本当の功徳は冥益にあり:創価の森ウォッチ72

( 初出 2013/6/20 )

毎日の聖教新聞や大白蓮華、書籍などを読み込んだうえで
アドバイスをするというのは指導主義の実現にかかせない作業だとおもいます。
たとえ、それが相手を打ち負かそうとする修羅のココロであったとしても正法に
縁しているのですから、いずれ結果はでるでしょう。

さて、ネット上で「功徳の話」を記事にされる人が増えるにつれ思い出すのは
三年前に富士宮ボーイ掲示板で投稿された“月の沙漠”さんの懸念です。

少々長いですが抜粋して引用します。


 最近ネット上で、功徳話によって、学会員の信心や境涯を量ろうとする
 仏法の矮小化を危惧する。

 仏法の実践による功徳の実証を語ることは、間違ってはいない。
 なぜならその実証によって仏法の正しさを証明することもできるからである。
 問題は、顕益をもってその人の信心を量ろうとする卑しき心根である。
 ネット上で顕益らしきものを披露した後、さあ、あなたも顕益を
 披露してみなさいなどと、顕益によってその人の信心、言葉をかえれば、
 その人の境涯を量ろうとする卑しさが、どれだけ法を下げていることか!
 それが一般に公開されているネット上で、公然と行われていることに憤りを
 感じるのは私だけではあるまい。
(略)
 顕益も大事だが、本当に大事なのは冥益であり、境涯である。
 どんなに苦しい状況でも、絶対に負けないで、そしてあきらめないで、
 師弟の誓願を果たし抜いていく境涯になることのほうがもっと大事である。

(No.29780 2010-05-14 19:47:29 仏法を矮小化する卑しき心根)

※※
 相変わらずネット上で目に見える功徳(顕益)の自慢話を競い合うことによって、
 互いの信仰や、境涯を量ろうとし、法を下げまわっている御仁がいる。
 創価系サイトに飽き足らず、今度はわざわざ法華講系サイトまで出向いて、
 功徳を競い合おうじゃないかと持論を展開している様子である。
(略)
 本人は、大真面目に我こそが本物の創価学会員と思っているようだから、余計に
 タチが悪い。長く学会の組織から離れていたブランクで、正しい信仰観を忘れて
 しまったのか、もしくは初めから理解してなかったのかのどちらかであろうが
 創価学会にとっては甚だ迷惑である。
 もう一度、本当の「功徳」とは何か、以下の『新・人間革命』の一節を読み、
 池田先生を自身の師匠と仰ぐのであれば、速やかに己の我見を捨て、これ以上、
 創価学会に迷惑をかけないようにすべきである。
(略)
 本当の功徳とは「顕益」ばかりを追い求めることではなく、「崩れざる幸福境涯」
 を築くことである。
 冥益の大切さは次の御書の一節にも明確である。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(1173ページ)
 
 今のように顕益ばかりに目をとらわれていて、いざという時、どうしますか。

(No.29797 2010-05-17 06:41:00 「冥益」と「顕益」について )

(以上引用)

私も、月の砂漠さんの指導とまったく同じ危機感を持っています。
ここで勘違いしていただきたくないのは、月の砂漠さんにしても私にしても
顕益そのものを否定しているのではないという事です。

功徳にも様々あるのは当然です。
蔵の財(資産)も身の財(健康)いろいろとあるでしょう。
ただし、自分が得た功徳の歓喜をどうやって得たか、
どこでだれに話すかで全然意味が変わってきます。

先週、拙の参加した座談会でも同志の方が
「蔵の財ですが・・」と前置きされて功徳を発表されていましたが
学会活動をした上でのお話ですから功徳の体験談といえます。
(おもいがけない功徳も、もちろんあります)

蔵の財も身の財も、広宣流布の活動の結果で座談会や会合で発表するのと
「現金を出したらちょっと安く買えました」とネットで公表するのとでは
「実益があった」ことに違いはありませんが仏法の上では違います。

また功徳の体験を語るというのは、常日頃なにを祈っているか、また自分の境涯が
明確に反映されたものになります。祈って叶ったからの功徳だといえるからです。

まず自分の自慢話ばかりしている人は自分のことしか祈れていない面があると
思います。
また、他人の功徳と比較して卑下したり、ネットで功徳話ばかり探し回っている
人は虚飾を見抜けません。

なぜでしょうか?本当の「冥益」を知らないからです。

ちょうど、本日付けの聖教新聞(2013/6/20)の名字の言には池田先生の指導が
引用されていました。

◎名誉会長は語った。「凡夫は、どうしても急速な結論を求め、近視眼的、
 皮相的な 判断となりがちである。しかし、仏は三世を通暁されている」
「我々の眼から見て、祈りがかなわないと思うだけで、仏の眼からは実は
 本質的にいってかなっている」
 仏法では、真の功徳は、こうした「冥益」にあると教える。

(以上引用)


また小説・新人間革命には


「皆、さまざまな境遇で、苦労し、呻吟しながら生きている。それが、現実です。
 絵に描いたような華やかな人生なんてありません。そんなものは幻想です。」

(奮迅40~引用)


と師匠は顕益に執着する凡夫の傾向性をキッパリ斬っています。

ついつい、学会活動せずに得られる顕益ばかりを追い求める「凡夫」になって
いないでしょうか。
ネット上で顕益ばかりを探していないでしょうか。

冥益とは、すでに学会員さんなら得ているはずです。
しかし、それを感じるかどうかで行動が変わってきます。
冥益を得ている事を強く感じているからこそ、困難を乗り越えて学会活動に
励めるのではないでしょうか。

そして、自分の現場にも法供養に邁進されている「冥益の同志」がたくさん
おられる事に気がついた時。
「絵に描いたような華やかな人生」という独りよがりな幻想を追っている自分
から脱却できるのだと思います。

スポンサーサイト
プロフィール

あべひ

Author:あべひ
「魅惑的な人々」FC2ブログへようこそ!
ご意見や感想は適当な場所でどうぞ

ブログランキングへのタグ
ボタンをクリックするとブログ村に移動しポイントが加算されます。
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
検索フォーム
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
RSSリンクの表示
アクセスカウンター
無料 無料 無料
ブログ村記事ランキング
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QR
アクセス解析