自己演出に縛られる

(初出 2012/7/21 )

※人はそれ「らしく」ふるまうことによって、しだいにそれ自体になっていく
 傾向がある。
(「心理トリック」ごま書房:初版発行'71年12月10日)


“それ自体になっていく”というのはあくまで振る舞いを「継続」をしなくては
いけないはずです。
演劇などの役者さんが歴史上の人物になりきる為に、その人物を
勉強されるという話を聞きますが、あくまでその役者さんの解釈が反映
されたものでしかありません。
~~らしくといっても本人になりかわれるわけではありません。

たとえばHNカチカチ山を名乗って、「らしく」振る舞うとなにになるのでしょう(笑)
背中を焼いた「タヌキ」になるのでしょうか。

「心理トリック」に表現されているものが名前やHNなどの「名称」に関わる
部分でだけではなく、「行動」が付随することによってそうなるケースもある
という事ではないでしょうか。

特定の人「らしく」ふるまうことによって、次第にその人のようになっていける
かどうかは、その人にようになりたいという強い願望がなければ不可能でしょう。
また、自分がそうでなくてはならないと考える心理学でいう「ペルソナ」とホンネ
とのギャップが大きいほど精神状態は不安定になります。

実は、カチカチさんは阿部日ケ~ンというHNの存在を通して阿部日顕をイメージ
しているだけにすぎないのです。
だから具体的に阿部日顕はどうだったのか、大石寺はどうなったのかの説明は
いっさい省かれています。
もっぱら感情論ですね。

これは心理学でいうところの「投影」にあたるものですから
実在の人物と同じであるとおもいこんでいる(または、そうおもいたい)
カチカチさんの心理状態を表面にさらけ出しているにすぎないのです。

同じ事をやっていても、自分がお気に入りの人は、良い人にしか見えない
でしょうし、自分が嫌いな人は、悪い人にしか見えないでしょう。

さて、皆様は私が「阿部日ケ~ン」のHNを使う事が理解できないかも
しれませんが、思わぬ結果をもたらした事もあります。
このHNをつかい出した頃は、半分おふざけで対日蓮正宗門徒の事しか考えて
いませんでしたが、創価学会員に対しても「日顕」に対する率直な感情や、
人を軽んじやすい傾向のある人を推し量れるキッカケにもなっていたのです。

対話ができない人ほど、内面(中身)よりも外面(印象)で人を判断しがちです。

あえて責められやすい部分を残しておくのも悪い事ばかりではないと
感じているからこそ、長い間使っています。(笑)

/////////////////


余談になりますが、カチカチさんは大石寺が寂れた理由が全く理解できて
いないようです。

※法主・管長の権威を利用して数多くの専横を極めた結果、創価学会及び
 学会員の大量離反を招いて「ゴーストタウン」・・


と主張されていますが、それまで登山会を企画運営していた創価学会・および
その会員に対して
「いままでのように創価学会員としての大石寺登山(御開扉)の資格がなくなった」
と通知されたので行く根本的な理由がなくなっただけです。
ましてその後、父母の赤誠の御供養で建立され日達師が「本門寺の戒壇たるべき」と
宣言された正本堂も日顕法主の手で破壊されてしまったので、教義的にも大石寺に
いかなければならない理由が消滅しました。

アンチや日蓮正宗門徒が来襲していたからこそ賑わっていた富士宮ボーイ掲示板と
まったくいきさつが異なるのです。
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