三猿は「無視」の姿勢にあらず 創価の森ウオッチ28

( 初出 2012/4/17 )

鯖・菊川グループで宣揚されているネット「三猿運動」。
そもそも「三猿」の真意とはなんでしょう。

提唱者・菊川さんは以下のように解釈しています。

インドのマハトマ・ガンディーは、常に3匹の猿の像を身につけ
 「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに
 「ガンディーの三猿」が掲載されている。

http://megalodon.jp/2012-0325-1008-23/sokanomori.exblog.jp/17681113/

これは小学校の教科書に掲載されているようで、その点から言っても東照宮の神厩に、ある三猿と同じく
「子供は」という大前提があると考えられます。
いわば普遍的な人間教育論だと思います。

東照宮の神厩にある彫刻は人間の一生を風刺していると言われいわゆる三猿・「見ざる言わざる聞かざる」は
成長過程の「小猿(子供)」に対しての戒めです。
(参考:東照宮のHP・日光観光協会)
http://www.toshogu.jp/shaden/index.html
http://www.nikko-jp.org/perfect/toshogu/sanzaru.html

a0212032_12203761.jpg

(画像は東照宮神厩舎・三猿の部分)

いい大人が自分に対する批評・意見に対して「スルー」を決め込む「象徴」とするには少々違和感があります。

その三猿の像を身につけていたたガンジーが、植民地下のインドでなにをしたか 菊川さんはご存じなはず。

ガンジーが身をもって示した、人間が悪行にたいしてどのように立ち向かう事ができるかといった“魂の独立”をどのように考えているのでしょうか。

決してガンジーは「悪」に対して無視を決め込んでいたわけではありませんよね。
またどこまでも「対話」を目指した彼の姿勢は、鯖・菊川両氏が推進する不干渉とは対極のコミュニケーションではないでしょうか。

ちょうど創価大学のサイトにて公開されている

「平和文化の創造のために : マハトマ・ガンジーと池田大作」という著述にも以下のようにあります。

“非暴力の意味を理解する人は、自分の周りで見る「不可避」という暴力が 無意味である事を理解 するにちがいない”
(引用元)
http://libir.soka.ac.jp/dspace/handle/10911/914


非暴力とはいっても、「不可避」・・つまり“仕方がない”というあきらめの境地、・努力(主張)や行動の放棄も
また暴力(悪)に連なっているにすぎない事をまず理解する事だと言われているように私は考えます。

非暴力は決して大人が「行動をしない」「発言をしない」「事実を見ない」ではないのです。

有象無象の罵詈雑言はともかく、同志の意見にも耳を傾けず、対立する意見を持つ人をひとくくりにして「異常人格者」と決めつける。

「三猿」の譬えやガンジーが泣いていると思います。

そしてこの「ネット三猿運動」こそがコミュニケーションに悪影響を及ぼす鍵になっている様子をみることができます。

(続く)

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