忠臣蔵と日蓮もの

12月14日は、衆議院議員選挙になっていますが、一般的には
赤穂浪士討ち入りの日として知られているとおもいます。

あらためて内容を言うまでもないかもしれませんが、1702年(元禄15年)
旧暦12月14日、主君の恥を濯ぐために義士四十七人が江戸、吉良邸に
押し入ったという事件です。
これを元にした演目が「忠臣蔵」などとして芝居小屋で上演されたり、浮世絵
として販売されたことで、忠義をつらぬき不義を下す内容が民衆の人気を博します。
侍が上位の者を討つという内容は、幕府の威信を損ないかねないということで
度々、上演禁止などの措置をうけたそうですが、時代設定を変えたり人物名を
変えたりなどして人気の演目として受け継がれていきました。
現在でも映画やテレビドラマ、小説の題材となっています。

さて、忠臣蔵の元となった討ち入りは江戸中期のお話ですが、あるテレビ番組
を拝見すると、当時江戸で「義士討ち入り」の演目と二分するほどの人気を
得ていたのが「日蓮記もの」の演目だったとのこと。

ちょっとネットで調べてみましたが、「日蓮聖人御法海」
(にちれんしょうにんみのりのうみ)や、日蓮聖人御一代記といった演目が
存在していたようです。
古来、大衆娯楽の古浄瑠璃の題材として日蓮だけではなく、聖徳太子や親鸞、
弘法といった聖人伝承や、仏教説話をもとにした「宗教もの」が人々に親しまれて
いたのだそうです。
たしかに霊験や奇跡などの話題は民衆の興味を引いたでしょうし、物語と
しても創作しやすかったのでしょう。

江戸時代になって世の中が安定すると町人文化がすすみ近松門左衛門など
の出現で歌舞伎が隆盛しました。
演芸文化とともに、江戸末期の歌川国芳などの浮世絵作家らも「宗教もの」
として日蓮の題材を取り上げています。
(参考リンク)
※歌川國芳 高祖御一代略図  
http://www.ris.ac.jp/library/nichiren-kichou/d61_01/index.html

とはいっても、治世の制度として檀家(寺請)制が成立し改宗もまま
ならなかったであろう江戸期に、芝居の演目というだけで一宗派の教祖を
題材とした作品が「忠臣蔵」と人気を二分するほどになれるでしょうか。

これにはもう一つカラクリがあります。
江戸で「日蓮記もの」が流行ったのは、池上本門寺などの日蓮宗系大寺院に
毎年4月の「開帳」(立宗会)、10月の「お会式」(入滅会)に合わせ参拝する
大量の信者を当て込んで芝居小屋で上演をしていたからです。

春、秋に「日蓮記もの」、そして翌11月には忠臣蔵というパターン。
宗派の宣伝と門徒の獲得、演劇(歌舞伎。狂言)興行、出版物、物品販売
での実利を兼ねたメディアミックスが江戸期に行われていたことが推察されます。

これは日蓮以外の鎌倉新仏教の開祖や南都・北嶺仏教の開祖には
みられない事だそうです。
祖師信仰の高まりとともに、後に江戸幕府が終焉をむかえ大正末期、昭和に
なってから関東で「日蓮系」の新宗教が出てきたのも民間信仰としての
「日蓮信仰」が一般化されており、受け入れられやすかったという背景が
あったのではないでしょうか。
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