【心理】組織離脱は「ニュートラル」思考に不可欠か 3

( 初出 2011/06/09 )

ある物事を判断するためには、経験で判断している事が多々あると
おもいますが、それは「自分だけの考え」で他のなにからも影響
されていないとは誰が断言できるでしょう。
ここでまず考えなくてはいけないのは社会や組織を離れた「個人」と
しての人間の思考プロセスです。
ロボット工学を通じて人間の「脳機能」を分析されているサイトが
ありますので、参考にどうぞ。

※だとすれば、人間が優位な決定的違いは何か。
それはソフトウエアである。パソコンにたくさんの論文を記憶させても、
その意味を理解しているわけではない。
プログラムで指示された仕事を忠実に実行するだけなのだ。
必要な時に必要な知識が拾い出せる機能が開発できるかどうかに
掛かってくる。
http://homepage2.nifty.com/busidoo/kannrinin/now/nowkagaku.htm
(頭の良い悪いは生まれつきなのか)


もともと人間の「脳」の機能は基本的に「大差」がなく、個人の判断力を
大きく左右するのは「ソフトウェア」つまり、情報を処理するための
「経験(体験)」と「知識の取り込み(学習)」というわけです。

私たちの周りには・・いえ生まれてからこの方現在に至るまでに
いろんな事を見たり聞いたりして「知識」として吸収していますよね。
どこで知識を得たか・・というとすべてを明確に覚えてくいるわけで
はありません。 例えば・・
心理学では「正常バイアス」(恒常性バイアス)というたてわけが
あります。正常バイアスというのは「自分だけは大丈夫」と理解する
事で危険性を無視する傾向の事です。
その根拠とされるものはたいがい他者の意見であったりしますよね。
あの人が○○だから大丈夫とか、みんなが逃げないから「安全だろう」
とか、様々な要因が考えられますが緊急時の判断の遅れは、この
バイアスによるものです。
でも自分の判断基準として、他からの情報に頼ったりした瞬間に
バイアスがかかる訳ではありません。
星の数ほどある情報からその「理」を選んだ時点ですでになにがしか
「偏っている」といえるのではないでしょうか。
もっと簡単に言えば人間でなくても、動物は「好き嫌い」の感情的
な選択や「要・不要」で機械的に選択しているといえます。

だれの意見にも影響されずに自分の判断で生きていくのが、精神的
自立だ(解放だ)と宣言している人が、平然と他者の意見を引用する例は
組織否定派の人によくある根本的な矛盾です(笑)
よく考えてみてください。
意見を用いた「他者」はまったくなんの団体にも社会にも属さない人
だったのでしょうか?
また自分と同じ意見の人が「組織についていない」人だとすれば
その考え方は「組織についていれば得られない」と考えるでしょうか?
本当は「そうだとはかぎらない」のが真実なのです。
だって事実、人種も生まれも育ちも趣味も仕事も違う人でも「共通」した
考え方や方法論だってありますよね。

テレビで「前向きな事を言っている人」をみると「学会員じゃないだろうか」
とふと思うことがありませんか。
ある「成功者」の著作を読むと、池田先生と同じ事を言っていると
おもった事はありませんか?
日本人以上に日本人らしい振る舞いする外国人はどうでしょう?

ある選択(答え)を出すというのはもう「中立」だなどとはいえないですし、
他人と同じ答えを見つけるのに、「立場・行動が同じ」という条件づけは
無意味なのです。
もし選択(答え)において「中立」こそが大事だという言うのならば
選択指は示しても、「判断をゆだねる」あるいは、「自分が結論をださない」事。
回答者ではなく「傍観者」で居続けるという事でしょうね。
仏教でいうところの「無」「空」の状態しかあり得ないのではないでしょうか。
そういえば、ブログや掲示板などでは「ROMさん」が一番中立的な
立場すよね(笑)

「個」としての人間の判断法ですら、なにかしらの偏りがあるのに
ある条件やある状況だけを問題視して、「○○の“中”にあっては“正常な”
判断ができない」という主張。私はこれは四字熟語としては
使われていても本質は誤謬だと考えます。

むしろ今、日本で問題になっている政府と東電の「原発問題」や
民主党政権の「官僚無用論」が人災とされる根本原因もこの誤謬に
あるとおもいます。
事情も解らず責任を負わない「中立」の第三者機関とやらの「判断」
こそが、一番「偏りがない」という“虚妄”にとらわれているからだと
断言します。
日本の国民というベースで考えれば、1年として日本で安定政権が樹立
されないのは「無党派」という、政党選択の「偏りのなさ」が正常な判断
の条件だと、思い込んでいる日本人が多くいるからじゃないでしょうか。
「思索」はしていても、選挙の投票にのみ政治に関わるだけでは政治
を読み解くだけの力量はつかないとおもいます。
往々にしてジャーナリスト(行動なき批評家)が世の中を救ってくれた
ためしはありません。

哲学者の三木清が
「ジャーナリストは公平な批評家であるよりも、むしろ党派的意見の
代表者である。」(哲学ノート~)と主張している通りです。
中身のない人ほど他人の意見に左右されている事に気がつかないですから
自語相違であっても平気です。
党派的存在であるにもかかわらず、自分は「中立」などと言っている人は
その存在自体が虚構だと言えますので、気を付けましょうね。


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