ネット幻想と価値的利用法:創価の森ウォッチ50

菊川広幸さんは対アンチのブログを閉鎖したうえでネットでのブログ設立の
意義と趣旨を公開されました。
大幅に意義を美化されたものになったようです。

☆私が48歳の時のこと。
ふと、自分が50歳になるのだと感じました。それまで、50歳というのは意識したこと
はありません。「何か新しいことに挑戦したい」と思い、ある日、創価学会員としてブログ
を作ってみようと考えました。
(創価の森ブログの誕生秘話より抜粋引用 )
http://megalodon.jp/2012-0730-0941-04/sokamori2.exblog.jp/18747544/


すでに公開されている部分も多数あり「秘話」とタイトルをつけるような内容もありません。
菊川さんの主張するところでは、ブログ設立の趣旨は二つ。
現場の未活動の学会員さんに学会のすばらしさ(?)を知らしめること
もう一つは、対学会アンチの対策だという事です。

「未活動の学会員さんへの対応」とは初めて拝見しましたが、菊川さんも
失敗を認めているように、学会活動に消極的な人がブログをみている(みられる)
とは限らないはずです。
数年前ブログに、自分の生い立ちや家族の事等を紹介し、ブログ記事製本サービスを
使って数十万円を出費し作成した「ブログ本」を配布し、仲良くなったという事ですが
それは「モノ」を与えて喜ばれたというだけではないでしょうか。

当時の彼は自身の「50歳」池田先生会長就任の50年の佳節を、重ね合わせて
ブログ本を池田先生に贈る事を話題にしていました。
そしてその”地元”の知人、友人とは菊川さん自身のご実家の岡山の同志と
母親、そして職場も含めた知人、茨城の同志とされていたはずです。


私は、私の人生50年の勝利をご報告する共に、私の知人、友人にこの本を贈呈し、
新しい気持ちで出発しようと考えています。


(同ブログ 会長就任50周年と私の50周年~抜粋引用)
http://megalodon.jp/2010-0505-1032-13/sokanomori.exblog.jp/14296918/


-----------

さて、私、岡山に帰郷し、地元の座談会に30年ぶりに参加して、この本を地元
の学会員さんに贈呈します。親戚や私の友人、知人にも贈呈します。
これからが、また一仕事です。


(同ブログ「創価の森ブログ」の本 より抜粋引用)
http://megalodon.jp/2011-0930-1126-00/sokanomori.exblog.jp/14276833/
---------


唱題を重ねてブログ本のを作成する事を決意したくだりには
「それは、周囲の人々を幸せでピカピカにすることだ。岡山の母、家族や親戚、
 地区の同志の人々。職場の人々や友人たち。」

(同ブログ「100万遍唱題で生まれた新しい決意」より抜粋引用)
http://megalodon.jp/2012-0730-1022-45/sokanomori.exblog.jp/13259943/

と表現されているように、ブログはあくまで「私の人生50年の勝利をご報告する」
(会長就任50周年と私の50周年~)事を主眼としていたのではなかったのでしょうか。

自叙伝を配って対話をしたつもりになっていたり、その内容を現場や知人に読んでもらう
だけで「心が洗われる」かのような効能を自らうたい、さらにはネットで知り合った
学会員さんにまでメールを送りつけ、ブログ本を受け取るように要求していたのでは
なかったでしょうか。
だから当時、私はその軽率な行為を「組織利用」だと批判しました。

そして私は改めて菊川広幸さんに問いたいのです。
その「ブログ本」でどれだけ境涯が広がったというのですか?
なぜ、池田先生の会長就任50周年と自分の50周年の意義を隠されているのですか?


たしかに「学会のすばらしさ」を伝えるには自身の事(体験等)を語るという方法が
あります。
しかしそれとて勝利者としての「振る舞い」が伴わなくては誰も立ち上がらせる事は
できないのではないでしょうか。

より多くの人を元気にしたいという願いは立派だとおもいますが、「身近な1人」
を大事にできていない、救えない人・・つまり高い境涯に至る課程と努力を怠った
ままの状態で、学会員という立場を強調し「勝利者」だと自画自賛したところで、
日頃の何気ない振る舞いや、話題の内容が「活動者学会員向けの内容」をかなり
意識したものである事を自分が理解できていなければ「未活動の学会員さん」に
は永遠に届かないと私は考えます。
また
自分の発言が原因となっているネット上の意見の対立ですら、説明を避け対話を
嫌い、面倒なことは後回しや人任せで、自分が傷つくことをまず恐れている人が
「未活動の学会員さん」を立ち上がらせられるはずがありません。

戸田先生・池田先生が指導され、日蓮大聖人が説いた「慈悲」がないからです。
そして「同苦」は1対1の膝詰めで成立するものではないでしょうか。

これは菊川さんだけ特化した話題ではなく、多くのネット学会員ブロガーが囚われ
やすい「ネット幻想」だと私は問題提起しているつもりです。

「ネット」というコミュニティに過度の幻影をみている人や、はからずもアンチとなった
人、未活動を自負して発言をしているすべての創価学会員さん 。
特に壮年部の方に対して「池田会長」当時の指導を紹介させていただきたいと
おもいます。


※五番目に申し上げたいことは、壮年部は、特に豊富な経験をもっておる人々で
 あります。したがって豊富な人生経験を、後輩の指導に十分いかしていただき
 たい。特に悩み多い人たちと、ひざ詰めで語り合ってもらいたいのです。
 形式などはいりません。
 学会はひざ詰めで話し合う民主主義の縮図を実践しております。
 何千、何万の人を擁しておる指導者の皆さん方も、そうしております。
 それが最良の方法であり、いちばんよくわかる、いちばん尊い実践なので
 あります。
 何千人、何万人の前で、立派そうな口をきいて「あの人はたいしたものだ」
 「この人はえらい雄弁だ」「立派そうだ」などといわれても、それは幻影に
 すぎない。
 ひざを突き合わせて話し合ったときに、その指導者の真価がわかるのであり、
 それをやっていける人は偉大であります。
 
(壮年部は中核であり重鎮 夏期講習会・壮年部全国大会:昭和41年8月3日)
 以上引用


情報通信技術の発達のおかげで、私たちのような無名の一般の人たちが
世界に向けて情報を発信できるという機会を得ることが容易になりました。
しかしそれはまた、不特定の誰かにメッセージを発信すればなにかが変えられ、
自分の置かれた現状が変われるかもしれないといった幻想に浸れる自己逃避の
安息地にもなってしまいました。

対話のミソはまず人の話を「聞くこと」である事は論を待ちません。
ネットでなら人の話を「読む」という事になるでしょう。
ブログなどは自由に発言できる場所というのは「聞く(読む)」側には最適の環境です。
しかし「聞かせる(読ませる)」だけで満足しているのならば価値観の違う人との
コミュニケーションである「対話」が成立するはずがありません。

ネット環境を価値的に利用する方法も、学会活動もまた「対話」形式でしかなく
発言者の真価があらわになるのもまた「対話」によるのではないでしょうか。

( 初出 2012/8/10 )
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