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増上慢たちの不毛な対立

末法において法華経(正法)を広めようとすると
三類の強敵が競い起ってくると日蓮大聖人は説いている。
三類とは俗衆・道門・僭聖があげられるが、これは社会的な
「立場」といいかえることができるだろう。

俗衆=宗教に無頓着な一般大衆レベル
道門=同じ宗派(仏教というくくり)の一般信仰者レベル
僭聖=宗教的権威(僧籍)や学識権威のを持つものうち道門や
     大衆からも尊崇されている指導者

学会員でありながら公然と学会批判(執行部批判)を行っているものがよく
つかうフレーズに、『現在の学会本部幹部は三類の強敵に準ずる』 というもの
があるが、仮に本部幹部がいくら増上慢であったとしても「道門」どまりなのだ。

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三類の強敵の呼び出し方(といっては語弊があるかもしれないが)は、
日蓮大聖人曰く

「諸経は無得道堕地獄の根源 法華経独り成仏の法なりと
 音も惜まずよばはり給いて 諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ
 三類の強敵来らん事疑い無し」

(如説修行抄より)


あべひ現代語訳 :(末法において)法華経以外の諸経を重んじることは
道を誤り地獄に堕ちる根本原因であり、法華経だけが即身成仏を叶える法で
あると声もおしまず説き、諸宗の門徒(僧)や依経を破折してみなさい。
三類の強敵が現れることは疑いようもないことだ。


とあるように、あくまで強盛に折伏を実践していく途上でしか三類は現れない。
学会員が公然と学会組織を批判して処分された事実をもって「三類の強敵」に
見立てるのは、彼等が正法を行じている結果であると印象づけたがための
演出にすぎない。 これぞ法盗人。
卑屈な人格を隠すために仏法を利用し貶めているに過ぎない。
たまにSNSを通じて組織内組織をつくっていると批判されると同様のことを
言い出すネット学会活動家がいるが同じ発想からきている。

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「増上慢」とは
“まだ悟らないのに、悟ったと思って、おごり高ぶること。
 転じて一般に、十分な力が無いのに、自信の強いこと”
 とグーグル辞書にも
ある。
未熟者ほど宗教的指導者とシチュエーションが似ているというだけで同格である
かのように語りだしたり、少しばかり似たような体験をしたからといって悟った
かのように自慢をする。
これだけなら、「我慢」(自負心が強く、自分本位)なのだが、もっぱら相手を
貶める事によって自らの覚知こそが素晴らしいものであるとアピールするのが
「増上慢」である。
増上慢の境涯に甘んじている人間はいくら立派そうなことを主張していようが、その
本心は小説 新・人間革命(勝ち鬨88)にも書かれていたように慢心と怠惰の裏返し。
その結果、信心が淀み我見(エゴ)に支配され憤懣(腹立ってイライラすること)で
あふれている状態といえる。
信心が淀むとは文字通り「過去にすがる」信仰者の生き方。
自分は正しい評価がされていない(不幸だ)などと憤懣にあふれているから、意に
沿わない相手は必要以上に貶めコケにしつづけることで己の心の平静を保とうと
するのだ。
心の平静を保つ方法は他にもいろいろあるはずが、過去にすがり相手を馬鹿に
しつづけることでしかイライラを解消できない所に、幸せになればい根源がある。

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宗教的立ち位置が フリーの一般人 であろうが 自称元バリ活 であろうが
リアル活動家だろうが坊主だろうが法主であろうが 『増上慢の生き方』 に
あてはまっている人物は決して「幸せな境涯」を得ているようには見えない。
もし、そういった人をみたら願い下げだろう。
ところが困った事に、他者を客観的にみることができても自分自身が「増上慢」
であることにはなかなか気が付かないものだ。
挑発的な態度をとったり、あるいは下手に出るなどしてSNSのコメント欄に他者を
を呼び寄せたうえで「対話」を試みたものの、不調に終わって止む無く入室を断る
という場合がブログ運営をされている場合あると思う。
互いに無益な時間をすごさないためにも炎上状態を未然に防ぐ為にも、そういった
強制的なやりかたがあることを、ことさら批判するつもりはない。
だが、注目すべきはその後の立ち振る舞いではなかろうか。
どんなに立派な経歴や過去の体験をもっていると自画自賛しても、現在が
卑屈な「増上慢」の生き方がベースであれば、その信心のありかたは間違っている。
また信仰をしていようが、していまいが「増上慢」の生き方はいけない。
なぜなら「増上慢」の生き方は究極の自己保身であるがために進歩や変革が
望めないからだ。
お互いが自己保身に汲々としている「増上慢」の人間同士の対立からは何も
生まれてこないと拙はおもうのだが、読者の皆さんはいかがお考えだろうか。









 


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