか。
(仏法に無智で)愚かな坊主が、智慧あるものの言うことを聞き入れない結果で
ある。不便(あわれむべき)である。不便である。

大月天管理人にかぎらず、学会批判をしている人も同じです。
己心の仏界を信じられぬが故に他者の仏界も御本尊もおろそかにできる。
創価学会に対する怨嗟の炎が、我が身を灰になるまで焦がしている姿を見ているようで
胸が痛みます。
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