学会員のブログ・病と道心

( 初出 2012/10/14 )


インターネットは見ず知らずの「人」を知るキッカケが得られるツールです。

私が10年以上前にネットを始めた頃に一番最初に悩んだのは、他者との距離感。
YAHOO掲示板に学会員さんが立てた学会員の為のスレッドには、アンチ学会の人
がやりたい放題書き込んでいて、舌戦が繰り広げられていました。
YAHOOーIDを持っていれば誰でも書き込む事ができるのですが、当時はスレッドを
建てた人ですら記事の管理をする事ができないカオスと化していました。
共産党員や日蓮正宗門徒の他に、書き込まれていたのが未活動と化した学会員さん。

邪宗や圧力政治団体と対峙する為に、かなり勉強させていただくことができました。
学会を損ねてやろうと意図しているものは、所属の団体の失態を暴露すれば済みました
が未活動の学会員さんが、アンチ側の応援を積極的にするのには困りました。
当時、同志誹謗をしないためには、相手の学会員さんの機嫌を損ねないように応対する
事とが大事だと漠然と思っていた私は、まず自称学会員さんがナリスマシでないかを
検証するために投稿文や複数開設されていたHP(当時ブログサービスはありません
でした)をに書き込まれている地域の学会情報を再構築し、該当地域の親戚(学会員)
に聞いたりした結果、まぎれもなくある県の元学会幹部(白蓮)である事を確認しました。

学会スレの掲示板上では、学会員に対して居丈高な書き込みをしていた彼女も、HPでは
気負うことなく自分の家族の事や活動していたころの思い出を公開していたのです。
いわゆる「バリ活」と呼ばれる人だったわけですが、当時なぜそんな人が掲示板で組織
を離れるだけでなく、洗脳されているだのカルトだのと馬鹿にしているのか理解出来
ませんでした。
心理学や社会学の本に手をつけたのはこの頃です。

ネット上で騒ぎがおおきくなると、アンチもあの手この手で掲示板を荒らしだしました。
当時ネットコミュニティの場所は限られており、学会系だけでなく、他の趣味系
掲示板でも何十ものコメントを書き込んで流すものが現れたために、1つのIDで
掲示板に1日で投稿できる回数が制限されました。
しかしYAHOO-IDはメールアカウントともに一人5つぐらいまで登録できたので、
一人でも数十の投稿ができましたし、変更したIDで応答しあうといった
手の込んだヤラセをするものや、ID=メールアドレスだったためにアンチ同士で
結託して大量投稿をするものが出て、コミュニティが成立しなくなりました。
自分の投稿からの派生投稿を追うだけで手間がかかるために、どんどん常連さん
が掲示板から離れていきました。
また、個人で管理できる掲示板(非ブログ)を開設されだした事もあって、そちらに
HNそのままで移行された方も多かったように思います。
インターネットを使うようになって、創価学会をよくおもわない連中と対峙する事が
容易だったが故に、私のように破邪系や教学研鑽系の掲示板がネットコミュニティの
入門だった方も少なくなかったでしょう。

さて、ナリスマシでなかったYAHOO掲示板の元学会幹部さんを私なりに説得して
いたつもりだったのですが、アラシにおだてられた上に、アンチが造ったコミュニティ
に頻繁に出入りし、学会批判に同調していたために彼女は「内部のご意見番」として
有名になった事もあり、煽られているとも気づかないまま、ますますアンチ側に
堕していきました。
でも彼女はまんざらでもなく、むしろ愚痴をいっている自分を喜んで受け入れてもらって
いる事がとても快感だったのでしょう。
離婚した事や子供の事、はては学会員の母親が病床に伏せっている事を機に
学会不信に陥った事を自白していました。もちろんアンチは大喜びです。

ずいぶん後に彼女のブログを拝見すると、2010年の末の母親の死を期に
ほとんど更新がされなくなっていました。そしてその後の父親への恨み言。
2012年にはいくつか記事が投稿されていますが、以前ほどの毒気が消えています。

(元バリ創価学会二世のブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/naitii_20070825/folder/406134.html?m=lc&p=2

彼女は創価学会そのものを批判する形をとってはいるものの、ホンネは
母親や自分や兄に苦労をかけた父親へのアンチテーゼとして創価学会や池田先生
をダブらせ責任転嫁していただけだったのです。
彼女は、父親に積年の恨み辛みを晴らし、母親の死によって学会員であり続ける事の
呪縛から逃れる事ができてさぞやすっきりした事でしょう。
しかし五年以上にもおよぶ彼女のアンチ情報活動で正しい信仰を見出したという人は
だれもいません。

さて、ここでブロガーの皆さんに考えていただきたいのは、たとえ同じ創価学会員で
あっても自分自身の病や身内の病は、よくも悪くも信心を問われるキッカケになりうる
という事です。

御書に「病によりて道心はをこり候なり」 (妙心尼御前御返事)とはありますが
これはあくまで純粋に南無妙法蓮華経を本当に信じて修行をしている人に対して
の励ましです。

でも
「すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」
(法華証明抄)
ともあるように、広宣流布に邁進するからこそ我が身や身内に「病」をつけて
成仏を阻もうとしてきます。これが仏法に説かれる病の本質です。

よく創価学会員さんのブログには、未だ闘病中の方(特に心の病)が自分を奮い
立たせる目的で、事こまかく自分の症状や、挑戦している事を記事にされている
ケースをみかけます。

信心がある人が読めば、一義的には励ましたりしてくれるかもしれません。
しかし病との戦いはあくまで本人、また関わった人の「求道心」を大きく左右する
「因」にもなるのです。
大病や難病であるほど、人生を左右するほどの影響があります。
励ましてくれた人が、信心が強情な人だとはどうしていえるでしょうか?
また現在進行形で闘病記を掲載しただけで、他者の励ましになるなどと考えるのは
安易すぎです。

自分を知って欲しい、存在を認めて欲しいというだけなら自利であり「利他」では
ありません。
創価学会を宣揚しているつもりでも、法を下げてしまえば「罰」をうけてしまいます。
創価学会を誹謗する意図が明白なら、今世にて成仏できない因を積んでいる事に
なります。

不幸になった自分を慰める為に創価学会を誹謗中傷する事と
自利を求めるだけの唱題行や自己発揚に励むことは「動機」としては同じ低い境涯
のままなのだと思うのです。
宿命転換できる仏の境涯になるはずなどないではありませんか。

もし病の記事を書きたいとおっしゃるのであれば、病を克服し学会活動に励んで
家族が盤石になれた時。つまり実証を示せたときでしかないのではないでしょうか。
聖教新聞や大白蓮華の体験談記事をもっと参考にして、独りよがりな経過報告
や野放図なカミングアウトからよりスキルアップすべきだとおもいます。







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