10月12日大御本尊御図顕おめでとうございます

本日は、日蓮大聖人が、弘安二年十月十二日一閻浮提総与の大御本尊を
御図顕された日とされています。

奇しくも、「教学部レポート」という非公式文書のネット公開の話題を
キッカケとして、『大石寺の正統性を証明する掲示版』
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs

において、「大御本尊とはなんぞや?」という少々難しいテーマを
一学会員としての立場で複数人の同志の方と討論しています。

発端は9月30日あたりからです。
http://megalodon.jp/2014-1012-1813-56/6001.teacup.com/qwertyui/bbs?page=14&

その中で、新参者=(ロム男さん)と、大勝利さんが
「弘安二年十月十二日一閻浮提総与の大御本尊とは大石寺の戒壇本尊の事だ」
と明確に主張されました。
私は「特定の御本尊様が今どこにあるかが問題ではない」と
いうスタンスで反論させていただいております。

振り返ってみるに、創価学会は、かつて創宗時代の影響もあり

////
●この大御本尊は第二祖日興上人に付属され、現在に至るまで六百数十年に
 わたって 代々の御法主上人猊下によって厳護され、、法灯連綿として
 日蓮正宗総本山大石寺に伝承されてきた。現在奉安殿に御安置されている
 本尊である。

【仏教哲学大辞典第五巻 本門戒壇の大御本尊より抜粋
           監修:池田大作 昭和44年・創価学会刊】
(以上引用)
////
という定義の元に指導を行ってきました。
変更前の会則にも

「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇
 の大御本尊を根本とする」(旧会則第3条)

とありましたので、日蓮正宗大石寺の教義に則っていたことは論をまたない
でしょう。

しかしちょうど12年前の2002年(平成14年)に、創価学会としての会則変更が行われました。

『この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の
 大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命
 たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。』
【創価学会公式HP・会則第二条(教義)】


つまり、特定の場所にある御本尊を根本とするのではなく、末法広宣流布という
大願を果たす日蓮大聖人の誓願に心を合わせ、一閻浮提総与の大御本尊御図顕
の意義に「信」を寄せることとしたのです。

ちなみに。この変更に「弘安二年の~」を消した、「本門戒壇」を消したと難癖を
つけているのは日顕宗です。

(参考リンク)
日顕宗公式サイト:第3章 創価学会「会則」「規則」条文の変更
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/sokagakkai/soka_2j.htm


かつて創価学会が大石寺を「本門の戒壇」と仰いだのは、世界平和、広宣流布の
ために励んでいる学会員さんが喜び集ってくるという「事の戒壇」の意義を
満たしていたからです。
なのに、日顕宗は難癖をつけ、宗規を変更したうえ、
学会員の登山を停止しさせた後破門通告書を創価学会に送りつけ、会員全員
を破門しました。平成三年(1991年)の事です。
それが、学会員さんのいう「C作戦」での結末です。

さらに、日顕宗は、創価学会員が足繁く通った正本堂も破壊(1998年)
その跡地に奉安堂という見てくれは日本建築のような建物を造り
「戒壇の大御本尊」を安置しなおしましたが、実質、この時点で創価学会が
日蓮正宗大石寺を「本門戒壇」とする意義もなくなったように思います。

四年後、日顕の正本堂破壊に呼応する形で、創価学会の新会則が発表され
教義の上からも「日顕宗大石寺」から脱するに至ったのです。
それから、10年以上がたつにも係わらず、
「真偽は別として、弘安2年10月12日図顕、一閻浮提総与、蓮祖出世の本懐と、
 呼称される本尊は、大石寺の板本尊しかありません。」
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/17397

かたくなに主張される学会員さんがおられるのもこれまた事実です。
上記ロム男さんのように、かつて、入信の時、青年部時代に先輩に教え
られた「大御本尊」の指導をそのまま大事にしようとされているかたもおられる
のでしょう。
日顕の謀略で、純真な学会員さんが心を傷つけられ、新会則に
なってからもどこか「戒壇の御本尊」の意義を心の底で納得
できないのは不幸です。

さて「大御本尊」は、どこにあるのかといった物理的条件が
信仰の上で大事なのでしょうか?

参考に戸田先生の指導を引用します。

◎歴史的に調べて実証して、こうあらねばならんというのは科学ということばに
 迷った人のやり方で、仏法哲理の上からゆけば、日蓮大聖人己心の弥四郎国重
 に授与あそばされたのですから、日蓮大聖人のお考えとしては、もっとも理想
 の人格、法華経の行者の弟子として、理想の人格の人物として、世の中に
 おさだめになって、その者にお下げ渡しになっているのですから、そんなこと、
 実在であろうとかなろうと、考えなくてもいいことになってきます。
 第一、智者の舎利弗の議論にたいして、寿量品をたて、生命を捨てて守護する
 信者を代表して、己心の弥四郎国重を日蓮大聖人はたてられたのです。
 諸君も、日蓮大聖人の己心の弥四郎国重になりきりなさい。

【 戸田城聖先生質問会集17ページ:弥四郎国重と大御本尊との関係~より抜粋 】

(以上引用)

場所がどうとか、過去の指導との整合性がどう等言えば言うほど
一人一人の己心の「仏界」からはずれていくように感じます。
そういった部分は「理屈」ではなく「信心」の上で考えることが重要だから
です。

戸田先生は、こういった疑問を「重大な本尊論の事件」とされています。

ちょうど本日は「一閻浮提総与の御本尊」が御図顕された日です。
日蓮大聖人はいったい、だれの為に御本尊を顕されたのか。

上記の戸田先生の指導を深く拝したいとおもいます。

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