感動の呪縛

前段にて、「ネット信仰イベントに未来はあるか」というタイトルで記事を公開
させていただいたが、肝心の「未来はあるか」について、ほとんど論じていな
かった。失礼いたしました。

ちょうど、墨田区の「ちよ」さんから、ネットで結婚予定宣言をされるほど、
親密なおつき合いのある壮年部の方がブログ記事を通じ、ネット信仰
イベントについて、あまり否定的になりすぎなくてもよいのでは?との
所感を述べられていた。 御礼申し上げたい。

拙がネットの自称学会員さんの言説、イベント募集について批判的
意見を書くと、実際にだれにも迷惑がかかっていないし、そういったネット
コミュニティを必要としている人(喜んでいる人)もいるじゃないか・・・という
結果論を理由にご意見を聞く場合がある。おなじようにお考えの方も、
それなりに多いことだろうと思う。

さて本題に入りたい。

昨年、学校の運動会で行われる「組み体操」での事故について話題に
なったことを覚えておられるだろうか。
昨今の小・中学生の運動会での組み体操が、ここ10年の間に大がかりな
ものになり、転落をするなどして大けがをする児童がいるのだという。
平成25年だけでも全国で8500件あまりの事故があったのだそうだ。
(NHK時事公論: 「組み体操と学校」 誰が子どもたちを守るのか 参照)

上記のサイトでは、学校の構造的な問題が潜んでいるとして
論じられているが、拙は社会においてネットを通じだれもが
「感動的コンテンツを配信」できる利便性が、より行動をエスカレート
させる背景にあると考えている。
組み体操が危険性を無視し、巨大化したのも10年ほど前からという。
ネットで素人が撮影した動画がアップでき、共有され、閲覧者から
直接評価をしてもらえるというサービスが社会現象となったのも
ちょうど10年ほどまえではないだろうか。

ある運動や技が成功し動画をアップする。それを視聴した人が感動する
だけなら問題ないのだが、模倣をしたり、動画を参考にし、さらに高度な
技を公開することを目論む人がでてくることは想像に難くない。
よく言えば向上心旺盛な人、悪く言えば無謀な人でてくるものだ。

そこまでの動機がなくとも、ネットに発信した内容に対し第三者から評価を
されることで、リアルではなかなか感じられないような達成感や充足感を
得た経験をもったり、自分が感動をした内容を、他の人とも共有し、同様
の感動を味わって欲しいと考える人もいるだろう。
しかし、自分が感動したからといって、同じような内容を模倣し、
他者が、同じ感動を得ることができたり、ブログ運営が成功すると、
考えているなら甘いと言わざるを得ない。
誰でもできるようなことや二番煎じ内容には、独自性がないからだ。

特に創価学会員系のSNSにおいて、拙が一番不思議なのは、個人
のごく日常的ブログ記事を読んで、自分の心が救われたと感じ書き
込みをするほど、感受性の高い創価学会員さんが、なぜ毎日配達
される聖教新聞や大白蓮華といった機関誌に掲載されている珠玉の
体験談の話題にほとんど触れないのだろうか。
年始から聖教新聞で小説・新人間革命が掲載が再開された。
熱原の法難を通じ、信仰と弟子の生き方についての指導されて
いるにも関わらず、その記事に賛同する内容を投稿している人
がなぜほとんどいないのか。
自分の地域でおこなわれているはずであろう学会活動で心を
動かされといった記事がなぜほとんどないのだろうか。

ネット上のブログ記事は、新聞雑誌などと違っい編集作業を経て
いないため、荒削りなものや起承転結のない漠然としたがものが
ほとんどだといってよい。
そのような記事内容であっても、筆者が同じ信仰をしている人という
共通点で感動を増幅できるのなら、リアルで人と人とが集い対面して
いる座談会や学会活動は、なお楽しいことだろう。

ところが実際には、ネットの学会ネットコミュニティにもっぱら軸足を
置き、活動家ぶっている人は、師匠が機関誌で渾身の指導を書き
連ねておられてもなんら感動することがすくない。
また、リアルでの問題解決策や、日々の活動の代替意義をネット上
の情報に求めている時点で現実逃避をしているといえる。

また、読者が書き手を褒めちぎるのは“非日常”をたのしんでいる
ロール(役割)プレイングゲームの参加者の心理と同じように、
見知らぬだれかから、自分が求められ評価をされることを期待して
他者にはたらきかけている場合もあるのだ。

たしかに、ネットのコミュニティでも上手く読者と意思疎通を図れば
一定の達成感や充実感を得られることはできよう。
だが、ネット上でのことを現場に持ち込み地域の学会活動に変えて
しまうのは、筋道がとおらない。
個々の会員が好き勝手に活動するのが学会活動ではないからだ。

まして、自分の理想的学会活動をリアルで具現化していくために、
ネットで知り合ったにすぎない他地域の同志や、大幹部の肩書きを
活用している自己中心的で無責任なネット活動家は、自分が企画した
信仰イベントに対し第三者から好評価を得た経験から、「感動の呪縛」
に陥り、「正しい事をやっている」「もっとやらなければならない」と確信的
になってしまうものだ。
最期にはネットと現場の区別がつかなくなり、自分の所属地域の学会員
さんとトラブルとなってしまう。
それは、まるで保護者が拍手喝采するのでやめられなくなった
学校体育祭の「巨大ピラミッド」と同じように「感動」がリスクを見えなく
してしまうのと似ている。

そうなった時には遅いのだ。

ネット信仰イベントは、他者を危険にさらすだけではなく自らの信心をも
破る「負の面」が潜んでいることに気がつくべきではないだろうか。



















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