人間革命フィクション説に固執する男3:創価の森ウォッチ52

( 初出 2012/8/23 )
私がなぜ、菊川さんの戸田先生の人間革命フィクション説を批判するのかという
理由は、もう一つあります。
かつてアンチ創価の面々が、1994年に出版された
「池田大作 幻想の野望―小説『人間革命』批判」という書籍をベースに
池田先生の人間革命がフィクションで、学会の歴史を都合よく改ざんしていると
いう中傷をしていたからです。

あえてこちらにその痕跡(リンク)を示しておきます。
某巨大掲示板に残っている「池田大作作小説人間革命批判 」というアンチさんの
コラムです。
http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html

またこの類いの中傷はアンチ学会のブログや掲示板でも取り上げられています。
http://megalodon.jp/2012-0712-1056-28/www.c-player.com/ad28005/thread/1100082915489
余談になりますがLEO・恋・みかん どこかで見たHNだとおもいませんか?
学会系掲示板に出没しているHNです。

皆さんも 「人間革命 フィクション」 で検索してみてください。
もっと他にもいろいろ出てきます。

おおむね人間革命を批判する人は、その内容と事実との整合性を問題視し
小説全体(または筆者池田大作)が信用ならないという印象操作をしています。
そもそも小説というジャンルは創作性の高い文芸作品である場合も多く、
登場人物が話した言葉や、行動がすべて事実であるかどうかを検証し学術的資料と
する筋合いのものではありません。

5月の聖教新聞には、作家・後藤正治さんに聞く:ノンフィクションは『テーマ性』が大切
という特集があって、そのなかに 「ノンフィクションはどこまでも事実に基づいています」
という話題がありました。

後藤さんはノンフィクションといえど、
“「主観」という意味では大いに想像力を働かせるフィクションに近い部分がある”
 と言われてます。また、
“フィクションとノンフィクションには大きな違いがある”のだけれど
“ふすま一枚の違い。そのふすま一枚は大きいのですが隣の部屋にいる世界”

(引用部分は何れも聖教新聞2012/5/16付け7面)
と説明されていました。
小説をフィクションかノンフィクションかなどというたてわけで内容の優劣が決まるわけ
ではないです。
しかし、そういった小説という表現法のちがいを菊川広幸さんはことさら強調して伝えて
しまった事が問題だと思うのです。

対アンチのデマを消す目的で開設されている菊川さんの「創価の森の小さな家」
とそれに付随する衛星ブログやそれに呼応する賛同者の間で、主人公(厳さん)の
表現と、実際の事実との差異を取り上げて単純に「ほらフィクションでしょ」との
言い訳を繰り返す以上、アンチ学会論師が池田先生の人間革命をフィクションだと批判
する根拠と本質的におなじものなのだという警告の意味もあるのです。

今回私の指摘を批判する人は戸田城聖の「人間革命」がいったなにを書きたかったのか
という本来の「テーマ性」がずっぽりぬけたまま批判しているのだと再確認できました。
それはかつて菊川()さんがレミゼラブルを論評してジャンバルジャンがパンを
盗んだだけで「長年投獄された」かのような錯覚をおこしているのに気がつくのと同じ
ような、違和感だったのです。

前置きがながくなってしまいましたが、私の菊川氏およびカチカチさんへの批判が
「間違い」だと断定される事は後々のリスクも考えて承伏いたしかねます。
また小説の内容の一部のみを取り上げて全体像の講評をしたり、作者があらかじめ
表現上「フィクション」の部分がある事をことわっているにもかかわらず、事実との整合性
ばかり根拠にし著者の人間性を疑うかのような愚かな行為に賛同したり、浅はかな評論
をしたりする事は私には考えられません。

----

創価学会で座談会や会合等で使われる冊子「大白蓮華」には、海外の識者が
「人間革命」をどのように理解されているかの寄稿やインタビューが連載されています。
6月号のラダクリシュナン博士の「人間革命の車輪」の図も視覚的に解りやすかった
ですが、
[#IMAGE|a0212032_1582012.jpg|201208/23/32/|mid|939|694#]
(画像:聖教新聞社刊・大白蓮華6月号14pより~)

5月号にてローマクラブ名誉会長リカルド・ディエス=ホフライトネル博士は

※「人間革命」とは素晴らしい表現で、それはまさに「言行一致」の事だとおもいます。
 倫理や道徳的価値と、自身の行動や幅広い活動とを一致させている人々が
 追い求めてきたものなのです。
 また、人々は、自身の行動に「人間革命」の哲学を関わらせ、本質的な原理原則を
 見いだし、実践すべき価値観を公言し、実現すべきなのです。
 そうすれば、最高にポジティブな変革がおとずれるでしょう。
 私たちは「人間革命」による変革を常に目指し、希望を失わないようにすべきです。
 
 私たちが追求すべきことは「言行一致」です。表明する内容や信じるものと、自分の
 行動とが矛盾しないように努めるのです。
 その上で、人類に貢献し、他者に尽くし、自然に奉仕していくことです。


(大白蓮華5月号13~14pより引用)


と「人間革命」について簡潔かつ重要な示唆を寄せられています。

もちろんこれは、戸田城聖・池田大作両氏の小説「人間革命」を批評したものではあり
ませんが、創価学会員として『人間革命』をどのように捉えて語り行動するのかという
根本理念を海外の識者(学会理解者)が的確に読み取っておられるのです。

戸田先生の小説・人間革命と池田先生の小説・人間革命、新・人間革命に綴られて
いるのはまさに「仏法(正法)崇高な理念に裏打ちされた一人一人の行動とドラマ」なの
ではないでしょうか。


改めてここで問題になった菊川広幸さんの説明を再掲示し、これが、
よく創価学会を知らない人に対して適切なのか、またどういう意味に捉える危険性
があるのか、皆さんもよく考えてみて下さい。


※小説・人間革命をお読みですか。
 戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています。池田先生の人間革命はノンフィクションなんです。

(月下の騎士No.17 <仏教勉強中さん>knight-1 at 2012-04-19返信より)

http://megalodon.jp/2012-0424-1252-00/sokaknight.exblog.jp/18148363/
※この小説(戸田先生の小説・人間革命)の前半は、完全なフィクションであるが、
後半は、(戸田)先生ご自身の獄中体験をもとにしており、投獄された主人公の
「巌さん」が、正法の流布に生害を捧げる決意を固めるところで終わっている。
(新・人間革命第1巻「聖教ワイド文庫」349ページ)
------------------------------
上記の事実をもって、「多くはフィクション」の根拠とさせていただきます。
(戸田城聖著「小説・人間革命はノンフィクションなのか 2012年 07月 07日)

http://megalodon.jp/2012-0708-2309-29/sokamori2.exblog.jp/18563798/



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