宗教間対話とテロリズム:創価の森ウォッチ120

テロの襲撃に遭った「シャルリエブド」誌での、ムハンマドの風刺画
再掲載は世論を騒がせました。
学会員さんの間でも話題にされるかたがおられ、当初は風刺画を転載
したうえで、論評をされていたのですが読者の善友のの忠告を受け入れ
画像は削除されました。懸命な判断だとおもいます。

ところが、創価の森シリーズのブログを運営する菊川広幸さんは
あい変わらず、

「世界はイスラム教をさらに恐れるに違いない」(“「イスラム国」人質事件”より抜粋)
http://sokamori2.exblog.jp/24046404/


と、特定の宗教へ懸念として公表しています。
果たして、世界的視野に立ち、テロリストたちをみて、イスラム教そのものを
怖れる人がいるのでしょうか。

まず日本国内で考えてみましょう。
今のところ、日本国内のムスリムはフランス同様マイノリティ(少数派)に属している
と思いますが、「イスラムは恐ろしい」といった話は、聞こえてきません。

そもそも日本は1979年に“経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約”
いわゆる「国際人権規約」 に批准(条約に拘束されること)しています。
(ちなみにフランスは加入しているけれど現在でも批准していない)
この規約にも「信教の自由」や「表現の自由」の保障がうたわれていますが
同時に


諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を
促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを
可能にすべきことに同意する (第13条の1)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hc.htm


とあります。
さらに、ここからもう一歩踏み込んで

“宗教または信念に基づくあらゆる形態の不寛容および差別の撤廃に関する宣言”
(1981年国連総会採択)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hh.htm


にも日本は1995年に批准しています。
ちょうど、阪神大震災、オウム真理教無差別テロがあった年です。

つまり、日本ではあからさまに、特定の宗教の根幹を侮辱しそれを報じる事で敵愾心
を煽るようなマスコミ記事はありません。
もちろんこれは「人種」であっても同じことです。

しかし、「東京新聞」ではムハンマドの風刺画を掲載したために
日本在住イスラム教徒が抗議をしたとの報道がありました。
【参考リンク】
http://www.asahi.com/articles/ASH1P5KN5H1PUTIL02F.html

東京新聞曰く
「侮辱する意図はまったくなく、問題の判断材料を読者に提供するために載せた」
とのこと。
風刺画そのものが、信仰の根幹に対する「侮辱・冒涜」であたるかどうかは
全く考慮にいれていないとの判断です。

そもそもこういった、報道する側の宗教的「無認識」「理解する努力の放棄」こそ
が不寛容の発露であり、差別を助長するの根源ではないでしょうか。
そして、相手を理解するために認識のミゾをうめようとする努力こそが「対話」
なのです。

滑稽なのは「宗教間の対話」の必要性を説いている人の中に「相手を理解する努力」
を放棄したまま、スローガンとしてのみ「宗教間対話」を掲げている方がおられることです。
人道主義者であるかのような虚栄心が見え隠れします。

昨今のテロリズムは、オウム真理教のように、自分の集団の意に沿わぬものの
排除であり恫喝であり、賛同者募集、経済的支援募集の「コマーシャル」の為に
人命を奪うことだといえるでしょう。
恐怖による支配は「宗教的な意義」を弘める為の行為ではないことは確かです。

今回自称「イスラム国」が二人の日本人を誘拐し、金銭を求めてきました。
いままで「宗教上の大義」の為に一般人を殺害してきたにもかかわらず、
バケの皮が剥がれ、単なる「強盗団」であることが明白になったと思います。。

にもかかわらず、21世紀のテロリズムが中世よろしく国家間の「宗教間紛争」の
延長上だと単純解釈し、思考停止されている方は、
「テロリストはイスラム教なんだって?怖い宗教だね」とさらに畏怖心を煽って
「対話」など、できようはずもありません。

創価学会インターナショナル(SGI)会長が毎年、1月26日に、SGI提言を
発表しますが、昨年(2014年)の提言にはこのようにありました。

“「テロの脅威」を理由に特定の宗教を信仰する人を十把一絡げに
 危険視する風潮を煽るような動きをはじめ・(中略・”
“その底流に善悪二元論的な思想があるかぎり、かえって恐怖や不信の
 渦を強めて、社会の亀裂をさらに深めてしまう恐れがあると言わざるをえない”

(第39回「SGIの日」記念提言より抜粋)



つまり、創価学会員さんが師匠としている「池田大作」氏は
無理解・思考の単純化による「善悪二元論」が分断の「因」となってしまう事
を指摘しているのです。

テロはテロとして対処し、犯罪は犯罪として対処するのは道理に適っていますが、
「テロと既存の世界宗教」を絡め考えるのは愚かです。

このような発想こそが「十字軍との戦い」と位置づけるテロリストとなんら
本質が変わらない扇動だということに、気がつくべきではないでしょうか。

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