ecoさんの「師」がない人生

( 初出 2013/7/13 )

現在、富士宮ボーイ掲示板で拙がアク禁動議を提出させていただいたecoさんが、
対話に応じる事ができず、迷惑アラシ行為をしている状態です。

その中で「師弟観」に関して興味深い発言をされていましたので考えてみたいと
思います。

ecoさん曰く


※従って弟子なり師なりの発言に対し疑問が残れば それは譬え御本仏の発言
 であっても 今後の責任性も含めて 諌めなければいけないんです。
 
(No.36919 師弟不二や血脈の本当の姿とは・・)


一見すると良い話しに見えますね。
この考え方は相互補完関係と言います。
ではecoさんの諫め護るべき師とは誰でしょう。
仮にecoさんの師がいたとすれば、その方がecoさんと同様の発言をしている事が
必須となるように思います。
護らなければならない師がいない場合、ecoさんの師弟観は空論となります。

護るべきものがない人間は「自己保身」しかできないでしょう。
御書に折々でてくる「心を師とせざれ」は意義深い指針だと思います。

ネットには、守るべきものがある人と失うものがない人のどちらがつよい?という
禅問答的な話題があります。
皆さんはどちらだと思われますか?

守るべきものを持つ人は主・師・親の三徳を持ち合わせることが可能ですが
失うものがないという人は「自分だけ」を護れば事足りるので主体者でなくても
師にならなくても親にすらなれない。なる必要もない。
失うものがないというのは守るものが「自己」しかないと言えるでしょう。

ユーザー(傍観者)として世の物事に文句だけを垂れ
リーダーを見ればあれじゃダメだとケチをつけ
自分を一番にやさしく受け入れて愛される事だけを望む。

永遠の消費者で幼児でいいのです。

ちょっと前に「ピーターパン症候群」というコトバが流行しましたが
「心を師」としている人は
ここではないどこかにもっと素晴らしい場所があるんだ? という空想に
囚われて、アイデンティティが希薄です。
ですが、自己の存在価値を示すためには相手が必要です。

別の掲示板での「堅皇」さんもそうでしたが、「心の師」がいない人は理を
立てていかにも自立思考しているように見えて、余所から都合のいいネタを
ひらって反発する事でアイデンティティの希薄さを補完しているケースが多い
ので、朝令暮改や二律背反はお手の物。
だから突っ込まれるとテキトウにはぐらかすしかありません。

それもそのはずです。
「師」がいる事を明言すれば、イヤでも自己の存在と「師」の存在とを比較
されます。

自分が注目される事を望んでいる人にとって「師」の存在は上下関係や支配隷属
でしか理解出来ません。
他人の意見は自分に対する命令であり、そんな他人の意見に同調している人は洗脳
されていると理解している人が多いようです。

したがって「師弟不二とは相互補完関係である」などと自分と「師」の境涯の違い
を平均化し自分の存在価値をより崇高なのものへと高めようとするのでしょう。

しばりのない、師がない人生。

反発する事でしか自己表現できないというのは寂しい人生だとおもいます。
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